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by S.K.
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カテゴリ:art( 28 )

ジュウシマツと芸術

鳥に関する本を渉猟している。今、注目しているのは岡ノ谷一夫さんや、小西正一さんの著作である。主に、鳥の歌、さえずりに関する研究だが、これがなかなか興味深い。

岡ノ谷さんの本の中に、興味深いエピソードが書かれていた。それは、ジュウシマツの歌についてである。小鳥のさえずりは、求愛行動がその主目的とされているが、ジュウシマツを観察していると、そうしたジュウシマツの中に、メスの前では歌わないものが出てくるというのである。そうしたジュウシマツは一人(一羽)にすると歌い出すのだという。そして、そのジュウシマツは他のジュウシマツと異なり、高度な歌を歌うのだそうだ。

岡ノ谷さんの研究室にいるそのジュウシマツは「パンダ」と名付けられて有名なのだという。岡ノ谷さんは、このジュウシマツは求愛という本来の目的から離れて、歌うことそのものを、歌うことの美しさを求め始めたジュウシマツではないか、と考えている。それは、(鳥の)芸術(音楽家)の始まりではないか?と。

鳥の歌(さえずり)を考えることから、人間の言語や歌について、芸術について思いを巡らして見ることは、鳥と人が意外と近い存在であることを気づかせてくれる。音を絵にするソナグラフというものからフーリエ解析(フーリエ変換)の具体的なイメージをつかむことができたのも役に立った。

人間はなぜ歌を歌うのか、という問いもかなり奥が深そうである。歌から言語が始まったという研究や、言語や意識の問題群が鳥と言う動物から考察できるかもしれないし、興味は尽きない。

再び言う。今、鳥がおもしろい。
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by kurarc | 2017-03-28 18:36 | art

浅井忠のグレ 『グレーの塔』

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池澤夏樹さんの本を渉猟している。今は、彼がフランス滞在時代に書いたものだ。最近のブログの話題はほとんど池澤さんの本からのものである。『異国の客』という本の中に、洋画家の浅井忠が登場した。わたしは高校時代、美術に興味を持ったとき、日本の画家でまず最初に好きになったのは浅井忠の写実画だった。高校時代の美術の教師に、誰に興味があるのか、と訪ねられた時、即座に「浅井忠」と答えたのを今でもはっきりと覚えている。

美大に進んでから、むしろ絵画から遠ざかるようになった。藝術というものに疑問をもつようになった。しかし、それから30年以上経ち、再び浅井忠に巡り会うことになった。彼がフランスへ留学をしていたこともすっかり忘れていた。最近は、絵画を落ち着いて鑑賞できるようになった。

彼の絵画、『グレーの塔』(上)の「グレー」は色のことではない。フォンテーヌブローの東の街グレ・シュル・ロワンの「グレー」であり、フランス語の発音に忠実に書くのならば、「グレ」なのである。浅井が二年間のフランスの生活の中で何を吸収して行ったのか、そして、帰国後、どのような成果をもたらすに到ったのか気になる。

今年も、フランスに関係した人々、フランスに影響を受けた人々から様々なことを学習する年になりそうである。

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by kurarc | 2017-01-01 20:31 | art

夏 マティス

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2004年、国立西洋美術館で開催されたマティス展(副題として、Processus/Variation プロセス(過程)とヴァリエーション(変奏))のカタログが届いた。

こうした画集といってよいカタログをしみじみと眺めるのは久しぶりのことである。絵画をみる習慣はないが、こうして名画を眺めることは音楽を聴くことと同様、心の糧になる。

副題にあるようにマティスの絵画が形成されるまでの過程と変奏を中心にカタログはまとめられている。先日、このブログで紹介した「ルーマニアのブラウス」には、14の変奏があり、15枚目がいわゆる完成品となるが、マティスにとって、完成品という言い方は正しくはないようだ。完成に導かれる過程はどれも独立し、それぞれが主題であり、全く異なる作品といってもよいものである。このあたりについては、カタログを熟読した上で、改めて言及することにしたい。

カタログの最後に登場する切り紙絵の手法による絵画がよい。特に気に入ったのは、「ポリネシア、空」(下)、「ポリネシア、海」(上)という作品である。この作品からはそのタイトル通りの世界が単純な色彩によって表現されている。それは、日本の夏のような湿気は感じられず、まさにポリネシアの夏を感じさせる。

切り紙絵という手法によって、マティスの絵画は藝術作品のもつアウラや、手の痕跡が希薄化し、「藝術作品」から遠ざかることになるが、それは、プロダクトデザインに通じる新たな試みであったし、オリジナリティーを超えていくような表現の手法に成長する。
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by kurarc | 2016-08-13 21:50 | art

シュルレアリスムの方へ

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美大を卒業したこともあり、美術史やらデザイン史は一通り学習したが、卒業以後、知識をより実り豊かに、より深くすることを怠っていた。美大を出たがために、むしろ藝術やらデザインを敬遠するような時期もあった。美術館で絵画を鑑賞するのはいまだに苦手である。東京の美術館は混雑しすぎているからなおさらである。

最近、こうした怠惰な藝術への付き合いはもったいない気がしていて、特に「シュルレアリスム」に対しては深く学びたいと思っている。こうした意識の変化もフランス語を学び始めたことが影響しているのかもしれない。フランス生まれのこの概念が頭の中にちらついて消えることがない。

たとえば、シュルレアリスムの中の概念に「客観的偶然」という概念(主観的には偶然でも、客観的には何らかの必然を背後に秘めているような事物のできごとのつらなり(巌谷國士))がある。この興味深い概念を知っただけでも、シュルレアリスムの世界に深入りしたくなる。

シュルレアリスムが気になったのは、現に考える方法がいつの間にかシュルレアリスムに近づいていたという発見があったからでもある。シュルレアリスムの方から近づいてきたのである。だから、シュルレアリスムを学ぶのではなく、確認するということになろうか。シュルレアリスムに限らず、若いときにかじっただけの重要な概念をもう一度学び直す時期になったということのようである。
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by kurarc | 2016-03-31 21:24 | art

佐伯祐三アトリエ記念館へ

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目白へ出かけたついでに、新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館へ立ち寄る。彼の自邸にあったアトリエが復原され、敷地内は小さな公園として整備されている。

佐伯の絵画はもちろん知っていたが、彼が30歳の若さでパリで他界したことや、その後、佐伯を追うように6歳の娘さんも亡くなったことを初めて知った。佐伯はまさに、夭折の天才画家といってよい。

佐伯のアトリエのある周辺は、目白文化村といって、当時文化人たちがこぞって暮らした場所であった。その記憶は今でも数多く残されていて、新宿区はその管理にかなり力を入れている。以前、このブログで紹介した林芙美子記念館もその内の一つである。佐伯祐三アトリエ記念館は、彼のアトリエと住宅の模型(上写真)が展示されていて、彼の日本での生活を知る手がかりを与えてくれる貴重な空間であった。

わたしは美大出身でありながらも、絵画を美術館で鑑賞するのは苦手である。あの緊張感を強いられるのが嫌いなのである。ヨーロッパの美術館はもっとリラックスして見学できるところが多いが、日本は警備体制が厳しく、人も多いため、鑑賞するという雰囲気に乏しい。それが美術館から遠ざかる最も大きな理由である。

しかし、最近、特にセザンヌやマティスなどの近代絵画について改めて学習したり、鑑賞したくなってきたこともあり、機会を見つけては足を運びたいと思っている。佐伯の絵画も実物を鑑賞したいと思っている。(下写真、復原されたアトリエと今日のソメイヨシノ)
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by kurarc | 2015-04-01 18:18 | art

イレーヌ・ジャコブとカフカ

このブログでたびたび取り上げているイレーヌ・ジャコブ。驚いたことに、今年の10月、日本で舞台に立つことを知った。カフカの『変身』である。(作、演出は平田オリザ)さらに、アンドロイドも登場する『変身』だという。(アンドロイド開発は石黒浩)

久しぶりに演劇を堪能することにしよう。
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by kurarc | 2014-08-25 23:38 | art

人間のなかの植物

久しぶりに風邪をひいてしまった。こういうとき、何か頭の中は全く異なる場所の回路が作動し始める。過去のことが思い出されたり、新しい発想が出てきたりと。

過去にこのブログで取り上げた銅金裕司氏の植物に関する知見が気になり、ネットで検索していると、興味深い記事に巡り会う。

たとえば、植物の二酸化炭素吸引力の違いであるとか、モーツァルトを聞かせると植物の生育がよくなる、というのはモーツァアルトの音楽のせいではなく、そうした発想をする人間の心が植物に影響しているのだとか、ランという花の特異性だとか。

植物は微弱な電位を発していて、それは様々な環境によって左右されるのだという。植物どうしは、そうした微弱な電位によってコミュニケーションをしていると考えられている。銅金氏は、3.11以後、放射能を帯びた環境をつくり、植物の電位を測定し、それを音に変換する、といったアート作品を発表している。福島では人間の被爆のことばかり問われているが、植物のような動くことのできない生物も被爆に沈黙しながら、声にならない叫びをあげていることになる。

銅金氏によれば、人間も植物的な部分をもっていると言えるのでは、という。たとえば内蔵。病になるとわかるが、内蔵は何も言葉を発することなくある日、病になると気づくが、その間、何年も微小な変化の結果なのであり、それは非常に植物的な部分ではないかという。それを、治癒させるのには実は同じ年月が必要と思われるが、それを薬によって性急に対処するのが現在の医学の方法である。

性急に物事を判断するのではなく、長い時間を必要とする「植物的な知」という知性が、現在求められているような気がしてきた。そして、建築も植物のように動かないものとしてとらえられるから、植物の知性から多く学ぶことがあると思われる。
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by kurarc | 2014-07-09 12:51 | art

ブログ サブタイトル画

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ブログのタイトルの左のサブタイトル画(このように命名しておく)を変更した。以前の赤い山々のイラストは、アントニオ・カルロス・ジョビンのHPから借用したものであった。

今度は、私の好きな映画『いつも二人で』のイントロの動画から借用した。この映画のイントロの動画は簡潔な色彩によるが、映画のイントロとして魅了的である。映画のイントロは様々だが、およそイントロに引き込まれる映画は、私にとっては相性のよい映画であることが多いし、好きな映画が多い。

イントロは、『いつも二人で』のように音楽とイラスト動画の場合もあるし、その映画のさわりをみせる場合もある。映画により様々だが、映画監督のセンスが凝縮しているような場所と言えるのではないか。本で言えば、目次のような場所である。以前にも書いたが、本は目次でその内容が把握できる。目次に気を使う作家、著者は、おおよそ優れた内容のものが多い。少なくとも私はそのように判断している。

今後もこの蘭には、時折発見した気になる画像をアクセントとして掲載することにしようと思う。
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by kurarc | 2014-06-06 23:52 | art

ピエロ・デラ・フランチェスカ 『キリストの降誕』

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ミア・ファロー主演の映画『Follow me』の中に、ロンドンのナショナル・ギャラリーを回遊するシーンが出てくる。そのシーンで3つの絵画が映されるが、何か不思議な魅力のある絵画として印象づけられたのは、ピエロ・デラ・フランチェスカの『キリストの降誕』(上)であった。

初期イタリア・ルネサンスの画家を代表する一人としてピエロ・デラ・フランチェスカは、特に20世紀になって見出された画家だという。『キリストの洗礼』(下)が特に有名だが、この絵画は中世以来の手法であるポプラ板の上に卵テンペラによって描かれた。

『キリストの降誕』は、ポプラ板に油彩で描かれており、未完成の作品であるという。ネーデルランドの油彩の手法を学習するために描いた絵画と思われるが、その褐色とくすんだブルーの色彩は、イタリア絵画の色彩としては希少であり、浮遊感を感じる作品である。

ピエロ・デラ・フランチェスカは、ダ・ヴィンチの先駆者として、絵画を遠近法など数学的に解析できる能力を身につけた最初の画家と言われている。宗教絵画でありながら、色彩が明晰で、血なまぐさい感じのない透明感のある表現であることから、20世紀にその真価が発見されたのかもしれない。
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by kurarc | 2014-02-13 22:50 | art

ヤン・ファン・エイク 「アルノルフィニ夫婦の肖像」

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高校時代、美術、芸術に興味をもつきっかけになった本がある。高階秀爾著『名画を見る眼』(岩波新書)である。続編も含め、主に近代芸術(近代絵画)を扱った書物であるが、この最初に登場するのが、ヤン・ファン・エイクの「アルノルフィニ夫婦の肖像という絵画。

当時、私はこの絵画の神秘性に魅せられて、いつか実物をみてみたい、とずっと思っていたが、ポルトガルに滞在していた1998年、ポルトガルからロンドンの友人に会いに行った際、ロンドンのナショナルギャラリーでその夢を果たすことができた。

ファン・エイクは、北ヨーロッパで発達した油彩という手法を完成させた画家として知られている。油彩の歴史は現在、かなり古いものとされており、8世紀またはそれ以前に、石材やガラスの上に描く手法であったという。ファン・エイクは、油彩においてダ・ヴィンチの先駆者といってよく、彼の業績の上にルネサンスがあるといっても過言ではない。最近フェルメールはよく話題にされるが、ファン・エイクこそ「光の画家」というにふさわしい。

結婚祝いの瞬間を表現したと言われる「アルノルフィニ夫婦の肖像」は、神秘的、魔術的な絵画である。画面の中央奥に凸面鏡があり、その中に彼らを訪ねた人物が描かれている。天井につるさがったシャンデリアには一本の燃えるロウソクのみ。これはすべてをみる神の眼の象徴、中央の犬は貞操の象徴等、絵画の中に様々な隠喩が織り込まれ、ルネサンス初期の絵画でありながら、すでにマニエリズムの領域に脚を踏み入れた絵画のようにさえ思えてくる。

こうした絵画をロンドンのナショナルギャラリーでは、無料で見学ができる。日本の国立美術館も毎日とは言わないが、一週間に一度くらい無料で鑑賞できる日を設けるべきである。
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by kurarc | 2014-01-14 22:17 | art


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