時間のモザイクとしての街並

東京には街並らしきものはない。先日名古屋を旅したときに、電車で20分も行くと、立派な町家の街並が現れて驚かされた。東京から20分電車で移動しても、そんなに風景は変わらない。

しかし、それは大雑把な視点であることも確かである。特に東京で生まれたものはそう思うのではないだろうか。東京とはいえ明治、大正、昭和の建築遺産は数多いし、立派な建築物でなくとも子供の頃から記憶に残るランドマークとなるような建築物はいくつか存在するはずである。

以前、このブログで私は街並ということにはこだわらない、とういことについて簡単に書いた。現在、街並を求めることは、ある意味で「力」が必要である。東京駅前の計画のように、巨大な資本によれば街並らしきものはできるが、それは資本によるもの、強引につくられた幻想の街並である。

そんなものより、小さくてもよいから、よいと思われる建築を一つ一つでも大切にしていけば、都市の中にモザイク状に建築物のネットワークらしきものがかたちづくられるだろう。そうしてできたある単位を今後、「街並」と呼びたいし、それを私はアーキペラーゴ(群島)型(モデル)の都市と勝手に名付けてみたのである。

先日建築家坂本一生さんの話をお聞きして、坂本さんのいうスモール・コンパクト・ユニットやアイランド・プランといった考えもそれに近いことを発見して、多少驚いた。ここ12、13年建築雑誌を読んでいないので、建築家がどのようなことを考えているか、全く無頓着であったが、やはり同じようなことを考えている方がいるのだな、と。そうして残っていった建築が江戸期のものであったり、明治、大正、昭和期であったり、様々な時代の建築物が時間のモザイクとして都市を形成するとき、豊かな時間をもつ都市として成長していくことにつながるのでは?

*通常、街並とはある限られた時間によって成立した建築群を言うが、今後はその時間軸を限りなく引き延ばして行くということ。つまり、今後、都市はどれだけ奥行きのある時間を持つことができるのか、が都市の豊かさを計る尺度となる、ということ。

*ニュータウンのように時間の希薄な街もからなず出てくる。このタイプをバルハン型(モデル)の都市と名付けた。(ブログ2012/12/24を参照ください)東京は大きく、アーキペラーゴ型とバルハン型のモザイクと言える。歴史や古い建築物等興味がない、という人はバルハン型の都市に住めばよい。

*エリック・ロメール監督の映画『満月の夜』は、パリとパリ郊外のニュータウンを対比させながら女性の心理を描いている。但し、ロメールはニュータウンを否定的にとらえてはいない。

by kurarc | 2013-06-24 23:33 | archi-works