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カテゴリ:cinema( 160 )

昨年に続き エリック・ロメール監督特集が

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昨年に続き エリック・ロメール監督の映画の特集「ロメールと女たち 四季篇」が6月3日から角川シネマで開催されるという。

以前も書いたように、夏近くになるといつも見たくなるのが映画「海辺のポーリーヌ」や「緑の光線」である。しかし、考えてみると、わたしはこの二つの映画を映画のスクリーン上で見たことはないのかもしれない。リスボンに滞在中、「恋の秋」を映画館で見たのが最後、そもそも、彼の映画の上映自体がほとんどないから仕方がない。

やっと、日本でもロメールの映画を味わおうというシネフィルたち、ロメールファンが増え、時代が成熟してきたということなのだろうか。そういうわたしもロメールの映画をすべて見ているわけではない。DVDでレンタルしているものがごく限られているためである。

この機会に足を運びたいと思う。

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by kurarc | 2017-05-31 16:04 | cinema

ピアソラの名曲 ”REMEMBRANCE"

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ピアソラの担当した映画音楽の中でも、映画『ENRICO Ⅳ(エンリコ4世)』の音楽はどれも名曲ばかりである。2年ほど前にもこのブログで取り上げたが、やはり私は”REMEMBRANCE"がもっともよい。ピアソラの曲のエッセンスをすべて持ち合わせたような名曲である。

映画の冒頭、確か列車(車?)の中から外部の風景が流れていくシーンとこのゆったりとした曲の対比がよく、そのシーンだけで映画に釘付けにされてしまった。ジャック・ドゥミの『天使の入江』の冒頭のシーンと同じような感覚である。

”REMEMBRANCE"という曲だけが英語のタイトルなのだが、これは一体なぜだろうかと気になり、わたしなりの結論を出してみた。”REMEMBRANCE"の動詞”REMEMBER"の語源は、古ラテン語であり、その言語は古フランス語に受け継がれていた。つまり、イタリア語には、この語に直接対応する言葉がない。強いて言えば、”MEMORIA”だが、これを監督のマルコ・ベロッキオは気に入らなかった。ラテン語の起源を暗示する言葉を使用したいし、イタリア映画なのでフランス語を使う訳にもいかず、最終的に英語を選択した、というのがわたしの想像である。

この映画はまだ一度しか観ていない。記憶と忘却をテーマとしたような映画。2015年にやっとDVD化されたようなので、再度音楽を楽しみながらじっくりと味わいたい映画である。

*”REMEMBER"は「再び+心にかける」が原義。”MEMORIA”の方は、いわゆる「思い出すこと」が原義。この微妙な原義の差異がベロッキオ監督にとって重要であったということか。

*この映画の最大のテーマは、ENRICO Ⅳ(エンリコ4世)という狂人を前にして、人はいかに振る舞うのか、ということ。狂人を面白がるもの、必死に治そうとするもの、あるものは道化を演じるものetc. 狂人を前に人は我を失ってしまうということだ。そして、マルコ・ベッキオが狂人として描いたものは何を意味してたのか、それは明白だろう。

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by kurarc | 2017-05-09 16:31 | cinema

映画『霧の中の風景』再見

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10年ぶりくらいにアンゲロプロス監督の映画『霧の中の風景』を観る。映画音楽や象徴的なシーンの印象だけは強く残っていたが、各々のシーンなど細部についてはほとんど忘れかけていた。映画は忘れるからまた観たくなるのである。

結論から言うと、こんなによい映画だったのか、と改めて感じた。1988年の映画とは思えず、古めかしい感じは全くない、普遍的な映画である。アンゲロプロスは自分の子供のためのおとぎ話をつくりたかった、ということだが、もちろん、生やさしいおとぎ話ではない。

手短に言えば、姉弟が不在の父をドイツに探しにいく、というロードムービーである。父はドイツにいないのだが、その父がドイツにいるということを信じて、幼い姉弟が旅をする。その過程で、姉は少女から恋を経験して大人に近づいていく。特に、わたしは今回、この姉の心の動きに注目して映画を観た。

字幕を担当した池澤夏樹さんは、この映画は物語ではなく、詩で構成されていることを指摘している。その点、わたしも同意するが、今回わたしは、アンゲロプロスの映画がシュルレアリスムの影響を大きく受けていることを感じた(誰もが感じることだろう)。彼の映画とシュルレアリスムとの接点を指摘している批評家はいるのだろうか?わたしは、そうした批評に今まで出会ったことはない。

この映画を観ていて、映画『エル・スール』(1983年)が頭をよぎった。共に子供たちの演技の光る映画である。子供たちが重いものを背負っていることも共通している。もしかしたら、アンゲロプロスは映画『エル・スール』の影響を受けていたのかもしれない。



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by kurarc | 2017-04-02 23:36 | cinema

映画『LA LA LAND』

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普段はアカデミー賞をとったからといって、映画を観に行くようなことはないが、この映画『LA LA LAND』は特別である。この映画が、ジャック・ドゥミの映画『シェルブールの雨傘』や『ロッシュフォールの恋人』からインスパイアされたミュージカル映画と知ったからである。

映画の日、夜仕事を早めに終わらせ、地元の映画館へ脚を運んだ。結論から言うと、エンターテイメント映画としては申し分ないできばえであり、音楽もよかった。アメリカ版のシェルブールの雨傘、及びロッシュフォールの恋人と言える内容だが、それだけではない。わたしのまだ観たことのない映画のアレゴリー、引用に満ちている。(詳しくはパンフレット参照)

監督のデイミアン・チャゼルの相変わらずのジャズ好き、そして映画好きがこれでもかと登場する映画であること。そして、ロサンゼルスという都市の魅力を引き出したことなど、古典的映画をよく研究した上で、この映画を製作したことがよく理解できて、チャゼル監督の映画に対する誠実さ、謙虚さに好感が持てる内容になっている。

映画が公開されてまだ日が浅いので、あまりストーリーについてはふれないが、この映画がアカデミー賞の作品賞を逃したのは、きっとラストシーンの詰めの甘さからだったのではないか。残念なのはその点だけである。少なくともシャルブールの雨傘に匹敵するようなラストをつくれたのなら、この映画は作品賞も受賞できたのではないか?

それにしても、わたしはもう一度、今度は少しスクリーンから距離をとって観たいとおもった。クローズアップが多かったこともあり、それにしては少し前で観すぎてしまったからである。あれこれ言ったが、お薦めの映画であることに全く異論はない。

*この映画にはかなり厳しい批評も見受けられる。このチャゼル監督の目指しているのは、きっとジャック・ドゥミのような品のある映画ではなく、徹底したエンターテインメント重視の映画だろうから、そもそも批評の対象に取り上げられる映画と言えるのかどうか?映画を観ていて、楽しいか、楽しくないか、そのどちらかの映画であり、楽しい映画に出来上がっているのだからそれでよいと思う。逆に、わたしはそうした単純な、直截的な映画をつくれるチャゼル監督の力量こそ評価したい気がする。

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by kurarc | 2017-03-02 22:14 | cinema

映画「天使の入江」とニースの記憶

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ジャック・ドゥミの映画「天使の入江」は、まず冒頭の1分間で釘付けになってしまう映画である。ジョンヌ・モローの顔のアップが現れたかと思うと、その彼女から遠ざかるようにニースの海岸を疾走する車。その車の後ろにはカメラがセットされているのだろう。彼女の姿は一瞬にして消えてしまう。そのシーンには燃えるようなルグランの曲が流れている。

ジャンヌ・モローは苦手な女優であったが、わたしはこの映画の演技を観て彼女の演技力にすっかり魅了されてしまった。モローはわたしの印象では重い女の役が多かったと思うが、ここではコメディエンヌさながらの軽いギャンブル好きの女を演じている。その演技が今までわたしが抱いていた彼女のイメージを覆してくれるのに十分であった。

この映画を観る前、実はあまり期待はしていなかったのだが、その期待はずれの期待を見事に裏切ってくれた。この頃のジャック・ドゥミの映画はすべてすばらしいものばかりである。

ニースはかつて一度訪れたことがある。しかし、地中海の海水がやけに澄んでいたこと、湖のような海岸だった記憶があるだけで、あまり覚えていない。わたしはニースからサン・ポール・ド・ヴェンスの街に建つ建築家ホセ・ルイス・セルト設計の美術館に行くためだけに立ち寄った。日記によれば、ニースから歩いて2時間以上かかったとある。こうした何気ない想い出というものがわたしには最も貴重な記憶なのである。



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by kurarc | 2017-02-24 22:10 | cinema

オムニバス映画

仕事が忙しくなってきた。このようなときには映画を楽しむ余裕すらなくなってくる。しかし、幸いオムニバス映画というものがある。15分程度の物語りをいくつか収めた映画だから、ちょっとした時間があれば映画を楽しむことができるのだ。

アントニオーニ監督+ヴェンダース監督の『愛のめぐりあい』の中の第4話「死んだ瞬間」は、何度みたかわからない。この映画が好きなのは、舞台がエクサン・プロヴァンスであることが大きい。初めてヨーロッパ旅行をしたとき、わずか2日立ち寄っただけの街であるが、この街がわたしの中で大きな記憶に膨れあがっているからなおさらである。先日も久しぶりに見返したが、この映画の音響が気になった。

この映画は、昼から夜にかけての半日を描くが、はじめに小鳥のさえずる音からはじまり、泉の水の音、教会内のミサの音楽(音響)、雨(雑踏の音)、雷から最後に映画音楽を導入して終わる。音の展開とシーンの展開が完全に計算しつくされている。イレーヌ・ジャコブが階段を駆け上がりながら流れる音楽はいつ聴いても美しい。(このシーンも、階段を上がるという上昇性と彼女が明日、修道院へ入る身であることが重ね合わされていることはあきらかであろう)

忙しいときには優れたオムニバス映画をいくつか用意しておけば、映画熱を少しだけ冷ますことができるのである。

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by kurarc | 2017-01-11 23:13 | cinema

映画『道』

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フェリーニの映画『道』を久しぶりにみる。この映画を初めてみたのは、30年ほど前、沖縄で暮らしていたときのこと。テレビの名作劇場のような番組でこの『道』が上映された。わたしはこの映画に衝撃のようなものを受けて、それ以来、忘れられない映画として、何度もみている。

最初にみたときには、ザンパノが海岸で泣き崩れるラストシーンが悲しくて仕方がなかった。今回、この映画をみて、フェリーニの映画の流れに興味をもった。特に、前半の流れるようなシーンの連続についてである。車の動き(車の後部座席からの視線、人が遠ざかっていくシーンが繰り替えされた)、大人から子供たちの自然な動き、シーンの展開、これらが演出をしてできあがったものとはとても想像がつかないのである。

そして、ニーノ・ロータの音楽。この映画ではトランペット(ロータリー・トランペット)が象徴的に使われるが、映画音楽と映画の中で使われる音楽が重なっていることも重要である。そして、この映画で映画音楽は、ジェルソミーナを主題としている点にも注意が必要である。ジェルソミーナの生の記憶として、音楽が生き続けるというシナリオは、あまりにも美しい。

見事な映画、としか言いようがない。この映画に匹敵するのは、この時代(1950年代)、溝口健二監督の映画くらいしかわたしには思い浮かばない。

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by kurarc | 2016-12-17 23:43 | cinema

映画『奇蹟がくれた数式』

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映画『奇蹟がくれた数式』は、南インドの天才的数学者、ラマヌジャンの短い生涯を描いた映画である。

この映画を見終わって、かつて、インドに旅したときのことが甦った。デカン高原の都市、マンドゥでのことである。貴重なイスラム遺跡の残る街の小さな雑貨屋で買い物をしたとき、店の少年が商品を包んでくれた紙の裏には、紙一面に数式が書き込まれていた。少年が計算用紙に使ったものだったのかもしれない。紙は貴重品なのだろう。そうした紙をとっておいて、商品の包み紙にしたのだと思う。「おもてなし」を大切にするどこかの国では、考えられないことだが、インドという国では、そのようなことは何度か経験して、すでに慣れていたから腹立たしくなるようなことはなかった。

天才とは本当に存在する、とラマヌジャンの映画をみて素直に感じた。32年という短い生涯の中で、彼は三冊のノートを残していった。彼がイギリスのケンブリッジに招聘される前、石版に白い石筆(いわゆるロウセキのようなものだろうか?)で数式を書いては、それを肘で消すことを繰り返しながら、新たな公式を発見し、それをノートに書き残したのであった。

以上は、藤原正彦氏による『天才の栄光と挫折 数学者列伝』(文春文庫)によるが、この数学者巡礼のような書物は、先日このブログで取り上げた、アラン・チューリングについても一章が設けられている。悲劇の天才と言えるラマヌジャンも一つの幸運に恵まれた。ケンブリッジ大の講師であったハーディーという数学者との出会いである。彼は、他の数学者と異なり、ラマヌジャンの数学の重要性を理解し、共同研究者として、彼の業績を論文のかたちにまとめていった。ハーディーがいなかったなら、ラマヌジャンの数学は日の目をみることはなかったかもしれないのである。

残念なのは、映画の出来である。映画の質、特に前半は最低であった。ラマヌジャンのインド時代を描いていたが、インドに残した妻に対する恋慕の描き方が稚拙すぎる。映画としては難点があったが、ラマヌジャンの生涯を知ることができたのは有意義であった。

*数学者ハーディーを演じたジェレミー・アイアンズの演技は光っていた。落ち着いた人格、リベラリズムを根に持つ良識ある英国紳士という役柄は、彼には適役であった。



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by kurarc | 2016-11-05 21:49 | cinema

天才たちの映画

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最近気がつくと、天才と言われる人たちを描いた映画を見続けていた。少し前に紹介したホーキングの自伝的映画『博士と彼女のセオリー』や、アラン・チューリングのエニグマ解読を扱った映画『イミテーション・ゲーム』である。現在、それに加えて、東急ル・シネマでは、ハーディとラマヌジャンという天才数学者の交流を描いた映画が上映されている。こちらの方はまだ未見である。

これらはどれも事実にもとづいた映画であるところが興味深い。そして、どれも想像を絶する苦難と信じられないような生涯が描かれている点で共通している。天才と言われる人々は、多くの難問を背負わなければならない運命の人たちなのであり、その難問を見事に解決していく人たちなのである。だから、天才と言われる訳であるが、アラン・チューリングの場合、それは、国家機密(ナチの暗号(エニグマ)解読)にかかわることであっただけに、暗号解読後も秘密保持には困難を極めた。暗号が解読されたことをナチに知られないように戦争を進行しなければならなかったため、多くの人を救うことができた反面、犠牲者となる人々がわかっていてもその情報を秘密にしなければならなかったのである。

チューリングはホモセクシャルであったために、戦後のイギリスにおいても有罪となり、その治療法に女性ホルモンを投与されたのだという。不思議なことに、ホーキングもチューリングも、普通人ではなかったが、彼らを理解しようという異性(女性)に恵まれたことは幸運であったとしか言いようがない。

我々の使うコンピューターの基礎をつくりだしたのはチューリングがその一人であり、わたしも多くの恩恵を受けている。一人の変わり者により社会は劇的に変わっていくことの証左、それがチューリングの生であったのだが、残念ながら、最期はカタストロフィーを迎え、わずか41年の生涯を閉じることになる。

人と変わっている、と言われることを恐れないこと、天才から学ぶことはわたしにはそのくらいしかできそうもない。

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by kurarc | 2016-10-30 21:57 | cinema

映画『ダゲレオタイプの女』をみる

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黒沢清監督の映画はあまりみていないが、この映画は、なかなかよかった。なにがよかったのかというと、男の感情がよく表現されていたことである。映画は概して「女優」のものでありがちだが、この映画は、女優(ここでは、コンスタンス・ルソー)もさることながら、男優である男のたちの演技が光っていた。

付け加えるならば、この映画は男の悲しみがよく描かれていた。恋をした女性や最愛の女性、一緒に暮らした女性と死別したり、死別しないまでも別れてしまったとき、男はどのような感情になるのか、男が最も弱音を吐くときは、そのような時であろうが、そこを黒沢監督は巧みに描いているのである。

ダゲールがニエプスと共同研究し、ニエプスの死後、1837年に銅版写真術を完成させ、これをダゲレオタイプ(仏語では、ダゲレオティプと発音されるのだろう)と名付けられた。(ダゲールは、以前からカメラ・オブスクーラの像を定着させたいと思っていたーヴァルター・ベンヤミン著『図説 写真小史』より)ダゲールが望んだこの像の永続化、永遠化が、この映画では幻(幽霊)やカタストロフィーと連続していることが興味深い。

目の前にみえているものは、現実なのか、あるいは幻なのか?そのような疑問は、ありふれた日常を過ごしているときには頭の中に思い描くことはない。しかし、一端なにがしかのカタストロフィーをむかえた途端に、目の前にみえていたものが、幻のように思える瞬間がある。日本人は、この5年の間、そうした経験を何度も味わってしまった。

この映画は、前半よりも後半に、より緊張感が感じられた。映画でしか表現できないことを黒沢監督はよく描ききっていた。そして、ラストは悲しかった。

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by kurarc | 2016-10-16 20:29 | cinema


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