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by S.K.
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毎日新聞 日曜版

3.11以降、新聞をはじめとしたメディアに頼ることは危険だと思い、ずっと新聞から遠ざかっていた。しかし、池澤夏樹さんの『知の仕事術』を読み、新聞も距離をおきながら付合うのもよいか、と感じ、たまにコンビニで買うことにした。特に、池澤さんをはじめとした書評が掲載される毎日新聞の日曜版からにしようと。

新聞を自宅で手にするのは久しぶりのことであり、かなり新鮮に感じられた。「日曜くらぶ」と題された別刷りの一面には、前田敦子さんが登場していて、以前から知ってはいたが映画好きのことについて書かれていた。映画好きというだけでも親近感がわく。顔写真をみると以前より随分と大人びたように思った。

注目の書評欄「今週の本棚」には、堀江敏幸氏による『タブッキをめぐる九つの断章』(和田忠彦著、共和国)が紹介されていた。イタリア人のタブッキは、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアの研究者として著名であり、自らポルトガル語で小説を書くこともある作家である。日本人にはファンも多い。長年、翻訳を担当してきた和田氏のタブッキ論集大成といったところだろうか?興味をそそられる。その他、須賀しのぶさんのポーランドを主題とした小説『また、桜の国で』に目が留まる。

週に一度くらい新聞を読むということはよいかもしれない。タイムリーなニュースなどはラジオで聞けばよいのだし、週一度、その週の出来事を分析、精査した文章を読むくらいがよい気がする。いわゆるウィークリーになる訳だが、そうしたペースで刊行される良質な新聞(できれば、タブロイド判)ができるとよいのに。

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# by kurarc | 2017-02-19 17:42 | books

ポルトガル、そして柄本祐さん

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仕事から帰り、テレビをつけると、俳優の柄本祐さんがポルトガルを訪ねる番組があらわれた。テレビ番組を見てチャンネルを選択した訳ではない。こうした偶然にも驚かされるが、柄本さんのポルトガルへの情熱、特に心酔するというオリベイラ監督への思いにも驚かされた。

リスボン、ポルト、ギマランエス(ギマランイシュ)が映し出された。ポルトのドウロ河沿いはわたしが滞在していた頃とかなり変化したように思った。ポルトを古都と紹介していたが、わたしが古都と感じるのはギマランエスの方である。特に、この街の夜はよい。わたしはこの街で夜入ったレストランが未だに忘れられない。路地に面し、外の明かりがレストラン内にやさしく届く光景が。レストランで食事をすることの意味はこうした場所で食べることなのだ、と感じさせてくれた。ここだけではない。ポルトガルのレストランはこのギマランエスに限らず、食べることと場所との関係を大切にしている。

柄本さんは、映画「階段通りの人々」の舞台となった階段、バルのあたりを訪ねていた。わたしもこの映画の印象が強く、リスボン滞在中に訪ねたことがある。といっても、わたしもリスボンを歩いていて偶然に見つけた。リスボンの中心バイシャ地区の東寄りに位置するサン・ジョルジョ城へ向かう階段である。リスボンに数多くある階段(あるいは坂道)は、どれも舞台となるような芸術である。それも、誰もがいつでもそこを通ることができる。都市の中で開かれた芸術のようなものといっていい。

柄本さんのような若者がポルトガルが好きだと言うのにはやはり驚かされる。この国、都市の良さはあまり多くの人には伝わらないと思えるからである。手短に言えば、都市であることは、およそ人を無名にしてしまうものだが、ポルトガルの都市は都市でありながら、自分が誰であるのかを失わない、そこがポルトガルの都市の良さということである。

普通はパリやバルセロナ、ローマがよいという人が大半であろう。柄本さんのようなポルトガル好きはそんなに多くなくてよい。ポルトガル人も誰もパリのような街になることを望んでもいない。ポルトガル好きを大声で叫ぶ必要もない。ポルトガル好きは静かに好きであればよいのである。



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# by kurarc | 2017-02-18 09:16 | Portugal

池澤夏樹著 『知の仕事術』を読む

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池澤夏樹さんが自らの仕事術の一端を新書で出版した。わたしが全幅の信頼を寄せる池澤さんの仕事術には並々ならぬ関心があり、一気に1時間で通読する。(新書は2時間以内に読むものである。)

仕事術もさることながら、刺激的なエピソードも豊富に含まれていて、大変参考になった。それに、非常に読みやすかったのには助かった。池澤さんが天童木工の椅子を使っていることや、手作りの本棚、テーブルをつくるなど思いがけない話題もあり、興味深かった。自分のやり方で仕事術を精査していったということのようだ。

本好きということが改めてよくわかったが、かといって、コレクターではない、ということが以外であった。とはいっても、一万、二万冊くらいの蔵書はあるのだろうが、読まなくなったものは古本屋に処分してしまうことをいとわないという。わたしがよく活用する古本屋の名前も出てきたりして驚いた。毎日新聞の日曜版今週の書評は必ず目を通そうと思ったこと、MacBook Air、Kindleはそろえてもよいと思ったこと・・・etc. 

池澤さんの仕事術のごく一部が公開されたという感じは否めない。核心の部分は公開していないのではないか。しかし、今後、興味の範囲を広げる必要性と、池澤さんのいう、情報、知識、思想というレベルを常に意識し、更新していくことが重要、ということか。

*一年前の今日、国会をにぎわした「保育園落ちた日本死ね!!!」の全文が引用されていた。この文章、池澤さんも言うように「名文」である。だれか、この文章に曲をつけて歌ったらどうだろうか?

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# by kurarc | 2017-02-15 21:52 | books

” Canson d'Andy ” をトランペットで練習

映画「ロシュフォールの恋人たち」の中の音楽、” Chanson d'Andy ”(シャンソン・ダンディ) をトランペットで練習してみた。久しぶりのトランペットの練習である。

映画では、Andy(ジーン・ケリー)が一目惚れしたソランジュを待ちながらピアノを弾いているシーンの中で使われる。ソランジュの作曲した曲という設定になっている。

曲としては、多くの倍音の上下音を含んでいて、リップスラーの練習に適している。これを、タンギングとリップスラーの両方で練習してみた。こうしたルグランの名曲をトランペットの練習に活用することは、練習することのモチベーションを高めてくれる。

トランペットの教則本は、アーバンなど19世紀の教本がいまだに主流となっている。同時代の音楽を教則本に変換してくれるような奏者はいないのだろうか。宇多田ヒカルでもperfumeでもなんでもよい。わたしは、映画音楽によるトランペット音楽の教則本ができることを望むが、活きた音楽を練習できでばもっと練習が楽しくなるに違いない。

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# by kurarc | 2017-02-12 19:11 | trumpet

野菜スープを主食に

事務所の引越しで忙しく、なかなかスープを仕込む時間がなかった。今晩、やっといつものスープを仕込む。およそバケツ一杯の野菜を一気に煮込む。これで一週間分である。

すでに、野菜スープ(大豆など豆を含んだもの)を食前に飲むことが習慣になってしまったので、飲めない間は食事が落ち着かない。何か不足した感覚がつきまとうのである。特に、外食では野菜スープを食前に飲むことは無理だから、せめて、前菜として野菜サラダを口にする。

3年ほど前にこのブログで取り上げた糖質制限食はかなり市民権を得てきたように思う。牛丼屋のような場所でも、ご飯の替わりに湯豆腐を提供する店も出てきた。それとは正反対のカフェがスターバックスである。甘い菓子、甘いコーヒーが大人気である。ここは、マクドナルドがカフェ化したのと変わらない。

労働がデスクワーク化してきたこともあり、定食は日本人の健康を蝕むメニューとなった。定食は肉体労働食なのである。労働時間中にほぼデスクから離れないようなホワイトカラーの主食には、野菜スープが適していると思っている。もちろん、肉体労働をするブルーカラーにも、野菜スープは適している。血糖値の変動を抑えてくれるからである。

日本人から白米をぬぐい去ることはできないだろうが、もうすぐ誰もが気づくことになるだろう。日本人の食生活を根本的に変革しなければならないことが。

*日本人のアイデンティティを支えているような日本食が、実は現代の日本人にとって大したメリットがないこと。これは大きな社会問題である。糖質制限食と命名したのは、むしろ、そうした問題を直接的に指摘することを避けた巧妙な戦略だったのである。



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# by kurarc | 2017-02-11 20:01 | gastronomy

野鳥観察事始め

今年から、井の頭公園を中心として野鳥を観察しようと思っている。不思議なことだが、急に興味が湧いてきたのである。

野鳥はネコのように人間にこびないところが好きである。生きるのに人間を必要としていないように思う。むしろ人は邪魔な存在だろう。野鳥たちのえさ場を次々となくしているのは人間だからである。このわたしも建築に携わる身として心が痛む。(わたしの知る限り、ロンドンは別である。たとえば、ロンドンのハイド・パークでエサを手にして持ち上げると、野鳥達がこれでもかと寄ってきて、エサを食べにくる。)

若くして亡くなった幼なじみと、大学を卒業する頃だったと思うが、井の頭公園で野鳥を観察したことがある。彼は、鹿児島まで鶴を見に行くような野鳥マニアであった。わたしも今後どうなるのかわからないが、まずは身近な井の頭公園で観察することとしたい。

先日、国立の郷土資料館に行ったときに、悲しい事故の話を聞いた。郷土資料館は、地下に埋もれたプランだが、地下の中庭に面した開口部は大きなガラス張りである。そのガラスを野鳥は認識できず、隣接する森から飛び立った野鳥がガラスに衝突して、死んでしまうのだという。郷土資料館では、そうした野鳥の死骸を剝製にして、資料館内に展示してあった。(ガラスに周辺の風景が映り込んでしまう場合も、野鳥はガラスを認識できないことになるらしい)

こうしたことも、人間は野鳥の敵である証拠である。自然の豊かな地域で建築をつくる場合、この野鳥のガラス事故は常に気にかけるべきことかもしれない。鳥が認識できるようなガラスの開発を望みたい。

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# by kurarc | 2017-02-09 18:47 | nature

引越しから学ぶこと

このところ引越しについて書いている。引越しは建築を設計するものにとって、いろいろ考えるきっかけを与えてくれる。

まず第一に、引越しをすることは必然的に新しいプランの体験となる。プラン、使い勝手のよいところ、悪いところを新鮮に学ぶことができる。クローゼットの奥行きが足りないとか、扉の開き勝手とか、照明の位置であるとか、ここはうまくいっていないな、といったところは特に自分でも注意しなければならない。

まだ、ほぼ段ボールの中に様々なものが収納されている状態であるから、日々使用する事物についても考えさせられる。お皿がないということがどれだけ不便かとか、クリップがないので書類が閉じられないとか、洗剤がなくて食器が洗えないとか・・・etc. 日常の些細な生活、作業に小さな事物がいかに重要であるのかを改めて発見するのである。

日常とはそうした些細な出来事を連続させていくこと、そのために小さな事物が数多く必要であり、我々の生活を援助してくれていることを思い知らされることになる。

建築を生業とするものは、数多くの引越しを体験すべきなのである。それによって様々な生活環境を経験し、学び、それを仕事に活かすことが大切である。ブルーノ・タウトが戦前日本にやってきて、群馬の小さな住宅に住み、そこから多くの日本家屋の特色を引き出したことを思い出した。彼は生涯旅人であり、変化していく環境から新しい建築を認識していった。

若いときに自邸をつくってもよいが、それをいつでも捨てる勇気を建築家は持たなくてはならないのだと思う。

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# by kurarc | 2017-02-08 22:46

住宅 西向きの効用

住宅のプランにおいて西日は避けるというのが、昔から日本の住宅設計において暗黙の原則のようなものになっている。西日の方に窓を大きくとると、夏場に熱がこもり、大変なことになる、というのがその主な理由である。「夏を旨とすべし」という原則を重んずると、西側には小さい窓しかつくらないというのが常識なのである。

現在、西側に大きく開かれた事務所に移転し、その窓を体験してみると、西側の窓もまんざら悪いだけではないことに気がつく。少し前にも書いた通り、一日の終わりに夕陽を楽しむことができること、それに、夏は暑いかもしれないが、冬はちょうど日が沈みかけ、外気が冷え込んで来る時、室内を温めてくれるメリットがある。

現在の事務所がよいのは、西側に駐車場があり、街路から10メートル程度空隙があり、さらに街路の幅が6メートルほどあるから、隣家の窓まで20メートル近くの空間がある。よって、窓は対面しているが、プライバシーが気にならない。西側に大きく空隙があるのであれば、西側を開く、という住宅のプランを大胆に考えてもよいのかもしれない。

西側に住宅を開くことは多くのメリットがある。室内物干などをつくるにも西向きがよいのではないだろうか。

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# by kurarc | 2017-02-07 16:13 | design

日常の中のデザイン15 爪切り

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引越しで、ものの移動は終わったが、部屋の中に120個以上の段ボールが山積み状態である。引越しは、こうした段ボールの荷物をまたもとの棚などに収めて初めて終わる訳である。よって、引越しはまだ半分しか終わっていないことになる。

引越し時には、身の回りの重要なものを別に分けておくが、肝心の爪切りをどこにやったのか忘れてしまった。段ボールの山から探し出す訳にも行かず、近くの金物屋で、貝印のtype003M(上写真)という爪切りを購入した。

いつも使っているものの2倍程度の大きさで、ステンレスヘアーラインの仕上げと半透明な爪を飛ばさないためのケース、さらに、エッチング加工の爪ヤスリが付属している。上の写真からはわからないが、爪を切れる状態に取手を回転させると、S字型の曲面となっていて、使いやすい。従来の荒っぽい加工の爪ヤスリは使いづらいと思っていた(使ったことがない)が、さすがに改良されていた。(このエッチング加工の爪ヤスリが荒いもの、細かいものと二種類付属していたら、もっと機能としてよかったはずである。)

テコの力を借りて爪切りは爪を切る訳だから、ある程度大きい方が力がかからない。小さい爪切りを使っていたこともあり、この大きさだと軽々と爪を切れることがわかった。これで、1000円しない価格設定もよい。

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# by kurarc | 2017-02-06 19:14 | design

アアルトの椅子 No.66

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新しい事務所の椅子を物色に、「sempre」というインテリアショップに行く。ここで、アルヴァ・アアルトの椅子No.66(上写真、sempreのHPより借用)の座り心地を久しぶりに確かめてみた。このデザインと背の高さの異なるNo.65があるが、こちらも確かめるべきであったが、今回は確かめていない。

アアルトの椅子というだけで、購入する方々も多いだろう。しかし、正直に言うと、座り心地はよくはなかった。アアルトの椅子全般に言えることだが、椅子を成立させる構法は独創性があるが、その部分のみに利点があるだけで、椅子としての肝心の機能が追いついていないように思う。

以前、ウェグナーのYチェアの神話性について書いたが、ウェグナーの椅子は最低の座り心地は確保されている場合が多い。そこはアアルトの椅子との大きな違いである。アアルトの椅子はクッションなしでは使用できない。平坦な円形上の座のデザインであり、座り心地といったもの放棄して成立している椅子なのである。

こうしたコンセプトはやはり彼が建築家であることと無関係ではないであろう。構築物として家具を完成させることが最も大切であり、座り心地を求めることは構築物として、あるいは造形として弱いと感じてしまうのかもしれない。

このあたりは微妙な問題である。しかし、わたしは、造形と座り心地といった対立する要求を満たすようなデザインを考えるべきだと思う。特に椅子のように身体に接する道具はなおさらだろう。椅子は、衣服のようなものに近いと思う。着心地の悪い服をわざわざ着るだろうか。(それでも、着たい、という人は多いのかもしれないが・・・)



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# by kurarc | 2017-02-04 18:28 | design


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