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カテゴリ:cinema( 179 )

黒沢清監督 映画『散歩する侵略者』

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タイトルを見たとき、この映画を観たくなった。原作も同名。原作者は前川知大氏。劇団イキウメを拠点として活動されているという。黒沢清監督の映画を注目するようになったのは、『ダゲレオタイプの女』からである。本当に最近のことになる。生意気なことを言えば、100点をつけたくなるような映画ではないが、90点はつけたい、そういう映画をいつも見せてくれる、それが黒沢監督である。同時代の日本の映画監督で90点をつけたくなる監督は、今のところ、黒沢監督しかわたしは思い当たらない。

映画『散歩する侵略者』は人によって様々なテーマが思い浮かぶだろう。わたしはこの映画が極めて政治的な映画であると思った。ある人は愛をテーマとしていると思うだろうが、わたしには愛をテーマとしているというには少し弱い。この場合、愛はオブラートであり、その中身は政治ではないか?黒沢監督はもちろん、様々なテーマを重ね合わせているというだろうが、わたしには政治映画として強く意識された。

タイトルが秀逸である。我々のまわりには様々な「侵略者」が忍び寄っている。それは、都市の中、日常に潜んでいる。そういう感覚のタイトルである。映画では侵略者は宇宙人となっているが、この映画では映画が進むにつれ、侵略者とは宇宙人ではないことに気がつくのである。そのことが政治映画であるとみなす理由である。残念ながら愛の描き方は今ひとつ稚拙で、説得力に欠けた。そこの詰めが完璧ならば、この映画は日本映画の中で相当な高得点を与えることができそうである。

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by kurarc | 2017-12-25 22:35 | cinema

陳凱歌監督 映画『さらばわが愛/覇王別姫』

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このブログで映画をよく取り上げるようになってきた。映画をメインにするつもりではないのだが、最近、よい映画にめぐり合うことが多く、必然的にブログに登場することが多くなったということである。

陳凱歌監督の映画『さらばわが愛/覇王別姫』を観るのは二度目(20年ぶりくらいだろうか)であるが、最近観た映画の中ではその出来は突出している。カンヌのパルム・ドールを受賞するのもうなずけるし、これほど人を泣かせる映画も珍しいのではないか。わたしは最初から最後まで涙が止まらなかったくらいである。

京劇の役者が中国の近現代史をどのように生き抜いてきたのかを表現した映画であり、途中に日中戦争時の時代も含まれる。この映画では、日本を中傷する場面はあるが、かといって台詞の中に日本兵を弁護するような場面も含まれている。それは陳凱歌監督の考えなのか、原作がそうなっていたのか定かではない。とにかく、原作を読みたくなった映画である。

中国映画は、1980年代によく観た。チャン・イーモー監督の『赤いコーリャン』に衝撃を受けてからであったと思う。その後、『芙蓉鎮』、『紅夢』他やウォン・カーウェイ監督の一連の映画などを観た後に、この映画を観たのだと思う。映画の中の色彩が強烈に印象に残っていて、また観たいとずっと思っていたが、台湾、韓国映画などに興味が移り、ずっと中国映画から遠ざかっていた。わたしは、特に天安門事件以後、中国映画への興味がうすれていったと思う。

しかし、この映画を見直して後悔している。『悲情城市』、『恋恋風塵』といった台湾映画と共に、わたしが観たアジア映画のベスト10に入るといってよいだろう。まさに圧巻と言える映画。この映画によって、ずっと遠ざかっていた中国にまた興味が湧いてきた。

*中国文学者の藤井省三氏はこの映画を優れた映画であると認めながらも、かなり批判的に眺めているようだ。どのような視点なのか気になる。

*来年2月には、陳凱歌監督による映画『空海』が封切られるという。
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by kurarc | 2017-11-26 20:33 | cinema

溝口健二監督 映画『浪華悲歌』 

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溝口映画は、戦前のものでは『残菊物語』(1939)以前の映画を観たことはなかったが、今回、初めて映画『浪華悲歌』(1936)を観た。この映画は、様々な意味で、その後の溝口映画における転換点を示す映画と言われている。

それは、関西弁によるリアリズム映画としてエポックメイキングであったこと。シナリオを担当した京都生まれの依田義賢が初めて参加した映画であったことである。依田義賢はあの映画『スターウォーズ』シリーズに登場する「ヨーダ」のモデルと言われるが、定かではない。しかし、それくらい、溝口映画をシナリオで支えた依田の功績が世界に知れ渡っているのである。

映画は、ある薬問屋で働く女性の破局を描いているが、その女性は破局を迎えても力強く生き抜いていくであろうというラストシーンで終わっている。特にこの映画でわたしが興味を引いたのは、そのモダンな映画セットである。螺旋階段やデザインされた家具類などが登場して、日本のモダニズム期である1930年代のインテリアを感じさせるが、その出来はというと、残念ながら少し陳腐であるが、モダンな世界を不器用にしか表現できなかった溝口のセンスがわかる貴重な映像であると思う。

モダンな世界が映画の背景に映し出されるかと思うと、その一方、人形浄瑠璃(『野崎村』近松半二作)が映画の中に挿入されていて、「世話物である浄瑠璃」、「世話物としての映画」という二重性を表現しているようにみえた。佐藤忠男氏は、溝口の作風を、先行する欧米の監督の影響をもたない監督として位置づけていて、溝口は、歌舞伎や、能、人形浄瑠璃、日本舞踊といった日本の古典芸能(さらに新派劇など)を映画の世界に移行させたと分析している。この映画の中で、人形浄瑠璃が引用されたのも偶然ではないのである。

依田義賢は著書『溝口健二の人と芸術』の中で、主演の山田五十鈴にふれ、ちょうど山田が結婚して子供を産んだ後の第1作に当たることを指摘しており、立派な仕事をしなければスターの座に留まれないという覚悟、意気込みであったことを述べている。(戦前、特に結婚して子供を産むということは女優(スター)にとっては致命的であった)そうした山田の気迫がこの映画に力強さを与えているのかもしれない。

古い映画だけに、映像が劣化していて見苦しさはあるが、溝口-依田映画の第1作として記念すべき映画と言える。この映画には1950年代に開花する溝口映画の種子のようなものがみえる気がする。

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by kurarc | 2017-11-24 22:28 | cinema

映画『HEAT』 音楽から

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稀なケースだが、映画を観る前にその映画音楽を先に把握して、その後映画を観る、ということがある。日本で公開されていない映画の場合は、その音楽だけしか把握できないものもある。

映画『HEAT』は、まずブライアン・イーノとU2による"PASSENGERS" というユニットの音楽に興味を持ったことから、この映画を知り、観ることになった。アル・パチーノとロバート・デ・ニーロの事実上、初の顔を合わせた共演映画である。広義のフィルム・ノワール的映画といってよいものだと思うが、なかなか楽しめた。

アル・パチーノ(警部)とロバート・デ・ニーロ(ギャング)との対決がどのようなかたちに収束していくのか、この映画ではそれが見ものとなるわけだが、ラストシーンは絵になるシーンで終わる。

音楽から入った映画であったが、その音量はかなり映画の中で控えめに使用されており、大きく主張することはない。"PASSENGERS"のユニットによる音楽よりも、クロノスカルテットとテリエ・リピダルのギターの方がこの映画では重要なシーンを演出している。特にテリエ・リピダルのギターはこの映画に官能性を付加することに成功している。

映画と音楽、二つをどのように設定するのか、このコンセプトを明確に位置付けた映画でなければ、映画は成功しないと思う。映画『HEAT』はそうした映画と音楽という面からのみ考察しても、相当に興味深い作品に仕上がっている。わたしにはまだ映画と音楽の連関という二つを分析できる力量はないが、今後も注視していきたい領域である。


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by kurarc | 2017-11-19 10:57 | cinema

映画『ジャック・ドゥミの少年期』を観る

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映画監督ジャック・ドゥミが少年から映画学校へ入るまでの物語を妻である映画監督アニエス・ヴァルダが撮影した映画が『ジャック・ドゥミの少年期』(原題:ナントのジャコ(ジャコはジャックの少年期の愛称))である。この映画の物語が真実に近いものであるならば、その後彼が発表する映画は、彼の少年期の様々な経験の中にすでに含まれていたと言える。

それが真実なのか創作なのかはむしろ問題ではないかもしれない。この映画では、ジャコが少年期の夢をそのまま一生涯の仕事にしてしまった物語が語られる。この映画を観ながら、ふと自分の少年期のことが思い出された。小学生の時に建築をやろうと思ったこと、小学生の頃住んでいた町工場のこと、である。わたしの実家は半分が町工場であり、普通の住宅ではなかった。玄関はなく、工場にまず入るのである。入るとすぐ頭上には工場で働く職人さんがセルフビルドでつくった昼寝用のスペース(4畳間ほど)である中二階があった。

現在進めている仕事で事務室の中に宙に浮いた吊り戸棚があるが、考えてみたらわたしの少年期に暮らした町工場の空間(中二階)とそっくりではないか。もちろん、この吊り戸棚は小屋裏収納がつくれないことからの苦肉の作ではあったのだが、わたしの頭の中にこうした吊り戸棚という回答がすぐに思い浮かんだのも少年期の町工場の空間を経験していたからかもしれない。

ジャコの映画は、映画をつくるための生涯であった、と考えるとわかりやすい。彼は10代までに経験したことを映画にするだけでよかったのであるが、そうした経験を映画という作品に孵化させることは並大抵の苦労ではなかったはずである。そのことをもっとも近くにいてわかっていたのがこの映画をつくった妻ヴァルダであったのだろう。ジャコはこの映画の撮影中、すでに難病に侵されていた。彼女はそうした苦労を語ることなく、ジャコの少年期の輝きを映画にした。そして、ジャコは少年のまま亡くなっていったのである。

*下写真は、ジャコを演じた子役たちとジャック・ドゥミ(右)。
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by kurarc | 2017-11-18 00:02 | cinema

近松門左衛門の方へ

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溝口健二監督の『近松物語』を観る。文学への関心は、最近では江戸時代へと向かっている。溝口の映画で、西鶴、秋成、近松の世界に近づいていたが、今もっとも興味があるのは近松門左衛門である。

それは、彼の生い立ち(武士を捨てた生き様)にもあるが、彼が民衆を常に意識して創作を続けたことによる。近松の世界は、世話浄瑠璃(文楽)の誕生へと収斂されていくが、恋に命をかけるというストーリー、つまり悲劇の中で人間らしさをあらわしたこと、そのことが浄瑠璃だけでなく、映画という表現に適した現代性を持ち合わせていると思えるからである。穂積以貫(これつら)は、近松の芸術を、「虚実皮膜 きょじつひにく("ひまく"ではなく"ひにく"と読んでいた)」、すなわち、「芸というものは実と虚(うそ)との皮膜の間にあるもの也」と書いたというが、こうした表現の同時代性にもあらわれているように、近松の創作は現代につながっている。

それにしても、溝口の『近松物語』もそうであるが、溝口映画の光の感じ、空間のつくりかた、物語の展開のスキのなさ、各々のシーンの象徴性(記憶に残るようなシーンの連続)など、すべてはわたしの好みと合致する。本当に素晴らしい映画をつくる監督である。映画から興味を持った江戸の文学をこれから、その文字そのものを読み、味わっていきたいと思っている。「虚実皮膜」のような魅力的な言葉に再び出会いたいためでもある。

*映画評論家の佐藤忠男氏はその著書『溝口健二の世界』のあとがきで、興味深い指摘を行なっている。
「小津安二郎を理解するためにはエルンスト・ルビッチやキング・ヴィダーを理解しなければならないし、黒澤明を理解するためにはジョン・フォードを知ることが欠かせないが、溝口健二を理解するために誰かヨーロッパやアメリカの巨匠を研究する必要はとくにない。それよりまず、歌舞伎や新派劇や能、日本舞踊に親しんで・・・その表現の形式がいかに形を変えて溝口の映画の様式に取り込まれているかを知ったほうがいい。」(平凡社ライブラリー版のためのあとがきより)

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by kurarc | 2017-11-15 01:03 | cinema

ジャズトランペッター リー・モーガンの映画

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この冬、ジャズトランペッター、リー・モーガンの映画『I CALLED HIM MORGAN』が公開されるという。

このところ、マイルズ・デイヴィス、チャット・ベイカーといったジャズトランペッターの映画の公開が続いていたが、今度はモーガンである。彼のCDを多くは聴いていないが、わたしはアート・ブレーキーとジャズメッセンジャーズでのプレイ『MOANIN'』でのモーガンが好きである。

彼のトランペットは、基礎がしっかりしていると感じられること、シャープな演奏、音のキレ(タンギングのうまさ)、テクニックの秀逸さなど文句のつけようがない。いわゆる、「うまい」トランペッターである。『MOANIN'』は1950年代の録音であるが、現在の演奏といっても通じるモダンなフレーズはプロのトランペッターもファンが多いはずである。

その彼は、奥さんに銃で撃たれ、死ぬという運命をたどった。短い生涯であったが、彼が長生きしていたなら、チャット・ベイカーと互角の評価を受けていたのではないかと彼のCDを聴いて感じる。モーガンが1980年代以降まで生きて、電子的な楽器とどのようにコラボレーションしたのかなども想像してみたくなるが、それも叶わなかった。

それにしても、ジャズトランペッターの生涯は悲劇で終わることが多いのはなぜだろう?

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by kurarc | 2017-11-03 10:30 | cinema

池袋 新文芸坐

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雑用で池袋に行った際、新文芸坐の様子を見に立ち寄った。池袋の東口、ストリップ劇場のあるような猥雑な繁華街を抜けた先に新文芸坐がある。新文芸坐はすでに新しい建物に建て替わっていたが、その建物の3階に映画館は生き残っていた。ここへ来るのは多分、15、16年ぶりくらいになるだろうか。最近、旧作映画はDVDで見ることが日常茶飯事になり、映画館から足は遠のいている。

以前も書いたが、この新しい建物になる前の新文芸座を設計したY先生は、わたしの予備校時代の絵の先生であった。わたしたちによく映画のただ券を配ってくれたので、ここに通うこともしばしばあった。東京における映画館の聖地の一つといってよい場所である。

興味をひいたのは、無声映画が上映されていること、いまだにオールナイト上映がなされていることである。学生の頃はたまにオールナイトで映画を観ることがあったが、ここ30年くらい、オールナイト上映からも遠ざかっている。

先日紹介した『talk to her』という映画で重要な役割を果たしているのは無声映画で、映画内映画として登場している。わたしも無声映画はほとんど観た経験がない。今度、無声映画を観に、新文芸坐を利用したいものである。

*新文芸座の無声映画には、弁士が入り、ピアノ演奏が入るものもある。
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by kurarc | 2017-10-27 14:18 | cinema

映画『talk to her』

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アルモドバル監督の映画『talk to her』を15年ぶりくらいに観直した。劇場で公開されたときに観て以来である。こんなにも素晴らしい映画だったことまですっかり忘れていた。

ピナ・バウシュの舞台『カフェ・ミュラー』から始まるこの映画は、最初から最後まで、涙の意味を問う主題が貫かれ、その中に、様々な愛のかたちが挿入されている。二人の昏睡状態になった女性が対比して描かれるバロック的映画。

途中、エリス・レジーナの声とカエターノ・ヴェローゾの生演奏がスペイン映画を異化、映画の色彩もスペインらしい。そして涙。ここではアルモドヴァル監督が述べるように、涙は悲しみではなく、「美は痛みたりうる」というコクトーの言葉からインスピレーションを得た「美しさに対する涙」であり、「痛みに似た感情」としての涙が表現されている。「人はあまりに美しいものに出会うと、喜びよりむしろ痛みに近い感情から涙があふれてくる」、そのようなアルモドバルの思いが映画の中で表現される。

昏睡状態の一人を演じるレオノール・ワトリングが輝いている。チャプリンの娘ジェラルディン・チャプリンも重要な役で登場し、映画に深みを与えている。泣く男、マルコを演じたダリオ・グランディネッティとワトリングの看護師役ハビエル・カマラも絶妙の配役。傑作といえる映画である。

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by kurarc | 2017-10-23 23:11 | cinema

シネマ・アンシャンテ

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映画『LA LA LAND』にインスピレーションを与えたジャック・ドゥミの一連の映画は、「シネマ・アンシャンテ」と呼ばれる。

"enchanté"というフランス語は、通常「初めまして」といった挨拶の言葉、「魅せられた」という意味の言葉として知られているが、この言葉の中に、”chanté”という「歌われた」という意味が含まれていることもあり、ドゥミは、特に映画『シェルブールの雨傘』をフィルム・アンシャンテ(film en-chantéー歌で魅せる映画)と名付けたという。(山田宏一)

今年は『ロシュフォールの恋人たち』50周年を迎えたこともあり、10月からドゥミの一連の映画のリバイバル上映が恵比寿ガーデンシネマで予定されている。それに合わせて、『シネマ・アンシャンテ』(山田宏一、濱田高志著)というドゥミの業績をたどる素晴らしい書物も発売されたばかりだ。

この書物では、ドゥミと音楽を担当したミシェル・ルグランの世界がこれでもかと堪能できる。ドゥミの映画の秘密、ルグランの音楽の秘密がかなり明確に理解できるような内容になっている。

『ローラ』、『シェルブールの雨傘』、『ロシュフォールの恋人たち』の三部作はわたしにとって掛け替えのない映画で、何度見ても飽きることがない。今秋は、映画館でこれらの映画を鑑賞できるまたとない機会が訪れようとしている。秋は、映画の季節になりそうである。


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by kurarc | 2017-09-27 17:35 | cinema


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