ブルーノ・タウトとコロンビア

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1933年から36年まで日本で生活し、桂離宮など日本の建築文化を欧米に広める役割を果たしたブルーノ・タウトという建築家。

タウトは日本に来日中、膨大な日記を残した。その翻訳がタウトの死後、日本で出版された。この日記はタウトを知る資料として価値があるだけでなく、日本の近代建築史の資料としても重要である。なぜなら、タウトは当時、日本の近代を代表する建築家と頻繁に会い、彼らの仕事を見ては批評をするという生活を送っていたためである。そうした彼の批評は赤裸々に日記の中に書き著された。

その日記を久しぶりに眺めていると、タウトがトルコへ旅立つ前に、コロンビアから仕事の要請があったことが記されていた。この箇所は全く記憶になかったのだが、もしタウトがコロンビアに行っていたら、と考えてみた。タウトは持病の喘息があり、日本の湿気のある気候に身体が適合しなかった。コロンビアのボゴタへ行けば、標高が高く、喘息の回復が期待できたのである。しかし、その仕事の要請は却下され、彼はトルコのイスタンブールへ旅立つことになった。

日記を読むと、彼は日本という異国にいながらも誠心誠意生きていたことが実感できる。建築家の日記は彼以外読んだことはないが、建築家の日記というものは他に聞いたことがない。(そういえば、建築家生田勉氏の日記が出版されていたことを思い出した)私の修士論文はタウトをテーマにしたこともあるが、忘れ得ぬ建築家の一人。近いうちにこの修士論文をpdf化して、公開したいと考えている。

by kurarc | 2013-10-17 22:11 | architects