Archiscape


Archiscape
by S.K.
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

カテゴリ:conservation design( 22 )

大谷石の可能性 

b0074416_2220360.jpg
今日は日帰りで宇都宮へ。例年参加している、日本建築家協会保存問題栃木大会に出席。

宇都宮周辺の大谷石による建造物群をまとめて見て歩いた。様々に活用されている事例を見学し、いつも思うことだが、地方はあらゆる意味で資源が豊富である、ということをつくづく感じた。私の住む街の貧しさを思い知らされた。

大谷石は現在採掘されてはいるが、その量およびその採掘に従事する職人の減少など様々な問題をかかえている。また、大谷石の目利きも減少し、良質な大谷石は業者でも判断できる人は少なくなっているという。

そうした状況からNPO法人大谷石研究会が組織され、今後目利き職人の認定や様々な工法の開発、大谷石建造物の保存活用などの提言を行っている。

*上写真は南宇都宮駅前石蔵群の中でのパフォーマンス。この石蔵群は他にレストラン、アトリエなど大谷石による蔵の活用が大規模に行われている。

*良質な大谷石を見分ける一つの指標として、「ミソ」がある。「ミソ」とは大谷石の中に見られる茶色の模様で、粘土化した軽石であり、この「ミソ」が多い(荒目)ほど耐久性があるそうだ。
[PR]
by kurarc | 2012-03-18 22:19 | conservation design

建築の持続 札幌時計台

b0074416_14573153.jpg

昨日、札幌を日帰りした。(木造耐火建築物講習会受講のため)帰りは飛行機の出発が遅れ、もう少しで終電に間に合わないところであった。

札幌での講習会会場の近くに時計台(上写真)があったため、5年ぶりに訪れた。いつもこの建築の存在感には感心する。存在感といっても大袈裟なものではない。清潔感のある静かな佇まい、と言えるものである。

この時計台の歴史年表をみると、不思議なことに演武場として計画された後、様々な用途に使われ維持されてきたことがわかる。図書館、郵便局、事務所、集会場等々。1967年に大掛かりな復原工事が施されて、1970年に重要文化財に指定されている。

こうした建築が持続的に使用されることは、どのような意味があるのだろうか。それは、この建築のもつ何とも言えない魅力にあることはいうまでもないが、機能的にはこの建築が2階に適度な大きさのホールをもつことが重要と思われる。小さな部屋ばかりの建築であれば、用途は限られてしまうが、ホールのような大空間はフレキシブルに対応できるからである。

建築がこのように用途に左右されないで、様々な使い方を許容するようになるころには、市民の記憶にこの建築が刻み込まれて(建築の都市化、都市としての建築)、時計台はもはや札幌を象徴するまでの建築に成長した。建築が都市の中で持続していく理想的な姿といってよい。

*この時計台の裏に「北地蔵」という古風な珈琲店があり、ここで珈琲をいただく。店内の奥行きが深く、落ち着く。よい街には必ずよい珈琲店がある。
[PR]
by kurarc | 2011-07-16 14:56 | conservation design

建築物のデジタルアーカイブ化について

先日提出した家具のコンペティションの応募作品では、模型をつくることをあえて避け、CADによって3Dのみで検討した。3Dのトレーニングとしての意味合いもあったし、木材で模型をつくることが難儀であったこともある。

コンピューターのデザインへの介入は私のような個人の仕事の中でも著しいが、こうした技術を使い、建築物をデジタル化し保存、管理する研究も随分と進んでいるようだ。

千葉大学の平沢研究室のHPを見てみると、建築物のデジタルアーカイブ化についての研究の現在について知ることができる。興味深いのは、伝統的な木造建築物、ここでは五重塔を扱っていることである。日本の伝統的建築物は、木材のパーツを一つ一つ組み上げて形づくられている。よって、各々のパーツを正確にデジタル化し、記録していけばデジタルアーカイブとして有効なデータが蓄積できる。

さらに平沢研究室ではNCルータによって実物の模型をつくり、各パーツの収まりなどを検討し、その成果をさらにデジタルデータにフィードバックしていくという試みを行っている。現在、NCルータの限界はあるが、こうした成果を見ていくと、未来にはNCルータによって、伝統的建築物のパーツを全て加工できるようになるのでは、と思われなくもないが、そのことが果たして我々にとって価値のあることかどうかはまた別の問題だろう。

日本の伝統的建築物がデジタル化に適しているのは、すべての構造が露呈している点にある。ヨーロッパの建築物のように、1メートルもあるような壁厚の建築物の場合、その中身まですべてを把握することはできないが、日本の木造建築物はそうしたことはまずないから、デジタル化し易い建築物であることは確かである。

結局は、今まで図面という2次元で保存されていた情報が、3次元で記録することができるようになるということだが、そのときにデジタル化できない人間の手の技術について、どのようにアーカイブしていくのだろうか。それはやはり人から人へと伝達していくことしかできないものなのか、あるいは他の方法が生み出されるのかどうか?

*平沢研究室のHPの中で、コンピュータービジョンによる実測が紹介されている。ビジュアルタグというマーカーを入れておくことで、寸法を実測できるという技術である。こうした技術は今後建築保存のデータ化を加速させるに違いない。
[PR]
by kurarc | 2010-11-02 21:39 | conservation design

子規の家、子規の庭

今日は東京へ出たついでに、以前から訪ねておきたいと思っていた正岡子規の晩年の家「子規庵」を見学してきた。鶯谷のラブホテル街の中に埋もれるように子規庵は維持されていた。

子規庵の建物は旧前田侯の御家人の二軒長屋の一つであったものだという。現在はそのうち、子規の住まいであった建物が寒川鼠骨の尽力により昭和26年に再建され、都文化史跡に指定されている。

子規の家に興味をもったのは、子規の妹、律が病床に伏している子規のために庭をつくりかえていったということを知り、家と庭との関係を考える格好の題材になると思ったからである。子規の病気が進行するに従い、視線は寝ている状態に近づき下降していくことになるが、そうした状態でも、子規が庭を楽しめるように律によって工夫が施された。また、子規の弟子達は、当時希少な硝子戸を子規のためにしつらえたという。障子によって分断されていた視線は、その硝子戸によって家と庭が連続し、目の前に広がる庭は子規の視線と一体化され、あたたかい季節にしか楽しめなかった庭の観賞は、硝子戸により冬場にも可能となった。硝子という素材によって、子規の感性は庭の自然へと開かれることになる。

子規のスケッチの中に病床から眺めたヘチマ棚を描いたものがある。その遠近法を用いたスケッチは、彼の病床からの視線を最もリアルに表現している。現在のヘチマ棚はかなり小規模だが、子規が暮らしていた頃は6畳間ほどの大きさがあったようだ。ヘチマはヘチマ水として痰を切るために役立てたとも言われているが定かではないらしい。

あいにく庭にはまだ水仙しか咲いていなかったが、もう少し暖かくなり、数多くの花々が咲き始めた頃また訪れることにしたい。縁側上の下屋には黒猫が気持ちよさそうに昼寝をしていたが、子規庵を見て、猫の昼寝を眺めることができるような小さな家の暖かみにも改めて気付かされた。

*下は子規が暮らしていた当時の子規庵の配置図。病床からの視線をおさめようとカメラを持参したのだが、写真は禁止であった。よって、彼がふとんを敷いていた6畳間(病間・子規は頭を8畳間に向けて寝ていた)に寝転がって庭を眺めてみた。ヘチマ棚は子規の衰弱した身体に直接日光をあてないように配慮されたものであることが実感できた。
b0074416_23243452.jpg

[PR]
by kurarc | 2010-03-11 23:24 | conservation design

日蘭通商400年記念 歴史的造船施設シンポジウムに参加

今日は朝から丸一日、上記タイトルのシンポに参加してきた。このシンポの実行委員会議長を務める若村国夫先生(岡山理科大学教授)とは、浦賀ドックの写真展でお会いしたことが縁で、私もこのシンポの支援委員になっている。昨日もシンポジウムがあったのだが、神奈川県の講習会と重なっていたこともあり、二日目からの参加となった。

シンポでは、若村先生による日本で唯一の煉瓦造による浦賀ドック、川間ドックの技術移転の話や、遠くオランダやドイツでのドック(特にドライドック)の歴史的変遷の話、名古屋大学大学院准教授の西澤泰彦先生による日本のドライドックの話、また、堀勇良先生(元文化庁調査官)による横浜港と横浜ドライドックの話などを伺った。

ここで、堀先生によるお話の中から、興味深い事実をご紹介しておきたい。横浜のドックヤードガーデンに保存されているドライドック(旧横浜船渠第2号ドック)は、解体され保存再生せれたものだが、そのおかげで、ドックがどのように建造されていたのかという目に見えない部分の構造、工法がよく理解できたという。また、このドックは資料が豊富であり、それらを調べる中から、このドックの特徴となっている階段状のデザインが途中から変わっていく理由に対する堀先生の見解が示された。

階段状のデザインが途中から変化するのは、堀先生によれば、このドックがあった敷地の地盤、地層の違いがドックに現れているという。言葉では説明しづらいのだが、傾斜したドタン層にうまくのせられるところは一段一段が大きい階段上のデザインとなり、ドタン層の傾斜のきついところは、ドックの底のドタン層に直接支持させるように通常の階段状にデザインされたのではないかということらしい。設計者である海軍技師、恒川柳作の技師としての工学的な判断とデザイナーとしての能力が試されたのだろう。横浜のドックヤードガーデンで、そのデザインの違いをよく確かめてみるとおもしろいと思う。
[PR]
by kurarc | 2009-11-29 22:42 | conservation design

復興小学校 明石小学校・聖路加国際病院チャペル見学

4日はいつもの通りJIA保存問題委員会が開かれたが、委員会の前に有志で、中央区にある復興小学校である明石小学校と隣接する聖路加国際病院チャペルを見学した。

復興小学校とは、関東大震災によって倒壊した小学校を東京市が鉄筋コンクリート造で「復興した」小学校で、明石小学校は現存するものの中で最も古い復興小学校である。明石小学校は1926年(大正15年)に竣工したので、築83年となる。副校長にご案内いただき、内部もすべて見せていただいた。1920年代に建設された復興小学校は、当時の表現主義の影響を受けたものが多く、この明石小学校も曲線を多用した優雅なデザインであった。(1931年以後の小学校(倒壊はしなかったが立て替えたもの)は改築小学校と言われていて、インターナショナルスタイルの影響を受け、直線によるデザインに変化する。)

これだけ時間が経過した建築が、未だに小学生たち(幼稚園も併設)に活き活きと活用されているのには驚いたが、それは、この復興小学校の設計レベル、施工レベルの高さによるものと言える。

道をはさんで隣接するチャペルは、アントニン・レーモンド、バーガミニ、フォイエルシュタイン設計によるが、レーモンドは基本設計だけで、何らかの理由で設計を降板させられたらしい。
こちらも内部までくまなく見学させていただく。特にチャペルの尖塔の頂部まで螺旋階段が続いていて、最後まで登り、頂部まで見学させていただいた。保存修復された仕事であるが、陰影に富んだ内部空間と、ゴシックのシャープな意匠のバランスがよく、ステンドグラスの色彩と重なり合って官能的な建築となっていた。

このチャペルのプランニングは独創的で、当初は病室から廊下に出て礼拝できるように、病棟とチャペルが巨大な吹き抜け空間によって連続していた。しかし、パイプオルガンがその部分に入ってしまったため、当初のプランニングの思想は、現在影に隠れてしまっている。(重病患者ほどチャペルに近い部屋に入院したということである。)

この地域は、この聖路加病院があったせいで、爆撃を受けることもなく第二次大戦を逃れた建築物が数多く存在し、東京における居留地時代から戦前の街の姿を伝える貴重な地域と言える。

(写真は上から、明石小学校外観、明石小学校屋上からチャペルを見る、チャペル前室照明、チャペル尖塔に上がる螺旋階段。チャペル内部は撮影が許されなかったため掲載していません。)


b0074416_221333.jpg
b0074416_22131594.jpg
b0074416_22133041.jpg
b0074416_22134795.jpg

[PR]
by kurarc | 2009-09-05 22:13 | conservation design

長野 伊那、木曽福島へ

8月22日、23日、夏場の恒例となったJIAの保存問題委員会のメンバーとの夏合宿へ参加した。今回の合宿先は長野県の伊那市高遠町から木曽福島にかけて。諏訪湖の南のエリアにあたる。民家、町屋の視察をはじめ、長野地域会の川上恵一氏、丸山幸弘氏の民家の保存活用、保存再生の仕事等を中心に見学した。

見学したものが多いので、まず一つ紹介しておきたい。下の写真は、丸山幸弘氏の事務所である。松本市四賀村で再利用するために取り壊して野積みにされていたものを、伊那の丸山氏の事務所として移築・再生された建築物である。エントランスホール(風除室)は後からデザインされたものだという。
外壁は漆喰、腰壁は木部がサワラ(厚12ミリ)、内壁は漆喰仕上げ、床は杉板(厚25ミリ)を使用している。見とれて内部の写真を撮り忘れてしまったが、参加メンバー約20名が会議ができるほど余裕があり、設計事務所として申し分のない空間であった。

後日、建築家藤森照信氏設計の茅野市神長官守矢史料館やツリーハウスなどもブログにアップする予定である。
b0074416_0205121.jpg

[PR]
by kurarc | 2009-08-25 00:21 | conservation design

東京女子大シンポジウムのお知らせ

アントニン・レーモンド設計による東京女子大の体育館が解体されようとしている。この解体に異議をとなえる大学内の関係者によりシンポジウムが行われることになった。我々のような外部のものからの声ではなく、現教員らによる内部から「解体再考」の声が上がってきたことは大変価値のあることだと思う。
日本建築家協会の関東甲信越支部保存問題委員会が保存要望書を出したときの内容は、東京女子大には二つの領域があることを述べた。その内のひとつ、人格を形成する場である体育館(ほか旧東西寮はすでに解体)が解体されようとしていることは、人間にたとえるなら片足を切り取られようとしていることと変わりはない。
昨今の大学の建築更新速度はどの大学も恐ろしく高速化しているが、東京女子大学のような歴史のある大学がそうした状況に対し右にならう必要はない。武蔵野の森の中に佇む大学の環境を守るためにも是非解体再考をお願いしたい。
b0074416_913251.jpg

[PR]
by kurarc | 2009-03-08 09:14 | conservation design

山梨 塩山へ

11月8日、9日と山梨県塩山の大善寺(国宝)にてJIAの保存問題委員会を行ってきた。移動委員会である。大善寺を起点として周辺の遺産を見て回る。勝沼に広がる葡萄畑を歩きながらワインツーリズムを楽しんだり、宮崎葡萄酒第2醸造所やトンネルワインカーヴ(下の写真)などの近代化産業遺産なども見学する。
久しぶりの山梨であったが、改めてのびのびとしたランドスケープの中に広がる葡萄畑の豊かさと、すでに近代化遺産が見事に利用されていることはうらやましかった。神奈川では山梨のようにうまく利用されている近代化遺産は残念ながらあまり見あたらない。

葡萄畑は、地上から2メートルから3メートルのところに葉が生い茂るため、重力を感じさせない軽やかさがあり、歩いていて心地よい。たまに収穫されなかった葡萄をつまみながらのウォーキングも都会では味わえない楽しみであった。こうした葡萄畑も実は明治期の砂防堰堤(えんてい)によってできた畑であることを知る。水害との戦いから生まれた恵であるのだけに余計美しく、力強くみえた。
b0074416_1481422.jpg
b0074416_152025.jpg

[PR]
by kurarc | 2008-11-11 01:48 | conservation design

横浜税関遺構 鉄軌道と転車台見学

19日、午後より横浜の象の鼻パーク整備地にて、横浜税関の遺構である鉄軌道及び転車台を見学してきた。東西上屋倉庫が解体され、その後象の鼻パークとして整備中に発見された遺構で、当時の大桟橋における荷役(にやく)作業のために設けられたものらしい。このような装置としたのは、曲線を使うと車輪の抵抗が増し、車を動かすのが困難なためだそうだ。このような転車台はイギリスに多く見られるという。

軌道の幅員は3フィート8インチ(1067ミリ)、転車台の外径は8フィート(約2.5メートル)。軌道の幅員は現在の鉄道の車軸幅と同じ。およそ明治20年代後半につくられたものとのこと。

東西上屋倉庫は解体されたが、その下に近代の産業遺構という亡霊が眠っていたのである。過去は消そうと思っても、なかなか消えないし、消そうとすればするほど姿を現す。この遺構は、象の鼻パークの中心に保存活用され生き残ることになるという。
b0074416_21201682.jpg

[PR]
by kurarc | 2008-10-19 21:20 | conservation design


検索
最新の記事
カテゴリ
Notes
HP here

e-mail here

■興味のあるカテゴリを見た後に、また最初のページに戻るには、カテゴリの「全体」をクリックしてください。

■カテゴリarchives1984-1985では、1984年から1985年にかけて行った11ヶ月の旅(グランドツアー)について紹介しています。
画像は30年前のスライドをデジタル化しているため、かなり劣化しています。

■カテゴリfragmentでは、思考のヒント、覚書き、論理になる前のイメージ等、言葉を羅列する方法で書いています。

ライフログ
画像一覧
以前の記事