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by S.K.
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カテゴリ:music( 141 )

パリのマドレデウス

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ブラジル音楽を聴くと、必ず聴きたくなるのがマドレデウスの音楽である。ブラジルとポルトガルの音楽は陽と陰。いわば対となっているような関係で、どちらかだけでは満足できないのである。楽しい音楽の後は、少し物悲しい音楽が欲しくなる。

マドレデウスの『AINDA』というCDは、映画『リスボン物語』というヴェンダースの映画のサウンドトラック。映画の出来について、ヴェンダースもあまり気に入ってはいないらしいが、音楽の方はマドレデウスの音楽の頂点の頃の録音となっていて、ボーカルのテレーザ・サルゲイロの声が美しい。ヴェンダースはこの映画を撮影しながら、一方でミケランジェロ・アントニオーニの実質的な最後の映画『愛のめぐりあい』をアントニオーニを助けながら撮影していた。

この映画を初めて観たのはパリであった。ある大学の助手をやり、その初めての夏休みに11年ぶりにヨーロッパ(スペイン・ポルトガル・フランス・ベルギー)を旅することができ、パリに立ち寄った時に観た。1995年の夏のことである。その映画館がよかった。パリのどこだったのかうる覚えだが、映画が始まる前に、映画館の前で中年女性が映画のタイトルを叫ぶ。この映画の場合は、「リスボン・ストーリー」と英語で叫んでいた。映画館は街路から入るとすぐに映画館内になる。つまり、ホールのような空間がないのである。扉一枚で都市と映画館が連続しているのだ。

このCDの中に「MILAGRE 」という名曲がある。この曲は難解な詩の多いマドレデウスにしてはわかりやすい歌詞。この歌詞がわかればポルトガル語初級は卒業といった感じだろうか。

*マドレデウスは、世紀転換期に花開いた希少なポルトガルの音楽ユニットといってよい。以前にも書いたが、EUというインターナショナルな動きに対するナショナルな、かつポジティブな反応としてポルトガルで形作られた音楽ユニットとわたしは理解している。このような音楽を奏でるユニットはそれ以後来日することはなくなった。ポルトガルには音楽性の優れたミュージシャンが数多い。ポルトガルギター奏者であるリカルド・ロ(ホ)ーシャなど一流ミュージシャンの来日が待たれるが、日本のポルトガル大使館にはそうした意志、力を持ち合わせていないようだ。

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by kurarc | 2017-11-30 21:11 | music

二つの音のボサ・ノヴァ "CORCOVADO"

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ギタリスト鳩山薫さんによる『アントニオ・カルロス・ジョビン ボサ・ノヴァ名曲集』という名著(名譜面集)がある。ギターの譜面はいい加減なものが多いが、この11曲のジョビンのギター曲が収録された譜面集は、ジョビンの音楽の繊細なコード進行を再現してくれている。選択されたコードも的確であり、コードの流れも優れたギタリストならではの滑らかな進行を表現している。多くがジョアン・ジルベルトの名盤『ジョアン・ジルベルトの伝説』のコピー譜でもあり、ジョアン・ジルベルトのギターを学ぶための譜面集としても優れている。

この4、5年、トランペットの方へ意識が集中していて、長い間ギターを弾いていなかったのだが、最近、ギターのリハビリをはじめている。そのリハビリに選んだのが、鳩山薫さんによる『アントニオ・カルロス・ジョビン ボサ・ノヴァ名曲集』の"CORCOVADO"(コルコヴァード)や"平和な愛"という曲である。

コルコヴァードのメロディーは、二つの音の繰り返し。実にシンプルだ。最初は、「ミ」と「レ」。次に「ソ」と「ファ」。サビまでは2音の繰り返しが続く。しかし不思議なことだが、まったく貧しいメロディーという感じがしない。それは、サビに入り、思いがけない展開をするから、ということもあるが、ジョビンはワン・ノート・サンバといった曲でもわかるように、この曲も、最小限の音の選択で魅力的なボサ・ノヴァをつくろうとしたことは明らかだろう。

ギターとトランペットは構造の異なる楽器であるだけに、相補的で練習していて楽しい。この二つの楽器を同時にマスターすることがここ数年の大きな目標の一つである。



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by kurarc | 2017-11-23 20:59 | music

Dusan(デュージャン)のギター

デュージャン・ボグダノヴィチのギターリサイタルに行ったのは何年前だっただろう。久しぶりに彼のCDを聴き、その音楽の独創性と力に圧倒された。リサイタルは確かカザルスホールでの演奏会であった。多分26、27年前のことだったと思う。彼のCD『Worlds』というCDカバーに写っているサウンドホールが楕円形のギターを使用しての演奏会であった。

デュージャンは、ユーゴスラヴィアのギタリストである。彼は、フランス語でいう”LEVANT"、すなわちフランスから見たとき東方の国々、ギリシャ、ユーゴスラヴィア、ブルガリアといった自らのルーツとなる音楽を探求しながら、さらに遠くインドやアフリカの音楽(最近は中国、韓国、日本まで)までを視野に入れて、自らギター曲を作曲する作曲家であり、演奏家である。

彼の音楽は、民族音楽の探求を始め、クラッシック、ジャズに影響を受けながらも、それらどの領域にも属さないような境界の音のように聴こえる。日本には優れた演奏をするギタリストは数多くいるが、自ら演奏する曲を自らつくり発表していくようなギタリストはあまり思い浮かばない。彼の音楽は、大地にしっかりと足のついた音楽といったらよいのだろうか、ラジオからなんとなく流れてくる音楽とは一線を画す。音楽の研究者であり、実践者、その両者を兼ねた稀有なギタリストである。

ユーゴスラヴィアという土地のせいなのかどうかわからないが、落ち着いて静かに音楽の世界に浸れるのかもしれない。理知的なギター音楽、それがデュージャンの世界である。彼のCDは3枚持っているが、どれもm・aレコーディングズというレーベルの優れた録音による演奏を聴くことができる。ライナーノーツも付属していて、デュージャンによる曲の解説も充実している。最近、こうした優れた音楽を聴くことを怠っていた。”LEVANT"の世界にももう少し深入りしなければ・・・
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by kurarc | 2017-10-22 22:45 | music

ジョビン 『inédito』(イネーヂト)を聴く

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このCDをこのブログで取り上げたのは、ちょうど7年前になる。この季節に聴きたくなるCDなのかもしれない。

ジョビンの数多くのCDの中で1枚を選べ、と言われたらわたしは迷わずこのCDを推薦したい。もともとジョビンの還暦を祝ってプライベートで制作されたCDであったというが、そのクオリティーの高さに驚かされる。家族や知り合いのミュージシャンが何気なく集まってこうしたCDをつくってしまうというのは、驚かざるを得ない。

”inédito"とは、ポルトガル語で「未発表の」といった意味で、このタイトルには、ジョビンの優しい知性が感じられる。”inédito"にはもう一つ、「前代未聞の」と言う意味もある。つまり、未刊の作品の中には、その秘めた可能性が含まれているということなのだと思う。こうした意味の対照はポルトガル語らしい。一見、消極的に感じられる意味の中に、実は人には伝わりにくいが、ポジティブな意味が隠されているということである。

このCDの3曲目、わたしの大好きな曲”sabiá"(サビア)という曲の歌詞は、「戻ること」、「還ること」を歌う。人は「行くこと」、「進む」ことに積極的な意味を感じとると思うが、ここでは「戻ること」の意義を歌う。どこに戻るのか?それは歌詞の中にあるように、「自分のいるべき場所」へ戻ることだと。自分のいるべき場所にいないのなら、戻り、還ることをが必要だというのである。それは”voltar"というポルトガル、ブラジル人の好きな単語で表現されている。そしてこの曲では、”sabiá"(サビア)という小鳥のさえずる場所へ還ることが本来の自分の場所だと歌うのである。

”sabiá"(サビア)というポルトガル語は、ポルトガル語を知っているものには、もう一つの動詞を思い浮かべる。”saber"という動詞であり、”sabia" (アクセント記号がとれる)とは、この動詞の不完全過去形で、「(ずっと)知っていた」を意味する。ずっと以前から知っていた場所、すなわち、自分の場所に戻ること、をこの言葉の中に含ませているのかもしれない。

このCDにはすべて国安真奈さんの訳詞が付け加えられているのもよい。ジョビンの歌った世界の理解に役に立つ。それにしても、なんと優しい音楽なのだろう。


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by kurarc | 2017-10-18 19:49 | music

エンヤ 『Watermark』を聴く

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急に秋から冬のような季節に移った。鬱陶しい天気のとき、何か気を取り戻すような音楽はないかと、CDケースの中のCDを探す。

久しぶりにエンヤの『Watermark』を聴いてみる。ライナーノーツをみると、なんと30年前の音楽になることを知る。当初はクラナドというケルティック・ミュージックバンドで活躍、その後、トラディショナル・ミュージックとハイテクを結びつけたエンヤの音楽が生まれることになる。CDの半分がアイルランド語の歌詞であり、その翻訳がないので、歌詞の意味がわからない。名曲「オリノコ・フロウ」を含むこのCDはやはりいつ聴いても心地よい。

エンヤの音楽は、ケルティック・アンビエント・ミュージックという分類になるというが、その後、彼女の後継者のような存在は現れているのだろうか?あるいは、彼女は今どのような音楽をつくっているのだろう?

アイルランド語は全くわからない。音はラテン語を柔らかくしたような感じに聴こえるが、どうなのだろう?ケルト文化はすっかり日本文化の様々なシーンに浸透するようになったが、わたしもちゃんと学習したことはない。ポルトガルやスペインのガリシアなどケルト文化の影響を強く受けた地域には何か以前から惹きつけられてきた。久しぶりに、ケルトの現在を知りたくなってきた。

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by kurarc | 2017-10-16 20:11 | music

『ミュージック 「現代音楽」をつくった作曲家たち』を読む

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『ミュージック 「現代音楽」をつくった作曲家たち』(ハンス・ウルリッヒ・オブリスト著)は、現代音楽家たちのインタビュー集という体裁をとっている書物。ここで取り上がられた音楽家たちは、シュトックハウゼン、ブーレーズからクセナキス、スティーブ・ライヒ、アート・リンゼイ等々から、オノ・ヨーコ、カエターノ・ヴェローゾまでを含む。

わたしは、クセナキスとカエターノ・ヴェローゾが含まれていたこともあり、すぐに手に取った。現代音楽家たちの言葉を読みながら感じたことは、彼らは自らのやってきたことを新しい言葉で表現していることである。ブーレーズであれば、「ヴァーチャル・スコア」、クセナキスであれば、「ポリトープ」、「ディアトープ」、カエターノ・ヴェーローゾであれば「トロピカリズモ」等々。

クセナキスが命名した「ポリトープ」(数学用語でもある)は、語源的には「ポリ」=複数の、「トープ」=トポス(場所)を合成したものであり、建築的な言葉といってもよく、極めて興味深い。「ディアトープ」も、「dia」=分離、〜を通って、という意味の接頭辞から命名されたということであり、「ポリトープ」と意味は相似している。

何か新しいことに挑戦するものたちは、必ず新しい言葉をつくり出している(あるいは、見つけ出してくる)ということ。それは当たり前のこととも思えるが、つくり出された言葉から立ち上がる言葉の喚起力、創造力は生き生きとしていて、その言葉だけで脳が覚醒される思いがする。

この書物のインタービューの中で、カエターノ・ヴェローゾは、「音楽があなた(ヴェローゾ)を選んだ」と言っていて、自分で積極的に音楽をやるとは思っていなかった、と意外なことを告白している。彼の中心には哲学があって、それに音楽の方が近づき、外部へ導いてくれたということなのかもしれない。

「最も面白い人生は、自分以外の人生だ」という言葉があるというが、創造するものたちは、自己表現をしているものたちではなく、実は自分以外の人生を生きている人たちなのかもしれない。

*「最も面白い人生とは、自分以外の人生だ」という言葉と、わたしの好きな言葉、「生きるとは、他者になること」(フェルナンド・ペソア)とはどこか通じているが、ペソアの場合は、もう少し言葉に浮遊感があって、自由な解釈を許す感覚がある。

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by kurarc | 2017-10-04 19:11 | music

REMEDIOS(麗美)の音楽

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最近、岩井俊二監督の映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』を観たのだが、その音楽を担当しているのが、REMEDIOSさんである。わたしたちの世代は「麗美」の名での活動として記憶されている。

沖縄生まれということもあるのだろうし、父親がスペイン系フィリピン人ということもあるのかもしれないが、REMEDIOSさんは、日本人にはないテンションを持った音楽を創造する。岩井監督の映画音楽を随分と手がけているが、特に、映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の音楽は素晴らしい。

彼女の音楽を聴いていて、どこかで聴いたことのあるような音楽だな、と感じたが、それは、わたしが1990年代によく聴いたポルトガルのグループ、マドレデウスの音楽であることに気がついた。この映画の年代もちょうど1995年。マドレデウスの全盛期と重なる。わたしは彼らマドレデウスの音楽(音、ポルトガル語の音)に導かれてポルトガルに行ったようなものである。

REMEDIOSさんの中にラテンの血が流れていることからくるのか、わたしにはわからないが、REMEDIOS=救済を意味するスペイン語からもわかるように、彼女の音楽は、優しく、懐かしく、人の生の一瞬の輝きを表現したような爽やかさがある。

映画と音楽がこれほどしっくりくる作品は、日本映画では初めて体験したかもしれない。短い映画だけに余計にその美しさが凝縮されている。幻の映画と言われる所以がよく理解できた気がした。



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by kurarc | 2017-07-10 20:01 | music

Electioneering

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レディオヘッドの”OKコンピューター(20周年記念盤)”を相変わらず聴いている。ちょうど選挙運動が始まったが、このCDの中に"Electioneering"(選挙運動)という曲が入っている。選挙運動を皮肉った曲だ。政治が最も哀れに思える時期がこの選挙運動中である。「都民ファーストの会の・・・」と盛んに叫ぶ無能な(有能な)人たちが溢れ出している。

レディオヘッドのOKコンピューターの中の曲の英単語、フレーズは示唆に富む。過激な詩ばかりなのだが、彼らは、この過激な詩を我々に届けるために音楽(音)に細心の注意を払っている。そのことにある意味で騙される訳だが、表現とはそもそもそのようなものだろう。ダ・ヴィンチも過激すぎてクライアントを随分と失ってしまった。逆に、ミケランジェロは過激な教皇というクライアントから逃げまとった。

彼らの英語の詩を眺めていて、今回特に気になったのは、"Floor collapses"という英語。"Let Down"という曲の中に現れる。訳者の今井スミさんはこれを「崩壊する床」と訳しているが、今井さんの訳(OKコンピュータすべての詩の訳)には感心する。これを、単に「壊れた床」などと訳しては現代という時代に響かない。「崩壊する床」と聞くと、9.11を頭に思いを描いてしまうが、この曲が書かれたのは、9.11以前のこと。彼らの詩は予言に満ちている。繰り返すが、ここで彼らの音楽は、過激な手紙を綺麗に包み込む封筒なのである。(ショパンのたとえで有名な、「花束の中の大砲」大砲=詩、花束=音楽のようなCDということである。)


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by kurarc | 2017-06-29 23:42 | music

ヨーヨー・マのバッハ 無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調

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『台北ストーリー』(エドワード・ヤン監督)という映画の冒頭で、ヨーヨー・マの無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調プレリュードが流れていくる。ホウ・シャオシェン監督が主演している貴重な映画だが、この映画の内容を象徴するようなヨーヨー・マの1982年録音のこの曲を知ることができただけでこの映画を見る価値があった。

ヨーヨー・マの演奏は、幸運にもリスボン滞在時に聴くことができた。プログラムはピアソラの曲を中心にしたものだったと思う。リスボン滞在中に様々なコンサートに行けたのも、日本ほど料金が高くないからである。日本では高額でなかなかいくのに躊躇するプラシド・ドミンゴやカエターノ・ヴェローゾなど多くのミュージシャンのコンサートを体験できた。ヨーヨー・マの演奏で印象的だったのは、その姿がヨーロッパ人に愛されていると思われたことである。東洋人は若く見えるのだと思うが、彼が会場に入って来ると笑い声が溢れたのが印象的だった。

ヨーヨー・マの無伴奏チェロ組曲の演奏はどの曲も素晴らしいが、わたしにとっては第2番プレリュードが頭の中に残って離れない。第2番はバッハの「懊悩」の露呈、とライナーノーツに書かれているが、この曲は今この時にふさわしい曲のように思った。ジュリアン・ブリームのギターによるバッハの次に、わたしのバッハのリストの中に留めたい一枚である。

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by kurarc | 2017-06-13 20:36 | music

サンディ・ラム 『野花』

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サンディ・ラム のCD『野花』を久しぶりに聴く。1990年代の初期、彼女の歌が日本でよく流れた。もう25年以上も前のことになる。曲のタイトルに漢字が並ぶのが新鮮だったことをよく記憶している。

当時わたしは自由が丘に住んでいて、そこから建築事務所に通った。深夜に帰宅すると、彼女のCDをかける。彼女のCDをかけながら眠りにつくこともよくあった。疲れていたのだろう。彼女の歌声から随分癒しをもらった。

この5、6年は聴いていなかったと思うが、久しぶりに聴いて、やはり声の優しさに驚く。東洋人の女性の声は西洋人のそれとは異なるのだろうか?ミルバを聴いた後だっただけに余計そのように感じたのかもしれない。彼女の声には多くの倍音が含まれているように感じられる。ミルバは例外だが、わたしは結局、優しい声の女性の歌声が好みのようだ。

1990年前後に都市触覚シリーズと題されたCDを何枚も発表していて、ほとんど持っていたが、いくら探しても見つからない。いつのまにか処分してしまったのかもしれない。香港育ちの彼女が興味深いのは、日本人と同じように西洋文化の影響のもとで音楽をつくっている点である。彼女の音楽は伝統と西洋、その二つが対等に並列されている。

現在、復帰したというが、その後どのような音楽をつくっているかわからない。日本に来ることがあれば、一度ライブを聴いてみたいものである。

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by kurarc | 2017-05-06 16:33 | music


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