Archiscape


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by S.K.
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「郊外」というプロブレマティック

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少し前、エリック・サティという作曲家とパリの郊外(ここではアルクイユ)についての関係性を論じた本を紹介した。この本を読もうと思ったのは、サティという興味深い作曲家の本であると同時に、「郊外」というトポスを含めて論じていたからである。建築学や都市社会学のフィールドの中で、この「郊外」をテーマとした書籍が出版され始めたのは、もう30年ほど前にさかのぼる。

その後、世紀転換期を前後して、新たに「郊外」をテーマとした書籍があふれ出した。それは、「郊外」(ニュータウンや団地、新興住宅地など)での問題点が顕在化し、はっきり目に見えるようになってきたためだと思われる。郊外で起こる殺人事件なども郊外が持つ闇を照らし始めた。しかし、ここではネガティブな捉え方でなく、東京を考える上での中心のテーマとして位置づけ、今後どのような郊外を構想していくのか、その手がかりを掴みたいと思う。

地元の建築家たちと国分寺崖線上に築かれてきた分譲地(学園都市、田園都市を含む)としての郊外を歩いて1年以上が経過した。通常漠然と通り過ぎてしまう都市「見えない都市」を「見える都市」として意識する試みだが、この中から改めて東京の「郊外」のプロブレマティックを学習してみようと思うようになった。

もはや参考文献は山ほどある。まずは、山口廣先生編による『郊外住宅地の系譜 東京の田園ユートピア』(1987年、鹿島出版会)が良さそうである。江戸から東京へと都市が変化する中で、必然的に「郊外」が生まれたわけだが、その発生と今後の展望を早いうちに一気に掴んでしまおうというわけである。それは、大きくは江戸から東京へという都市の動態を掴むことでもある。今年度の都市研究のテーマの一つとなりそうである。

*「郊外」という言葉が新鮮さを失っているようにも思えるので、「郊外」という言い方とは異なる表現の仕方、言い方はないものだろうか?

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# by kurarc | 2017-06-21 21:20 | books

トランペット 基礎レッスン(第1回目)

東京フィルハーモニー管弦楽団で活躍されているトランペット奏者の方に、合計2回、トランペットのレッスンをしていただけることになった。

第1回目は、基礎的なトレーニングを行う。現在は、曲をマスターしていくことを中心に練習しているため、基礎トレーニングを行うことはおろそかになっていた。ちょうど基礎を確認する良い機会となった。

基礎トレーニングは以下の通り行われた。

1)ロングトーンの練習。単音を10秒から始め、30秒伸ばすトレーニング。順番に伸ばす時間を変化させ、最後に30秒間吹き続ける。息を多く吸うことと吐くという基礎的なトレーニング。ここで重要なのは、多く吐くことにより、逆に多く吸えることの確認、一定の量を吐き続けるという非日常的なトレーニングを行うということ。

2)メトロノーム(60)に合わせて、基本的な音階をメトロノームに合わせて上昇、下降していくトレーニング。まずは、先生の音を聴き、それを繰り返す。この場合、運指を見るのではなく、音を聴くことに集中する。聴いた音を自分で再現することが重要となる。

1日目のレッスンは、この二つのみ。2)が意外と難しい。正確にメトロノームに合わせて音を出すことに慣れていないためである。こうしたトレーニングを一日の練習のはじめに行うと良いとのこと。

*トランペットの手入れについてもご指導いただく。まず、新しいトランペットは内部に研磨剤が残っていることが多いので、最初はこまめに洗い研磨剤をトランペットに残さないことが重要とのこと。また、バルブオイルは、演奏終了後にさす、とのこと。その際、余分なオイルを拭き取ってから、必要なオイルをさすようにしているとのこと。トランペットのマウスパイプは特に汚れるので、こまめに洗浄することが重要とのこと。

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# by kurarc | 2017-06-18 16:58 | trumpet

『エリック・サティの郊外』を読む

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エリック・サティという作曲家を「郊外」をキーワードにして読み解いた本、『エリック・サティの郊外』(オルネラ・ヴォルタ著、昼間賢訳、早美出版社)を通読した。

サティは、20世紀へと時代が移ろうとするその少し前、モンマルトルの「押入れ」と言われたピアノも置くことのできない部屋から、パリの南の郊外、アルクイユの「4本煙突の家」(上は現在の4本煙突の家、グーグルマップより)と呼ばれた家へ移り、そこで死ぬ寸前まで過ごすことになる。アルクイユは、映画『アメリ』の中で登場する水道橋のふもとの街である。かつて、パリの国際大学都市にル・コルビュジェのスイス学生会館を見学に行ったが、アルクイユはこのすぐ南に位置する。

この本から様々なサティの生き様が垣間見られ、興味深かったが、サティのルーツの一つに母方がスコットランドの出身ということがあり、こうした郊外に住む習慣のあるイギリス人たちとの連関があるのでは?といった訳者の見解も興味深かったし、さらにサティがポルトガルの酒精強化ワインであるポルト酒を好んだというのも、元はイギリス人がこのワインをつくったようなこともあり、そうした目に見えないつながりがあるのかもしれない、とわたしも勝手な想像を楽しんだ。

サティはダダイストと紹介されたり、アナーキストと紹介されたりと様々な側面を指摘されるが、この本を読むと、むしろ誠実な紳士というただそれだけの人であったのではないかと感じる。サティはパリ郊外に住むことによって、パリという都市を相対化し、批判した視点に立って彼の音楽を築き上げたのだということがよく理解できた。

フランス語で、banlieusard(バンリュザール)、郊外人としてのサティをテーマとした本書は、一方、この原義に「追放されたもの」として意味があることを隠し持っているため、意識的に使用したのだと思われる。孤独のうちに死んだサティではあったが、こうした孤独の中で大きな創造行為を成し得たサティは、satisfaction(サティスファクスィヨン、サティ+スファクスィヨン、満足、サティ的行為)できた生を営めたのだろうか?少なくとも、サティの曲を享受しているわたしたちにとって、サティの孤独とは無益なものでは決してなかったと言えるということである。

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# by kurarc | 2017-06-17 23:20 | books

日常の中のデザイン18 関数電卓

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職業柄、関数電卓を良く使う。所有している関数電卓が老朽化したことと、使いづらかったので、ヨドバシカメラで新しいものを購入することに。

関数電卓の問題は、いろいろな機能が付属しているため(ボタンが多いため)、肝心の数字を打ち込む部分が小さく、数字を入力しづらいということである。かといって、大型のものもないので選択肢が限られる。

色々比較した上で、シャープのEL-509TWX(ホワイト)を購入した。2000円を切った値段で、建築で使用する機能が十分含まれている。画面が大きく、演算式(計算式)が表示されるのも良い。さらに、数字を入力するボタン表面が微妙に湾曲していて押しやすく、ボタンの大きさも他のものと比較して大きい。

関数電卓の種類は年々減少してきている。ごく限られた職種の人しか使わないからだと思うが、携帯にも付属しているためかもしれない。しかし、携帯でのパネル入力では使いづらい。ボタン式はずっと残ることになるだろう。



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# by kurarc | 2017-06-16 10:50 | design

トランペットマウスピース 金メッキ加工完成

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トランペットのマウスピースの金メッキ加工が完成(上写真)し、郵送されてきた。金メッキは完璧で、非常に美しい。

感触も表現することは難しいが、銀メッキのものより、優しく、唇によく馴染む感じである。もちろん、吹いた感じも心地よい。

今回、メッキを注文したのは埼玉の日本電鍍工業株式会社である。対応も親身で、個人での注文にも迅速に対応してくれた。結局、金メッキは郵送料込みでおよそ5000円であった。

*下が全体、トランペットは、YAMAHA YTR-8310Z。
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# by kurarc | 2017-06-15 16:34 | trumpet

ヨーヨー・マのバッハ 無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調

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『台北ストーリー』(エドワード・ヤン監督)という映画の冒頭で、ヨーヨー・マの無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調プレリュードが流れていくる。ホウ・シャオシェン監督が主演している貴重な映画だが、この映画の内容を象徴するようなヨーヨー・マの1982年録音のこの曲を知ることができただけでこの映画を見る価値があった。

ヨーヨー・マの演奏は、幸運にもリスボン滞在時に聴くことができた。プログラムはピアソラの曲を中心にしたものだったと思う。リスボン滞在中に様々なコンサートに行けたのも、日本ほど料金が高くないからである。日本では高額でなかなかいくのに躊躇するプラシド・ドミンゴやカエターノ・ヴェローゾなど多くのミュージシャンのコンサートを体験できた。ヨーヨー・マの演奏で印象的だったのは、その姿がヨーロッパ人に愛されていると思われたことである。東洋人は若く見えるのだと思うが、彼が会場に入って来ると笑い声が溢れたのが印象的だった。

ヨーヨー・マの無伴奏チェロ組曲の演奏はどの曲も素晴らしいが、わたしにとっては第2番プレリュードが頭の中に残って離れない。第2番はバッハの「懊悩」の露呈、とライナーノーツに書かれているが、この曲は今この時にふさわしい曲のように思った。ジュリアン・ブリームのギターによるバッハの次に、わたしのバッハのリストの中に留めたい一枚である。

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# by kurarc | 2017-06-13 20:36 | music

父親世代

わたしは比較的若い時に父親をなくしたせいかもしれないが、最近、父親世代の人間の言説を注視するようになっている。世代としては1920年代から1930年代前半生まれの人たちである。わたしの歳であると、およそそのような年代の人が父親の世代となる。わたしの父は1910年代の生まれだが、1920年代生まれの人間は特に、多感な時期に第二次大戦に深く関わった世代である。わたしの両親も多くの悲劇を体験した世代となる。

父は内地での配属であったから、海外で戦ったといった経験はないが、父の弟(叔父)は、軍の訓練、教育によって神経が衰弱し、社会に不適応な人間になってしまった。叔父は結局、メッキ工場で細々と雇われ、死んでいった。

最近、打ち合わせスペースを借りているオフイスで、同じスペースを借りている方々と話す機会があった。その中にイスラエルと仕事をされている方がいて、イスラエルでは男女ともに徴兵制があることを知る。彼に言わせれば、こうした緊張感のある国ともし戦争になれば、日本など絶対に勝ち目はないと言っていた。軍事産業にエリートのエンジニアが集まる国、それがイスラエルだというのである。

父から多くの戦争体験を聞くこともなく、父は死んでいったが、精神的なトラウマから抜け出せていたのか、今となっては知るすべもない。父は気の弱い叔父がわたしの実家に来るたびにしっかりするよう叱り付けていたが、わたしはその様子がかわいそうで仕方なかった。幼かったわたしを見るのを楽しみに来ていたのを知っていたからである。叔父はわたしを見ると安心した様子で、また職場に帰っていく。

こんな経験をした世代ももう私たちで終わりだろう。私たちの親の世代が、直接に戦争というものを語らず、何を伝えようと必死に努力してきたのか、そのことを学んでいるこの頃である。



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# by kurarc | 2017-06-13 00:39

ポルトガルでお世話になったイリナさんの結婚

フェイスブック上で、ポルトガルでお世話になったイリナさんがインドの地で結婚したとの報告が飛び込んだ。イリナさんはリスボンでわたしの下宿先の同居人であった方。今で言うシェアハウスの大家さんにあたる。(この下宿先はシザ・ヴィエイラの設計したものであった。)

彼女が美大の学生でデザインを学んでいたことから、わたしに色々情報を提供してくれた。通っていた美大の授業の中にポルトガル建築史の授業があるから受講しないかと手配してくれた。女性の先生の授業だったが、いわゆる潜りで授業を受けさせてくれた。

下宿先では一つの台所を共同で使用していた。イリナさんはわたしがつくる料理には興味があったようだが、ごま油を使った料理をしていると、匂いがダメだったらしく、厳しい表情をしていた。洗濯機も共同だったが、わたしが洗濯物を入れようとすると、彼女のパンティーが残っていたこともあった。懐かしい思い出である。

彼女は大げさに言えば、命の恩人でもある。ブラジル旅行からリスボンに戻り、1週間ほどしてからわたしは高熱を出した。今まで出たこともないような40度を超える高熱であり、首から上が真っ赤に硬直し、わたしはあわてた。彼女が医者の手配をしてくれ、医者の処方してくれた薬も買ってきてくれた。その薬を飲むと、大量の汗が吹き出し、一晩に4回ほど下着を取り替えたが、みるみるうちに熱は下がり、翌朝には平熱に戻っていた。なんの薬であったのか未だにわからない。

イリナさんと言う名前からわかるように、彼女はロシア系オーストリア人らしかった。語学は、英語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、ドイツ語、ロシア語をはじめ、今ではアラビア語までこなす。およそどのような言語も3ヶ月あれば理解できると言っていた。こう言う人種とは互角に競い合うことなどできるはずもない。

彼女のファイスブックを見ていると、世界中を旅しながらその地でデザインの仕事をし、生計を立てているようである。日本に来たいと言う思いもあるのかもしれないが、彼女のような人間は、日本のような狭い世界には収まりそうにない。結婚後、どのような世界を築いていくのだろう?

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# by kurarc | 2017-06-11 23:22

トランペットマウスピース 金メッキ加工

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現在、わたしの所有するBbトランペットは2つになった。一つは、ベッソンのMEHA(メーア、銀メッキ)というもの、もう一つは、ヤマハのYTR8310Z(金メッキ、上写真)でボビー・シューというトランペット奏者が監修したものである。

通常、トランペットを買うとマウスピースは銀メッキのものが付属しており、ヤマハのトランペットにもボビー・シュー仕様の銀メッキのマウスピースが付属していた。しかし、金メッキのトランペットに銀メッキのマウスピースが色合いとしてしっくりこないことと、金メッキにしたマウスピースの使い心地を試してみたいと思ったことから、埼玉のメッキ工場に直接、マウスピース(YAMAHA ボビー・シューJAZZというもの)の金メッキを注文した。メッキ加工にはおよそ4日間、金額は配送料を含めておよそ4000円程度になる。(楽器店を通して頼むより安価である)

銀色の方が色としては好みなのだが、メッキにより音色が異なるし、以前ほど銀色にこだわる気持ちもなくなったこともあり、躊躇はなかった。わたしは金属アレルギーはないが、金メッキの方が金属アレルギーには優しいらしく、チタンになると、完全にアレルギーの心配はいらなくなると言われている。銀メッキに比べ、金メッキの方が唇の感触が滑らかになると言われていること、金の方が緻密な音になると言われていることなどがあり、出来上がりが楽しみである。

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# by kurarc | 2017-06-09 21:21 | trumpet

椅子の神話 座ることと立つこと

椅子に長時間座ることは健康に影響すると指摘されるようになった。PCの出現は、人間が長時間椅子に座ることを強いる結果となっている。しかし、そうした影響を回避する試みも進んでいる。机の高さが上下に変化し、立ってPCを使えるようにするオフィスや、欧米の大学では椅子、机のセットではなく、カウンターを設けて、立って議論する場を設けるなどの工夫をするようになった。そうした環境では、議論も活発になるという結果も出ているという。(PC離れし、スマホ中心の若者たちは、もしかしたら自然にそうした弊害を感じて、椅子+机の環境から遠ざかっていると見ることもできるかもしれない)

こうした状況をデザイナーたちはどのように受け止めればよいのだろうか。今までの通り、「美しい」椅子を作り続けて満足していてよいのだろうか?それは、まさに椅子が出現して以来の椅子のイメージ、あるいはモダンデザインの「椅子の神話」を守り続けることと同じではないか?

ロンドンで良く見かける光景はパブで立ってビールを飲み、議論しているビジネスマンたちの姿である。日本でもたまに見かけるようになったが、椅子の歴史の長いヨーロッパでは、立つことの意味を必然的に見出し、実践しているのかもしれない。日本でも立ち飲み屋や立ち食い蕎麦屋と言われるものがあるが、実はこうした身体の使い方は現代において理にかなっているとも言えるのである。

デザイナーたちは常に日常化した習慣に対して批判的な眼差しを向け、惰性化した身体様式に対して異議を唱えていかなくてはならない生き物である。そうはいっても、ある人は「平均寿命は伸びているではないか」というかもしれない。それは、医学による延命であって、健康寿命ではないと思われる。椅子に座っていて腰に負担がかかっていると感じていたり、姿勢が悪いと感じている人は多いはずである。そのような実感こそ大切にすべきなのである。

*上のように考えると、逆説的に、椅子は「座り心地の悪いものが良い椅子」だ、と言えるのかもしれない。皮肉なものである。

*椅子という道具、かたちはあまりにも自明であるため、新しいデザインはなかなか浸透していかないし、認められない。韓国のデザイナーがつくった椅子の背を腹側に配置した椅子も良いアイディアだったが、浸透していない。

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# by kurarc | 2017-06-08 16:58 | design


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