忘れえぬ街

夢の中にでてくるような街であるが、夢ではない街がある。海外に行ったことがある方ならば、そうした街をいくつか思いつくはずである。国木田独歩の小説に『忘れえぬ人々』という短編があるが、国木田が「忘れえぬ」と感じる人々は、なにも特別な人ではない。電車に乗りながら外を眺めているとき、視界に偶然入ってきた農夫のような何気ない人なのである。

それと同じように、パリのように美しい特別な大都市でなくとも、忘れられない街がある。わたしの場合、その一つはポルトガル滞在中に訪れたリスボン近郊の街である。残念ながら、その街の地名や正確な場所を思い出すことができないが、リスボンの北西、大西洋沿いの小さな街であった、と思う。海へと伸びる木陰の路が忘れられないのだが、現実に訪れているにも関わらず、いつも思い出すたびに、夢の中の街のような情景が想起される。

考えてみれば、20年以上過去に暮らしたリスボンでの体験も、すでに現実(過去の事実)でありながら遠い過去になり、夢の中の時間であったようにも思えてくる。海外で暮らすということがどれだけ特別なことなのか、今になって身にしみてくる。それ以前に訪れた海外の街も遠い遠い過去になるが、未だに忘却できるものではない。こうした膨大な記憶をどのように整理していけばよいのか?作家であれば、旅行記に表現できるのだろうが、もはや、旅行記にするにはあまりに時間が経過しすぎている。

先日、千葉の千倉へ行ったのも、そうした忘れえぬ街(場所)の一つであったからだが、海外の場合は簡単に再訪することは望めない。当面はGoogle earthででも探すしか手立てはないかもしれない。それにしても、国木田の「忘れえぬ」ものへの定義は興味深い。「中心」ではなく、その「周辺」が忘れられないという国木田の感性は斬新である。

by kurarc | 2018-02-07 00:55 | Portugal