奈良の大仏と銅

奈良の大仏と銅_b0074416_22081454.jpg

前回のブログで日本が世界一の産銅国であった時代があることを述べたが、銅といえば、古代において奈良の大仏が銅でつくられたことは周知の事実である。この銅はどこの銅が、どのように使用されたのか気になり、手元の書物で調べてみた。


結論から言えば、奈良の大仏の銅は、山口県の美東町(当時は長登と呼ばれた土地)の銅が使われた。古代の銅の産地は、秩父、山背(京都府)、備中(岡山県)、備後(広島県)、長門(山口県)、豊前(福岡県)ほかが知られていた。その中で、なぜ、長登(美東町)の銅が使われたのか?


長登(美東町)は、秋吉台国定公園の北東に位置する町である。秋吉台は石灰岩大地であり、長登(美東町)の銅には石灰分が多く含まれているという。石灰には粘性を低くする働きがあり、大仏を鋳造するときに型に流し込みやすい特性があるという。


さらに、長登(美東町)の銅にはヒ素が多く(約5%)含まれているという。ヒ素を含む銅は熔解温度が低くなり、銅を溶かすための燃料の節約になった。(通常より、約100度低い温度で熔解できた)


以上の2点の理由から、長登(美東町)の銅が奈良の大仏をつくるための銅として選定されたのだという。こうした銅の特性を当時の技術者は見分けられたということである。


ちなみに、奈良の大仏で古代のオリジナルな部分が残っているのは、腰から下の部分のみである。1692年、1567年に大仏殿が炎上し、焼け落ちた仏塔を新鋳している。


*以上、『古代日本の超技術』(志村忠夫著)より



by kurarc | 2021-07-16 22:12 | art(藝術)