グランドツアー17/ミュンヘン 1984/08/13-08/15

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グランドツアーは久しぶりの投稿になる。11ヶ月に及ぶ旅の2ヶ月分までしか紹介できていない。スキャナーが故障し、ずっと更新がおろそかになっていた。スキャナーを新しくしたので、今後はマイペースでこのカテゴリーを続けていきたい。

今回は、ミュンヘンである。ウィーンからミュンヘンに入った。

これからドイツの旅が続くことになる。ドイツの全体的な印象はとにかく都市が美しく、清潔であったことが印象に残っている。一方、ラテン諸国で旅をして感じられるような人間臭さは失われ(窓の外に洗濯物を干しているような景観はなくなる)、料理が単調になったことなど、ゲルマン民族の特徴を嫌というほど味わうことになった。地続きのヨーロッパでもこれほど異なるのかと驚くことになる。

ミュンヘンの街中の印象はあまり記憶にないが、ここではミュンヘン・オリンピック時に建設された選手村やオリンピック・スタジアムを見学に行った。その中で、後にも先にも体験できないような建築、フライ・オットーによるオリンピック・スタジアム(オリンピアシュタディオン、上下写真)は、真に圧巻と言える建築であった。最近竣工した東京の新国立競技場は、フライ・オットーの建築と比較すると、残念ながら子供と大人ほどの差があるように思う。

ダーシー・トムソンのような生物学者(数学者、博物学者でもあった)の業績や、生物学の研究から始まったオットーの建築は、日本の数寄屋建築のような感性から最も遠いところに存在する建築のように思う。わたしは彼のような建築家に憧れるものの一人である。そういった意味で、わたしは日本の建築に興味がないと言っているのだが、彼の建築は自然の研究から導き出された「自然な構造体」と言えるものなのである。オットー他の共著による『自然な構造体』の中で、オットーは、「・・・自然と闘うのではなく・・・自然に親しい技術・・・」を眼差すことを書いている。

しかし、オットーの言う技術が本当に自然に親しいものになるのか、その回答はここでは控えておきたい。もしかしたら、数寄屋建築の方が自然に親しいものと言えるかもしれないからである。ただ、わたしは、日本人の感性から最も遠い位置にいる建築家に敬意を払いたいし、彼の仕事を現在、改めて学習したいと思っている。

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by kurarc | 2020-01-20 20:27 | archives1984-1985