言葉と道

ギリシアの映画監督テオ・アンゲロプロスと池澤夏樹とのインタビュー映画『THEO ON THEO』をみながら、アンゲロプロスは次から次へと詩的でありながら、哲学的な言葉を紡ぎだしていることに感心した。

その中で、特に「言葉」と「道」との比喩に、はっとさせられた。ここでもう一度、昨日ブログに書き写したアンゲロプロスの言葉を下に書いておこう。


・・・人は言葉を失うことで道を失う。一語を失い一語を忘れるたびに一本の道を失い、行き暮れる。だが同時に、言葉はまた、過去を連れ戻す。一語を発すると過去が戻る。・・・


私がこのブログで使う言葉は、なるべく明解に伝わるような言葉を選んでいるが、かといって、もう少し魅力的な言葉を使おうとしても大してかわりそうもない。

私はどれだけの言葉を引き継いでいるのか?と立ち止まってしまった。と同時に、言葉はなんと早く変化し、消費され、忘れ去られていくものかと。人がもつ言葉が過去との道であるのならば、人は言葉をどのくらい蓄えているのかで、その人と言葉との関わりが明らかになるだろう。夏目漱石のような文学作品を読むことの楽しみは、彼が携えた言葉の道(記憶)をトレースできることが大きい。

言葉でなくとも、それはどのような分野にも言えることのように思える。建築などは真に同じといってよいだろう。しかし、一方で建築のような表現行為の場合は、無理矢理、過去から断絶することも意識的に行うから、建築の「道」は常にずたずたに引き裂かれた断片の道になる。それは文学でも同様であろう。

しかし、革新的な表現行為の中にも、何千、何万年もの道(記憶)を分断しない(連続した)表現行為であろうとする意識が重要と思われるし、そうした表現が、真の表現なのだということをアンゲロプロスは言わんとしているように思う。

by kurarc | 2014-04-07 20:29 | saudade-memoria