キェシロフスキ監督の映画『偶然』

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今日は東京外国語大学のポーランド映画の講座に参加。取り上げられた映画は、キェシロフスキ監督の映画『偶然』(1981)である。この映画は何度か観ている。冒頭の回想シーンの意味がよくわからなかったが、その疑問が解け、その冒頭シーンが重要な役割を果たしていることも理解できた。

誰でもこういうことはないだろうか。乗ろうとしていた電車に乗り遅れた、あるいは、なんとか走って無理やり乗ることができたということが。しかし、もしその無理やり乗った電車が事故に合い、その当人が死亡してしまったらどう思うのだろう?バスや電車の死亡事故が起こるたびに、私はそのようなことをよく思う。その電車になぜ乗っていたのか?なぜ乗らなければならなかったのか?

キェシロフスキ監督の映画『偶然』は、1)ある医大生が列車になんとか間に合い、乗れたパターン、2)乗り遅れたパターン、3)乗り遅れ、警備員と衝突、暴力をふるい逮捕されてしまうパターンという3つのパターンに分けて、同一人物が全く異なる3つの運命をたどることを描いた映画である。これだけでも興味深い主題の映画なのだが、その背景に、ポーランドの現代史が見え隠れしている。

そして、この映画は、未来と過去への問いかけのある映画でもある。ある年齢になるとすべての人間に過去が大きな事実として意識される。その時、その過去にどのような意識をむけるのか、どの過去にどれだけ注視するのかによって未来は変わってしまう。この映画はそのことを問うている。以上が久山先生の講義から理解できたことである。いつもながら先生の深い洞察には感服する。映画は色々あるが、名作と言われる映画は、とてつもない歴史、哲学を何気なく表現しているのである。

by kurarc | 2017-06-30 22:08 | cinema