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カテゴリ:architects( 71 )

永田音響設計のメールマガジン

永田音響設計のメールマガジンを利用させていただくことにした。メールマガジンの類は様々だが、永田音響設計のメールマガジン(NEWS)は、音響設計の現在の状況を的確につかむことができる優れたメールマガジンである。

著名なホールの音響設計の全ては永田音響設計の仕事である場合が多い。それも、日本に限らず、世界を舞台としている。わたしも音楽に強い関心があるため、音響設計に関わる仕事をしてみたいと常々思っているが、実現したのは藤沢での住宅のみである。

音響設計は、現在、コンピュターにより解析されると思うが、その道の方に聞くと、それだけでは分析できない様々な困難があるとのこと。つまり、計算だけで優れた音響は実現できないということらしい。そうした科学では割り切れない部分に非常に興味がある。

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by kurarc | 2017-04-27 15:54 | architects

建築家 ルシアン・クロール

建築家のルシアン・クロール氏(1927ー)は、現在どのような仕事をしているのだろう、と最近頭に閃いた。インターネットでたまたま彼の名が登場して気になり始めたのである。『サスティナブルな未来をデザインする知恵』(服部圭郎著)の中に、彼のインタービューが掲載されているということで、早速手に取った。

実は、28年ほど前、大学院生だったわたしは、ルシアン・クロール夫妻を他の大学院生らと共に東京を案内したことがある。研究室のF先生からの「命令」で、ルシアン・クロールさんが東京のスラム街に興味を持っているようだから、山谷の街に案内するようにとのことであった。わたしは前日に英文を準備して、クロールさんに拙い英語で案内をするはめになったのである。知的で、冷静沈着な物腰のクロールさんと、明るい奥様が対照的だったのが印象的であった。案内の最後の集合場所だったホテルに着いた時に、クロールさんはコーヒーでなく、オレンジジュースを頼んだのも印象に残っている。

インタビュー記事を読むと、その過激な言動には驚いてしまう。昨今の雑誌を賑わすような建築に異議を唱えているからである。彼は、「コンセプト」や「方法論」といった「普通の」建築家たちが好んで使う言葉に嫌悪を示す。(つまり、それは、現在の日本の建築学科の大学教育そのものを批判していることになる)それが、まさに彼の「コンセプト」なのだが、建築家たちが一方的にデザインをして建築を建設するのではなく、住民参加を原則として、建築環境を一つ一つつくりあげていくという方法を模索している。

わたしは、クロールさんにお会いした時、既にクロールさんのルーバン・カトリック大学(ベルギー)の仕事を見学していたので、生意気にもクロールさんに「あなたの仕事は難解で理解できなかった」といったような会話をした記憶があるが、その時のクロールさんの「なぜだ?」といった表情が今でも忘れられない。

わたしも建築をつくる時にはなるべくクライアントの方々のやりたいことに耳を傾けるようにしている。それを手掛かりとして、わたしとの応答の中から形を見出していく。クロールさんのようにラディカルにはできないが、一つ一つ異なる建築をつくっている背景には、彼との出会いが大きいのかもしれない。

ルシアン・クロールさんは、今年で90歳になる。きっと、今でも元気に建築に取り組んでいることだろう。
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by kurarc | 2017-04-01 20:12 | architects

大きい建築 小さい建築

かつて「住宅は藝術である」といった建築家がいた。建築の基本は住宅であることに変わりはないが、住宅が建築において最も重要な領域を占める、といった神話をつくることは間違いである。

住宅と言う「小さい建築」と都市の中の再開発で建設され出現するような「大きな建築」は、同じ建築でも、全く異なる領域なのである。これら二つを比べて、どちらが優れているかとか、どちらに価値があるのかといったことを比較することはそもそもできない。

わたしは、およそ4年の間、「大きな建築」に関わるようになって、その意義がおぼろげながらわかるようになった。個人を主に対象とする住宅「小さな建築」と、不特定多数の人々の使用を対象とする建築「大きな建築」、あるいは、「都市の建築」は、制度、法規、予算、建設形態、建築技術、労働者の労働条件、施工者の組織、設計者の思考など様々な領域で全く異なる発想から建設される。

詳しく述べると切りがないが、わたしはむしろ「小さい建築」派だった人間であり、「大きな建築」を全く気にかけなかったが、それは、間違いであったことがわかった。少なくとも、これら二つの領域を横断する建築全体の流動域を常に注視することが重要なのである。

単純にいってしまえば、すべての建築領域に眼差しを向けることが重要であり、その中からしか新しい建築は生まれないのだと思う。主に住宅しか設計しないような建築家であっても、CFTだのフラットスラブだのCRM等々といった建築技術をすぐに頭の中に思い描けることが重要である。

何の領域でも同じかもしれないが、見るものと見ないものとを自分で決めてはダメだ、ということである。

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by kurarc | 2017-01-26 23:50 | architects

一橋大学の「怪物」たち

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今日は、地元の建築家グループの見学会に参加。見学対象は、一橋大学や国立の街についてである。

一橋大学内に入るのは、わたしが高校生の頃、学園祭に訪れて以来のことになると思う。伊東忠太設計の兼松講堂がその中心に位置するが、実は正面に見えるのは時計塔をもつ付属図書館であることに初めて気がついた。こちらの設計は伊東ではなく、中根まがきである。

建築史家の藤森照信氏によって、「怪物の棲む講堂」と名付けられた兼松講堂は、内部の見学はできなかったが、そのロマネスク様式を模した外観を鑑賞した。スクラッチタイルの土色の外観、三連アーチのポーチと柱頭に彫刻された「怪物」たち(上写真)に目が留まる。

藤森氏によれば、大学の起源は、中世修道院にあり、その当時の様式はロマネスクであったから、伊東は、その起源の様式をこの一橋に選んだのではないか?と推測している。手の込んだ建築であり、当時の職人たちの技術の高さを思い知らされる講堂である。

しかし、一橋大学は一つ、大きな間違いを犯している。それは、伊東の方針で進めたロマネスク様式を、新しく建設された建築にまで敷衍し、近代建築にロマネスクの装飾をかぶせてしまった建築を数多く建設していることである。素材感を踏襲するのはよいにしても、現代においてその様式、装飾まで踏襲する必然性はなかったはずである。大学理事会のセンスが疑われる事象であろう。

それにしても、1920年代から30年代にかけて建設されたロマネスク様式の大学内の建築は落ち着きがあり、好感がもてた。伊東の建築の中では、わたしは最も好きな建築かもしれない。モダニズム建築の全盛期にこうした建築が建設されたことにどのような意義があるのかは、また別の問題であるが・・・



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by kurarc | 2017-01-21 22:05 | architects

旧山邑邸 空間と装飾

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15年ぶりになるだろうか、芦屋の旧山邑邸を見学してきた。以前見学したときより、この住宅がより優れた建築に思えてきた。1階のエントランスから、2階へと上昇する階段は、なにか吸い込まれるような身体感覚を覚え、気がつくと2階へ導かれているのである。これは、余裕をもった階段のつくりと、自然な螺旋状の階段とが人間の動きを誘発しているからだろうか?

この建築をみたときに、普通はその装飾に目がいってしまうが、この建築の本質はそのようなところにはない。まずはしっかりとした空間構成とプラン、断面がこの建築の骨格をかたちづくっている。装飾はそのような骨格に飾られた化粧のようなものだろう。

何百枚という建具にまず驚かされる。そのどれもが機能的であり、かつ、装飾的であることにも驚かされる。機能と装飾が渾然と結びついている。さらに、どこをみてもデザインが行き届いている。手を抜いたような箇所はどこにも見当たらない。実施設計を担当した遠藤新と南信(まこと)の力量にもよるのだろうが、この設計図を描いていた時、彼らは本当に楽しかったはずである。もちろん、収まりに苦心した箇所は数千を超えるだろうが、それも楽しんだはずである。

この建築は、現在、3回〜4回の大規模なメンテナンスが施されている。この建築をこれまで修繕してきた職人たちの手仕事にも敬意を表したい。そして、この建築を保存することに同意した淀川製鋼所の当時の井上社長の英断にも。
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by kurarc | 2016-10-02 22:39 | architects

吉田鉄郎設計 東京中央郵便局の1階階高について

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東京駅が復原され、東京駅の丸の内口の建築群が整備されるにつけ、部分的に保存活用されるように到った吉田鉄郎設計の東京中央郵便局の建築がこの駅前において光り輝いている。

わたしにとっては復原された東京駅よりも、その向かいに建つ吉田の白いモダニズム建築の方に目がいってしまう。この「何気ない建築」の特異性が、東京駅復原によって、あるいは、周辺の建築が整備されるにつけ、逆照射されているのである。

その特異性を正確につかむことが必要であろうと、この建築について再度、詳しく調べたいと思っている。ブルーノ・タウトがこの建築を評価したのは、タウトがこの建築に日本の近代建築をみたことにもよるが、タウトはもしかしたら吉田の建築に「都市の建築」を直感したからではなかったか?

その一つのヒントが、この建築の1階階高である。戦前、1930年代の建築にこれだけの高い階高を設定した吉田の思考はいかなる理由からだったのだろうか、と思うのである。そして、その階高のおかげで、全く遜色なく現代の建築に溶け込むことになったのだから。吉田はきっと、現在のように佇む建築の姿を達観していたのかもしれない。

もちろん、これだけではない。この建築の特異性をいまだに誰も気づいていないのかもしれないのである。
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by kurarc | 2016-06-21 00:08 | architects

岸和郎講演会 「京都に還る_home away from home」

今年度で京都大学教授を退任するという建築家、岸和郎氏の講演会を先週末に聴講した。講演は、今まで実現した仕事のスライドを写しながらそのときに思考したことについて淡々と語っていく内容で、難しいことも特に口にすることもなく、大変わかりやすい講演であった。概して、建築家は小難しいことを語るクセのある人種だが、そうした気配はまったく感じられず、あるいは意識的にそのようにしたのだと思うが、岸氏の建築設計への心構えの輪郭が浮かび上がる内容であった。

以前、京都を訪ねたときに見学した岸氏の大徳寺に隣接した仕事「紫野和久傳」が、彼に京都という歴史的背景のある都市を意識させたのだという。そうした経験から、岸氏は大きく都市の文脈(コンテクスト)に素直に対応する柔軟な建築のつくりかたを完成させていったように感じられた。

岸氏の建築は一見、モダニズム建築と言えるものであり、清潔な線をもつ建築が多いが、その建築には、彼が世界中の旅で経験し、消化された様々なテクストの統合された姿であることもよく理解できた。(それが彼の著書のタイトルにもなっている『重奏する建築』なのだろう。)

岸氏の優れた点は、そうした様々な文脈を整理し、完成度の高い建築にまとめあげる能力にあると思う。彼のつくる建築はどれもある水準を超えるものばかりであり、駄作といわれるようなものは見当たらない。

正直、わたしは講演会の内容があまりにも素直すぎて、物足りなさを感じたのだが、それは、わたしが理屈っぽいことに毒されていることの証左なのかもしれない。そう思うと、岸氏は、「脳ある鷹は爪を隠す」建築家の典型のような方なのかもしれない。建築によってすべてを語ろうとする静かな巨匠の一人と言えそうである。
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by kurarc | 2016-02-01 22:04 | architects

ノーマン・フォスター 「都市と建築のイノベーション」

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森美術館でノーマン・フォスターの建築展、「都市と建築のイノベーション」と題する展覧会が催されている。今日はその企画の一貫として、同タイトルでトークセッションが催された。出演者はフォスターの事務所の総合責任者の一人、デヴィッド・ネルソン氏と難波和彦氏。二人のフォスター建築論と対談を聴講した。(あいにく、展覧会の方はチケット売り場から人が行列している状態であったため、見学せず、平日に出直すことにした)

フォスターの建築は、イギリスにあるルノーセンターやサックラーギャラリーなど、彼にとってはすでに初期の仕事といってよいものしか見学をしていないが、その後の仕事、特にベルリンのドイツ連邦議会新議事堂、ライヒスターク(上写真、TEAM21・HPより借用)による環境と公共性、民主的政治性を一つの建築に統合したような傑作を実際に見学してはいない。

お二人の明快な論議をお聴きし、あらためてフォスターの建築に興味をもつとともに、日本人の建築家にはいないような強靭な思想を建築に具現化するという信念をもった建築家としての有り様を知り、一からフォスターの建築について知りたくなった。わたしは彼を恵まれた環境で育った人物とばかり思っていたが、彼はその反対、貧しい家庭で育ち、そこからサーの称号を獲得するような建築家に成長した苦労人であった。

難波氏は香港の上海銀行のプロジェクトの1階ピロティーに実現された、誰もが利用できる公共的空間、つまり広場をつくったフォスターの建築を香港の都市の中から読み解くと共に、こうした空間の存在しない香港という都市の中で特別な空間であるということを力説された。

今日の講演の中でわかったのは、フォスターが独断でデザインを進めるようなタイプの人間ではなく、事務所の半分の人間は建築家以外のプロフェッションの人間であること、また、建築を利用するクライアントの意見を取り入れた建築をつくっていることを知り、ある意味で驚きであった。

残念ながらフォスターという建築家と肩をならべられるような建築家は日本には存在しない。彼の建築は真の意味で大人のつくる建築である。わたしもフォスターのような建築家のあり方を目標にしたいと思った。
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by kurarc | 2016-01-17 23:08 | architects

タウトの日記データベース 進捗状況

タウトの日記をデータベースにする試み。この年末と正月休みを利用して、少しまとめて進めて行きたいと思っている。

ブルーノ・タウトという建築家をドイツ人としてではなく、むしろポーランドやリトアニア人に近しい人間としてとらえ直す試みは多分、まだ誰も行っていないと思う。(少なくとも日本では)「タウト」(タウタ)という名がリトアニア語で「民衆」を意味するということは、彼の著書の中でも語っていて、以前からこのことは非常に重要な気がしていた。(以前、彼の色彩建築がリトアニアの都市住居の影響によるものであることをこのブログで言及した。)

彼の生まれた土地ケーニヒスベルクという都市の文化を掘り起こすことも必要なのだろうが、現在はロシア領カリーニングラードとなっている。哲学者カント、多才な文学者E.T.A.ホフマンらもこの土地の生まれ。この都市は特殊な知的環境をもっていたことは明らかで、西欧と東欧の結節点のような役割を果たしていた都市と想像される。

ポーランドに興味を持つことで、ラテン世界とスラブ世界がわたしの中で連続してきたことは大きい。タウトについても、スラブ世界の感性をもった建築家と仮定して、一度再読してみると興味深い事実が浮き上がってくるかもしれない。タウトの日記の中に、そうした事実が隠されているかもしれない。そうした事柄を頭の片隅に置きながらデータベースづくりを行っていきたい。

*E.T.A.ホフマンについては、最近、タルコフスキーの脚本となる『ホフマニアーナ』という書物が出版された。タルコフスキーが残念ながら映画化できなかった幻の脚本であり、この司法官でありながら音楽家でもあったホフマンをモチーフにしている。
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by kurarc | 2015-12-20 10:20 | architects

タウトの日記 再会

ブルーノ・タウトの日記のデータベースをつくため、久しぶりにタウトの日記を読み始めた。修士論文でタウトを取り上げたこともあり、この日記はすべて読んで、重要な人名や項目についてはマーキングがしてあるので、データベースを入力していくときに、思いのほかやりやすいことがわかった。また、そうした項目には付箋もつけておいて、そのままの状態で保管していたので、この付箋にも助かっている。この付箋をすべて取り除いていたら、相当入力には手こずることになったかもしれない。

改めてタウトの日記に目を通すと、細部に到るまでよく描写していることがよくわかる。タウトはもちろん大学を卒業し建築家になった人間だが、彼は、むしろ社会に出て人間として成長していったようなタイプの人間ではなかったか、と思う。彼は友人にも恵まれた。最期の地、イスタンブールでは、彼と同郷のマルティン・ワーグネルがタウトを招聘したのである。ワーグネルとは、ブリッツのジードルンク(集合住宅)でも恊働し、設計に携わっている。(ワーグネルも興味深い建築家、都市計画家である。そして、タウトと正妻としてではなく、秘書のように付き添い助力したエリカについても気になる。彼女はどのような想いでタウトと生活を共にしていたのか、いまだに謎である。)

データベースとしてのブログは、時系列に日記を並べるため、2016年12月31日の23時59分から順に逆行する時間を設定して入力することにした。こうすれば、タウトの日記の順番通りにブログに並ぶからである。1分ごとにタウトの日記の1日分を割り当てるというやり方である。一日は1440分であるから、一日で1440項目を入力できることになり、タウトの3年半の内容をこの一日の中で記述できる。

問題は、一日の中で入力したことになったとき、その場合、ブログはすべて画面上に並ぶのか?ということである。通常、エキサイトのブログは30項目までしか一度に掲載されない。多分、その通りになるのだろう。よって、常に、最初の30日分のタウトの日記が掲載されたままの状態になってしまうことになろう。そこが一つの問題だが、その都度、カテゴリをクリックして、利用者には確認してもらうしかないのだろう。

*30項目以上を入力した段階で、どのような表示になるのか見定めた上で、改めてデータベースの利用の仕方をフログ上に書き添えることになるだろう。
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by kurarc | 2015-11-01 10:31 | architects


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