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by S.K.
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梶井基次郎との再会

前回のブログで取り上げたドッペルゲンガーという現象を調べていると、神話の中にこの現象が数多く語られていることや、その体験を小説へ表現した作家までいることがわかる。

日本では、芥川龍之介や梶井基次郎が例にあげられている。特に、梶井の『Kの昇天 或はKの溺死』に興味を持ち、読んでみた。と同時に、梶井というと忘れられないのは『檸檬』である。わたしが中学生の頃、教科書に載っていたと思う。その時以来、梶井の小説を読んでいなかった。

梶井の小説を40年ぶりくらいに読んだことになるが、文章に含まれる色彩感覚、音楽的感性、シュルレアリスム、幻視からの発想など、改めて彼がいわゆる日本におけるモダニズム期の文化を吸収し、その鋭利な感性から生み出された小説であることに気がついた。『檸檬』のラストシーンというべき描写を久しぶりに読み、懐かしかった。丸善書店の中に積まれた色彩溢れる書籍の頂上に置かれた「時限爆弾」としての黄色い”檸檬”。それは、シュルレアリスムの感性そのものではないか。

梶井を読みながら、彼は長生きしたのなら、わたしが昨年読んだジュリアン・グラッグのような小説を書くようになったのではないかと思った。幻視と幻想の漂う文体は現在、わたしが最も興味をもつ文体である。梶井は20足らずの短編を残し、逝去したが、一日あればすべて読めるような量である。今年中にすべて読まなければ・・・

*ドッペルゲンガーを調べていて頭に浮かんだのは、わたしの好きな映画『ふたりのヴェロニカ』である。この映画もドッペルゲンガーという現象から読み解くことが可能かもしれない。キェシロフスキはもしかしたら神話や文学(ヨーロッパでは、ドストエフスキー、ハイネ、ポー、オスカー・ワイルド、E.T.A.ホフマンなどの作品)からこの映画を発想したのかもしれない。


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# by kurarc | 2018-01-16 20:46 | books

世界文学とドッペルゲンガー

放送大学の『世界文学への招待』の講義(2016年の再放送)は興味深い。昨日は、日本文学翻訳者のマイケル・エメリック氏による「グローバル化する日本文学ー日本語で読めない日本文学」をテーマとした講義であった。

例えば、村上春樹を例に出して、彼の文学の受け止め方が日本以外で異なることを指摘していた。アメリカでは、村上文学は、クノップ社から出版された「象の消滅」により、村上文学が世界文学として認識されることになったため、それ以前の彼のポップな言説による文学は認識されていないということ。また、村上文学の翻訳における問題として、英訳されたものがドイツ語訳される(重訳)ことにより、村上文学がまったく異なるものに変質していくことを指摘。日本語は、世界では周辺の言語として位置付けられるため、日本語からすべて他言語に翻訳される訳ではないこと、それによって重訳が必然的になり、作者は、作品のドッペルゲンガー(分身、複体)を意識せざるを得ない状況になるという。

さらに、多和田葉子のように、日本語とドイツ語という二つの言語で文学を創作する作家の出現や、翻訳された自らの作品を、自ら日本語に翻訳し直すというような複雑な状況が生じており、現在の世界文学が錯綜した状況に遭遇していることをマイケル氏は述べていた。

文学を市場から、あるいは欧米の文学から俯瞰した場合、日本の芥川賞が中編小説を扱っているのに対し、欧米の文学は長編小説に重点をおき、「売れる」小説とみなしているため、日本と欧米との小説の認識のズレが生じており、中編小説というだけで、日本の作品は欧米の出版社に毛嫌いされてしまう。その点、村上春樹は、長編小説を意識的に発表していることから、世界文学として欧米でも評価されやすいという。

作家たちは、世界(日本の中でも同様であろうが)を舞台とする場合、自らの作品が自分の意図する方向で理解されるとは限らない、という認識が必要であること。自分とはまったく無関係な場所で複製される作品群から逆照射される「わたし」と「もう一人のわたし」を常に相対化させながら、新たな創作を続けていくことこそ世界文学という舞台で小説をつくる作家の仕事と言えそうである。

わたしの好きなフェルナンド・ペソアの言葉、「生きるとは、他者になること」、が世界を舞台にした小説家の宿命ということか? 

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# by kurarc | 2018-01-14 10:19 | books

八国山緑地(東村山市)で野鳥観察

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幼なじみ3人で野鳥を見る会を催している。先日、東京都東村山市にある八国山緑地へと出かけた。国分寺から西武線にのり、東村山駅で乗り換え一つ目の西武園で下車。そこから歩いて5分もすると八国山緑地が現れる。武蔵野の面影の残る緑地であり、ちょっとしたハイキングコースとなるような緑地帯、丘陵地帯である。

この緑地帯の中に池(湿地)があり、その周辺に陣取って野鳥たちが現れるのを待つ。この日に遭遇した野鳥は、コゲラ、ガビチョウ、シジュウカラ、アカハラ、アオジ、シメ、ツグミ(上写真)など。地元の井の頭公園ではシジュウカラはよく遭遇するが、それ以外はなかなか目撃できない。井の頭は都市公園としては快適だが、人が多いせいか、なかなか野鳥はいつかない。水鳥は種類も多いが、今年はまた始まるカイボリのせいで、野鳥の数もかなり減少しそうである。

驚いたのは、東京でありながら、よく残された自然である。この辺りは、狭山丘陵を含めて、古代多摩川が削り残した丘陵地帯がよく残存している。北(所沢市)は埼玉の県境であり、古代多摩川は当初、埼玉側へも流れていた。このあたりに来るのは小学校の遠足以来である。東京もまんざら捨てたものではない。東京に暮らす人々はこうした自然を忘れているのでは?(そういうこのわたし自身が忘れていたのである)あるいは、近場だけに相手にしている人は少ないと思われる。

今年は、こうした近場の自然を楽しみたい。そして、野鳥の知識を増やすことが目標である。
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# by kurarc | 2018-01-10 20:05 | 東京-Tokyo

タブッキ 『レクイエム』から『イザベルに ある曼荼羅』へ

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タブッキ最後のミステリー小説『イザベルに ある曼荼羅』を読み始めた。『レクイエム』の続編といえる作品。『レクイエム』の中で登場した「イザベル」は何も会話を交わさず、小説から消えていったが、果たしてその「イザベル」の行き先は?

いつもながら、自然とタブッキの世界に引き込まれていく。わたしはタブッキの小説を読むためにリスボンに住むことになったような気がしてくるから不思議だ。

『レクイエム』も映画となったから、『イザベルに ある曼荼羅』も映画化されることを望みたい。これから読了するのが楽しみである。読み終えてから、またこの小説についてふれてみたい。

*本の表紙の写真は、ヤコブ・トゥッゲナー(1904-1988、スイス人)という写真家の写真。20世紀のテクノロジーの場面を撮影した写真家として有名なようだ。日本ではこの写真家についてほとんど紹介されていない。この小説の表紙になぜこの写真家が選ばれたのかは今のところ不明である。

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# by kurarc | 2018-01-07 19:12 | books

もう一つの原点 川越へ

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昨日、わたしのもう一つの原点といえる川越を訪ねた。17年ぶりのことになる。20代最後の一年間をここで過ごした。遅れて入学した大学院の修士論文を書くため、大学院に近いこの街に移転して、アパートにこもりながら論文を仕上げていった。

当時のアパートがあるかどうか確かめに、川越市駅からアパートのある場所に向かった。川越女子高校に隣接する場所にアパートはあり、たまに、女子高生の声が聞こえてきたのが印象に残っている。28年も前に住んだアパートだが、奇跡的にも当時のまま残っていた。(上写真)2階の奥から2番目の部屋がわたしが借りた部屋である。鉄筋コンクリート造であるわけではないが、大家さんが1階に住まわれていることもあるのだろう。手入れがなされ、外壁に汚れもない。

その後、川越の旧市街を訪ねる。こんなにも木造建築や蔵、様式建築、武家屋敷跡などが数多く残っている街であったのか、と感心しながら歩く。思えば当時は論文で忙しく、街に出歩くのは夜になってからで、ろくに街を歩いていない。エアコンがなかったこともあり、夏の夜はファミレスで論文資料を持ち込んで過ごし、涼しくなった夜11時頃にアパートに帰ることが日課になっていた。

川越は、観光地としては当時よりかなり活気づいていたが、果たしてこうしたまちづくりが正解なのか、多少の疑問が残る。それは、テーマパークのようであり、市民にとって活きた街と言えるのかどうか?

川越は、自宅から国分寺経由で西武線を乗り継いで行くと、意外にも近いことがわかった。江戸の情緒を感じるには最も手軽に散策できる街である。また、日を改めて訪ねることにしよう。(下に、蔵以外の建造物(登録文化財)の写真を掲載しておく)

*歴史的建造物を活用するまちづくりは、再考すべきと感じられた。わたしの地元吉祥寺のような街は歴史的建造物もほとんどなく、川越からすると建築的には貧しいが、実用的なまちと言え、日常生活に素直な活きたまちと感じられる。その反対に、川越のようなまちは歴史的建造物が豊富で見所は多いが、一歩間違えると、その領域のみが突出し、まち全体のバランスが崩れる可能性がある。(つまり、観光客がいなければ成立しないまちは果たして正常なまちと言えるのか?ということ)飛騨高山のように歴史的建造物と日常が調和しているような(のように少なくとも感じられる)あり方はどのようにしたら可能なのだろう?
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# by kurarc | 2018-01-04 15:58

アントニオ・タブッキ作 『レクイエム』

今年の初読書は、タブッキの『レクイエム』であった。リスボン(およびその周辺)を舞台にした小説である。「わたし」がたどるリスボンの道行きの小説であり、その中で23人の生者、死者とも判明しない人々と会話をする。その最後に会うのは、あのフェルナンド・ペソアという20世紀、ポルトガルの詩人である(と思われる。ペソアということを断定しているわけではない。)。

「わたし」は様々な職種の人々と巡り合っていくが、その中で、ある人とは日常的な、またある人とは哲学的な会話をする。特に興味深いのは、リスボン国立美術館で交わされるボスの絵画「聖アントニウスの誘惑」(下写真)についてである。この絵画を模写する画家との会話であるが、この画家は、この絵をすでに10年間拡大し、模写し続けている。この絵の中に登場する胴体のない生き物は「グリロス」と呼ばれること、この絵画は昔、霊的治療の用途を持っていたことなどが交わされる。

この小説は、最終的にはタブッキ(ペソアの研究者)のペソアに対するレクイエムであり、ペソアと別れを告げるために書かれた小説のように感じられた。あるいは、20世紀が終わろうとする時代に書かれた20世紀に対するレクイエムとも読める。

リスボンの街路、およびその周辺の都市を知るものにとって、この小説の道行きは興味深い。わたしはある程度、この小説の中に登場する街路がどのような街路であり、地景であるか想像できるため、なおさらこの小説から訴えかけてくるものの魅力を強く感じる。

最後にこの「わたし」の道行きは、現実であるのか、あるいは夢であるのか?それはこの小説を読んで確認してもらうしかない。死者たちとの会話は、わたしにピランデルロの小説、上田秋成の『雨月物語』や溝口健二の映画、最近の黒沢清の映画を想起させた。それは瀕死状態の国家(ポルトガルほか南欧諸国)のメタファーでもあるのだろう。

昨年、久しぶりに小説を読むことの楽しみを覚えたが、今年は、タブッキのような相性のよい小説家の作品を多読したいと思っている。

*この小説の中で、名前が出ているが、会話を交わさない「イザベル」がいる。このイザベルはどうしたのか?タブッキはそのイザベルについて、別の小説(『イザベルに ある曼荼羅』)に表現しているようだ。
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# by kurarc | 2018-01-03 14:28 | books

原点を忘れずに 沖縄 具志堅邸

わたしが大学を卒業して働き始めたのは沖縄であった。当時、那覇市西にあった末吉栄三さんという沖縄の建築家の事務所で働き始めた。

最初の仕事は、具志堅さんという方の離れの解体工事とその施工であった。設計事務所なのになぜ解体工事をやらなければならなかったのか、それは事務所の事情があった。これといった仕事がなかったこともあり、解体工事から設計施工まで引き受けたのである。

わたしの初めての仕事は設計ではなく、解体工事となった。コンクリートブロック造であった平家をハンマーで解体していくのである。このとき、コンクリートの硬さを嫌というほど思い知らされた。3時の休憩時間には、具志堅さんのお母様(おばあ)が人の拳より一回り大きいトマトを出してくれた。このトマトが美味しくてたまらなかった。

この仕事は、基礎の配筋工事を手伝った後、わたしは世界旅行に旅立つことになった。帰国してから、今度は具志堅さんの母屋の改築工事を携わることになる。沖縄の住宅では、作り付けの仏壇が設置されるが、その設計もやり、図面を手書きで仕上げた。こうした仕事がわたしの建築活動の原点である。どんな仕事にも携わること、設計者、建築家という立場であっても、できることはなんでもやる、それがわたしのスタンスである。

建築家は世間的にはカッコのよい職業と思われているが、その実態は正反対である。現場へ行けば、職人たちをどなるヤクザのような存在、紳士的な職業とは正反対だ。その一方で、知的レベルを向上させることにも意欲を燃やす。建築家は、幅の広い階層の中間的存在、その境界線上に位置する職業といってよい。肉体労働者であり、知識人。そのどちらでもない。

年の初めには原点を思い出すことは励みになる。原点の記憶はまったく色褪せないから不思議である。



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# by kurarc | 2018-01-02 10:35

Happy New Year 2018

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  (仮称)牟礼6丁目ディサービスセンター 建方時
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# by kurarc | 2018-01-01 00:03

カンスタルのトランペット MEHA

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現在使用しているトランペットは、アメリカ、カンスタル社のMEHA(上写真)というトランペットである。アメリカ製フレンチ・ベッソンといってもよいトランペットであり、非常に気に入っている。

カンスタルのトランペットを使うミュージシャンは日本では未だにごく少数のようだが、「もの」としての完成度は高く、音もよい。わたしがこのトランペットで最も気に入っているところは、その持ちやすさと指をおくバルブの先端部分である。バック、あるいはヤマハのトランペットはバルブの先端のボリュームが大きく、ごついデザインとなっている。しかし、MEHAは金属製でごく薄いデザインのボタンであり、指を置いた時の感じがよい。他社のトランペットはこの部分に象牙を嵌め込めるようになっていたりするが、わたしには興味がない。

ウォーター・キーの曲線が、トランペットの曲線と合わせてデザインされていたり、第3ヴァルヴ・スライドが部分的に外れるようになっていて、ツバ抜きがしやすいなど、つくりが丁寧であり、日本が誇るヤマハのトランペットも、このトランンペットと比較するとつくりが甘く、繊細さに欠ける。

雑誌『THE TRUMPET Vol.2』最新号では、このカンスタルのトランンペットの特集が組まれている。トランペット奏者アレクセイ・トカレフ氏がこのカンスタルのトランペットを愛用しているという。アメリカ人のつくるトランペットはヨーロッパのものに比べ劣るのではないか、と普通なら思ってしまうが、トランペットに限っては、それは当てはまらない。ジクマント・カンスタルによって鍛え上がられた技術は二人の息子たち、ジャックとマークに受け継がれ今日に至っている。

日本でも、カンスタルのトランペットを使うトランペット奏者が増えてくるのではないか?バックというトランペットに未だに多くのトランペット奏者が呪縛されているが、今後はカンスタル他、バック以外のメーカーが台頭してくるのではないか?

今年は、中盤に体調を崩し、十分トランペットの練習ができなかったが、新年からまた気持ちを新たに、トランペット(それにギター)の練習に励むつもりである。

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# by kurarc | 2017-12-30 15:28

今年の10大出来事

今年も残すところあとわずかとなった。今年経験した10大出来事をメモしておく。

1)G6(GINZA 6)手伝いの完了
2)事務所移転
3)ムサビ 椅子学講座参加
4)牟礼6丁目ディサービスセンター設計、着工
5)ガルシア・マルケス、ジュリアン・グラッグ、アントニオ・タブッキなどの長編小説読破
6)45年ぶり、千葉県千倉への旅
7)多木浩二先生の蔵書買取
8)フランス語入門書読破(2回)、フランス語文化圏への傾斜
9)映画への傾斜、特に映画によって江戸文化(古典芸能)へ開眼、中国映画の再評価
10)野鳥観察



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# by kurarc | 2017-12-29 15:11 | fragment


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