![]() 鎌倉で洋館や民家などのイラストを多く手掛けるイラストレーター、伊東雅江さんから「鎌倉2012カレンダー」(上 表紙)を送っていただいた。 本当は我々のような専門家と言えるものが洋館等のイラストを描けばよいのだろうが、我々はつくることに頭が忙しく、外でスケッチするような時間がなかなかもてない。 小難しい話よりも、魅力的な一枚のイラストの方がよっぽど市民の方々に洋館の魅力を伝えるのに役に立つと思う。伊東さんのイラストは星の王子さまの作者サン=テグジュペリのイラストを思わせ魅力的である。(そういえば、星の王子さま、の「さま」はひらがなである。最近漢字にするかひらがなにするのか、かなり分かれてきた)私にはこのイラストのようなファンタジーあふれるものは到底描くことはできそうもない。 *私が子供の頃は、内藤濯訳の『星の王子さま』しかなかった。最近は、『小さな王子さま』、『小さな王子』と直訳に近いものや、『プチ・フランス』などケーキを思わせるような訳まで出版されている。訳者も10名以上にのぼる。やはり、フランス語で読みたい一冊である。
昨年参加した鎌倉のある民家の実測調査報告書がpdfで届いた。調査した民家は鎌倉で一番最初に住み始めた住宅の近くでもあったため、思い入れがあり、楽しい作業であった。
20名足らずで、延べ120坪の民家を2日で調査した結果をまとめたものである。皆建築士であり、調査は慣れた方々ということもあるが、かなりの精度で実測でき、立派な報告書に仕上がった。 残念ながら、移築先は定まらず、部材保存をされている状態だと聞く。こうした調査や部材保存がなされなければ、ただ燃やされるだけであり、クズ同然になる。 実測調査がおもしろいのは、やはり当時つくった職人やら棟梁らの考えを肌身で感じられること、手を入れたところと手を抜いたところがわかること、どのような生活であり、文化であったかがわかることなど、あげれば切りがない。 こういう作業は学生たちがやるのが一番よいと思う。部屋に閉じこもって図面をひくのではなく、目の前にあるものから学ぶべきなのだ。民家でなく、新しい建築でもよい。こうした経験をつむと建築が全く異なって見えてくるから不思議だ。その異なって見えてきた世界を一般の方々に伝えるのが最も難しい。それをしなければならないのは歴史家の役目なのだと思うが、歴史家でもなかなかできるものではない。 ![]() 友人からの知らせでギリシアの映画監督テオ・アンゲロプロスが事故死したことを知った。ご冥福をお祈りしたい。くしくも私の誕生日に事故死していたということになる。本当に残念である。 彼の映画『シテール島への船出』(上、映画ラストシーン)を観て、映画の概念が変わったといってよい。映画のシナリオ、音楽、映像、カメラワーク、ギリシアの神話、歴史などのすべてが重層している映画、それがアンゲロプロスの映画である。また、リアリズムを超えたところにリアリズムを描く手法、それがアンゲロプロスの映画だった。 『シテール島への船出』の中の私が最も驚いたシナリオは、30年近く離ればなれになった夫婦が30年ぶりに再会したときに最初にかわす言葉として、「ご飯、食べた。」というもの。このシナリオには本当に驚いた。それは、通常のドラマレベルの物語からは想像もつかない。しかし、もし、そうした状況におかれた夫婦がいたとしたら、もっともリアリティのある言葉と想像できなくもない。また、この映画の中で主人公スピロが叫ぶ「腐ったリンゴ」という台詞が印象深い。この言葉はさしずめ今の日本の政治の状況と重なるように思う。 特に音楽のエレニ・カラインドルー。ECMから出ている彼女の2枚のCDは何度聴き返したかわからない。音楽だけでも作品として十分成立しているが、アンゲロプロスの映画を観ると彼女の音楽が鳴り響いてくるほど不可分だった。 追悼の催しが近く行われるだろう。また、久しぶりに彼の映画をじっくりと味わいたい。
ジャズピアニスト、木住野佳子さんの『bossa nostalgia』というCDを聴いた。
私の好きなジョビンの曲「sue ann」が入っていたので以前から気になっていた。CDの題名からボサノヴァの内容であろうと思っていたが、音楽は気の抜けたイージーリスニングミュージックといった内容であった。 ジョビンの曲をトレースしたものは聴けたが、その他の木住野さんの作曲したものは、ジョビンの曲とは調和することはなく、むしろ、ジョビンの曲の特殊性が際立つ結果となっている。そのような目的でオリジナル曲を挿入したのであれば理解できるが、そうとは思えない。 ボサノヴァとは何か、ということを音楽的に説明できる知識はないが、基本的にはジョアン・ジルベルトとアントニオ・カルロス・ジョビンの音楽である、と思う。それ以外はボサノヴァのようなもの、としか言いようがない。 また、最近特に感じるのは、ポルトガル語の響きに素直に音楽をつくるのではなく、そこを逸脱するような強引さと現代的な和声、リズムを結びつけること、結果としてポルトガル語の響きの可能性を押し進めた先にボサノヴァが生まれているように思う。つまり、ポルトガル語が非常に重要な要素であるから、この言葉を深く理解しないとボサノヴァは理解できないのではないか、と思うようになった。 たとえばジョビンの「パッサリン」がよい事例だろう。リズム、メロディー、ハーモニー、ポルトガル語のすべてがいわば矛盾しながらも統一されている。音とポルトガル語のディアレクティク、それがボサノヴァではないか? *パッサリンはジョビンの詩。かなしい詩であるが、詩人としてもジョビンは優れていると思う。パッサリンのポルトガル語バージョンはシコ・ブアルキも参加している。彼の声がこの曲を重奏感のある表現に仕上げている。 ![]() 今日は川崎、新丸子での建築見学会後、久しぶりに田園調布から自由が丘を散策する。 田園調布は20年前に勤めていた事務所があったところ。地下駅になってからは駅を利用したことはなかったが、駅前は田園調布らしいたたずまいに美しく整備されていた。 勤めていた事務所のあったコンクリート3階建ての住宅は健在で、デザイン事務所が入っていた。そこから通勤路であった自由が丘までのまっすぐの道を歩く。 当時自由が丘には約1年ほど住んだ。現在はスイーツの街といった感じであるが、20年前は普通の素朴な街であったように思う。20年前にもあった駅近くのMONT-BLANCという洋菓子屋はこの街にすっかりなじんでいて、いつもショーウィンドウ越しに中をのぞきたくなる街のケーキ屋さんといった感じの店である。 このMONT-BLANCは、奥に居心地がよい喫茶室がある。空間として天井が低く、半地下に喫茶室があるせいで落ち着くのだと思う。また、訪れる人の品がよく、皆楽しそうに会話を楽しんでいる。普通の洋菓子屋ではあるが、こうした「普通」さが現在は少なくなってしまった。それは我々のようなデザインに携わる人間の責任でもあるのだろうが、やはり、何十年も続けようというオーナーの意志の欠如もあるように思う。奇をてらったデザインでは、店は絶対に続かないものだ。 地味ではあるが、こうして何十年も続いている店というのは、きっとオーナーは謙虚で、心掛けのよい方であるに違いない。
最近購入を迷っていた『シェリー酒 知られざるスペイン・ワイン』(中瀬航也著、PHPエル新書)をアマゾンで購入した。
古本であるにも関わらず、値段が定価の3倍にも跳ね上がっていたこともあり、購入をずっと躊躇していた。購入したのは、ここ2、3年、家ではほとんど飲酒しなかったが、現在一週間に一回程度シェリーを飲むようになった。そのせいで興味がわいてきたことが大きい。 スペイン、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラでつくられる白ワインを日本(および英語圏)ではシェリー(酒)と呼ぶ。しかし、スペインでは「ヘレス」という。以前からこの音の差はいったいどこからくるのか疑問であった。 この本では、最初にそのことが記されていた。非常に簡単にいうと、スペインを侵略していたイスラム教徒(ムスリム)がこの酒のことを「シェリーッシュ」と発音していたこと。その発音をイギリス人が広めたことによる。(スペイン人は「シェ」の音を発音できないようだ)別名を「サック」とも呼び、シェークスピアなどの作品にも登場するそうだ。 この酒は、様々な人に愛されることになる。日本で有名なのは吉田茂元首相や俳優の松田優作が愛飲していた酒だということ。そして、もっとも有名なフレーズが、同じくシェリーを愛飲していたペニシリンの発見者、A.フレミングより生み出されることになる。 「もし、ペニシリンが人を病から救うのなら、シェリーは人を死から蘇えらせるだろう。」 "If penicillin cures illness, Sherry revives the Dead."
BSでスペイン、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラの街を紹介する番組を見ていたら、シェリー酒の酒蔵(bodega)の中にネズミ用のグラスと梯子が置いてあった。
酒蔵の中に侵入してくるネズミにシェリー酒を振る舞うのだという。さすがスペイン、日本とはやることが違う。ネズミは結構シェリー酒が好きで、酔っぱらうものもいるという。 (下の写真 desde jerez(ヘレスから)というHP内ブログのカテゴリ、ボデガより借用。ネズミのためのグラスと梯子) *この写真の中で、グラスと梯子の左となりの中の皿には何が入っているのだろうか?これがネズミ駆除剤であるとしたら?・・・これもスペインらしいが。 ![]()
5年ほど前に書いた江戸と鎌倉に関するエッセイを掲載した。このエッセイは、鈴木理生(すずきまさお)さんの著作『江戸はこうして造られた』(ちくま学芸文庫)の中で、江戸と鎌倉との関係を記述している部分を中心にまとめたものである。以前、一般社団法人ひと・まち・鎌倉ネットワークのHP上に発表されていたが、HPが更新され、文章が削除されたため、ブログに掲載することにした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 江戸と鎌倉 2006年10月の終わりにJIA(社団法人日本建築家協会)のイベントで、日本橋の百貨店や近代建築を見学したのだが、そのイベントに参加する前に日本橋について調べていたとき、鈴木理生さんの著作『江戸はこうして造られた』(ちくま学芸文庫)に出会った。この著作は、家康が1590年に江戸入りをし、およそ100年の間にいかに大江戸を形成していったのか(江戸の都市計画)を主題としているが、その前史として、鎌倉と江戸湊(湊とは海、川、陸の接点の意)との関係に多くを割いている。江戸前史と鎌倉の接点に関する部分を、鈴木理生さんの著作からまずは紹介したい。 鈴木さんはこの本の初めに、家康の江戸経営の第一歩が、円覚寺領江戸前島の“横領”で始められたという興味深い事実を指摘している。江戸前島とは、現在の日本橋から新橋あたりまでの地域で、家康が江戸入りしたころは、現在の東京湾に突き出した半島状の地形をなしていた。西側は日比谷入江の海であり、周辺は様々な川(旧入間川、旧石神井川、平川(神田川、日本橋川の原型))が集積した土地であった。それでは、なぜこの土地が円覚寺領であったのか?頼朝は、様々な物資の集積地であった江戸湊河口の制河権を握っていた江戸重長からこの土地を取り上げ、江戸湊を含む利根川水系の流域を寺社領に切りかえていった。これは、重要な地域を寺社に寄進することで、宗教を利用しながら間接統治が行うためであった。さらに、頼朝は、幕府成立後すぐに現在の渡良瀬川と荒川にはさまれた地域の堤防工事を命じ、当時湿地であった埼玉平野を開発し、水田化することで鎌倉幕府の経済的基盤を築いていった。 こうした事実を知ると、当時の交通の中心が舟運であったことを想像すれば、六浦から朝夷奈切通(あさいなきりどおし)のルートの開発が自ずと理解できる。それは、東京湾経済圏と鎌倉を密接に関係づける舟運の確保のためであった。鈴木さんによると、朝夷奈切通は、六浦の入江に注ぐ侍従川(じじゅうがわ)の川上の分水嶺を掘り起こし、滑川水源部を結んだものだという。当時は切通入口(六浦側)の約300メートル手前まで侍従川の水路が通じていた。つまり、朝夷奈切通は、途中から陸路になるものの、いわば鎌倉と東京湾を結ぶ運河の機能をもっていたということがわかる。一方、切通ができたことにより、東京湾側は将軍や幕府の重臣たちの保養地化がはじまった。金沢文庫は、もともと北条実時の別荘の一部として創建されたものだという。 また、鈴木さんは、鎌倉幕府の工事に陰陽師が関わった興味深いエピソードを紹介している。埼玉の低湿地開発が一段落したころ、幕府は多摩川の水から灌漑用水をつくり、水田開発に利用しようとした。この工事は、いわば鎌倉時代の「玉川上水」で、飲料用として開発した江戸の玉川上水に対応する。この開発の際、将軍頼経は、開発地が鎌倉の真北に位置するために(大犯土(だいぼんど)=大凶と判断された)、「方たがえ」といって将軍の居所を吉方に移して工事が始められた。(現横浜市鶴見の秋田城介善景の別荘に移住した。)当時、工事の着工前には陰陽師の判断が不可欠であった。 本書を読んでいてひとつ気になったことがある。それは、鎌倉の和賀江島である。鎌倉史跡事典(奥富敬之著)によれば、六浦という鎌倉のいわば外港ができたのにもかかわらず、六浦に重点が移ることはなかったと記述されている。これははたして事実なのだろうか。和賀江島はもともとの岩盤を基礎として波よけのために築島を行ったものと言われているが、その形状からして良港であったとはどうしても想像できない。先日、小樽に行ったとき、現地の方に聞いた話では、小樽では防波堤ができるまでは、艀舟(はしけぶね)を利用し、大型船からの荷物の運搬をおこなっていたことを聞き、鎌倉時代にも、そのような小型の船を多用しながら荷物の運搬を行なっていたのではと勝手に想像してみた。小型の舟であれば和賀江島程度の港でも十分機能すると思われるためである。これについてはまた後日、ゆっくりと調べてみることにしたい。 鈴木さんの著作の中心はあくまで江戸の都市計画の話である。江戸がいかに合理的なまちづくりを行っていったのかがよくわかる内容となっており、こちらの内容も非常に興味深い。一方で本書は、その前史である鎌倉時代以後の状況を丹念に遡ることにより、鎌倉に興味をもつものにとっても十分に楽しめる内容となっている。歴史学、民俗学、地理学、考古学、建築学、都市学などを横断した記述は見事で、読んでいて飽きることがなかった。江戸に対する関心はいまだに衰える様子を見せないが、この本はその中で特に建築畑の人間にとって最も興味深い一冊だといえる。初版は、『江戸の都市計画』(三省堂)として1988年に単行本として出版されているので、もうすでに読んだという方も多いに違いないが、大航海時代前史として鎌倉をとらえる、という視点も与えてくれた本書は、今読み直しても新鮮に感じられるに違いない。
ブログを携帯電話から更新できるように設定した。
これで気がついたことなど、街角でブログが更新できるようになった。携帯で更新した場合は、ブログのタイトル前に携帯電話のアイコンが表示される。 # by kurarc | 2012-01-16 17:29
最近寝る前にやることは、身体のストレッチ。それにもう一つ。自分では「頭のストレッチ」と思っている読書である。
寝る前の30分程度を睡眠時間を削っても読書の時間にあてている。本は仕事(建築)以外の分野のものを選択する。最近は火山に興味をもっていて、その手の本ばかり渉猟している。 1日の終わりにこうしたある意味、仕事でも遊びでもない空白といえるような時間を持つことは、重要なことだと思う。こうした時間をもつことで心にゆとりができるし、逆にゆとりが持てないと読書する余裕はないから、読書ができる、ということは生活のリズムや規範が整っている証。 もう眠くて眠くて読むことができないところまで読んで、あとは死んだように眠るのが心地よくて止められない。
日本建築学会の月刊誌『建築雑誌』1月号の表紙裏に新しい連載が始まった。その第1は、「1755年リスボン地震からの都市再建」と題され、リスボンにおける復興後の都市計画やそのときに建設されたポンバル様式建築( アルキテクトゥーラ・ポンバリーナ)について触れられている。
11年ほど前に『ポルトガルを知るための50章』の中でこの建築物について書いたとき、何も反応はなかったのだが、昨年の東日本大震災の影響もあり、にわかに注目される存在となっている。 しかし、一般的な興味として、また、復興のシンボルとしてこの建築物を眺めることは間違いではないが、アカデミックな立場の人間は、この建築物にポルトガル建築(建築史)のパースペクティブこそ見なくてはならない、と思う。 それはどういうことか?つまりこの建築物が出現する前史について、また、なぜ木造(ポルトガル語でガイオーラと呼ばれる鳥かご状フレーム)が選択されたのか、なぜこれほどまでにシンプルに(ある意味で貧しく)設計できたのか、設計者の意図やミリタリーエンジニアとの関係は、この建築物が後世に与えた影響は等々、考えれば切りがない。そういうことができるのは、ポルトガルのことを好きなもの、ポルトガルを本当に知りたいと思ったものだけができるが、建築の分野では、この国には少なくとも片手で数えるくらいしかそういう人はいないだろう。
今日は神奈川県庁に建築士法23条6の規定に基づく業務報告へ。
私の事務所は10月締めのため、年内に決算、年明け早々にこの業務報告を行っている。ちょうど年末に決算を終えて新年を迎えることになるので、会社を10月締めにすると区切りがよい。そして、年始の行事としてお役所へ伺う。 今年も本格的に1年が始まる。 *今日は釧路で「グリーンフラッシュ」が観測されたという。よい1年が期待できそうだ。 (下は今日の画像である。) *グリーンフラッシュをテーマにした映画『緑の光線』は、以前紹介した。エリック・ロメール監督の傑作。会話、対話の映画。 ![]()
先程、手作りの甘酒が完成した。
甘酒を自分でつくるのは初めてのことになる。先日(1月5日のブログ)紹介した小紺有花さんの本の分量でつくってみる。おおよそ以下の通り。 ご飯:2合分 水:350cc 乾燥麹:200g 作り方まで紹介すると、著作権にふれそうなので、これらを63度で10時間保温して、完璧な甘酒ができあがった、ということだけ書いておくことに。保温機器は、小紺さんの本で紹介しているやり方ではなくて、ヨーグルトメーカー(ヨーグルティア)で保温した。 これで約1リットル分の甘酒ができる。小紺さんの本では、こうした甘酒を砂糖の替わりに、また風味付けに使用している感じである。砂糖はもちろん使っていないが、びっくりするほどの甘みであった。麹パワー恐るべしである。
火山学の本を読んでいる。本の中に「流れ山」という言葉が出てきた。
山が噴火により岩なだれが起き、巨大な岩が無数の小丘となって別の場所に移動する現象を火山学で「流れ山」と表現するそうだ。去年、我々は「流れ山」ならぬ「流れ家」を映像で目撃した。 普段は動かないものが、流され、別の場所に運ばれる。現実は信じられないことの連続。現実はフィクションなどいとも容易く超えてしまうもののようだ。しかし、その相手が自然ならば受け入れるしかない。自然でなければ、放射性物質のように流れたものは人間の責任だろう。人間が何を流すのかが問われている。 # by kurarc | 2012-01-11 20:40
今しがた、門前仲町M邸の実施図面を各工務店に送付した。
まずは一区切り。M邸ではロートアイアンを使用したり、駐車場床にポルトガル産大理石のピンコロ(約一辺50ミリ立方体の白黒の大理石)を波の模様に敷き込む(ポルトガルでカルサーダ、あるいは複数形としてカルサーダシュと呼ばれる石畳の手法)など、今までやったことのない仕様が数多くあるため、施工過程が楽しみである。 また、地盤が軟弱なため、杭を40メートル近く打ち込む予定である。これだけの長さの杭を打つことも初めての経験となる。 東京では久しぶりの現場となる。竣工は今年の11月末から12月初旬の予定。来月から見積もり調整、確認申請を経て、既存家屋の解体、ボーリング調査、そしてそのデータにより、杭の長さの最終決定し、4月初旬に本格的な着工となる。 ![]() 富士山の形は美しい。冬場は特に空気が澄んでいて、晴れた日に鎌倉の山から望む富士山は雄大で、すがすがしい。 しかし、今見える富士が形作られた歴史をみていくと、火山としては最近のことであるという。我々はいわば奇跡的といってよい形を見ているのである。少なくとも縄文時代草創期の人間は現在のような形を見てはいなかった。 上の図でいうと、大きく富士山は三つの火山により形成された。小御岳火山(小豆色の部分ー30万年前)、古富士火山(緑の部分ー10万年前)、新富士火山(薄緑の部分ー1万年前から現在)である。今からおよそ1万年前に新富士火山の活動が活発になり、古富士火山の肩に乗るように噴火時の火砕流が堆積されたために、現在の形状が出来上がったのである。 火山学者は、火山を見たとき、こうした火山の断面こそ想像しなければならない。私たちが何気なく見ている自然風景に30万年の記憶を想像することが必要なのである。
ヤマナカグループの山中康廣氏より「マッシュルームスツール物語」を送付していただいた。(下 表紙デザイン)
マッシュルームスツール(デザイン:ヤマナカグループ)は1961年に行われた第1回天童木工家具デザインコンクールの入賞作品である。私はすっかり天童木工の商品としてずっと発売され続けてきたと勘違いしていたが、実はその入賞から41年後に復刻され 、2003年に商品化されたものだったのである。 その復刻から2009年10月には、パリ装飾美術館のパーマネントコレクションに選定されるという快挙を成し遂げた。 一つの小さな家具が生み出されるためには、様々な物語がある。このマッシュルームスツールはデザインされたときからこのように成長する運命にあったのだ、と私は思う。デザインされたものは子供と同じなのだ。 物語についてはHP(下)でも紹介されているので、ご興味のある方は是非ご覧ください。 □マッシュルームスツール物語 ![]() ![]() 最近塩麹など、麹をつかった料理、スイーツがはやっている。本屋で料理本を物色していると『塩麹&甘酒で作る、麹のおいしいスイーツレシピ』(小紺有花著、河出書房新社)という本に出くわし、購入する。 こうした本を買うときの決め手は、どうしてもつくりたいという料理なりスイーツ等のレシピを発見したとき。この本には「リンゴがゆ」というレシピがあり、購入を決める。 甘酒はいつも使っているヨーグルトメーカーでつくれる。その甘酒をつかったリンゴがゆのレシピ。これはどう考えてもおいしそうだ。
カテゴリに「Portugal」と「Brazil」を追加しました。未だに謎の多いポルトガルの世界。また、資源大国として、日本と関係の深い国として注目されるブラジル。フェルナンド・ペソアのような詩人を輩出するポルトガル。ワールドカップを2年後に控え、目が離せないブラジルについて気がついたことなどをメモしていきます。
今まで音楽でポルトガル、ブラジルを紹介してきましたが、それ以外のことはこちらのカテゴリにメモしていきます。ポルトガルの詩の翻訳の試みは、「ポルトガル」のカテゴリで少しずつ始めていきます。 # by kurarc | 2012-01-05 14:45
![]() 昨日は正月休みを利用して、上野の西洋美術館で開催されている『ゴヤー光と影』展と根津神社へ。 ゴヤの絵画は久しぶりである。油彩より、ロス・カプリーチョスと素描が断然よかった。ゴヤの油彩はなにか素描類に比べ、深みがないのはなぜだろう?ゴヤの生涯をあらためて振り返る。47歳にして聴覚を失うという不運にも負けず、ゴヤの内面はその不運以後、より研ぎすまされていったことがよくわかる。啓蒙主義期に覚醒した「理性」は、現代にも通じる批評性に満ちている。ゴヤであれば現代の日本をどのように描くのだろうか? 西洋美術館も久しぶりであったが、今回は常設展まで周遊して正直に思ったことは、空間が退屈である、ということ。特に企画展が催される空間は様々な制約はあったのだろうが、面白みに欠ける。地下に降りていくことに何の意味もないプランである。常設展のエントランスの吹き抜け廻りのみが美術館らしい空間。常設展の低い天井部の黒い塗装は重すぎる。 その後、何年ぶりかで根津神社へ。初詣は鎌倉ですませたが、東京での初詣はここで。根津神社は予備校時代に水彩画の課題として描いたなつかしい神社である。この神社はすり鉢状の谷にすっぽりと収まっているせいか、いつきても落ち着きを感じる。社殿も重要文化財だけあり、手入れが行き届いている。鎌倉よりも東京のこうした神社の方に生活の延長としての正月らしさを感じる。 境内では猿まわしも見学。ツツジ祭りにはまた訪れることにしよう。 ![]() ![]() ジャイアントパンダが笹を手で持ち、食べる姿について何の疑問ももっていなかった。そのかわいらしい姿は大人になっても微笑ましいことに変わりはない。 しかし、遠藤秀紀著『パンダの死体はよみがえる』(ちくま新書)を読むと、パンダの何気ない仕草は何十万年という進化の賜物であったことを教えてくれる。 パンダはクマ科に属している。たとえばツキノワグマは、その手を肉食獣として進化させてきた。そのため、獲物に一撃を加えることに突出するよう凶暴な爪を獲得した。しかし、その結果、手の柔軟な動きは犠牲になった。 一方パンダは中国南部に群生するタケ科植物を食料として生き延びるために、その植物をつかむための手を進化させた。そして、パンダは人間の親指にあたる部分を使い、上手に笹をつかむすべを学んでいったらしい。 その親指は、通説では第6の指、「偽の親指」が笹をつかむ機能を果たしている、とずっと思われていたのだが、その説をくつがえしたのが、他ならぬ遠藤氏であった。彼は、上野動物園の人気者であったフェイフェイの解剖を通じて、さらにもう一つの指(第7の指)があることを発見したのである。 遠藤氏の提唱する「遺体科学」というフレームは、こうした動物の遺体(彼は死体と呼ばない)を丁寧に解剖し、そこから生物の様々な情報を学習していくという肉体労働を伴う学問であるという。こうしたフレームを知って、分野は異なるが、建築も実は同じことを行わなければならないのだろうと感じた。 ここ5年くらいの間、様々な「建築の遺体」に対し、保存要望書を提出する経験をしてきたが、その大半はろくに記録もされず解体されていった。「建築の遺体」は粗末に扱われ、そこから何かを学ぶための時間が失われていった。遠藤氏の提唱する遺体科学というフレームの研究態度は、そのまま「建築の遺体」に対する態度として通ずるものであると言える。 *先日ニュースでパンダは肉食でもあることが報道された。パンダは草食肉食系であった。肉を食べるときも進化した手を器用に使うのかもしれない。 *そして我々は今、フクシマに巨大な「遺体」を抱え込んでいる。この「遺体」を丁寧に解剖し、事実を明らかにしなければならない。
正月早々、興味深いワークショップの情報が入ってきた。東京大学のUCTP(共生のための国際哲学教育研究センター)が開催するプログラムである。
普段はあまりに形而上学的、高等なテーマが多く、ついていけないが、今回は18世紀イタリアの版画家、建築家であり考古学者ピラネージが残した『幻想の牢獄』という作品の3D化に関するするワークショップが開催されるという。 詳しくは下記のHPを参照していただきたい。 ワークショップの原題は『ピラネージにおける建築的プロムナード』である。「プロムナード」は公共性のある街路を意味する言葉だから、「遊歩」という言葉は的を得ている。また、「建築的プロムナード」は建築家ル・コルビュジェの言葉としても知られているから、デュポン氏はそのことを暗示させたかったのかもしれない。 ピラネージの建築空間を遊歩する 『幻想の牢獄』3D映像化の試み 発表者|グレゴワール・デュポン ![]()
元旦の14時34分頃、震度4の揺れを感じた。今年も自然災害から目の離せない年となることを新年早々から意識しなければならないはめになった。正月気分を味わう日本人に水を差すような地震であった。
気象庁のHPによると、ブログを書いている23時現在までに、震度1以上の地震が日本で14箇所発生していることがわかる。年末にもほぼ毎日10回前後の地震が観測されている。 地震でおびえているばかりではなにもできないが、無視もできない。今年も仕事の傍ら、自然についての知識を深めていくことが必須となるだろう。 仕事においては、納得のできる仕事を少しでも数多く成就していくことが目標。 仕事以外においては、健康を維持し、趣味を充実させることが目標。 ![]() *本年よりブログのスキン(ブログの背景)を変更しました。 junko_ miyajimaさんのデザインに私の家具の写真を取り込む等、編集しています。 # by kurarc | 2012-01-01 01:07
アラスカのアリューシャン列島にあるクリーブランド火山噴火のニュースが入った。幸い火山灰は成層圏には達していないらしい。火山灰が6千メートル以上に達すると航空機に大きな影響を与えるという。火山灰が成層圏を超えると、全世界に循環することになる。
今年は、こうした自然災害がもたらす影響について再考を促す一年であった。自然観を改めるような一年でもあった。電子的機器(自動車、電車などを含む)が自然災害に弱いことが明らかになった。自然に逆らうことは許されないし、自然は人間の文化など玩具のようなものでしかない、ということを見せつけた。 巨大なお湯を沸かす装置(海水暖め装置)が爆発し、大変な事件に発展した。これも「火」を獲得するための装置であり、原始的なものである。「土」が揺れ、津波という「水」の反乱が起きた。 こうした原始的な事物に注意深くつき合わなければならないことを教えられた。それでも、破局的といえるような状況には至っていない。(正確には至っていないことになっている。)自然はいつかそうした試練を与えてくるだろう。特に日本に対して。その試練に耐えられるような文化を築くことができるのか、人間が、日本人が試されている。 来年は目先の新しさなどに惑わされることなく、根源に遡って考えることを目標にしたい。 *閑話休題、今年の年越しそばは、北鎌倉駅前の「やま本」で。ここの建築は鎌倉で知る人ぞ知る建築家H氏の仕事。鎌倉らしく、落ち着いてそばをいただける空間。明月院への祖父母のお墓参りの帰りなど、昔から立ち寄っていたそば屋。 ![]() *長年使っていたスキン(ブログの背景ー標準のスキンのHTMLを少し書き替えたもの)を変更した。エキサイトの中に含まれているものをそのまま使うことに。このスキンの文字の感じが以前使っていたものに近いし、日付が真っ先に表れないことがやはり私が書き換えたものに近いので気に入った。やはり、新しいスキンだけにシャープである。同じ内容なのだが、異なって感じられる気がする。かたい文章が多いので、このくらいやわらかい方がよいかもしれないが、私には可愛すぎるか?
明日はいよいよ大晦日。
私は東京生まれのため、年末に帰省をするような楽しみもなく、子供の頃の正月は、母親がつくるおせち料理とお屠蘇だけが正月を感じさせてくれる貴重な思い出になっている。母が料理好きでなければ、私にとってお正月は単なる空白の時間であったろう。強いて言えば、父との凧揚げも楽しい思い出の一つか。 帰省をするような場所がいまだにないため、お正月はこれといった楽しみはない。むしろ、12月27日くらいから31日にかけての1年の締めくくりにあたる日々が最も好きである。特に大晦日は、来る1年の緊張とこの1年の脱力が一気に押し寄せるような時間感覚、身体感覚が心地よい。(鎌倉に移ってからは、大晦日深夜に初詣に行く習慣になっている。この方が大晦日の感覚のまま、初詣を楽しめるので、私は好きである。また、鎌倉の人ごみを避けることもできる。) 1月1日には、明けまして・・・といった常套句があるのだが、大晦日を迎える言葉があってもよいような気がしてならない。紅白歌合戦だけで大晦日を感じるのは少し申し訳ない。 1年の締めくくりにふさわしい言葉とは何か?やはり、この1年いろいろなことがあったが、無事にこの日を迎えることができてありがとう、という感謝の気持ちを表す言葉がふさわしいのだろう。 といっても、言葉が見当たらないので、今年は以下のようなことにして大晦日を迎えることに。 I don't know how to express my thanks on the last day of the year. この大晦日を迎え、私の感謝の気持ちをどのように表現してよいのか言葉もありません。 # by kurarc | 2011-12-30 22:25
ショパンを理解するためのキーワード
・con fuoco ・Moja bieda ・ZAL (Zの上にドット符号あり) 『ショパン 花束の中に隠された大砲』(崔 善愛著 岩波ジュニア新書)より ![]() *上記の本、読んでいて涙があふれそうになる。ショパンの生涯はあまりにも偉大で、切ない。
今年の夏は現在使用中iMacが暑さで悲鳴をあげた。
室温が28度を超えると、勝手にスリープしてしまった。エアコンは使いたくなかったが、パソコンを冷やすためにやむを得ずエアコンを使い、仕事をせざるを得なかった。また、iphoneのソフトもバージョンアップできないし、様々なソフトのバージョンアップに支障をきたすようになった。 そうした経緯もあり、iMacを購入することに。もちろん整備済品である。整備済品は2万円以上安く購入できる。これで来年の夏は勝手にスリープすることもなくなるはずである。 現在のiMacは使い始めて6年。よく働いてくれた。もちろん、故障した訳ではないので、今後も使い続ける。これで、Power Bookを含めマッキントッシュは4台になるが、PBの方もPOWER PCのため、いろいろ不具合が多いが、こちらは暑さには耐えてくれた。 マッキントッシュには本当にお世話になっている。愛着も湧いてきた。私にとっては所員と同じであり、よき相棒。今後も大切に使い続けたい。
私の読書は、以前から何かの手段のために行うことがほとんどであった。論文や文章を書くために読む、調べるために本に目を通す、資料として本を活用するなど、読書が好きで本を読んでいたのではなく、目的を達成するために必要な手段としての読書。
しかし、3.11以降、目的としての読書をすることが好きになってきた。「大きな」メディアや「大きな」放送局などから発せられる情報の不確かさ、不気味さを肌で感じるようになったことが最も大きいと思う。 また、目が悪くなり眼鏡をかけるようになったことも影響しているように思う。眼鏡をかけるようになり、文字をはじめ、すべてのものを凝視する必要性が出て来て、文字を追っていくことが近しくなってきたこともある。 しかし、それだけではなさそうだ。学問や文化が成熟してきたせいであろうか、新書のたぐいでも随分と興味深い分野を扱う本があふれてきて、本を読み、感性が覚醒するような体験をごく当たり前にできるようになってきたこと、さらに、自分自身の興味の幅が広がってきたことも大きい。 「大きな」組織が当てにならなくなってきたその一方、「小さな」メディアや出版社の責任がより重くなることは確かだろう。公正さ、中立性がある情報、確かな情報を「小さな」メディアや出版社がいち早く提供できるのかが、今後ますます問われることになるだろう。 この年末から正月にかけては、新しい科学関連やショパンに関する本を逍遥するつもりである。 *読書の美徳は、大声を張り上げた言葉を聞くのではなく、自らが静かに読むという行為の中にある。崖に刻まれた過去の大震災の痕跡を一瞬のうちに理解するように、もの言わぬものに目、耳を傾け、その中から未来につながる手がかりをつかむような繊細な感覚を身につけることがどのような分野にも必要になってくるだろう。
小川洋子著『科学の扉をノックする』(集英社文庫)を読んでいると、2章「鉱物は大地の芸術家」にサンド・ローズ、砂漠のバラと呼ばれる鉱物が登場した。
砂漠のオアシスの水が干上がるときに結晶化された鉱物だという。バラの花びらのような鉱物。こうした鉱物はこれ以外にも赤鉄鉱、藍銅鉱、グラウベル石などにも見られるという。 鉱物と植物の二つをつなぐ世界がこの自然界には存在するということ。 この話をしてくれているのは、鉱物科学研究所所長の堀秀道先生。この研究所に伺いたくなった。
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