Archiscape


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カテゴリ:architects( 77 )

建築家M氏、逝去の知らせ

11月16日に東京藝大名誉教授の建築家M氏が逝去されていたことを今日知った。ご冥福をお祈りしたい。

M氏と初めてお会いしたのは、わたしが大学生2年生の頃(1980年頃)であったと思う。代官山ヒルサイドテラスの一室にあった建築家Y氏の事務所にアルバイトに行くことになり、その同室で別に設計事務所を営んでいたのがM氏であった。

のちに、わたしが某大学で助手をやっていた時には、大学院の講師として勤務されていて、いろいろお世話になった。M氏は建築家としては紳士的なタイプの建築家であった。建築家という人種は、横柄な態度の人が多いものだが、M氏はそうした態度をまったくとることのない繊細な建築家であった。

先日このブログで紹介した『ポルトガルを知るための50章』(初版)を送付した時にも喜んでくれて、確か年賀状にお礼の言葉を書き添えてくれた。3、4年前に東京藝大でのシンポジウムでお会いしたのが最後であったかもしれない。横柄な建築家は長生きするものだが、M氏はその繊細さ故に、死期を早めたのかもしれない。これから晩年の成熟した仕事を拝見できると思っていただけに、大変残念である。
                                                        

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by kurarc | 2017-12-20 09:35 | architects

南仏サン・ポール・デ・ヴァンス マーグ財団美術館

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毎週楽しみに見ているNHK『旅するフランス語』で、サン・ポール・デ・ヴァンス(上写真)の街が紹介された。名だたる芸術家たちが滞在した宝石のような街である。サン・ポール・デ・ヴァンスは小高い山の頂部につくられた都市であり、建築学でこうした都市を山岳都市というが、フランス語では、"village perché”(ヴィラージュ・ペルシェ、高いところに置かれた村の意)、あるいは、鷹が高所に巣をつくる様に似ていることから、鷹の巣(村)(nid d’aigle、ニ・デーグル)と呼ばれる。

1984年10月14日、わたしはニースからこの街まで2時間以上歩いてたどり着いた。スペインの建築家、ホセ・ルイス・セルト設計のマーグ財団美術館(下写真、マーグ財団美術館のHPより引用)を見学するためである。この美術館のみを見学するために訪れたので、旧市街の方にはまったく行っていない。美しい旧市街をテレビを見ながら、もったいないことをしたな、と思ったが、わたしの旅はいつもこうなのだ。お金に余裕がないため、目的のものを見学することに絞らざるを得ないのである。

この街に2泊するくらいの余裕があればよかったのだろうが、わたしは美術館を見学するやいなや、また歩いてニースに引き返した。ここまで歩いて行かなければ、時間的な余裕もできて、旧市街を見学できただろうにと思うが、当時、バスやタクシーを利用するだけの金銭的余裕もなかったのだろう。

当時のノートによれば、10月16日にはイタリアのルガーノ、ティッチーノへ行き、マリオ・ボッタという建築家の作品を見学している。ニースはちょうど南仏最後の目的地で、その後、またイタリアの旅へと向かったのである。

次に南仏を訪ねる時には、余裕のある旅にしたいものである。
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by kurarc | 2017-11-06 16:16 | architects

銀座ソニービル 記念ルーバー

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銀座ソニービルの外装に使用された記念ルーバーが先日届いた。数ヶ月前に申し込んでいたものなので、すっかり忘れていた。

銀座の交差点にその端正な外観を持ったソニービル(芦原義信設計)はおよそ50年という歴史に幕を閉じることになった。その記念として、外装ルーバを切断し、チャリティーを兼ねて発売されることになった。このチャリティーがなければわたしも申し込むことはなかったと思うが、よいアィディアだと思う。

何に使えるのかわからない。ペンスタンドくらいしか思い浮かばないが、東京タワー、あるいはエッフェル塔の形のような断面はやはり美しい。
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by kurarc | 2017-10-17 12:10 | architects

元麻布の安藤記念教会見学

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以前もこのブログで紹介したが、元麻布にある安藤記念教会を見学してきた。設計者は吉武長一。この教会は今年で築100年を迎えるという。大谷石で組まれた重厚な外観が印象的である。麻布十番から都立中央図書館へ向かう道で偶然見つけた。内部を見学したいとずっと思っていて、あらかじめ見学したい旨を伝えると、快諾していただく。

今日は日曜日であったことから、まず礼拝に参加。わたしはキリスト者ではないが、子供の頃、一時、日曜学校といって自宅近くの教会に通っていたことがある。日本で主日礼拝に行くのは、考えると45年ぶりのことかもしれない。

この教会は小川三知のステンドグラス(写真下)があることでも知られている。小川のステンドグラスのファンは数多く、わたしもその一人である。今日は間近で見学することができたが、小川のステンドクラスには生命力と若々しさ、躍動感のようなものがあり、気に入っている。この教会の方に話を聞くと、建築だけでなく、室内の長椅子も100年使い続けていると聞き、驚いた。耐震補強はすでになされたということなので、きっとこの教会は少なくともあと100年は確実に生き続けると思う。

大谷石の積み方は、いわゆるフランドルレンガ積みと等しく、大谷石の長手と短手を交互に積んでいる。表面はのみで45度に引っ掻いた切り込みが入っていて、スクラッチストーンと言うべき仕上げで、大谷石に表情を与えている。丁寧につくられた教会であることを改めて感じた。こうした名建築は忘れ去られた、無名といってよい吉武のような建築家によってつくられたのである。建築は名前で語られべきものではないことが、この建築を見て実感することである。

*この教会は、いわゆる"Box Church"という一室空間の教会である。ポルトガルによく見られる教会のプラン。内部に柱がないので、信者の一体感が生まれやすい空間と言えるだろう。切妻の屋根の形がそのまま内部にも現れているが、通常は屋根が開いてしまうので、登梁をつなぐ材料が必要なはずだが、それが見受けられない。これは明らかに設計者の意図だろう。登梁を金物で緊結していると思われる?が、本当のところどのような屋根の構造になっているのか気になる。

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by kurarc | 2017-10-08 20:15 | architects

タウトの日記データベース化 長期休暇中

建築家ブルーノ・タウトが日本滞在時(1933〜1936年)に残した日記をデータベース化する試みは、現在、長期休暇中である。全くのボランティアとして始めたものだが、始めてみるとかなりの時間が必要になることがわかった。大学院生の時代に、すでに半分程度は入力したデータはあるのだが、それは当時(1990年)の5インチのフローピーディスクに保存されたままである。MS-DOS時代のデータであり、このデータを開くPCもソフトも今はすでにない。

大型書店で建築書籍のコーナーをのぞくと、相変わらずタウトに関する書籍は増え続けている。それはむしろ建築畑の人よりも、ドイツ文学などを専門とする方々の研究成果が多い気がする。タウトを企画した展覧会も数年に一度は開催されている。未だに日本におけるタウトのファンは数多いことがわかる。

このデータベース化に快諾していただいた岩波書店には大変申し訳ないのだが、あと2年近くかかるかもしれない。ちょうどその年、わたしはタウトがイスタンブールで亡くなった年齢と重なる。タウトが考えたことも、同じ歳に近づくにつれ、昔以上に理解し安くなったように思う。

とにかく、データベース化完了の目標を2018年中に定めてコツコツと進めたいと思う。

*現在、立ち上げたブログ自体にアクセスすることができない状況。どうも、エキサイトブログでは、いつのまにか二つのブログを持つことが不可能になってしまったようだ。最悪の場合、また新たにブログサービスを提供する企業を探し、ブログのデータを移行することから始めなければならないかもしれない。(この問題は解決できた。2017/09/25)

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by kurarc | 2017-09-17 09:52 | architects

映画『眠るパリ』とル・コルビュジェ「ヴォワザン計画」

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今橋映子さんの著書『<パリ写真>の世紀』(白水社)の中に、ルネ・クレール監督のサイレント映画『眠るパリ』(1923)とル・コルビュジェの「ヴォワザン計画」(1925)を対比するような文章があり、興味深く読ませていただいた。

コルビュジェがヴォワザン計画を策定したその時代のパリとはいかなる都市であったのか、ちょうどこの映画『眠るパリ』は、その同時代のパリの情景を捉えている。映画自体は、ある博士が発明した光線によって、パリが一時静止してしまう(眠る)という内容の映画だが、その静止が溶けると、パリの活気ある都市が息を吹き返す。

コルビュジェがヴォワザン計画をつくった意図がその情景を見ると理解できるのだ。当時、パリはすでに車で混乱し、いわゆる公害を発生させていた。コルビュジェはそうしたパリの中心(セーヌ右岸)を一掃し、超高層ビル街を計画。ビルとビルの間には緑を植え、パリに清らかな空気をもたらそうとした計画を発表することになる。

こうしたモダニズムの思考による計画の欠点(全てを無にすることから始めるという欠点)は明らかだが、コルビュジェにも、考えを方向付けた理由が存在したことは確かなのである。もし、現在、このような計画を再度実行しようと言い出したら、その建築家は時代錯誤と狂気の沙汰であると相手にされないだろうが、当時としても、こうした計画の意味することを熟慮したならば、愚かな計画であることは理解できたはずである。

それにしても、映画『眠るパリ』は貴重な映像である。特にエッフェル塔からの映像が、ルネ・クレールのアヴァンギャルドとしての感性を見事に表現している。

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by kurarc | 2017-07-12 21:03 | architects

永田音響設計のメールマガジン

永田音響設計のメールマガジンを利用させていただくことにした。メールマガジンの類は様々だが、永田音響設計のメールマガジン(NEWS)は、音響設計の現在の状況を的確につかむことができる優れたメールマガジンである。

著名なホールの音響設計の全ては永田音響設計の仕事である場合が多い。それも、日本に限らず、世界を舞台としている。わたしも音楽に強い関心があるため、音響設計に関わる仕事をしてみたいと常々思っているが、実現したのは藤沢での住宅のみである。

音響設計は、現在、コンピュターにより解析されると思うが、その道の方に聞くと、それだけでは分析できない様々な困難があるとのこと。つまり、計算だけで優れた音響は実現できないということらしい。そうした科学では割り切れない部分に非常に興味がある。

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by kurarc | 2017-04-27 15:54 | architects

建築家 ルシアン・クロール

建築家のルシアン・クロール氏(1927ー)は、現在どのような仕事をしているのだろう、と最近頭に閃いた。インターネットでたまたま彼の名が登場して気になり始めたのである。『サスティナブルな未来をデザインする知恵』(服部圭郎著)の中に、彼のインタービューが掲載されているということで、早速手に取った。

実は、28年ほど前、大学院生だったわたしは、ルシアン・クロール御夫妻を他の大学院生らと共に東京を案内したことがある。研究室のF先生からの「命令」で、ルシアン・クロールさんが東京のスラム街に興味を持っているようだから、山谷の街に案内するようにとのことであった。わたしは前日に英文を準備して、クロールさんに拙い英語で案内をするはめになったのである。知的で、冷静沈着な物腰のクロールさんと、明るい奥様が対照的だったのが印象的であった。案内の最後の集合場所だったホテルに着いた時に、クロールさんはコーヒーでなく、オレンジジュースを頼んだのも印象に残っている。

インタビュー記事を読むと、その過激な言動には驚いてしまう。昨今の雑誌を賑わすような建築に異議を唱えているからである。彼は、「コンセプト」や「方法論」といった「普通の」建築家たちが好んで使う言葉に嫌悪を示す。(つまり、それは、現在の日本の建築学科の大学教育そのものを批判していることになる)それが、まさに彼の「コンセプト」なのだが、建築家たちが一方的にデザインをして建築を建設するのではなく、住民参加を原則として、建築環境を一つ一つつくりあげていくという方法を模索している。

わたしは、クロールさんにお会いした時、既にクロールさんのルーバン・カトリック大学(ベルギー)の仕事を見学していたので、生意気にもクロールさんに「あなたの仕事は難解で理解できなかった」といったような会話をした記憶があるが、その時のクロールさんの「なぜだ?」といった表情が今でも忘れられない。

わたしも建築をつくる時にはなるべくクライアントの方々のやりたいことに耳を傾けるようにしている。それを手掛かりとして、わたしとの応答の中から形を見出していく。クロールさんのようにラディカルにはできないが、一つ一つ異なる建築をつくっている背景には、彼との出会いが大きいのかもしれない。

ルシアン・クロールさんは、今年で90歳になる。きっと、今でも元気に建築に取り組んでいることだろう。

*このブログを書いた後、クロールさんは既に逝去していることを知った。息子さんがあとを継いでいるとのこと。
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by kurarc | 2017-04-01 20:12 | architects

大きい建築 小さい建築

かつて「住宅は藝術である」といった建築家がいた。建築の基本は住宅であることに変わりはないが、住宅が建築において最も重要な領域を占める、といった神話をつくることは間違いである。

住宅と言う「小さい建築」と都市の中の再開発で建設され出現するような「大きな建築」は、同じ建築でも、全く異なる領域なのである。これら二つを比べて、どちらが優れているかとか、どちらに価値があるのかといったことを比較することはそもそもできない。

わたしは、およそ4年の間、「大きな建築」に関わるようになって、その意義がおぼろげながらわかるようになった。個人を主に対象とする住宅「小さな建築」と、不特定多数の人々の使用を対象とする建築「大きな建築」、あるいは、「都市の建築」は、制度、法規、予算、建設形態、建築技術、労働者の労働条件、施工者の組織、設計者の思考など様々な領域で全く異なる発想から建設される。

詳しく述べると切りがないが、わたしはむしろ「小さい建築」派だった人間であり、「大きな建築」を全く気にかけなかったが、それは、間違いであったことがわかった。少なくとも、これら二つの領域を横断する建築全体の流動域を常に注視することが重要なのである。

単純にいってしまえば、すべての建築領域に眼差しを向けることが重要であり、その中からしか新しい建築は生まれないのだと思う。主に住宅しか設計しないような建築家であっても、CFTだのフラットスラブだのCRM等々といった建築技術をすぐに頭の中に思い描けることが重要である。

何の領域でも同じかもしれないが、見るものと見ないものとを自分で決めてはダメだ、ということである。

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by kurarc | 2017-01-26 23:50 | architects

一橋大学の「怪物」たち

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今日は、地元の建築家グループの見学会に参加。見学対象は、一橋大学や国立の街についてである。

一橋大学内に入るのは、わたしが高校生の頃、学園祭に訪れて以来のことになると思う。伊東忠太設計の兼松講堂がその中心に位置するが、実は正面に見えるのは時計塔をもつ付属図書館であることに初めて気がついた。こちらの設計は伊東ではなく、中根まがきである。

建築史家の藤森照信氏によって、「怪物の棲む講堂」と名付けられた兼松講堂は、内部の見学はできなかったが、そのロマネスク様式を模した外観を鑑賞した。スクラッチタイルの土色の外観、三連アーチのポーチと柱頭に彫刻された「怪物」たち(上写真)に目が留まる。

藤森氏によれば、大学の起源は、中世修道院にあり、その当時の様式はロマネスクであったから、伊東は、その起源の様式をこの一橋に選んだのではないか?と推測している。手の込んだ建築であり、当時の職人たちの技術の高さを思い知らされる講堂である。

しかし、一橋大学は一つ、大きな間違いを犯している。それは、伊東の方針で進めたロマネスク様式を、新しく建設された建築にまで敷衍し、近代建築にロマネスクの装飾をかぶせてしまった建築を数多く建設していることである。素材感を踏襲するのはよいにしても、現代においてその様式、装飾まで踏襲する必然性はなかったはずである。大学理事会のセンスが疑われる事象であろう。

それにしても、1920年代から30年代にかけて建設されたロマネスク様式の大学内の建築は落ち着きがあり、好感がもてた。伊東の建築の中では、わたしは最も好きな建築かもしれない。モダニズム建築の全盛期にこうした建築が建設されたことにどのような意義があるのかは、また別の問題であるが・・・



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by kurarc | 2017-01-21 22:05 | architects


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