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ブログ 長期休暇

ブログを当面(8月末くらいまで)お休みすることにします。いろいろとやらなければならないことが増えてきましたので、それが一旦落ち着いてから、また改めて再開しようと思います。

再開は9月からの予定です。

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# by kurarc | 2017-07-19 23:08

ヴィスコンティ 映画『若者のすべて』

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連休ということもあり、長い映画を観ることにした。多分、この映画を観るのは30年ぶりくらいになるかもしれない。長い映画は苦手なので、観る決心がつくまで一苦労する。およそ5時間というベルトリッチの映画『1900年』も大学生の時観たきりである。

最近、アラン・ドロンが引退したということもあり、この映画を観たくなった。イタリア南部出身の家族がミラノという大都市の生活の中でカタストロフィを迎えるという映画だが、およそ3時間、全く椅子から立ち上がることなく観ることができた。

ミラノの大聖堂の屋上からのシーンがちょど映画の中間に挿入されている。この映画の中で、空間を初めて感じられるシーンであり、以前観たときも強く印象に残っていた。

この家族がミラノの中で二度目に引っ越した集合住宅のプランが興味深い。中庭に面して、バルコニーが回遊しているが、そのバルコニーはお隣と何も敷居がないから、自由に行き来できる。日本では考えられないが、イタリアではよくあるプランなのかもしれない。映画の中で、このバルコニーで祝宴をあげるシーンがあるが、イタリアらしいシーンとなっている。

この映画で、のちに『シエルブールの雨傘』の主役を務めるニーノ・カステルヌオーヴォが一瞬登場しているのに気がついた。映画の主役は、何と言ってもアラン・ドロンといって良いだろう。彼は、この5人男兄弟の中で、聖人のような役割を演じているが、その役は彼の適役で、素晴らしい演技を見せてくれている。アラン・ドロンの引退は惜しまれるが、彼の映画はどれも彼がいるだけで輝いている。

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# by kurarc | 2017-07-17 18:13 | cinema

私淑

武蔵野美術大学で受講している島崎信先生の椅子の講義は、質の高い講義である。先生はすでに80も半ばというご高齢にもかかわらず、精力的な講義を聞かせていただいている。

講義自体ももちろん興味深いのだが、講義終了後、ムサビ内の食堂で有志とともにコーヒーブレイクも兼ねて雑談をしてくださる。講義に参加している25名ほどの中で、この雑談に参加するのは7〜8名であるが、この雑談の中で、先生の過去の体験など貴重なお話しを聞かせていただいている。

昨日、講義後の雑談の中で色々と興味深いお話を伺うことができたが、その一つ、デザイナーはデザインができるのは当たり前、そして、デザインは人と人との付き合いの中でできるものなのだから、そうしたデザインができなければならない、つまり、自分自身のデザインをしなさい、ということ。

そして、若いデザイナーにアドバイスした言葉に、「私淑しなさい」ということ。「私淑」とは、文学作家になりたいと思うのであれば、目標にすべき人物、例えば夏目漱石と定めたならば、その漱石の生涯をたどって、どうしてあのような偉大な作家になれたのか調べなさい、また、どのような挫折を味わったかについてまでも調べなさい、そして、その作家のようになることを30年後くらいに思い浮かべ努力しなさい、とのアドバイスをされていた。

わたしにはすでに時遅し、ということなのかもしれないが、逆にいうと、私淑できない人、何が目標かを定めることができないならば、その人はそれまでだ、ということだと思う。当たり前のことだが、目標を持ち、それに近づくべく努力するということはどのような分野の人間にも必要なことだということである。

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# by kurarc | 2017-07-16 14:14

トーネットの合板家具

ミヒャエル・トーネットは曲木の技術を確立させ、家具の工業化に成功したデザイナーであり、実業家である。わたしが天童木工から販売させていただいたガラステーブル(カテナリア)も、カテナリー曲線を使用するという構造的なコンセプトともう一つ、トーネットの曲木家具を曲板、つまり合板でつくる(合板に変換する)、という材料上のコンセプトから考えられたものであった。

しかし、武蔵野美術大学で受講している島崎信先生の家具のレクチャーの合間、島崎先生にガラステーブル(カタログで)を見ていただき、コンセプトなどについて説明させていただくと、

「トーネットは、最初、合板家具から出発しているのを知っていますか。」

と、言われ、我に返った。わたしのコンセプトの説明の仕方は間違っていたのである。つまり、以下のように正さなければならないということである。

「当初、トーネットは合板で家具をつくりはじめた。その時代のトーネットの思いを継承し、テーブルを考えてみました」

と、少なくともこの程度に正さないと的外れになってしまう、ということである。カテナリアは、しかし、トーネットの曲木家具から多くのインスピレーションを得たことは確かであるから、すべて間違いということにならないが、トーネットが合板家具から出発していたということを意識しなければいけなかったということである。

SD選書(鹿島出版会)の中にカール・マング著の『トーネット曲木家具』があり、わたしも読んだが、この本の最初に実はこの合板家具に関する記述がある。わたしはこの記述をすっかり忘れていただけだった、ということだが、無意識に残っていて、「合板によるトーネット」というコンセプトが生まれたのかもしれない。

*日本では多分大半の人は、曲木から合板へという流れによって、家具が進化してきたと思われていると思うが、それは逆で、合板から曲木という流れであったということである。変化は、接着剤や合板を有効に接着するための高周波機器が意外と新しい技術ということもあり、合板が新しい技術だと勘違いしているということだと思う。



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# by kurarc | 2017-07-15 21:59 | design

『ラテンアメリカ十大小説』(木村榮一著)を読む

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20世紀の間にやり残したことの一つは、ラテンアメリカの文学作品をあまり読んでいないことである。ボルヘスやコルタサルといった作家の短編をかじった程度。そもそも小説(特に長編小説)が苦手ということもあり、手を出さなかったが、今更ながら後悔している。そういう経緯もあり、木村氏の概説書を手に取った。

タイトルは十大小説となっているが、それだけではなく、70〜80くらいの小説を概説、案内してくれている。大学院時代にお世話になったM先生が、ボルヘジアン(ボルヘスの熱狂的なファン)であったこともあり、ボルヘスのみは特に注視していたが、コルタサルは、アントニオーニの映画『欲望』から興味を持った。

この本で特に興味深かったエピソードは、ガルシア=マルケスの祖母がスペインのガリシア地方の出身であり、マルケスの子どもの頃、ケルト系民話、神話(ガリシア地方はケルト民族の影響が大きい地域である)を話してきかせたということである。木村氏によれば、マルケスの祖母は、「死者や亡霊の出てくるぞっとするような話やきみ悪い話と現実にあったことをまったく区別せず、ふだんと変わりない口調で話した」。この話し方のスタイルが、後にあの『百年の孤独』という小説を生み出すヒントになったということである。この話から、改めてケルト民話(神話)とはいかなるものかについて興味が湧いてきた。

また、マヤ文明について、わたしは、マヤ自体もスペインに征服されたという先入観があったが、そうではなく、木村氏によれば、13世紀の頃、高度に構築された都市文明を捨てて、マヤ人たちは森へと住処を移動させたということである。つまり、現代の我々に照らし合わせてみれば、東京という大都市を捨てて、山奥の原始的生活(日本ではすでに不可能)に回帰したということらしい。それがなぜだったのか?興味は尽きない。

中南米の世界は、未だに古代から現代までの生活が生きており、アフリカの神話的世界(さらにインディオの世界)がユダヤ・キリスト教世界と対峙し、ユダヤ・キリスト教世界の時間概念とは異なる円環的時間と宇宙、現代では考えられないような魔術的世界(日本人が考えつかないような超現実)が体験可能であるということ、20世紀の中南米文学者はそのことにいち早く気づき、文学世界に昇華させたのである。

彼らの文学に触れない限り、20世紀は終わらない、ということなるのかもしれない。

*調べてみると、マヤも一部はやはりスペイン人に侵略されているようだ。木村氏の書き方は誤解を招く。




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# by kurarc | 2017-07-13 22:10 | books

映画『眠るパリ』とル・コルビュジェ「ヴォワザン計画」

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今橋映子さんの著書『<パリ写真>の世紀』(白水社)の中に、ルネ・クレール監督のサイレント映画『眠るパリ』(1923)とル・コルビュジェの「ヴォワザン計画」(1925)を対比するような文章があり、興味深く読ませていただいた。

コルビュジェがヴォワザン計画を策定したその時代のパリとはいかなる都市であったのか、ちょうどこの映画『眠るパリ』は、その同時代のパリの情景を捉えている。映画自体は、ある博士が発明した光線によって、パリが一時静止してしまう(眠る)という内容の映画だが、その静止が溶けると、パリの活気ある都市が息を吹き返す。

コルビュジェがヴォワザン計画をつくった意図がその情景を見ると理解できるのだ。当時、パリはすでに車で混乱し、いわゆる公害を発生させていた。コルビュジェはそうしたパリの中心(セーヌ右岸)を一掃し、超高層ビル街を計画。ビルとビルの間には緑を植え、パリに清らかな空気をもたらそうとした計画を発表することになる。

こうしたモダニズムの思考による計画の欠点(全てを無にすることから始めるという欠点)は明らかだが、コルビュジェにも、考えを方向付けた理由が存在したことは確かなのである。もし、現在、このような計画を再度実行しようと言い出したら、その建築家は時代錯誤と狂気の沙汰であると相手にされないだろうが、当時としても、こうした計画の意味することを熟慮したならば、愚かな計画であることは理解できたはずである。

それにしても、映画『眠るパリ』は貴重な映像である。特にエッフェル塔からの映像が、ルネ・クレールのアヴァンギャルドとしての感性を見事に表現している。

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# by kurarc | 2017-07-12 21:03 | architects

REMEDIOS(麗美)の音楽

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最近、岩井俊二監督の映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』を観たのだが、その音楽を担当しているのが、REMEDIOSさんである。わたしたちの世代は「麗美」の名での活動として記憶されている。

沖縄生まれということもあるのだろうし、父親がスペイン系フィリピン人ということもあるのかもしれないが、REMEDIOSさんは、日本人にはないテンションを持った音楽を創造する。岩井監督の映画音楽を随分と手がけているが、特に、映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の音楽は素晴らしい。

彼女の音楽を聴いていて、どこかで聴いたことのあるような音楽だな、と感じたが、それは、わたしが1990年代によく聴いたポルトガルのグループ、マドレデウスの音楽であることに気がついた。この映画の年代もちょうど1995年。マドレデウスの全盛期と重なる。わたしは彼らマドレデウスの音楽(音、ポルトガル語の音)に導かれてポルトガルに行ったようなものである。

REMEDIOSさんの中にラテンの血が流れていることからくるのか、わたしにはわからないが、REMEDIOS=救済を意味するスペイン語からもわかるように、彼女の音楽は、優しく、懐かしく、人の生の一瞬の輝きを表現したような爽やかさがある。

映画と音楽がこれほどしっくりくる作品は、日本映画では初めて体験したかもしれない。短い映画だけに余計にその美しさが凝縮されている。幻の映画と言われる所以がよく理解できた気がした。



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# by kurarc | 2017-07-10 20:01 | music

トランペット 基礎レッスン(第2回目)

東京フィルで活躍されているトランペット奏者の方による基礎レッスン第2回目。今日は、前回の復習をやったが、再度非常に基礎的な指摘をしていただき、参考になった。

それは、どういうことかというと、トランペットは、ピストンを押すと、管が長くなり、音が下がる、という構造を持っている。よって、ピストンを押して音を出すような場合は、何も押さないで音を出している時よりも、より多くの息を入れるような意識を持つことが必要、ということである。

この指摘は考えればごく当たり前のことなのだが、先生に言われて初めて気がついた。トランペットは、人差し指、人差し指と中指、人差し指と薬指、中指と薬指、人差し指と中指、薬指という組み合わせで音を出すが、つまり、指の数が多いほど音が出るまでの管の長さが長くなっているため、それだけ息を多く入れることが必要になる。それは実際はごくわずかのことだが、息の入れ方に対する意識を持つか、持たないかによって、音質に変化が出てくることは言うまでもない。

また、今日ピストンバルブの構造自体の違いを説明していただいた。わたしが使用するヤマハやベッソンのトランペットは、ピストンバルブとピストンバルブ自体の接続管は直管で結ばれているが、バックのトランペットは曲管で接続されている。この違いも大きいようだ。直管の場合は、曲管に比べ多少抵抗が増すので、その分、しっかりと息を入れることが必要とのこと。

こうしたトランペットの構造自体の違いによって、吹奏感、音色などに変化が生まれてくるのだろう。この辺りは今後の研究課題である。



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# by kurarc | 2017-07-09 16:00 | trumpet

「郊外論」の広がり

「郊外」という主題はすでに古いのだと思うが、色々な本を渉猟していると意外と奥が深いことがわかってきた。さらに、日本だけでなく、海外でも郊外についての考察が盛んであることもわかった。サティという作曲家がパリの郊外に住んでいたことをテーマにした書物や、そういえばエリック・ロメールの映画『満月の夜』の中でもパリとパリ郊外との往還を描いていたことに改めて気付かされる。

郊外論が興味深いのは、我々は無意識に中心というものを意識しているが、その中心に批判的な眼差しを向けるきっかけになるということである。わたしの住む地域であれば、中央線各駅が圧倒的な力を持つのだが、江戸時代に視線を移動させると、その中心は、甲州街道や青梅街道などに移動するし、古代に目を向けるのであれば府中といった都市が重要になってくる。中心は常に変動していることを郊外論が教えてくれるのである。

東京圏に限ってみても、20世紀は郊外を中心から周辺へと拡散していく時代であったと言える。そして、21世紀は、ポスト郊外の時代である。それは人口減少に伴う、郊外消滅の時代になるのか?、あるいは、郊外の過疎化になるのか?

大きな変化は、2050年くらいにならないと起こらないようにも思えるが、それは新しい働き方(新しい仕事、労働)と住まい方との関係によって決定されることは間違いなさそうである。

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# by kurarc | 2017-07-08 17:48 | books

3Dプリンター事始め

今日はファブスペース三鷹という施設で、3Dプリンターを初めて使用させてもらった。プリンターはUPBOXという3Dプリンターで、定価30万円程度のもののようだ。

プリントアウトしたのは、以前天童木工で販売させていただいた「カテナリア」というガラステーブルである。3Dデータを持参し、PCに取り込んでから、3Dプリンターにプリントアウトさせる。フィラメントが白なので、すべて白で出来上がったが、プリントアウトしてから、天板がガラス素材なので、天板まで3D化する必要はなかったことに気づく。プリントアウトにかかった時間は約90分。

スケールを1/10程度にしてプリントアウトしたが、この3Dプリンターはデータ通りにつくってくれるのではなく、3Dデータの中に小さな部品のようなものがあると、それを支えるような構造のものを勝手につくってしまうという特徴がある。よって、出来上がった時、そうした不要な部材が付加されていることになる。不要な部材は、簡単に取れる場合もあるが、くっついて取りづらいものもあり、結果として綺麗なモデルはできなかった。

今日は初めてということもあり、料金は取られなかったが、ある程度の大きさのものをつくらないと、不要な部材を取り外しにくくなることがわかった。家具のような場合、理想は1/5のスケールだろうが、その大きさにすると多分プリントアウトに4〜5時間くらいかかりそうである。(料金としては5000円以上かかることになる。)

やはり、問題は、プリントアウトの時間と、余計な部材の処理方法である。結論として、3Dプリンターはもう少しの進化が必要という感じだろうか。

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# by kurarc | 2017-07-07 17:21 | design


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