田中優子著 『カムイ伝講義』を読む

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『あしたのジョー』が映画化されたという。是非観に行きたいと思っているが、私の世代は、子供の頃、様々なアニメの全盛期に育ち、それをテレビで楽しんだ世代である。しかし、相当の漫画好きでない限り、そのアニメの原作をいちいちすべて読んではいないし、そのアニメの本質について考えてもいない。特に、私はそういう方で、のんきにアニメを楽しんでしまった子供であった。

その中で白土三平氏の『忍風カムイ外伝』や『サスケ』のアニメは特に印象に残っているが、江戸の研究者として著名な田中優子氏は、この白土氏の漫画『カムイ伝』を、江戸時代を理解させるためのテキストとして大学の授業で使用しているという。それは、江戸という時代を単に、文字だけで理解するのではなく、『カムイ伝』が(江戸期の)人間を「生き物」としてとらえているから、つまり、江戸を理解するための「生きた」テキストとして『カムイ伝』が非常に有効である、ということのようだ。

『カムイ伝』の中には、武士や農民はもちろんのこと、社会の下層の人々である穢多、非人の世界、あるいはマタギ、サンカの世界までが描かれているが、そうした世界の人々を取り上げることによって、ダイナミックな江戸時代の多層的な社会が浮かび上がってくることはいうまでもない。たとえば、建築の世界に近いものとしては、「河原者」がいる。皮革の処理を主な生業としていたものたちであったが、あの龍安寺石庭もこの「河原者」が関わっていたといわれている(田中氏は河原者によってつくられた、としているが、これは現在諸説あって定かではない。)ように、社会の中で周辺のものとして生きた人間たちに視点を向けることを、田中氏はあえて避けずに凝視しようとしている。

私はこの著書を読むまでは、田中氏はエリート主義的な女性と思い込んでいたが、そのイメージは見事に崩れ去った。逆に、これほどラディカルに語っても良いのか(特に天皇制に対してなど)と思えるほど過激な著書と言える。

白土三平の著書である『野外手帳』(この書物は究極の料理本と言えるもの)でもあきらかのように、自然は眺める対象ではなく、じかにふれるものである、という白土氏の思考と田中氏の研究態度は重なりあっているように思える。『野外手帳』と共に『カムイ伝講義』を読むことは、我々にとって今「生きていること」に深い亀裂のようなものが侵入してくることは確かである。その亀裂を意識することなしに歴史は理解できないし、「生き物」としての人間も理解できないということを田中氏の著書は教えてくれている。

by kurarc | 2011-02-12 21:12 | books