Archiscape


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by S.K.
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TOTO バリアフリーブック

福祉施設を設計することになり、様々な資料を集め始めた。特に水廻り、トイレ廻りは重要なので、TOTOショールームへ出かけ、下勉強する。TOTOショールームでは、主に一般的なものしか見ることができないとのこと。専門的な器具類はテクニカルセンターの方でないと置いていないということだが、念のため立ち寄ってみる。

行くと、確かに小さなコーナーにいくつかの便器類が置いてあるだけで、あまり参考にはならなかったが、そのコーナーに置いてあるバリアフリーブックに目がとまり、受付で頂戴する。

このバリアフリーブック(住まい編とパブリック編がある)は秀逸で、その内容の明解な編集の仕方に驚いた。これで、ほぼ身障者や高齢者の水廻りを設計する場合に気をつけなければならないことが網羅されている。オストメイト(人工肛門、人口ぼうこう保有者)のこともわたしは全く知らず、このバリアフリーブックで学ぶことができた。

寸法や器具の確認、車いすの方の回転するのに必要な有効寸法など、電動車いすと手動のもので大きな差があることも知る。基本的な法についてもまとめられていて、至れり尽くせりのガイドブックである。

カタログというものは、概して厚みが厚いだけで役に立たないものが多いのが常であるが、このバリアフリーブックは小冊子程度の分量で、コンパクトに編集されていることもよい。カタログ類もこのバリアフリーブックのような洗練されたものに集約していくと良いのだが。
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# by kurarc | 2016-12-04 20:37 | books

パリから楽譜が届く

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パリから楽譜が届いた。以前から何度も紹介している映画『ロシュフォールの恋人たち』の映画音楽をアレンジした楽譜である。ピアノ譜と歌詞、及び映画のシーンの写真がセットになっている。予想外に安価であったために購入することにした。

ルグランの音楽が楽譜になっていることはありがたい。本来は自分でコピーする必要があるのだろうが、その力はわたしにはない。この楽譜がよいのは、歌詞も書かれていること。フランス語のよい勉強になる。

まずは、Chanson d'Andy(Thème concertoと同じメロディ)をゆっくりしたテンポで、トランペットで練習したい。トランペットの練習曲は良いものが少ない。それより、こうした自分の好みの曲を用いて練習する方がモチベーションが上がる。タンギングとリップスラーの練習にはもってこいである。

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# by kurarc | 2016-11-29 22:52 | music

ロイヤルとインペリアル

古本で『ラテン語の世界 ローマが残した無限の遺産』(小林標著、中公新書)を読み始めた。その最初に、日本人の間違える「ロイヤルとインペリアル」の使い方について書かれている。

日本の皇室について、「ロイヤルファミリー royal family」といった表現をメディアの中で使うが、これは大きな間違いであるという。正確には、「インペリアルファミリー imperial family」と言わなければならない。

ヨーロッパの君主は、king、queenであり、日本の君主はemperorであるため、emperorの形容詞は必ずimperialとなり、逆に、king、queenの形容詞はroyalであり、imperialを使うことはできない、ということである。

ちなみに、emperorの語源のラテン語は、imperator「軍事司令官」であるという。一国の君主にこのような語源の言葉を使っても良いのであろうか?はなはだ疑問である。

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# by kurarc | 2016-11-28 21:54 | books

牟礼残丘

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以前このブログで府中の浅間山(せんげんやま)を紹介した。古多摩川が削り残した丘状の地形である。こうした地形が、わたしの住んでいる三鷹にも存在しているということを最近知った。「牟礼残丘」である。

このあたりはには、中学時代の同級生の家があり、よく自転車で出かけた。急に坂道がはじまり、三鷹台駅の方へ向かって下り坂となっている地形であり、このあたりを通りながら不思議に思っていた。こうした微地形が、実は太古の地形の名残であるとは思いもよらなかった。

ネットで調べていると、どうもこの辺りまで太古の東京湾があったのではないか、といわれていて、ここはその縁にあたる部分であったのではないか?とか、ここだけ地質が異なっていて、たまたま削り取られることがなかったのでは?とか、色々な説明がなされている。このあたりは周辺より15メートルほど高い。

浅間山のように自然が残されていたなら、ここでしか観察できない植物もあったかもしれない。しかし、現在は宅地化が進んでいるから、それは望めないであろう。玉川上水はこの残丘の縁をはうように流れている。障害としてあった残丘をうまくかわして築かれたのである。

*図は、ブログ「東京の高低差を行く。」から借用しました。

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# by kurarc | 2016-11-27 21:23 | 三鷹-Mitaka

地域を掘り下げる旅

昨年つくった「たてもの・まちなみ・景観を考える市民の会」の活動もちょうど1年が過ぎた。身近な建築物や街、景観を見て歩くということからはじめたこの会での活動は、想像以上の収穫を得ることができたように思う。

それは、ひと言で言うと、「身近な世界のとらえなおし」である。身近にある建築物や景観を一つ一つ調べながらみていくと、思いもかけない歴史が浮かび上がってきたり、日常の中で退屈になってしまった風景が、全く新たらしく、奥行きのある世界として感覚できるようになる。

わたしの住む東京郊外(あるいは、武蔵野と昔呼ばれた地域)は、都心の世界と比べると退屈で歴史の感じられない地域と思われるかもしれない。しかし、それは全くその地域をそのように見ていたからに他ならないのであって、退屈と思われるような地域の中にも、実に豊かな歴史、風土が隠されていることがこの1年で明確になってきた。

たとえば、わたしの住む周辺の地域を「水」という主題で調べてみるだけで、上水、湧水、消えた上水、水車、水車小屋、水車大工、水神、古代の多摩川、扇状地の上に築かれた武蔵野、水でつながれた江戸との関係etc.・・・など様々な副題が出てきて、興味が尽きることがない。それは、江戸を中心からではなく、周辺からとらえる、という新たな視点も与えてくれる。

こうした視点は、元来、郷土史家を名乗る人々によってその知が蓄積されてきたと思われるが、わたしは、郷土史家といった言い方ではなく、もう少し建築的な言い方ができないかと現在模索している。地景史家といった言い方も一つあるかもしれないが、今一つである。

「武蔵野」の理解については、国木田以前と以後について考察することの重要性に気づかされた。「武蔵野」は消失したことは事実で、これも、何か別の言い方ができないのかと考えている最中である。

わたしの住む東京郊外という地域に限らず、東京の大きなとらえ直しがはじまっているのかもしれない。東京オリンピック前の激しい変化の中で、東京は様々な意味で、脱構築がなされ、新しい視点で東京を再定義する時代に入ったということなのかもしれない。

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# by kurarc | 2016-11-26 00:47 | 東京-Tokyo

名刺

中村活字さんに名刺の注文をした。紙はハーフエアー(コットン)、墨一色で、いつも200枚頼む。200枚あるとかなり長持ちするし、割安となるので、そうしている。

中村活字さんで注文するのは、活版印刷による名刺づくりのためである。銀座の中心から少し離れた場所に店舗がある。

ハーフエアーという紙に出会ったのも、中村活字さんのところでである。紙がとにかく軽い。そして、活版印刷に適した厚手の紙である。活版印刷なので、デザインは簡素になるが、名刺はこれで十分である。

以前、名刺をみるとその人のセンス、感性がわかるとこのブログで書いたことがある。会社で決まった名刺をつくる場合(この場合は、会社のセンスがわかる)は、どうしようもないが、いざ、自分で名刺をつくろうとすると相当迷うことになる。

そういうときには、むしろ、文字だけで印刷される活版印刷の仕様のなかで、いかにうまくデザインできるのか、を考えるのもよいのではないか。多分、わたしの名刺は今後、一生、活版印刷でつくることになるだろう。


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# by kurarc | 2016-11-21 21:08 | design

下北沢 みん亭

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今日は、夕方、仕事の帰りに下北沢で途中下車。下北沢は、わたしが25歳から28歳くらいまで務めた事務所があった街である。

現在、駅の地下化により、駅周辺の再開発が進み、落ち着かないが、一歩、駅から離れると、昔の面影がよく残っている。

今日は昔よく利用した中華料理屋みん亭(みん、の漢字が変換できない)に立ち寄り、餃子とレバニラ炒め(ライスなし)を食す。30年以上前からやっていることになるから、かなりの老舗だ。きれいな店とは言えないが、この店のカウンター越しに座り、料理人の調理をみていると、いつも元気をもらえる。働きっぷりのよい若者がそろっていて、きびきびした動きで調理をしているのは、昔も今も変わらない。

1階と2階があるが、1階の内装は、30年前とまるっきり変わっていない。カウンターに置かれた小さな「ラジカセ」からラジオの音が響く。今どき、ラジカセである。中華料理はあまり食べる方ではないが、この店は特別だろう。20代の頃を思い出すことができるのだから。

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# by kurarc | 2016-11-19 23:21 | gastronomy

武蔵野と朝鮮

図書館から『柳田国男と武蔵野』という書物を借りてきた。立川柳田国男を読む会編によるものである。柳田は、武蔵野に興味をもっていたようで、特にそのどのような領域に興味をもっていたのか知りたかった。

柳田の時代には、武蔵野は、立川から北西の川越あたりまでを「本式の武蔵野」と意識していたようだ。国木田独歩の『武蔵野』の中にも、そのような記述があるから、共通した意識をもっていたということになる。わたしの現在住んでいる三鷹周辺は、柳田、国木田の頃には、すでに武蔵野の面影は痕跡程度にしか感じられなかったのだろう。

借りてきたこの書物の最初の章、「武蔵野概説」の中に、武蔵野という地名の由来について金達寿氏の説を紹介している。これには諸説あってどれが本当なのかわからないようだが、朝鮮語のムネサシ(宗城・主城)説-朝鮮帰化(帰化は柳田の言葉。渡来というべきか)族の中心を示す宗城・主城の意など、朝鮮と深い関わりがあったことは確かなようだ。

新座や志木、高麗といった渡来系の地名は、以前からもちろん知っていたが、わたしは武蔵野と朝鮮との関わりについて深く意識したことはなかった。

武蔵野のかすかな片鱗を訪ねて、西東京から川越あたりまでの一帯を、今度じっくりと散策してみる必要性があること、そして、武蔵野を知るには、朝鮮文化との連関についても考察しなければならないということである。

*柳田が『武蔵野の昔』を著したのは、大正7年頃。当時、国木田の影響もあり、武蔵野趣味が横行していたらしい。柳田はそれを、あまり好ましいものとは思っていなかった。柳田が『武蔵野の昔』を著したのは、武蔵野趣味から武蔵野研究を志すためであった。



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# by kurarc | 2016-11-09 20:51 | 武蔵野-Musashino

池澤夏樹著『セーヌの川辺』 フランスの景観について

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池澤夏樹さんの活動はいつも気になる。池澤さんを意識するようになったのは、アンゲロプロス映画のシナリオ翻訳者としてだが、その後、沖縄に過ごしたり、フランスに行ったりと、遊民のような彼の生き方に憧れてもいた。

フランスの生活から導きだされたこの著作の内容のなかに、都市景観に関する文章が含まれている。「フランスの景観 アズールとアスマール」という一文である。池澤さんは、結論から言うと、日本のような雑然とした都市ではなく、フランスのような美しい都市景観に共感している。

その理由は、単に美しいから、というだけではない。また、建築物を文化の表現とみる、というフランスの法体系やマルロー法に感心しているだけでもない。

それは、国家のあり方、人がどのように国をおもうのか、を表現していること、フランスの共和国の理念(ドゥブレ)、経済は政治に従属すべきものである、という理念に池澤さんは着目する。日本は全くその逆であろう。フランスのような理念から、広告や看板は都市の美観を損なうものであるならば、当然、譲るべきものとなる。

国が人民のものとならない限り、上のような理念は虚弱なままであろう。しかし、日本は現在ゆるやかにではあるが、景観法の整備を進めつつある。今後、現在の建築基準法と景観法がどのように接点をもち、変革されていくのだろうか?また、フランスの方向性ではなく、第3の方法、方向性のようなものはあり得るのか?

わたしは個人的には、フランスのようになることはない、と思えるから、第3の方法を考えるしかないと思うが、それがどのようなものになるのか、今の時点で全く想像がつかない。

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# by kurarc | 2016-11-07 23:14 | France

映画『奇蹟がくれた数式』

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映画『奇蹟がくれた数式』は、南インドの天才的数学者、ラマヌジャンの短い生涯を描いた映画である。

この映画を見終わって、かつて、インドに旅したときのことが甦った。デカン高原の都市、マンドゥでのことである。貴重なイスラム遺跡の残る街の小さな雑貨屋で買い物をしたとき、店の少年が商品を包んでくれた紙の裏には、紙一面に数式が書き込まれていた。少年が計算用紙に使ったものだったのかもしれない。紙は貴重品なのだろう。そうした紙をとっておいて、商品の包み紙にしたのだと思う。「おもてなし」を大切にするどこかの国では、考えられないことだが、インドという国では、そのようなことは何度か経験して、すでに慣れていたから腹立たしくなるようなことはなかった。

天才とは本当に存在する、とラマヌジャンの映画をみて素直に感じた。32年という短い生涯の中で、彼は三冊のノートを残していった。彼がイギリスのケンブリッジに招聘される前、石版に白い石筆(いわゆるロウセキのようなものだろうか?)で数式を書いては、それを肘で消すことを繰り返しながら、新たな公式を発見し、それをノートに書き残したのであった。

以上は、藤原正彦氏による『天才の栄光と挫折 数学者列伝』(文春文庫)によるが、この数学者巡礼のような書物は、先日このブログで取り上げた、アラン・チューリングについても一章が設けられている。悲劇の天才と言えるラマヌジャンも一つの幸運に恵まれた。ケンブリッジ大の講師であったハーディーという数学者との出会いである。彼は、他の数学者と異なり、ラマヌジャンの数学の重要性を理解し、共同研究者として、彼の業績を論文のかたちにまとめていった。ハーディーがいなかったなら、ラマヌジャンの数学は日の目をみることはなかったかもしれないのである。

残念なのは、映画の出来である。映画の質、特に前半は最低であった。ラマヌジャンのインド時代を描いていたが、インドに残した妻に対する恋慕の描き方が稚拙すぎる。映画としては難点があったが、ラマヌジャンの生涯を知ることができたのは有意義であった。

*数学者ハーディーを演じたジェレミー・アイアンズの演技は光っていた。落ち着いた人格、リベラリズムを根に持つ良識ある英国紳士という役柄は、彼には適役であった。



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# by kurarc | 2016-11-05 21:49 | cinema


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