金属の人

木造建築ではあまり現場で火を扱うことはないが、鉄筋コンクリート造や鉄骨造では、鍛冶職人が火を扱って部材の加工をしたり、溶接したりする。鉄筋コンクリート造は近代の建築物ではあるが、その現場の中で感じるのは、遠い過去の火の文化の痕跡である。火花を散らしながら、建築をつくっていく様は、近代どころか、古代へと遡行するような感覚といってよい。

以前、日本の金属文化に興味をもち、出雲に残る最古のタタラ製鉄跡を見学に行ったことがある。民俗学者の谷川健一さんの著書『鍛冶屋の母』の影響も大きいが、わたしの実家が鉄工所であったから、金属に興味をもつのは宿命であったとも言える。父親が操作する旋盤から、螺旋状に煙を出しながら飛び散るキリコを子供の頃から眺めていた。わたしは、高速に回転する旋盤に父親の手が巻き込まれないかと、子供ながらいつも心配していた。

ギターからいつの間にかトランペットを吹くようになったのも、こうした金属人の宿命なのかもしれない、と最近思っている。木には木でしかできない加工があり、魅力があるが、鉄やその他の金属にも、ものとしての特有の色気がある。金属の加工はシャープであり、柔軟である。父方の祖父も北海道の室蘭製鋼所で鉄を扱っていたことはわかっている。きっと父親の先祖は非農耕民であったのだと思う。

日本に限らず、世界の金属の文化について、時間の許す限り、一度調べてみたい気がしてきた。

by kurarc | 2015-05-10 20:41 | trumpet