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by S.K.
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カテゴリ:cinema( 170 )

シネマ・アンシャンテ

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映画『LA LA LAND』にインスピレーションを与えたジャック・ドゥミの一連の映画は、「シネマ・アンシャンテ」と呼ばれる。

"enchanté"というフランス語は、通常「初めまして」といった挨拶の言葉、「魅せられた」という意味の言葉として知られているが、この言葉の中に、”chanté”という「歌われた」という意味が含まれていることもあり、ドゥミは、特に映画『シェルブールの雨傘』をフィルム・アンシャンテ(film en-chantéー歌で魅せる映画)と名付けたという。(山田宏一)

今年は『ロシュフォールの恋人たち』50周年を迎えたこともあり、10月からドゥミの一連の映画のリバイバル上映が恵比寿ガーデンシネマで予定されている。それに合わせて、『シネマ・アンシャンテ』(山田宏一、濱田高志著)というドゥミの業績をたどる素晴らしい書物も発売されたばかりだ。

この書物では、ドゥミと音楽を担当したミシェル・ルグランの世界がこれでもかと堪能できる。ドゥミの映画の秘密、ルグランの音楽の秘密がかなり明確に理解できるような内容になっている。

『ローラ』、『シェルブールの雨傘』、『ロシュフォールの恋人たち』の三部作はわたしにとって掛け替えのない映画で、何度見ても飽きることがない。今秋は、映画館でこれらの映画を鑑賞できるまたとない機会が訪れようとしている。秋は、映画の季節になりそうである。


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by kurarc | 2017-09-27 17:35 | cinema

ヴィスコンティ 映画『家族の肖像』

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昨年はヴィスコンティの没後40周年だったこともあり、数々の映画がデジタル完全修復された。その一つがこの映画『家族の肖像』である。実は、ヴィスコンティの映画はあまり観ていない。この映画も初めて観た。ヴィスコンティの最晩年の映画。撮影前、脳血栓で倒れたこともあり、撮影舞台を室内に絞り込み、身体に負担がかからないようにして、このような映画を製作したということらしい。

一人で暮らす老教授の静寂な生活が、ある家族の侵入によって破局を迎える映画だが、単純な物語ではない。当初、老教授は苦悩を抑えることができないが、あるときが来ると、ある結論を導き出す。その結論を出すまでの過程を描いた映画と言えるだろう。それは、この映画の進行とともに、老教授の心理の変化として描かれる。映画を見始めた時にこのような結論を教授が導き出すことになるとは、わたしは想像もつかなかった。

この老教授は実在した著名な美術史家マリオ・プラーツがモデルであると言われる。先日紹介した、多木先生の書物の中に、マリオ・プラーツの著書『室内の歴史』が紹介されている。この著書はまだ翻訳されていないので、内容はわからないが、ヴィスコンティはこの著書に刺激を受け、プラーツをモデルに「室内の映画」を撮影することを頭の中に描いていたのかもしれないし、ローマで現在プラーツの自宅が美術館として公開されているようだが、ヴィスコンティはプラーツの自宅を訪れ、その圧倒的な室内調度の収集品に触発され、この映画を発想したのかもしれない。

家族とは何か、ということを、かなり常識とはかけ離れた次元で教えてくれる映画、といっていい。そしてもう一つ、この老教授はヴィスコンティ自身であったのかもしれない。


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by kurarc | 2017-09-10 23:00 | cinema

映画『LA LA LAND』再見

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映画『LA LA LAND』がDVDでレンタルされ始めたこともあり、再び観ることに。(映画館で2回観ているから、3回目となる)

冒頭の高速道路のシーンは、やはり、映画館で観たのと、21インチ程度のパソコンで観るのとでは、全く異なるシーンのよう。もちろん、映画館で観て感じたような力は21インチ程度では感じられない。

この映画の好きなところは、まず、冒頭で二人が出会うところまで。映画に引き摺り込ませるチャゼル監督の演出は見事である。そして、もう一つ、映画の中に挿入される夜のシーン(静寂なシーン)。ミュージカル映画は、あまり頑張りすぎると観ていて疲れてしまうが、チャゼル監督は、その点、うまく静寂なシーンを取り入れて、力を抜き、一服させてくれるのが良い。

著名なジャズミュージシャンからあまり評価を受けなかった映画音楽も、わたしは気に入っている。すでに、多くの楽譜が販売され始めたが、吹奏楽でやりたいものである。(日本人作曲家によるアレンジ譜は、聴いて見たが、あまりにも稚拙な編曲であった)

もう一度見て気になったのは、やはり、ラストのフラッシュバックのようなシーンの挿入の仕方。演出が少し幼稚すぎた。ラストシーンをもう一捻りできなかったのか悔やまれる。顔のアップで終わってしまってよかったのかどうか?

それにしても、この映画では、少し癖のある女性を見事に演じたエマ・ストーンが良い。身のこなし、ダンス、それに歌もうまい。彼女もスターにのし上がるまでに幼い頃から苦労しているようだから、この役に対する思い入れは相当強かったのかもしれない。エマ・ストーンは、わたしが20数年前に知り合った女性と似ていたこととも関係しているのかもしれないが、すっかり、彼女のファンになってしまった。(映画『バードマン』での今時の女性の演じ方もうまかった。彼女は演技派女優と言って良い)

彼女の次回作が楽しみである。

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by kurarc | 2017-09-07 17:26 | cinema

ジャンヌ・モロー追悼

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ブログを再開。

この夏、ジャンヌ・モローが亡くなった。ジャンヌ・モローというと、何と言っても映画『死刑台のエレベーター』が頭に浮かぶが、私は、ニースを舞台とした『天使の入江』のジャンヌ・モローが一番気に入っている。晩年の映画『クロワッサンで朝食を』も良い。(ちなみに、クロワッサンはフランスではパンに分類されない)憎たらしい老人役がはまり役で、本当に憎らしい女性になりきっている。

ジャンヌ・モローは多分、好き嫌いのわかれる女優かもしれない。彼女は演技力がずば抜けている、と思う。それは、彼女の映画を見ていくとよくわかる。全く異なる性格の女性を演じ分けているのである。

それにしても、やはり一番のお薦めは、『天使の入江』である。映画監督ジャック・ドゥミ、音楽ミシェル・ルグラン、そしてジャンヌ・モローの破天荒な女性の生き様が見事に調和している。この映画を見たらきっとモロー嫌いのシネフィルもモローに脱帽するはずである。

名優が去ってしまうのは惜しいものである。日本で、ジャンヌ・モロー特集が組まれることを期待したい。
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by kurarc | 2017-08-26 17:10 | cinema

ヴィスコンティ 映画『若者のすべて』

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連休ということもあり、長い映画を観ることにした。多分、この映画を観るのは30年ぶりくらいになるかもしれない。長い映画は苦手なので、観る決心がつくまで一苦労する。およそ5時間というベルトリッチの映画『1900年』も大学生の時観たきりである。

最近、アラン・ドロンが引退したということもあり、この映画を観たくなった。イタリア南部出身の家族がミラノという大都市の生活の中でカタストロフィを迎えるという映画だが、およそ3時間、全く椅子から立ち上がることなく観ることができた。

ミラノの大聖堂の屋上からのシーンがちょど映画の中間に挿入されている。この映画の中で、空間を初めて感じられるシーンであり、以前観たときも強く印象に残っていた。

この家族がミラノの中で二度目に引っ越した集合住宅のプランが興味深い。中庭に面して、バルコニーが回遊しているが、そのバルコニーはお隣と何も敷居がないから、自由に行き来できる。日本では考えられないが、イタリアではよくあるプランなのかもしれない。映画の中で、このバルコニーで祝宴をあげるシーンがあるが、イタリアらしいシーンとなっている。

この映画で、のちに『シエルブールの雨傘』の主役を務めるニーノ・カステルヌオーヴォが一瞬登場しているのに気がついた。映画の主役は、何と言ってもアラン・ドロンといって良いだろう。彼は、この5人男兄弟の中で、聖人のような役割を演じているが、その役は彼の適役で、素晴らしい演技を見せてくれている。アラン・ドロンの引退は惜しまれるが、彼の映画はどれも彼がいるだけで輝いている。

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by kurarc | 2017-07-17 18:13 | cinema

映画『スライディング・ドア』 ドアという装置と二つの運命

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先日、キェシロフスキ監督の『偶然』という映画を紹介したが、この映画は、『偶然』からインスピレーションを得て、地下鉄(チューブ)に乗り遅れた場合、地下鉄になんとか間に合い乗れた場合という二つの物語(運命)を同時に描くという手法をとったラブコメディーである。

二つの物語(運命)を同時に描くとはどのようになるのか、興味深かったが、なるほど、このように展開するのかと納得。ほとんどがコメディータッチで描かれていくが、最後、二つの物語(運命)は共に意外な結末に。映画全体は軽快で、気分転換には良い映画である。

この映画のタイトルは「スライディング・ドア」だが、都市生活の中で、我々はこうしたドアによって流動する生活が分断されているということに気がつく。電車、エレベーター、バスなど我々はいわゆる自動ドアの生活にいつのまにか浸っているし、普段は意識もしないくらい当たり前の装置として存在している。しかし、考えてみると、電車に乗り遅れることになるのは、この自動ドアが「自動」で閉まってしまうからなのである。そのことによって、我々は常に電車に乗れるのか、乗り遅れるのか(または、あえて乗らないのか)という二者択一を迫られている。その連続によって、運命は日々更新、変化していると言っても良いのかもしれないのである。「スライディング・ドア」というテーマ自体、極めて現代的なテーマと言えるだろう。

ドアという装置の不思議さに改めて気付かされる映画である。

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by kurarc | 2017-07-06 21:51 | cinema

映画『海難 1890』 トルコと日本の友情

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以前から観たかった映画であり、やっと観ることができた。1890年に起きた和歌山県串本町(現在)でのトルコのエルトゥール号遭難事件と1985年のトルコ政府によるテヘランの日本人救出劇を絡ませた映画である。

わたしはこの映画に人並みならぬ思いがある。それは、この救出劇が行われた1985年3月19日の6日前、イスタンブールからバスを丸2日乗り続けてテヘランに着いていたからである。映画によれば(事実だと思うが)、3月19日からサダム・フセインが無差別攻撃を行うと宣言した状況であった。わたしはそのようなことも一切知らず、ただ、夜中に爆撃がひどくなってきたな、と不安を抱えていながらも、15日にはイスファハンにバスで向かい、無差別攻撃が始まる19日にはシラーズという街へ移動し、親切なイラン人の方と、シラーズの植物園を案内してもらっていたのである。(結果として、無差別攻撃されたテヘランから遠ざかっていたということになる。)

もし、テヘランで体調でも悪くし(実際、体調が悪かった)、あと6日ほど滞在していたらどうなったのであろうか?多分、わたしはトルコ政府が手配してくれた飛行機には乗れず(イランの日本大使館が把握していたのは、イラン在住の日本人のみであったと思う。もしくは、相当高級なホテルにでも宿泊していた日本人ではなかったか?わたしのように、窓のない2畳間程度の安宿に宿泊していた日本人など蚊帳の外であっただろう。)、テヘランの街の中で爆撃に合い、路頭に迷っていたか、死んでいたかもしれないのである。

イランでの爆撃がひどかったのを知ったのは、パキスタンのカラチに3月26日に着き、当時の東京銀行で日本の新聞を見たときであった。このときほど運命というものを感じたことはなかった。人の命とは実は紙一重だということを痛感することになった。

トルコという国は、やはりアジアの中では特別な国である。わたしもトルコ滞在中、日本人というだけで特別な振る舞いを受けた。例えば、バスに乗ると、日本人だとわかれば、一番前の席に座るように席を譲ってくれたり、とにかく親切に応対してくれるのである。

映画の方は、期待以上に良いできであり、力作であった。トルコのことをもう少し、力を入れて学ばなければと思う。

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by kurarc | 2017-07-02 22:12 | cinema

キェシロフスキ監督の映画『偶然』

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今日は東京外国語大学のポーランド映画の講座に参加。取り上げられた映画は、キェシロフスキ監督の映画『偶然』(1981)である。この映画は何度か観ている。冒頭の回想シーンの意味がよくわからなかったが、その疑問が解け、その冒頭シーンが重要な役割を果たしていることも理解できた。

誰でもこういうことはないだろうか。乗ろうとしていた電車に乗り遅れた、あるいは、なんとか走って無理やり乗ることができたということが。しかし、もしその無理やり乗った電車が事故に合い、その当人が死亡してしまったらどう思うのだろう?バスや電車の死亡事故が起こるたびに、私はそのようなことをよく思う。その電車になぜ乗っていたのか?なぜ乗らなければならなかったのか?

キェシロフスキ監督の映画『偶然』は、1)ある医大生が列車になんとか間に合い、乗れたパターン、2)乗り遅れたパターン、3)乗り遅れ、警備員と衝突、暴力をふるい逮捕されてしまうパターンという3つのパターンに分けて、同一人物が全く異なる3つの運命をたどることを描いた映画である。これだけでも興味深い主題の映画なのだが、その背景に、ポーランドの現代史が見え隠れしている。

そして、この映画は、未来と過去への問いかけのある映画でもある。ある年齢になるとすべての人間に過去が大きな事実として意識される。その時、その過去にどのような意識をむけるのか、どの過去にどれだけ注視するのかによって未来は変わってしまう。この映画はそのことを問うている。以上が久山先生の講義から理解できたことである。いつもながら先生の深い洞察には感服する。映画は色々あるが、名作と言われる映画は、とてつもない歴史、哲学を何気なく表現しているのである。

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by kurarc | 2017-06-30 22:08 | cinema

映画『海街diary』

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映画『海街diary』を何の予備知識もなく観た。映画監督の是枝裕和氏の映画を観るのは初めてのことである。舞台は鎌倉であった。

結論から言うと、いい映画であった、と素直には言えないが、かといって悪くもないといったところである。鎌倉の古い家屋を舞台として、若い女姉妹4人の生き方と心の動きを描いている。

初めは鎌倉の新しい描き方が表現されるのでは、と期待させたが、ロケに極楽寺駅を使用するなど、使用される撮影場所は紋切り型のものとなっている。鎌倉をよく知るものにとっては、期待はずれで物足りなさが残った。

是枝監督の映画を初めて観たので、他のものと比較できないが、是枝監督の関心事の一つは「家族」なのかもしれない。小津監督の家族の描き方とはもちろん異なる現代の家族のあり方を描いているが、その中に、小津映画に通づるような舞台をあえて選定しながら現代を描こうとしたこと。この映画はそこが狙いなのかもしれない。

映画の中の古い家屋を観ていたら、鎌倉の母親の実家が思い出された。母の実家は庭の大きな立派な家屋であった。わたしは夏休みにその実家に行って祖父母に会うことを楽しみにしていた。庭には、ザクロ、ぶどう、サルスベリなど多くの木々があり、隣の家の庭とも庭続きであり、古きよき鎌倉の風情が感じられた。映画を観ていて、祖父母の面影が現れたが、そのことがこの映画によるわたしにとっての収穫かもしれない。

わたしと同世代の映画監督ということもあり、今後の是枝映画に期待したい。



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by kurarc | 2017-06-27 23:17 | cinema

昨年に続き エリック・ロメール監督特集が

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昨年に続き エリック・ロメール監督の映画の特集「ロメールと女たち 四季篇」が6月3日から角川シネマで開催されるという。

以前も書いたように、夏近くになるといつも見たくなるのが映画「海辺のポーリーヌ」や「緑の光線」である。しかし、考えてみると、わたしはこの二つの映画を映画のスクリーン上で見たことはないのかもしれない。リスボンに滞在中、「恋の秋」を映画館で見たのが最後、そもそも、彼の映画の上映自体がほとんどないから仕方がない。

やっと、日本でもロメールの映画を味わおうというシネフィルたち、ロメールファンが増え、時代が成熟してきたということなのだろうか。そういうわたしもロメールの映画をすべて見ているわけではない。DVDでレンタルしているものがごく限られているためである。

この機会に足を運びたいと思う。

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by kurarc | 2017-05-31 16:04 | cinema


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