フランソワ・ヴィヨン 涙のなかで笑うこと

先のブログで書いた『増補 フランス文学案内』(岩波文庫別冊)に、フランソワ・ヴィヨンについて記されていた。

フランスにおける中世最大の詩人であると共に、近世最初の詩人とも位置づけられる詩人。その放蕩の果てに『形見分け』(1456)と『遺言詩集』(1461)という二つの傑作を残したのだという。

太宰治の『ヴィヨンの妻』の「ヴィヨン」とはこのフランソワ・ヴィヨンの例えだが、彼は東大の仏文科に入学したから、ヴィヨンのことは学んだだろうし、彼の生涯と自分とを重ねていたことは十分に考えられる。太宰が、ヴィヨンについての評論を書いているのかどうか調べてはいないが、この詩人の名前を小説のタイトルにする発想は流石である。(太宰が東大に入学した頃の仏文科の主任教授は辰野隆(ゆたか)であり、辰野隆と接点があったと思われる。辰野隆は東京駅設計者、辰野金吾の長男。)

フランソワ・ヴィヨンについて『フランス文学案内』によれば、「多くの詩編において、自分の愚かしさ、放蕩、罪業などを思い起こし、苦々しい憂愁や、胸をかきむしる悔恨の情をも露呈し・・・同時に、彼が言うごとく、「涙のなかで笑う」ことも心得ています。」とある。

私が注目した『ヴィヨンの妻』の笑いと涙の源泉はどうもここに行き着くようだ。映画『ヴィヨンの妻』で松たか子が演じた笑いながら泣く(あるいは泣きながら笑う)、という演技もヴィヨンの解釈を踏まえた笑いであり涙であったと言ってよいのかもしれない。

by kurarc | 2013-08-04 19:44 | books