災害をおもう

最近、自然災害が絶えない。特に、今回ショックだったのは、上田周辺の災害で、わたしの姓の故郷といえる別所までの上田電鉄の鉄橋の崩落である。9月末に富山、金沢への旅の折、この辺りの風景を見ながら新幹線を通り過ぎたばかりであったので、信じられない光景であった。

今回は、堤防の決壊が大きな災害の原因となった。しかし、この堤防がつくられる前はどうだったのだろう?堤防に隣接する田畑や住宅のある地域ももしかしたら古代、あるいは中世の頃は川だった箇所ではなかったか?もしそうだったとすると、自然は単に元の状態に戻ろうとしているだけであって、災害を引き起こしているのは、強引な堤防建設をした人間の方に無理があったのではないか、と思えてならない。

わたしの住む地域も、少し南へ下ると、古代の多摩川の流れのあった地域に遭遇する。調布の街あたりは古代多摩川の中に開けたような街である。よって、古代の人間からすると川の中に住んでいるようなものである。

3.11の時にも先人たちが残した神話のようなものが取り上げられた。寺や神社がなぜこの位置に建設されたのかなども注目された。こうした災害を見ると、我々の街づくり自体に問題があったのではないか、と思わざるをえない。街を広げすぎたのである。治水という対処はもちろん必要だが、街をつくるとき、我々は古代にまで視野を広げてつくることが必要になってきているのではないか。自然に対してもっと素直に街をつくるべきではないか。災害に会うたびにそう思う。

by kurarc | 2019-10-15 19:30