楽器演奏 二人の自分を想像しながら

楽器の演奏とは、まさに自分との闘いである。わたしの場合はトランペットだが、トランペットを手に持ち、息を吹き込み、音を鳴らすのは自分であり、自分の身体である。

しかし、ある段階になって、その吹いている自分とそれを遠くから眺めるような自分というものが自然と頭の中に思い描かれるようになった。楽器と自分という一対一の作業が、一対二の作業のようになりはじめると、身体の力も少し抜けてきて、いくぶんよい音がでるようになってきた。

楽器を演奏する自分とそれを眺める自分とは一体どのような心理状態なのだろうか。多分、心理学で分析することは可能なのかもしれないが、わたしにはどのように名付けられるのかわからない。少なくとも、一対一では、楽器と自分との間に空間のようなものがない状態で窮屈だ、とういことである。そこに、もう一人の自分が登場してくると、楽器と自分との間に空間が広がり、楽になるということと、他人が吹いているような感覚になることから演奏に冷静になれる。

楽器との直接対決を避けて、あくまで、もう一人の自分が闘っているという状況をつくる感じである。特に、トランペットは口をつけて演奏する楽器であるから、物理的に楽器との距離をとることが難しい。よって、心の中で空間、空隙を想定するしかない。楽器を俯瞰するようなイメージである。

もしかしたら、楽器演奏の究極の境地は、演奏しながら、演奏をしているのは「わたしではない」、と思えるようになることかもしれない。

*上のような文章を書きながら、これは、ポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアの言う、「異名」、「ヘテロ二モ」と重なるのではないか、と勝手に想像した。自分の中に、たとえば「トランペット名手」という人格をつくってしまえばよいのかもしれない。そして、その「トランペット名手」は、「わたしではない」別の人格なのである。

by kurarc | 2015-10-12 21:45 | trumpet