タイモン・スクリーチの江戸論 鎌倉と江戸

タイモン・スクリーチによる『江戸の大普請 徳川都市計画の詩学』を読んでいる。スクリーチによれば、江戸の都市を形づくるとき徳川家がいかに京を意識したのか、京の後継者として都市を整備していったのかということが具体的な事例を挙げて説明されていて興味深い。
この本の中で鎌倉について言及されている箇所があった。徳川家が江戸開発に際して鎌倉をほとんど利用しなかったその一つの理由として、鎌倉が江戸の南西の方角にあったことによるというのだ。当時の陰陽道による都市計画において鎌倉は無用の土地であったということらしい。江戸を神聖化するための場所にはなりえなかったことが江戸期に鎌倉を衰退させる最も大きな理由であったようだ。
それに対して、たとえば江戸の北方に位置する川越は重要な都市となった。京の比叡山に対して「東叡山」とよばれた喜多院は天台宗の関東総本山であり、徳川家から多額の寄与を受けた。家康の相談役を務めた僧侶天海(てんかい)をはじめ、重要な僧侶が喜多院の貫首をつとめたのもそのせいであるらしい。

PS:ロス・キング著の『天才建築家 ブルネレスキ』は3度目の読了。この本は何度読んでも感動する。次はロス・キングによるミケランジェロ論を読むことにしたい。

by kurarc | 2009-03-19 21:19 | 鎌倉-Kamakura