映画のはじまりに向かって

映画を観ることが日常の中で根付いてきた。以前、このブログでも書いたが、そもそも映画を意識するようになったのは、初めての海外旅行で『アンネの日記』のアンネの家を訪ねたことによる。

アムステルダムの一角、アンネが隠れた部屋はミュージアムになっていて、その壁には彼女が「平和な時代」に観た映画スターの写真が貼付けてあった(と記憶する)。日記にも書かれているが、彼女にとって映画のようなたわいもない娯楽(としての日常)がどれほど彼女を励ましたか、そのことに感動したためである。

旅行から帰った1980年代は、よい映画が数多く誕生する時代であったことも重なって、意識的に映画をみるようになったが、マニアのようになる訳ではなかった。大学の授業をさぼってベルトリッチの『1900年』を観に行ったこともあったが、その頃、映画を観ることはかなりの出費であったから、毎週のように映画を観ることは不可能であった。

それからかなり間があいたが、VHSからDVDに移行し、低料金で映画を観ることができるようになり、また、その映画熱に火がついたのである。以前に観た映画を再度観たりしながら、改めて映画の力に驚かされた。そして、今年も後半になって、やっとではあるが、もう少し秩序立って映画を鑑賞しようという余裕のようなものが芽生えはじめた。

現在、映画の母国、フランス映画から、映画史、映画学のような分野も視野に入れ、そのはじまりに向かって映画を観てみようという気持ちでいる。実は、映画史のような書物も多くは読んでいない。映画のつくられ方(特にカメラワーク)のようなものにも視野を広げる必要がある。まずは、ヌーヴェル・ヴァーグの映画を中心にすえて、それ以前と以後との映画を俯瞰することを目指す。その間、もちろんポーランド映画のような他国の映画への感心も維持するように努める。

建築学を専攻するものとして、映画の中から建築や都市に関わる主題を引き出すことも視野に入れる。ゆくゆくは、小論レベルの映画論(映画建築論、映画都市論etc.)を書き上げることが目標である。

by kurarc | 2015-09-27 22:40 | cinema