20代の頃のノート その2 

20代の頃のノートの一つに、立教大学での平井正氏(ドイツ文学、藝術)の講義ノートがある。大学院に通うかたわら、いわゆる潜りで平井氏の講義を聴講した。1989年のことである。

平井氏の講義は主にドイツの近代藝術、特にダダについてであった。ダダとナチズムをダダ(善)、ナチズム(悪)という二元論をやめることから20世紀の藝術は考えなくてはならない、というような話から講義が始まったことは新鮮であった。

このノートは幸運にも保管されていた。とにかくこれほど過激な講義はかつてなかったと思う。20世紀の藝術を考えることは、美であるとか、作品であるとかといった範疇では語ることができない。ダダは、美的でないものをつくろうとしたのだから。

平井氏はまた、ダダイストの詩を一つ訳すのに2年かかったとも講義で言っていた。ダダイストの詩には当時の社会情勢や流行語などが暗喩としてまぎれているから、そのことを知らないと翻訳できないのだという。

たとえば、クルト・シュヴィッタースの「メルツバウ」は、作品としての藝術から、行為としての藝術、ものではなく、ことが重要である、など藝術を読解する作業は鑑賞するという作業とはかけ離れたことを平井氏は教えてくれた。

大学の講義でいつも思い出すのは、多木浩二先生とこの平井正氏の講義である。それは、何かを教えるという次元を超えて、人間や社会の本質まで掘り下げた講義であったからだと思う。

by kurarc | 2014-02-06 22:15 | saudade-memoria