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by S.K.
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カテゴリ:music( 135 )

REMEDIOS(麗美)の音楽

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最近、岩井俊二監督の映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』を観たのだが、その音楽を担当しているのが、REMEDIOSさんである。わたしたちの世代は「麗美」の名での活動として記憶されている。

沖縄生まれということもあるのだろうし、父親がスペイン系フィリピン人ということもあるのかもしれないが、REMEDIOSさんは、日本人にはないテンションを持った音楽を創造する。岩井監督の映画音楽を随分と手がけているが、特に、映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の音楽は素晴らしい。

彼女の音楽を聴いていて、どこかで聴いたことのあるような音楽だな、と感じたが、それは、わたしが1990年代によく聴いたポルトガルのグループ、マドレデウスの音楽であることに気がついた。この映画の年代もちょうど1995年。マドレデウスの全盛期と重なる。わたしは彼らマドレデウスの音楽(音、ポルトガル語の音)に導かれてポルトガルに行ったようなものである。

REMEDIOSさんの中にラテンの血が流れていることからくるのか、わたしにはわからないが、REMEDIOS=救済を意味するスペイン語からもわかるように、彼女の音楽は、優しく、懐かしく、人の生の一瞬の輝きを表現したような爽やかさがある。

映画と音楽がこれほどしっくりくる作品は、日本映画では初めて体験したかもしれない。短い映画だけに余計にその美しさが凝縮されている。幻の映画と言われる所以がよく理解できた気がした。



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by kurarc | 2017-07-10 20:01 | music

Electioneering

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レディオヘッドの”OKコンピューター(20周年記念盤)”を相変わらず聴いている。ちょうど選挙運動が始まったが、このCDの中に"Electioneering"(選挙運動)という曲が入っている。選挙運動を皮肉った曲だ。政治が最も哀れに思える時期がこの選挙運動中である。「都民ファーストの会の・・・」と盛んに叫ぶ無能な(有能な)人たちが溢れ出している。

レディオヘッドのOKコンピューターの中の曲の英単語、フレーズは示唆に富む。過激な詩ばかりなのだが、彼らは、この過激な詩を我々に届けるために音楽(音)に細心の注意を払っている。そのことにある意味で騙される訳だが、表現とはそもそもそのようなものだろう。ダ・ヴィンチも過激すぎてクライアントを随分と失ってしまった。逆に、ミケランジェロは過激な教皇というクライアントから逃げまとった。

彼らの英語の詩を眺めていて、今回特に気になったのは、"Floor collapses"という英語。"Let Down"という曲の中に現れる。訳者の今井スミさんはこれを「崩壊する床」と訳しているが、今井さんの訳(OKコンピュータすべての詩の訳)には感心する。これを、単に「壊れた床」などと訳しては現代という時代に響かない。「崩壊する床」と聞くと、9.11を頭に思いを描いてしまうが、この曲が書かれたのは、9.11以前のこと。彼らの詩は予言に満ちている。繰り返すが、ここで彼らの音楽は、過激な手紙を綺麗に包み込む封筒なのである。(ショパンのたとえで有名な、「花束の中の大砲」大砲=詩、花束=音楽のようなCDということである。)


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by kurarc | 2017-06-29 23:42 | music

ヨーヨー・マのバッハ 無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調

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『台北ストーリー』(エドワード・ヤン監督)という映画の冒頭で、ヨーヨー・マの無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調プレリュードが流れていくる。ホウ・シャオシェン監督が主演している貴重な映画だが、この映画の内容を象徴するようなヨーヨー・マの1982年録音のこの曲を知ることができただけでこの映画を見る価値があった。

ヨーヨー・マの演奏は、幸運にもリスボン滞在時に聴くことができた。プログラムはピアソラの曲を中心にしたものだったと思う。リスボン滞在中に様々なコンサートに行けたのも、日本ほど料金が高くないからである。日本では高額でなかなかいくのに躊躇するプラシド・ドミンゴやカエターノ・ヴェローゾなど多くのミュージシャンのコンサートを体験できた。ヨーヨー・マの演奏で印象的だったのは、その姿がヨーロッパ人に愛されていると思われたことである。東洋人は若く見えるのだと思うが、彼が会場に入って来ると笑い声が溢れたのが印象的だった。

ヨーヨー・マの無伴奏チェロ組曲の演奏はどの曲も素晴らしいが、わたしにとっては第2番プレリュードが頭の中に残って離れない。第2番はバッハの「懊悩」の露呈、とライナーノーツに書かれているが、この曲は今この時にふさわしい曲のように思った。ジュリアン・ブリームのギターによるバッハの次に、わたしのバッハのリストの中に留めたい一枚である。

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by kurarc | 2017-06-13 20:36 | music

サンディ・ラム 『野花』

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サンディ・ラム のCD『野花』を久しぶりに聴く。1990年代の初期、彼女の歌が日本でよく流れた。もう25年以上も前のことになる。曲のタイトルに漢字が並ぶのが新鮮だったことをよく記憶している。

当時わたしは自由が丘に住んでいて、そこから建築事務所に通った。深夜に帰宅すると、彼女のCDをかける。彼女のCDをかけながら眠りにつくこともよくあった。疲れていたのだろう。彼女の歌声から随分癒しをもらった。

この5、6年は聴いていなかったと思うが、久しぶりに聴いて、やはり声の優しさに驚く。東洋人の女性の声は西洋人のそれとは異なるのだろうか?ミルバを聴いた後だっただけに余計そのように感じたのかもしれない。彼女の声には多くの倍音が含まれているように感じられる。ミルバは例外だが、わたしは結局、優しい声の女性の歌声が好みのようだ。

1990年前後に都市触覚シリーズと題されたCDを何枚も発表していて、ほとんど持っていたが、いくら探しても見つからない。いつのまにか処分してしまったのかもしれない。香港育ちの彼女が興味深いのは、日本人と同じように西洋文化の影響のもとで音楽をつくっている点である。彼女の音楽は伝統と西洋、その二つが対等に並列されている。

現在、復帰したというが、その後どのような音楽をつくっているかわからない。日本に来ることがあれば、一度ライブを聴いてみたいものである。

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by kurarc | 2017-05-06 16:33 | music

レディオヘッド『OK COMPUTER』20周年

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UKロックグループ、レディオヘッドの『OK COMPUTER』が20周年を迎えたという。

このCDはポルトガル滞在中、毎日のように聴いていたCDである。リスボンで知り合ったミュージシャンのデービスと一緒にレコード店へ行き、彼の勧めてくれたCDの中にこのレディオヘッドが含まれていた。その後私はこのCDと『the bends』を毎日聴くことになる。

それは、リスボンというラテン世界周辺の都市にいて、ロンドンから発信されるレディオヘッドの音楽が妙に新鮮に聴こえてきたのである。ラテン世界はもちろん素晴らしい世界なのだが、ロンドンのようなある意味で狂気をもった都市の音楽が、ラテン世界にテンションを与えてくれた。

7月にイスラエルでレディオヘッドの公演が予定されていることで、尖った音楽家たちは色々騒がしい状況になっているらしい。パレスチナ人を大っぴらに差別している国で演奏を行うべきではない、というのがその主張の中心。レデォオヘッドの方はその後、公演を中止するといった回答もなく、このまま行けば、イスラエルでの公演が実現することになりそうだ。

もしそういうことになれば、レディオヘッドの面々は、何か企みがあるのではないか?わたしにはそのように思えてならない。彼らに企みがないはずはない。

*クリストファー・オライリーというクラシックのピアニストが彼らの曲をカヴァーしているが、できれば彼らの曲を吹奏楽で演奏できないか。誰か編曲してくれるといいのだが。

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by kurarc | 2017-05-03 20:16 | music

ギター音楽へ

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ラルフ・タウナーやアサド兄弟のギター音楽を久しぶりに聴いた。ラルフ・タウナーの方は『Time Line』、アサド兄弟の方は映画音楽『夏の庭』である。両方とも、楽譜を持っていることもあり、楽譜を見ながら鑑賞する。

この二人(正確には三人)のギタリストは特に好きで、タウナーのこのCDについては、11年前のブログで取り上げた。アサド兄弟についても、何回か書いている。タウナーの方はすべての曲が採譜されている譜面ではないので、採譜されているものを中心に聴く。また、自分でも演奏できそうなものを特に重点的に聴いてみる。

彼らの音楽は繊細で、ラジオから日々流れてくるような音楽とは一線を画しているが、今回、タウナーの演奏を聴いてみると、そのリズムの揺れの大きさに驚かされた。彼の演奏は、まったく楽譜通りのリズムで演奏しているものは皆無である。タウナーのギターは、人を大きく揺さぶる。つまり、鑑賞者は、タウナーという大きな船の上にいて、その揺れに身をまかせている感じなのである。

アサド兄弟の方は意外にも、楽譜にかなり忠実に演奏している。それでも二重奏が大半であるから、二人の息の微妙なズレがタウナーの揺れのように音楽を揺さぶることになる。

最近は、ほとんどギターを手にしていなかったが、爪も少しずつ伸ばし始めた。ギターは爪の手入れが厄介である。ただ、彼らの曲をギターで弾いたら、何か音楽の深さが少しでもつかめそうな気がするから、また一から練習してみようと思っている。
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by kurarc | 2017-03-29 23:13 | music

パット・メセニー音楽のブラス・バージョンへの期待

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月に1度、トランペットを学んでいる先生の属するオーケストラの音楽を聴く機会があった。ブラジル音楽をトランペットやアルトサックスといった管楽器と、ギター、ベース、パーカッションの編成で演奏するオーケストラである。その中で、パット・メセニーがちょうど30年前に発表した名盤『STILL life(talking)』の中の曲”(IT'S JUST) TALK"のブラスヴァージョンを聴くことができたのだが、これが非常によかったのである。

パット・メセニーは、このCDを発表した1987年以前、ECMから『FIRST CIRCLE』というアルバムを発表しているが、CD全体のできは統一感がなく、中途半端な仕上がりとなっていた。ただ、”THE FIRST CIRCLE "という曲で、声を大胆に曲の中に取り入れる『STILL life(talking)』につながるような曲のイメージをつかんでいたように思う。中南米音楽、特にブラジル音楽のとの接近である。

その手がかりをもとに、『STILL life(talking)』ではバンドの音楽というフレームから抜け出し、サウンドスケープと言えるような風景、環境のようなものを音楽に結実させたのである。1曲目のタイトル”MINUANO(68)"が直接示すように、冬の季節風を意味するブラジル・ポルトガル語を使い、ブラジル音楽との関係を明確に表現しようとした。

このCDを聴いて、以前のCDとの大きな違いはドラムの音が繊細になり、むしろパーカッションの一部と扱われたことであろう。無造作な8ビートの曲などはもちろん含まれない。ドラムの音は軽くなり、リズムの波は穏やかに変化した。改めてこのCDを聴き返すと、全体のコンセプトのようなものがはっきりと感じられて、名盤であることがわかる。このCDによって、新しいパットの音楽が旅立った記念すべき1枚となっている。

そして、彼の音楽のブラス化に今後も期待したい。作曲家たちは、アニメソングだの、歌謡曲をブラスバンド用に編曲することはよくやるのに、パットの音楽をなぜ用いないのだろう?

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by kurarc | 2017-03-11 11:33 | music

Biel(ビェル) 白へのオマージュ

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アナ・マリア・ヨペクと小曽根真とのCD『俳句』を購入した。今まで、アナのCDにはポーランド語の日本訳が掲載されていなかったが、このCDには幸い、日本語訳が掲載されている。もっと早く気づけばよかったのだが、今まで彼女が歌うポーランド語の意味を知りたくて仕方がなかった。

このCDの中の5曲目に入っている「Biel」(白の意)は、大好きな曲であった。あった、と書いたのは、パット・メセニーとつくったCD『UTOJENIE』の中の3曲目にも入っていて、以前からよく聴いていたからである。

この曲は、パット・メセニーのためにつくったと、作詞作曲者のマルチン・クドリンスキが『俳句』のライナーノーツに書いている。さらに興味深いことは、この曲の詩を「和泉式部の和歌からインスピレーションを受けて書いた」ということである。

待つ人の 今も来たらば いかがせむ 踏むまま惜しき 庭の雪かな

という和歌であるという。庭に積もった雪の美しさを詠んだ和歌だが、この曲では、その雪の白い色の美しさ、世界の初源としての色を讃えている。そうした内容の詩であることを知ると、いっそうこの曲が好きになった。

この曲を鑑賞するのにふさわしく、ちょうど白い季節が訪れようとしている。

*ちなみに、作詞作曲者のマルチン・クドリンスキは、アナの夫であるという。主に、彼女のプロデュサーを担っているようだ。

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by kurarc | 2017-01-13 22:04 | music

”Rua Dos Remedios”  ポルトガルのボサノヴァ

アナ・マリア・ヨペクの音楽を相変わらず楽しんでいる。彼女のリスボン(ポルトガル)を主題にした『SOBREMESA』(日本語で、デザートの意)は、なかなかよい出来のCDである。

以前にもこのブログで取り上げたCDの1曲目 ”Rua Dos Remedios” のアレンジが最近特に気になっている。このアレンジの何が気になるのかというと、「ポルトガルのボサノヴァ」と言える曲に仕上がっていると思えることである。

この曲は6拍子だが、これを4拍のギターのストロークで均一に分割している。ブラジルのボサノヴァにみられるシンコペーションのリズムではなく、均質な、plainなリズムで曲を分割している。そのアレンジがポルトガルらしいボサノヴァを形づくっていると思えるのである。

均質に分割しているからといって、そこにシンコペーションを感じられないかというとそうではない。6拍子と4分割というズレが独特のシンコペーションを感じさせてくれる。よって、均質なリズムでありながら退屈しない。

ポルトガルの音楽は、保守的なものが多いが、アナはそうした慣習に新しい風を吹き込むことに見事に成功したといってよいだろう。

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by kurarc | 2017-01-08 21:06 | music

長田弘とボブ・ディラン

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テレビでボブ・ディランの特集をやっている。わたしはボブ・ディランに薫陶を受けた世代ではない。彼の曲を聴くと、歌詞は確かに優れているが、曲はどうだろう?

わたしが頼りにする20世紀のバイブル『私の20世紀書店』(長田弘著)には、ボブ・ディランに関係する章があった。「iDEATH」というタイトルの章である。

長田はここで、直接ディランを語るのではなく、ディランの友人でシンガー・ソングライターであったフィル・オクスを取り上げている。1963年、オクスとディランは雑誌「ブロードサイド」を編集。名曲「風に吹かれて」はそこからはじまったのだという。しかし、彼らはたえず衝突。プロテスト・ソングの正道をいくオクスをディランは批判していたのだという。オクスのテーマは常に「政治」だったからである。しかし、そのオクスが独房に入れられるや、ディランはオクスのためのバラード「ハリケーン」を歌うことになる。

長田によれば、1960年代のアメリカは死(自死、変死)の時代であった。ヘミングウェイの自殺、モンローの死、ケネディの死、キング牧師の暗殺などあげれば切りがない。

こうした時代の後に、詩人のアレン・ギンズバークはディランの『欲望』に、「キープ・オン・ワーキング!」(やりつづけること!)という言葉をよせたと言う。長田は、「日々の生きるという手仕事」を「やりつづけること」と解釈している。

長田のこうしたディランの理解の仕方はなんとエレガントなのだろう。

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by kurarc | 2016-12-10 22:10 | music


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