生まれた土地について

鎌倉に来てかれこれ11年になった。

鎌倉での仕事もいくつかこなしてきた。本当であればここ鎌倉を活動の場とする決心をする時期なのだろうが、私にはその決意は一向に定まらない。

生まれ育った土地が東京の井の頭公園周辺であり、鎌倉からきわめて近いため、意識の半分はいつも東京にある。こんなに近いのに、東京の方では何一つ活動をしていないという不自然さも気になり始めた。

鎌倉にはまず幼なじみ、という存在がいない。秋に予定されている小学校時代のクラス会の準備のため、最近幼なじみとよく顔を合わせるが、会うたびになつかしさが込み上げてきて、喜ばしくなる。この安心感は鎌倉では味わえない。

以前ブログでも書いたが、原風景としての井の頭公園周辺の環境が日に日に身近に感じられるようになってきた。昨年、大病したこともあるのかもしれないが、遠い時間だと思っていた風景はそれと反比例してきたのだ。

現在、被災された方々が自らの故郷に対する郷愁について口にすることをよくニュースで聞くが、きっとその方々は生まれ育った街だからであり、特に10代までに過ごした環境は、一生その人の記憶から離れられないのではないか、と思う。

幼い頃、玉川上水脇の土の小径を何度も歩いて染み付いた記憶が、いま亡霊のようによみがえってきた。玉川上水周辺の自然環境など、どのように維持していくのか今後課題となるだろう。そうした活動をもうそろそろ考えなくてはと思うようになってきた。

by kurarc | 2011-05-20 20:52 | saudade-memoria