沖縄の建築家 仲座久雄の再評価

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沖縄時代の建築事務所の後輩にあたるO君から、また情報が届いた。護佐丸歴史資料図書館で、建築家、仲座久雄の展覧会が開催されている、という知らせである。

沖縄の建築を特徴付ける花ブロックと呼ばれる穴あきブロックを普及させた建築家として有名だったというが、その他、戦前、戦中、戦後の仲座の活動に焦点をあてた展示会ということである。

わたしも仲座のことは知らなかったが、O君が多くの資料も送付してくれたので、早速、にわか勉強をした。仲座は晩年、初代沖縄建築士会の会長という職につくが、沖縄において、戦前、戦中、戦後を通して活躍した近代建築家としての活動を知る上で特に注目されている。

戦前、仲座は大阪で建築を学び、その後、帰郷し、1936年、国宝建造物である首里城守礼門修理工事主任を務めている。この頃から、仲座は文化財保護活動を生涯にわたり続けることになる。

終戦後、米国海軍軍政府工務部で2×4(ツーバイフォー)材によるプレハブ応急住宅の設計に携わっている。また、建築会社AJで建築課長を務め、米軍工事に携わりながら、先端技術を習得することになる。

その後、独立してから、組積造による標準型校舎の設計、琉球大学本館では石造2階建の設計、琉球大学図書館ではRC造で建設するなど、沖縄の非木造建築物の推進に貢献している。こうした活動のなかで、1954年に設計された事務所兼自宅では、4面に花ブロック(現在の花ブロック事例、株式会社山内コンクリートブロックHPより借用)を配した外観の建築物を建設した。この花ブロックは仲座のデザインしたオリジナルなものであったようだ。

興味深いのは、この花ブロックの模様が、沖縄の伝統織物のかすり模様をヒントに図案化されたということ、つまり、近代建築に伝統工芸を取り入れたデザインが行われたということである。現在、仲座について、十分な研究はなされていないが、琉球大学の小倉暢之氏のものや法政大学の永瀬克己氏+武者英二氏他による論考がある。

コンクリートブロックの建築としては、たとえば、オーギュスト・ペレのル・ランシー ノートルダム教会堂やその影響によりデザインされた、アントニン・レーモンドの東京女子大学礼拝堂、講堂があるが、こうした建築、及び米軍での工事の影響など、仲座の花ブロックとがどのように関連しているかなどは今後の研究が待たれる。

*オーギュスト・ペレのル・ランシー ノートルダム教会堂のコンクリート部材をペレは「クロストラ」と呼んだという。「クロストラ」とは、ゴシック教会堂の石造トレーサリーの窓の中世における呼称に由来するものだという。(吉田鋼市著、『オーギュスト・ペレ』による)

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by kurarc | 2021-02-25 16:32 | architects(建築家たち)