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by kurarc
川崎の住宅が上棟しました。
5月14日に川崎で進めている住宅が上棟しました。

屋根形状は将来太陽光発電をすることを想定したため、南面の屋根面積を増やすために偏芯させた形状にしています。写真左手には母屋があり、母屋の高さに合わせてこの離れのボリュームが決定されています。

写真左手には母屋の庭が、奥には隣地の広大な緑地があり、その緑を借景として取り込めるようにデザインされています。8月末竣工をめざして進めています。


# by kurarc | 2012-05-15 22:20 | archi-works
リシャール・ガリアーノ7重奏団が9月、鎌倉へ

リシャール・ガリアーノ7重奏団が9月16日にピアソラ没後20周年を記念するプログラムで来日するという。

Milan Surから出ているガリアーノの『BALLET TANGO』を久しぶりに聴いてみた。アコーデオンとバンドネオンによるすばらしいCD。

この中では「CHIQUILIN DE BACHIN」が出色のでき。ピアソラの曲は相変わらず廃れるところを知らないが、私は彼の音楽は「世紀転換期の音楽」のようなイメージがある。過ぎ去った20世紀への郷愁のような響きといったらよいだろうか。20世紀の鎮魂歌のような音楽とも勝手に思っている。

ガリアーノのコンサートはチケット代金も以外と安いので是非聴きに行きたいと思う。
# by kurarc | 2012-05-14 22:49 | music
椎の樹の香り
今の季節、鎌倉の山の中を歩くと、生臭い、青臭いにおいを感じる。以前から何のにおいだろうと疑問に思っていた。たまたま通りがかった方が「椎の香りがするね」と話していたため、その正体に気づいた。

椎の雄花は虫媒花で、その雄花から生臭いにおいが放たれるという。竹の子の香りと間違える人もたまにいるらしいが、竹やぶでは椎のような強烈なにおいはしない。

椎のにおいは東京に住んでいるときには特別感じたことはなかったように思う。やはり、鎌倉くらい南下してくると照葉樹林が東京近辺より数多く分布しているのだろう。
# by kurarc | 2012-05-13 20:21 | aromascape
長谷川きよしさんのギター
久しぶりにテレビで長谷川きよしさんの歌とギターを聴く。

伸びのある若々しい歌声は相変わらずであったが、今回は彼のギター(奏法)に注目していた。

長谷川さんは2歳で緑内障により失明したという。ということはギターも失明した後に始めたことになるのだろう。どのようにギターをマスターしていったのか知らないが、注意深く観察すると、彼のギター奏法はやはりかなり特殊であった。特に右手の使い方。たとえばクラシックではアルペジオを弾く場合、なるべく指だけを動かすことに集中して、手首を動かさない。つまり無駄な力を使わないようにする。

しかし、彼の奏法は、ストロークとアルペジオが同等のように扱われ、彼独特の力強いギター奏法を導きだしていた。それはフラメンコギターとも異なる。アル・アイレ、アポヤンドと言われる奏法も大胆で、指をピックの替わりのように激しく動かしていた。こうした奏法は、長谷川さんが耳によって音を探りながら身につけていった奏法、音から要求された奏法と言えるのだろう。こうした楽器へのアプローチは健常者が楽器を習得していくときにも大きなヒントになるだろう。
# by kurarc | 2012-05-13 00:24 | music
逗子
我々の仕事はクライアントの方々の建設地によって、仕事で移動する方向性が決定される。現在は、東京、川崎、逗子、横須賀と湘南全域から東京までを行ったり来たりという生活になっている。

その中で、逗子は横須賀への京急線の乗り換えなどで、最近頻繁に乗り降りする駅になった。幼少の頃、母の鎌倉の実家に夏休みに遊びに来たときには、よく逗子の海岸へ海水浴に行った。逗子の海は遠浅ということもあり、母は鎌倉の海ではなく、逗子の海を選んだのだと思う。小学校4年までは泳げなかったため、ただ海に行くだけだったが、逗子の小径を歩いていると、ふと40年以上も前の記憶が甦ってくる。

逗子のまちは鎌倉のような観光地(鎌倉生まれの方は鎌倉を観光地とする言い方を嫌がる)ではないので、落ち着いていて私は好きである。まち自体もコンパクトにまとまっていて、過ごしやすそうだし、鎌倉とはまたひと味違う街路の景観を楽しむことができる。特に駅から海岸までの多様な小径や田越川沿いの景観は鎌倉では味わえない。建築家の設計した住宅も逗子の方が多いように思われる。

鎌倉に暮らすと逗子のような街が隣にあることをふと忘れて、鎌倉に埋没してしまう。そうならないよう意識的に移動し、鎌倉を異化することを心がけなければならない。
# by kurarc | 2012-05-11 22:30 | saudade
Design for disability
タイトルはデザイナーの川崎和男さんのブログの中にあるカテゴリーのタイトルである。川崎さんは「障がい者へのデザイン」と訳している。

車いすというハンデを背負いながらも、精力的に活動する川崎さんのブログには私のような健常者が忘れてしまう数多くの注意点が書き込まれている。

その一つ。ドアのスコープ。内部から誰が来たのか覗き込むもの。日本の扉では1.5メートル前後のところに一つ設置されている。しかし、川崎さんによれば、これは二つ必要だと言う。一つは健常者のため、もう一つは子供と車いす使用者のため。

韓国のホテルはすでにこうした二つのスコープが設置されているところがあるという。個人の住宅ではここまで考える必要はないにしても、ホテルや老人ホーム内の扉等、スコープを二つ設置すべきところは数多くありそうだ。

こうした事例をはじめ、最近、様々な世界でデザインの概念が波及してきていることを感じるが、それは実はほんの一握りの世界だということを川崎さんは教えてくれている。
# by kurarc | 2012-05-09 21:47 | design
日本料理と砂糖について
日本料理の中に多くの砂糖を使うようになったのはいつ頃からなのか?

ポルトガルで2年間ほど生活してから帰国後、特にこの砂糖で味を整えた料理が苦手になった。肉じゃが、すき焼き、魚の照焼きや煮付け、あるいは焼き鳥のタレ味など、料理されたものを出されれば口にするが、自分から進んで注文することはない。

日本料理人の間では、概して砂糖を使うことへのメリットを指摘する料理人がいまだに数多い。たとえば肉が柔らかくなるとか、日本酒と砂糖を使うことで旨味が増すとか・・・。これは好みの問題だと思うが、私は砂糖を大量に使うような料理は敬遠したい。

テレビで料理番組はよく注意してみるが、先日、親子丼をつくる番組で、ある料理人は甘み付けに甘酒を使い、砂糖を使用していなかった。日本料理人の間でも、むやみに砂糖を使うことをさけて調理するようなタイプの料理人が登場してきているようだ。

六本木の日本料理店、「龍吟」などは砂糖をほとんど使わないことを旨とし、ミシュランから3つ星を獲得しているという。特にヨーロッパ人は砂糖を料理に使うことはないから、砂糖を使わない味付けによる日本料理はヨーロッパ人に受けがよかったと言えるのかもしれない。

最近は日本人も労働食を引きずっていた塩辛い料理はさすがに減少してきたが、次はこの砂糖やみりんなどの使い方にどのようなスタンスをとるのか、日本料理人の感性が試されているときと言えるだろう。
# by kurarc | 2012-05-08 22:44 | gastronomy
fragment/2012/05/06
カフカ『変身』 生誕100年

カフカの『変身』が書かれて今年で100年になる。連休中に改めて読み直してみたのだが、つい最近書かれた小説のような新しさを感じた。以前、粉川哲夫さんの著書の分析を紹介したが、再度この小説の成立背景を粉川氏の著書(『カフカと情報化社会』)からトレースしておくことにしたい。

1)『田舎婚礼の準備』という未完の小説との関連。1907年に書かれた未完小説。婚礼にでるのがいやで、結局カブトムシになってしまおうとした小説。

2)イーディッシ演劇の影響=東欧系ユダヤ人の大衆文化。カフカの作品が宗教的、あるいは官僚主義批判によるという大袈裟な解釈ではなく、イーディッシ演劇のインパクトによるという解釈。ポーランドの俳優兼演出家、ジャック・レヴィの影響。

3)家庭崩壊 ジェイコブ・ゴールディンの『野生の人』という家庭崩壊を描いた芝居からのインパクト。

4)アンドロイド=ユダヤの変身伝説。例としてゴーレム伝説。

*『変身』の原題は、Verwandlung(変化)。この小説では家族の変化。父親中心の家族が息子グレーゴルが家計をささえる状況へ>>>虫に変化>>>グレーゴルが変身した途端、家族は共働きへ。父親が再び活気づく。
家族の変化は、組織、集団の変化、身体関係の変質とも捉えられる。

*身体感覚を変えていくテクノロジー=映画、蓄音機>>>身体感覚とのズレ
『ビーイング・ゼア』(ジャージー・コジンスキーの小説 そこにあるもの)になった身体。

*こうした「変化」を空間の問題として考えるとき、どのような都市、建築が可能になるのか。
# by kurarc | 2012-05-06 20:55 | fragment
液晶TVを購入
液晶TVが安くなってきたこともあり、我が家でもとうとう購入することにした。

価格は2万円しない。寝室に置くものだから大きさも必要なかったが、液晶テレビに変えてみて、あらためてブラウン管時代のテレビの容積がいかに巨大であったかを実感する。容積量は10分の1以下だろうか。重量も軽く、片手で軽々もちあがるし、この価格で画像の美しさに驚く。さらに音質も格段に向上している。もっと早く交換していればよかった、と今さらながら思う。

私はいわゆるテレビッ子世代に属すると言えるのだろう。鉄腕アトムやウルトラマン全盛期に子供時代を過ごし、最近再放送された『傷だらけの天使』(略して傷天。最近知ったのだが、水谷豊が演じた亨(あきら)役は在日韓国人という設定だった)といったテレビドラマのシナリオに夢中になった世代である。しかし、最近テレビには夢中になれない。3.11によってマスメディアが批判されるようになったからという訳でもない。

それは、番組の内容に密度をもとめるようになったからだと思う。そうした意味では映画を好むようになったが、もともと映画を観るようになったのは、アンネ・フランクの影響による。『アンネの日記』の中で彼女が映画によって希望を与えられたこと(もちろん映画によるが)を知ったからである。テレビ番組でも、人に希望を与えられるような内容であれば今後もつきあっていくつもりである。
# by kurarc | 2012-05-05 18:48 | design
映画『One from the heart』
映画『One from the heart』 は、フランシス・コッポラがこんな映画を撮影していたのか、という映画。不器用な男女の恋の物語。撮影をすべてコッポラ所有のスタジオで行うも、映画の興行は思わしくなく、コッポラはスタジオを売却するはめになったという映画である。

しかし、この映画は映画としてよいできであると私は思う。ハンク役のフレデリック・フォレストとフラニー役のテリー・ガーは熱演しているし、この映画の中でのスパイスのような役目を果たしているライラ役のナスターシャ・キンスキーが光っている。

この映画を観るのは2度目になるが、最初に観たときに何か印象に残るものを感じた。再度観て気がついたのは、俳優たちの熱演もあるが、それに加え、スタジオで撮影されていることからくる非日常的なカメラアングル(+二重露光のような映像)や歌(音楽担当)がトム・ウェイツ(+クリスタル・ゲイル)であったこと、映画音楽全般がトランペットを基調にして構成されていたためであったことがわかった。映画とミュージカルの中間のようなつくり方も楽しめた。

後に『パリ、テキサス』で共演することになるナスターシャ・キンスキーとハリー・ディーン・スタントンがすでにこの映画で共演していたことにも改めて気づいた。謎めいた女性のライラ役としてナスターシャ・キンスキーは適役であったが、逆に彼女のオーラが強すぎて映画のバランスを崩してしまったと言えなくもない。この時点で、コッポラはN・キンスキーを主役にした映画をつくるべきだったのかもしれない。(そのオーラに気がついたのか、このすぐ後に『パリ、テキサス』というヴィム・ヴェンダースによる名作が生み出されることになる。)

めずらしく映画のタイトルが日本語訳されていないのは、せめてものこの映画の救いであるような気がする。私はこの映画が隠れた名作として評価されていくことを確信している。

# by kurarc | 2012-05-04 22:35 | cinema
『音楽の歴史と思想』(H・ライヒテントリット著、音楽之友社) 再読
4月末に『音楽の歴史と思想』を再読した。この書籍は20年程まえに吉祥寺の古本屋ユマニテ書店(現在はない)で1000円で購入した書籍。それから、時を見ては各章ごとに少しずつ読んできたのだが、一気に最初から最後まで読んだのは初めてのことになる。

この書籍はもともと岡村昭彦著『我々はどんな時代に生きているのか』(筑摩書房)の中で名著として紹介されていたことがきっかけで購入したものである。

書籍のタイトル通り、この書籍は音楽を理解するために必要な思想、文化、歴史の推移や都市との関係、また文学、建築の知識に到るまで、その時代の音楽、音楽家らと共に関連づけていることを特徴としている。

たとえば歴史学でいうところの12世紀ルネッサンスの音楽への影響や、いわゆるルネッサンスを1453年の東ローマ帝国滅亡と結びつけるなど、本書の初版が出版されたのが1930年代であることを考えるとその当時から西洋音楽史をイスラムやユダヤ文化等との関係によって明らかにしている視点は、H・ライヒテントリットの視野の広さが伺い知れる。

ドイツ人であることから、フランス音楽への言及は少ないものの、カトリックとプロテスタントとの音楽の相違、宗教改革と反宗教改革が音楽に与えた影響などをはじめ、個々の音楽家の意義など(たとえばベートーベンとフランス革命との関係など)が的確かつ簡潔に論じられていることは音楽を理解しようとする初学者にとってわかりやすい。

出版年代の影響か、20世紀の音楽に対する内容が不足していることはやむを得ないが、1947年版の補遺が最後に付加されて、ヴィラ・ロボスやファリャ、チャベス、ガーシュインらの音楽家を取り上げている。

本書は特に音楽と建築との関係に多くのページを割いていることにも大きな特徴がある。私のような建築を生業とするものにとっても大変興味深い指摘に満ちていた。音楽を大きな文化や歴史の中でとらえ直したいというものにとっての古典といってよいだろう。

*ウィキペディアをみてもわかるように、H・ライヒテントリット氏がユダヤ系の血を引くことが彼の音楽史の記述方法に大きな影響を与えていると思われる。
# by kurarc | 2012-05-03 23:38 | books
雨戸の起源
先に紹介した飯塚五郎蔵著の『建築語源考』に雨戸の起源についての言及がある。

沢田名垂(さわだ なたり)による『家屋雑考』(1842)の中で、書院造り後期に戸袋をもつ一本溝式の雨戸ができた、ということにふれているという。織田信長は、雨戸を閉める音に対し、「何事か」と家来に質問したらしい。雨戸の開け閉めの音は信長の頃、まだ珍しいものだったようだ。遺構としては二条城黒書院(1603)に見ることができるという。

私が子供の頃は当たり前であった一本溝式の雨戸も最近はアルミサッシの影響でかなり減少しているが、現在でも現役の雨戸は数多いはずだ。こうした雨戸が400年以上も前に造られた仕掛けであったことに驚きを隠せない。また、現在までその機構を維持してきたことにも。
# by kurarc | 2012-05-02 16:08 | archi-works
飯塚五郎蔵著『建築語源考』 座右の書として
中村達太郎著 『日本建築辞彙』の新訂版が最近発刊されたが、こうした高価な建築用語集ではなく、親しみやすく利用できるのが、飯塚五郎蔵著の『建築語源考』(鹿島出版会)である。

本書の特徴はその語源の分類方法にある。鳥獣擬語ー虫魚冠後、草木果菜ー人体部位、道具・品物ー衣・食、森羅万象ー数、色ー寸法単位・計測、契約・施工ー死語累累というカテゴリーにおよそ300の建築用語が分類されている。

こうした分類からもわかるように、建築は自然の事物と深く関わっているから、用語の中に自然界の言葉が数多く含まれているが、たとえば狐格子のように、木連格子(きづれごうし)の「きづれ」が訛って「狐」になったようなものもある。

飯塚は鎌倉在住の建築家であったと聞く。残念ながらすでに他界しているが、飯塚のような鎌倉に縁のある建築家たちの業績を最近少しずつトレースしてみることを始めた。こうした作業から、ジャーナリズムからのみ知らされる建築家とは異なり、地に足の着いた建築家たちの仕事を肌で感じることができる。鎌倉にゆかりの建築家たちの著書を少しずつ集めることも射程にいれているが、思わぬ世界が広がりそうな予感がしている。
# by kurarc | 2012-05-01 20:31
小田島雄志著『シェイクスピアの人間学』を読む

本書は小田島雄志氏によるシェイクスピア入門書と言えるものである。

ポルトガル滞在時、ロンドンを13年ぶりに訪ねたとき、再建されたグローブ座 を見学することができた。シェークスピアは常々気になっている劇作家であるが、敬遠していた。しかし、本書を読み、かなりシェークスピアの世界が身近に、同時代人のように感じられるようになった。

本書で特に興味深かったのは、日本におけるシェークスピアの受容史である。坪内逍遥からはじまったといわれるシェークスピアの翻訳は、当初、歌舞伎をより豊かにするために翻訳されたという。よって、坪内の翻訳は、歌舞伎の上演台本として翻訳され、英文学的なものではなかった。

つまり、坪内は通常の口語として翻訳を頭に描いて、それを歌舞伎の台詞として通じるように変換した。もったいなのは、坪内が歌舞伎の台詞として変換する前に、どのような翻訳が頭の中にあったのか知る由もないことである。

坪内の翻訳の後に、福田恆存(新劇)から、小田島(現代劇)へと大きな流れとして受け継がれていくことになる。小田島は東大闘争の中で、アカデミズムに流通する解釈を疑い、自分の感性に即して読み直すことを学んだという。

そして、例のハムレットの台詞、「生きるべきか、死ぬべきか・・・」、小田島は「このままでいいのか、いけないのか、・・・」という翻訳に行き着く。小田島はあとの行の台詞に着目し、観念的であった翻訳に疑問を投げかける。素直に読解すれば、小田島の翻訳が的を得ていることは誰しも了解できることである。

翻訳は生き物であり、歴史性が必ず含まれているということ。小田島訳の後、今後どのような翻訳が現れるのだろう?新しい翻訳が現れるとき、それは時代が変移したときなのだろう。
# by kurarc | 2012-04-30 00:44
鎌倉IS-Houseが佳作に入選

一週間程の出張中に思いがけない朗報がメールに入っていた。

(公社)愛知建築士会名古屋北支部、第3回建築コンクール「幸せにする建築」に提出していた鎌倉IS-Houseが佳作に入選したというメールが主催者代表のA氏より届いていたのである。(下:提出パネル)

4月21日に公開審査が名古屋であり、出席したいと思っていたのだが、できなかった。審査員は建築家の中村好文氏、古谷誠章氏、伊礼智氏。現在、最も活躍している建築家の方々に認めてもらったことは非常に喜ばしい。審査員の方々と関係者の方々には深く御礼申し上げたい。

作品番号から200名前後の参加者があったと思われる。その中で15名の内に入ったことになる。多分私は最高齢の方だろう。審査員のサイン入り賞状がいただけるという。賞というものはなかなかいただけるものではない。これを励みに、またよい仕事ができるようにがんばりたい。

鎌倉IS-House|鎌倉における築70年を超える住宅のリノベーション。素材に横須賀、佐島沖の海に浮かぶイワシの生け簀材(杉材)を再利用していることを特徴とする。8角形のイワシの生け簀は、神奈川の杉材によりつくられている。生け簀は5年から6年ごとに更新されるため、寿命を迎えた生け簀材はその後、古材として湘南近辺で流通している。

# by kurarc | 2012-04-27 21:01 | archi-works
溝口健二 映画『山椒大夫』を観る

溝口健二の映画『山椒大夫』を初めて観た。

山椒大夫、安寿と厨子王、それにその母との物語。溝口の映画では、原作とは異なり、安寿は妹として、厨子王が兄として描かれている。溝口の映画として完成度はやや劣る。しかし、やはり私は彼の映画にはいつものめり込んでしまう。

その理由の一つは、田中絹代の演技だろう。彼女の演技は溝口の映画のリアリティそのものなのだ。彼女が溝口の映画をつくっているということだと思う。彼女の話のリズム、口調や雰囲気、何か演技を超越した演技といえるものが、溝口の映画をピュアなものに変化させている。そして、これほど悲劇の似合う女優はなかなかいない。

ススキのシーンは溝口の得意とするところだが、この映画でも冒頭に現れる。こうした美しいシーンが存在することも忘れられない映画となる重要なエレメントの一つ。

残念なのは、この映画では音楽。音楽が映像と絡み合う関係が築かれていなかった。また、俳優の台詞のスピードが早いのは意識的にやったものかもしれないが、あまりにも早口過ぎるように感じられた。そのせいか、田中のゆったりとした口調だけが突出するのかもしれない。そして、このことも溝口は計算の上なのだろう。
# by kurarc | 2012-04-18 23:51 | cinema
言葉から
先日、辺見庸氏のテレビ番組で、メディアに流通する「言葉」の違和感が語られていた。死刑囚の俳句を出版するというプロジェクトを通じて、彼は、現在の「言葉」への批評を探っているようであった。

震災後に「絆」だのという言葉がもてはやされたが、その言葉は心の底から私に響いてくるものではなかった。それはやはりメディアから押し付けられた言葉であり、現在の状況のうすべったい表面を象徴する言葉でしかないような気がする。

言葉と同じように「音」についても気になる。都市の中でのノイズになれてしまったが、そのノイズを消すように演奏された音楽はノイズ以上に不快感をもたらす。自然の音をもてはやそうと思ってもいないが、子供の頃には当たり前に存在した生活から生まれた音は、都市の中から遠ざけられてしまった。

子供の頃、夏の風鈴売りや、おでんの屋台や、豆腐屋のラッパや、隣のおばさんが料理するまな板の音(そして私の実家、町工場の機械音)などが日常の音世界を構成していたのだが、そうした生活の音は私の記憶では1970年代前半あたから消えていった。ポルトガルの生活で懐かしかったのは、そうした生活の音がまだかすかに残っていたことだった。それは、ヴィム・ヴェンダースも映画『リスボンストーリー』の中で描いている。おでん屋のおじさんとかわした言葉も、今スタバでコーヒーを買うときにかわす言葉とはまるで異なっていたように思う。

震災以後、まずやるべきこととは単純にいってしまえば、言葉と五感で感じられるすべての事象について、批評し再考してみること。「絆」などという言葉で整理してしまうことではないだろう。
# by kurarc | 2012-04-17 23:47
鎌倉 春の音
今日は 午後11時過ぎに北鎌倉駅から自宅まで歩いて帰った。この時間に歩いて帰るのは女性では多少物騒なのだが、夜の鎌倉を味わうには格好の道である。

瓜ガ谷という谷状の道には小川が流れていて、初夏には蛍を楽しむことができる。今特に気になるのは夜に鳴き始めるウシガエル?の鳴き声だろう。昼間はウグイス。最近は昼間に狸を見たばかりだ。新芽を食べる台湾リスも騒がしい。ウグイスは姿を見せない鳥と言われているが、鎌倉ではよくお目にかかる。

鎌倉も開発が進んでいるとはいえ、まだまだこうした里山の自然を楽しむことができるが、これもあとわずかの時間だろう。そうなってはいけないのだが、危機感は日に日に増している。それと共に著名な建築家たちの仕事もあっという間になくなろうとしている。
# by kurarc | 2012-04-16 23:37 | 鎌倉ーkamakura
小津安二郎のグルメ手帳
古本屋で『小津安二郎 東京グルメ案内』(貴田庄著、朝日文庫)を購入する。

小津が晩年に残した丸善製の2冊の手帳には、食事をした店の名前、住所、店の場所を表した地図などが書かれているという。これを通称「グルメ手帳」とのちの人が名付けるようになったというもの。その中で、東京の店を特に取り上げたのが本書である。

小津の映画はそう多くは見ていないが、確かに食事のシーンが多く、そこでどのようなものを食べているのか、彼の映画理解には欠かせないと著者の貴田氏は考えたことから、小津の行った東京の店を訪ねてみたらしい。

そして、幸いにもかなりの店がいまだに現存しているらしい。小津の好物はトンカツと鰻であったようで、そのこだわりもかなりのもの。

映画は様々な織物で構成された芸術と言えるが、映画好きはその織物の糸を一つ一つ解していかないと気が済まないのだろう。小津の映画を食事のシーンを中心に観てみると、また異なる小津の映画世界が開けてくるかもしれない。それにしても、現存する料理屋も気になる。トンカツ屋くらいであれば私でも入れそうなので、東京へ出たときに訪ねてみることにしよう。
# by kurarc | 2012-04-16 00:35 | books
『喪われたレーモンド建築』(工作舍)が発刊されます

今日郵便ポストを見ると、何やら大きな書籍が送付されていた。

なかを開けてみると、『喪われたレーモンド建築』(東京女子大学東寮・体育館|東京女子大学レーモンド建築・東寮・体育館を活かす会編著、工作舍)という書籍であり、活かす会の方から謹呈されたものだったのである。

2006年から2009年にかけて、日本建築家協会関東甲信越支部/保存問題委員会に属し、この東京女子大学東寮、体育館の保存活用要望書を担当し、活かす会の方々と接点をもつことになった。残念ながら、この貴重な建築は解体され、保存活用されることはなかったが、この解体までの経緯が詳細にまとめられた書籍である。

東京女子大学には少し縁がある。高校1年のとき、当時の学長であった物理学者原島鮮(はらしま あきら)氏に図書委員としてインタビューを行ったのである。私は高校1年までバリバリの理系人間であり、当時物理学をやろうと思っていたこともあり、ちょうど高校での冊子の記事を執筆するにあたり、高校近くにお住まいだった原島氏にコンタクトをとり、大学にお邪魔した。高校生の我々を丁重に迎えていただいたことは今でも記憶に鮮明に残っている。薄暗い学長室に通され、そこでカセットをまわしながらインタビューを録音し、記事の原稿をおこした。そのカセットテープは多分いまだに高校に保管されているはずである。(私の通った中学は、東京女子大学牟礼キャンパスに隣接していた。すでに牟礼キャンバスは存在しないが、当時中学の音楽室からよく女子大の授業風景を眺めていた。)

こうした訪問から30年以上の年月が経過し、再び女子大学の門をたびたびくぐるようになった。活かす会の方々のたゆまぬ努力により、この数年に渡る出来事が記録された。この記録を無駄にすることなく、我々建築を営むものは、優れた建築を残していく努力を続けていかなければならない。
# by kurarc | 2012-04-14 17:28 | books
天童木工東京ショールーム画像にガラステーブル(カテナリア)掲載

天童木工HPの東京ショールーム画像にガラステーブル(カテナリア)の画像が掲載されています。(上写真)

よろしければ、東京ショールームで是非実物をご覧ください。ショールームはJR浜松町駅から徒歩3分です。

*そういえば、山口県岩国の錦帯橋のアーチはカテナリー曲線です。(下写真)
# by kurarc | 2012-04-09 12:48 | catenaria-ガラステーブル
ブログ7年目に
明日でブログを書き始めて7年目に入ることになる。

途中で言葉を「です、ます」調から「である、だ」という言い方に変えているので、言葉使いに断絶がある。また、スキン(ブログのインターフェイス)も変えたので、関連するHPに飛ばすようにした箇所が表示されなくなっている等問題はあるが、このまま続けて行く予定である。

archives1984-1985も途中でスキャナーが故障したこともあり、ずっと更新していなかったが、引き続きイタリア旅行の箇所から再開する。

ブログはモノローグと言えるが、自由に感じたことを書く楽しさがあるので、当分止められそうもない。始めた当初はどうなるかと思ったが、結構書くことは好きなようだ。ただ、気になるのは、文章をパソコンで書くようになってから漢字が書けなくなっているし、忘れている。これは大きな問題の一つ。どのように解決したらよいのだろう?
# by kurarc | 2012-04-08 23:31
旅するウナギ
日経サイエンスのHPを眺めていると、編集部のピックアップコラム欄にウナギについての興味深い話題が取り上げられていた。

近年、ウナギの生態がかなり明らかになってきたというもの。ウナギの産卵場は北太平洋マリアナ諸島、スルガ海山近傍であることがわかったらしい。その場所は仔魚が日本や中国に到達する回遊路にのるために適所であり、ピンポイントで産卵すると考えられている。いわゆる黒潮に乗って旅をする必要があるため、その場所でなくてはならない。日本まで3000キロを黒潮に乗って旅をし、川をさかのぼり、栄養を蓄えて、また産卵場へ行く(帰る)のだが、産卵場へ行くまで何もエサを食べないのだという。

実はウナギの旬は、冬眠に備えて養分を蓄える晩秋から初冬にかけてで、土用の丑の日のウナギの味はよいものではないということ。通は冬場のウナギを好むのだろう。

ウナギはサケのような魚と逆行した生態であり、川で成長する魚であるから、現在のような放射能汚染の広がった日本では、ウナギにとってもたまったものではないと言える。

何気なく食しているウナギが未だに多くの謎を秘めている魚であるということは気づきもしなかった。川は、ウナギが暮らしやすい川になれば、本来の川の姿に戻っていっていると言えるのだろう。
# by kurarc | 2012-04-06 22:31 | nature
誤解していた2×4(ツーバイフォー)工法
今日は朝から晩までツーバイフォー住宅工法に関する講習会を受講。

ツーバイフォー工法は正直、ハウスメーカーの工法という認識でしかなかったのだが、実際詳細を俯瞰すると実に興味深い工法であることがわかった。

その最も重要な点は、一言で言うとツーバイフォー工法が専門的な知識、技術を必要としない工法であることであり、やる気になれば、どんな素人でも施工ができること、つまりセルフビルドが可能な工法であるということだろう。

使用される部材の種類がおよそ6種類に整理できることと、一つ一つの部材の断面が最小単位に制限されているため、一人でも持ち上げることが可能なように工夫されているのである。また、構造上の部材の選択は図表化されているため、難しい構造計算も必要ない。

日本では国産材を使用することが奨励されていることや、技術の伝承といった観点から建築家の間では最近取り上げられることがなくなった工法であるが、その根底にある技術思想はラディカルなのだ。

東日本の大震災後の復興住宅建設のような場面で、その本来の力を発揮できた工法であったことはまず間違いない。今後国産材(特に杉材)による部材の供給など、輸入材だけでない部材供給ができるようになってくると、ツーバイフォー工法は、合理性が貫徹された工法として、在来工法と現在以上に競いあうことになるに違いない。特に集合住宅のように合理的に設計することが求められる住戸タイプにおいては。
# by kurarc | 2012-04-05 23:42 | design
フランスパン
最近、日本人の朝食はご飯派かパン派かにわかれている。多分、現在はパン派が多数を占めるのではないか?

鹿島茂氏による『パリ五段活用』(中公文庫)の中にフランスパンについての記述があった。フランスにおいてフランスパン(フランスではもちろんフランスパンと呼ばない。バゲットやブールだろうか。)が普及したのは以外と年月が浅いという。

フランスは、フランス革命により、農民の農地が細分化されて、機械化、工業化が遅れた。また、農地が巨大化することからも遅れをとり、化学肥料が普及せず、農作物の品種改良も遅らせる結果となった。そうしているうちに幼児死亡率の減少は人口増加をもたらし、小麦の需要が急速に増えた。

ここで登場したのが、1870年代に登場したロール式製粉機であった。この製粉機は小麦をでんぷん質、グルテン質、胚、フスマなどに分離することができ、大量かつ迅速に小麦粉を生産する体制が整う。また、オランダのハンセンが酵母を人工的につくる方法を発明。さらに、アメリカ、カナダ、アルゼンチンからの小麦が安価に輸入できるようになり、一気に白パンを口にすることができるようになったということらしい。つまり、フランスパンは19世紀末に普及したものであったということ。

また、重要なのはフランスパンの固い練りはイギリスパンのような工業化による大量生産になじまず、小さな街のパン屋がパリの中に生き残ることを可能にしたということ。そして、パリは東京以上の人口密度をもつ真の意味での都市であるため、朝パンを買いに行くという習慣も定着し、現在のフランスパンへとつながって行く。

鹿島氏によれば、フランス人の楽しみの一つは、早朝パンを買いに行って、できたてのパンをつまみ食いしながら帰ることだという。都市とパン屋は密接に結びついているということ。いくら日本でパンが普及してきたとしても、パリのような都市が出現しない限り、毎朝パンを買いに行くような習慣まで普及することは当分ないだろう。
# by kurarc | 2012-04-02 18:42 | gastronomy
写真家シャルル・マルヴィルによるパリの19世紀

鹿島茂氏のパリ本を渉猟している。『パリ時間旅行』(中公文庫)の中の「マルヴィルのパリ」という章のなかで、この写真家マルヴィルのことを初めて知った。(上 マルヴィルによるオペラ座の建築工事中の写真)

鹿島氏によると、パリ大改造(1853-1870)を指揮したセーヌ県知事オスマンは、破壊予定とされる街区を撮影し、『パリ全史』としてまとめるようパリ市編纂委員会に委託した。その撮影を担ったのがマルヴィルであった。彼は取り壊しが決まった建物の工事前、工事中、工事後という3段階にわけて撮影しているという。

パリの写真というとアジェが有名なのだが、鹿島氏が言うように、アジェの写真は、20世紀前後のパリ(鹿島氏の言葉ではプルーストのパリ)であり、バルザック、ユゴー(もう一人付け加えるならばショパン)のパリではない。

今は既に失われたパリの姿は彼の写真によってしか記録されなかった。たとえば、江戸から東京にかけての変貌をマルヴィルのように撮影した写真家はいたのだろうか?しかし、オスマンはいろいろ批判されるが、パリの変貌を記録させるように指示したことは、やはり流石と言わざるを得ない。

まだ、彼の写真集は見ていない。パリが現在のように衛生的、軍事的都市に変貌する前のパリを早く見てみたい。
# by kurarc | 2012-03-31 14:26 | art
ジョイスの名曲 『Essa Mulher』(或る女)

以前(20070330)、エリス・レ( ヘ)ジーナのCD『Elis, Essa Mulher』(或る女)をこのブログで紹介した。その3曲目がこのCDのタイトルになっている『Essa Mulher』である。

曲はジョイスが担当し、歌詞はアナ・テーハが担当している。ジョイス、ワンダ・サーをはじめ多くの歌手が歌っているが、アレンジを含め、エリスの歌が最もよいと思う。この曲の歌詞もまた非常に魅力的なポルトガル語である。以下に少し紹介しておきたい。

歌詞は3つのパートに分かれている。タイトルの通り、「或る女」を描いているのだが、それは3つの様態の「女」、ポルトガル語で「senhora(スニョーラ 既婚婦人)」、「menina(メニーナ 少女)」、「mulher(ムリエール 女または、年頃の娘、既婚婦人)」の順に描写されている。

3つのパートは一人の女の過去と現在を描写しているようにも、また、3人の世代や育ちの異なる女を描写しているようにも思われる。短い歌詞の中で、女の生涯を感じさせる実に魅力的なストーリーであり、映画音楽のように感じられる。

興味深いポルトガル語は、

第1パート"secar os olhos"(直訳は「眼を乾かす」から「涙をかわかす」の意)
第3パート"secar o bar"(直訳は「パルを乾かす」から「酒をあける」「酒を飲む」の意)

この表現が対になっていることで、「涙」と「酒」も対として扱われている。つまり、「酒」を飲むことは「涙」を飲むこと、つまり「涙」を乾かすことと対応している。第1パートの涙は幸せに対する、第2パートの涙は喜びに対する、第3パートの涙は不幸に対する涙の表現。

また、それぞれ3つのパートは時間描写があり、

第1パート"manhã cede(早朝)"・・・senhora
第2パート"tardezinha(夕暮れ)"・・・menina
第3パート"madrugada(夜明け)"・・・mulher

のように、それぞれ一日の時間を女の様態と象徴的に結びつけて表現している。早朝から夕暮れ、夜明けと一日の時間の流れの中に、ある女の一生を凝縮させた表現とみることもできるかもしれない。

ライナーノーツの訳は、近藤紀子さんによるもの。『ペソアと歩くリスボン』(彩流社)の訳者でもある。上のような表現は、現代ポルトガル語辞典(白水社)を調べても出てこない。「バルを乾かす」など実に興味深い表現と言えるのではないだろうか。

*この歌を歌っている頃、エリスは34歳。こうした大人の歌詞をよく歌い上げている。エリスは本当に歌が「うまい」。

*「mulher」という言葉は「senhora」より生々しい「女」としての意味。近藤さんは、「女」と「奥さん」という訳をつけ、使い分けている。

*前回このCDについて書いたのはちょうど3月30日。同じ季節に書いていることになる。聴くCDには季節感があるようだ。


# by kurarc | 2012-03-28 20:34 | Brazil
アントニオ・タブッキ 逝く

昨日イタリアの小説家、アントニオ・タブッキがリスボンでなくなったことを知った。ご冥福をお祈りしたい。

タブッキはイタリア人でありながら、ポルトガル語で小説を書くということも行っていたことはよく知られている。ポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアの研究者として、また、ポルトガル文学の研究者としてイタリアで教鞭をとっていた。

映画になった小説として『インド夜想曲』、『レクイエム』などがあるが、特に『レクイエム』は再度見たい映画の一つである。この小説(映画)の中でのポルトガルへの愛着の表現は彼にしか描き得なかったのではないか。

彼の教え子の中から新たなポルトガル文学の研究者は輩出されるのだろうか?同じラテン諸国の中で他国の言語を深く学ぼうとする衝動はペソアの詩の発見によるのだと思うが、彼が発見してしまったもの以外にあらたな領域を探すことは困難なように思えるから、イタリアからタブッキに匹敵する新たな研究者は当面輩出されることはないだろう。
# by kurarc | 2012-03-26 18:28 | Portugal
ビーア・クリーガー ボサノヴァの歌詞の響き

ビーア・クリーガーのCD『Bia CARMAN』(iはドイツ語でいうウムラオトがつく)の中の「Herena」(エレーナ)というタイトルのボサノヴァの歌詞は、非常に美しい響きをしている。ポルトガル語の典型的な韻を踏んだ歌詞なので、その美しさを知ってもらうために、下に原語(前半部のみ)と発音(ブラジル)を書いてみる。

HERENA

Oh... ウ・・・
De lava tão serena ヂ ラヴァ タォン セレーナ 
De névoa fruta-cor ヂ ネヴォア フルータ コル
Açucena アスセナ
Divina ヂヴィーナ
De coragem felina ヂ コラージェン フェリーナ
De solidão cigana ヂ ソリダォン シガーナ 
De gravidade dançarina ヂ グラヴィダーヂ ダンサリーナ
De chama, de chão ヂ シャーマ ヂ シャオン
Desconsolo e felicidade ヂスコンソロ イ フェリシダーヂ
Se fez o teu sim スィ フェシュ ウ テウ スィン
O teu não ウ テウ ナォン 
Gratia plena グラティア(グラスィア) プレナ
.....

ポルトガル語をわからない方でも、上の歌詞の発音をよく読んでみると、「ヂ・・・ナ」の韻を踏んでいることがよくわかると思う。そして、ちょうどその歌詞の中心に表れる   「Divina」という単語(筆者が太字に強調)がこの歌詞のキーワードになっていることもわかるのではないか。つまり、「Divina」(神のの意)の単語一語の中にこの「ヂ・・・ナ」という音を含んでいるためである。あるいは、この歌詞はこの「Divina」という音から発想された、と言う見方もできるかもしれない。

そして、さらにこのボサノヴァのタイトルがなぜ「HERENA」なのか、「MARIA」や「TERESA」ではないのか勘の良い方はすぐわかるはずである。

ちなみにこのボサノヴァの曲も大変美しい。(バスフルート、チェロ、ギターと歌のハーモニー)歌詞の意味を知りたい方はCD内のライナーノーツに国安真奈さんの訳がある。

*CARMANは「深紅な」の意。

*この歌詞は後半部では、前半の音を踏まえ、さらに高度な韻を踏んでいる。こうしたことを普通にできるのは幼い頃から詩をつくるということを空気を吸うように自然に学んだからだろう。こうした曲に巡り会えただけでもCDを買った価値はある。
# by kurarc | 2012-03-22 20:25 | Brazil
ガルシア・ロルカの詩
映画『フラメンコ フラメンコ』の主題歌と見なされるルンバはガルシア・ロルカの詩。ジプシー歌集の中の「夢遊病者のロマンセ」の中の一節に曲をつけたものである。

この詩にすっかり魅了され、ロルカについて改めて調べてみる。ロルカについてはもちろんスペイン戦争の犠牲者となった詩人であることは知っていたが、彼の詩集を読んだことはなかった。

『ロルカ詩集』(小海永ニ訳)という良書があり、その解説にかなり詳しくロルカの生涯がまとめられている。この解説を読むと興味深いエピソードにあふれているが、一つはかれがマドリードの「学生館」という教育機関に居を定めて、そこで様々なアヴァンギャルドといってよい著名人の講演を聞いていることである。その中には、建築家ル・コルビュジェも含まれている。

また、ロルカは文学の道へ進む前、かなり高度な音楽家になるための教育を受けていたということ。彼の育った街グラナダ(私はこの街をスペインのリスボンと思っている)で、ファリャ(スペイン民謡の研究家、作曲家)にも出会っている。その他、ニューヨーク、キューバでの生活で知的刺激を受けながら、彼の活発な創作が続けられた。

映画のルンバ「緑よ 私はおまえを愛する 緑よ・・・」で始まる詩は、ここだけを取り出されると、愛する人への想いを綴った詩とだけ想起させるが、この詩には続きがあり、実は悲劇で終わる。しかし、この詩の結末はスペインらしい美しさを感じずにはいられない。ロルカの詩を読みながら、スペイン(特に私の最も好きなスペインの土地の一つ アンダルシア)について、もっと深く知りたくなって来た。もしかしたら映画『フラメンコ フラメンコ』は、監督は語っていないが、ロルカへのオマージュとして制作されたと言えるのかもしれない。

*サウラ監督の1995年の映画『フラメンコ』の最後の曲も、上と同じルンバだという。単純に考えると、映画『フラメンコ』との連関を想起させるようにロルカの詩を選んだとも想像できるが、きっとそれだけではなさそうだ。ロルカの詩に対してサウラ監督は特別な感情を抱いていると思った方がよいだろう。

*20世紀を知るための辞書の一つとなりえる『私の二十世紀書店』(長田弘著)の中にも、「ロルカの死」と題された章が設けられている。長田はロルカの死(ナショナリストのテロにより銃殺)を時代の死として語っている。

*この記事を機にカテゴリに「Spain」を追加しました。
# by kurarc | 2012-03-21 21:44 | Spain
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