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カテゴリ:鎌倉-Kamakura( 52 )

古本屋

昨日、とある要件で、急遽、鎌倉に出かけることになった。少し早く着いたこともあり、時間をつぶすために、鎌倉の公文堂書店に立ち寄る。

この書店は、由比ケ浜通りに面した古本屋である。わたしは、見知らぬ街に出かけたりすると、目に付く古本屋をのぞくことにしている。古本屋に入ると、その街の人の脳みその中をのぞくことができるからである。古本屋のレベルの高い街は、その街の知的レベルも高い場合が多い気がする。

鎌倉の古本屋である公文堂書店の特色は、鎌倉に関する古本が多いということと、様々な分野の古本が比較的よくそろっていることである。わたしが鎌倉に住んでいる頃見かけた、神奈川県立近代美術館鎌倉館で開催されたピラネージ版画展のカタログ(1977年開催)がいまだに売れずにおいてあった。この展覧会のカタログは、以前ブログにも書いたが、わたしが建築に興味を持つきっかけつくってくれたものであり、わたしの宝物の一つである。

昨日は、前田愛著の『幻景の明治』(岩波書店)を購入した。「パノラマと『舞姫』」という章が目に入ったからである。これは、鴎外の小説『舞姫』は、鴎外のパノラマ経験が背景にあることを分析した小論である。ベンヤミンの『パリ 19世紀の首都』との比較あり、バルザックの小説との関連ありと、新しい知というものが、いかに当時の技術的知覚と密接に関わっていたのかを知ることができる。

公文堂は良い古本屋であると思うが、古本の単価が高いこと、書店内の整理が行き届いていないことなどが難点であろうか。とはいえ、鎌倉にずっと残ってほしい古本屋である。少し高いと思って購入するのをためらったポーランド語辞典を、今度行ったときには購入するかもしれない。
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by kurarc | 2015-06-07 22:33 | 鎌倉-Kamakura

鎌倉 こ寿々(こすず)のファサード

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鎌倉の由比ガ浜通りを久しぶりに歩いた。駅寄りに新しい建築が数多く建設されているのには驚いたが、その乱雑な佇まいにも驚いた。

そんな中、わらび餅で有名な「こ寿々」(上写真)がある。入り口を中心として向かって右にショーウィンドーが、左に店内が竹垣を透かして見える。特筆すべきは、店の前に張り出した小庇。およそ2メートル程度の高さの位置に庇がついているが、このスケール感と店の規模とが調和していて、この前を通ると、なぜか店に吸い込まれて行くような吸引力をもつデザインになっている。

私はこの店のような数寄屋風のデザインは、あまり好まないが、「こ寿々」のデザインのもつ力には関心がある。この店のようなスケール感をもつ建築が周りから消え失せて行くために、この店が余計に際立ってきている。

鎌倉らしい甘味どころの一つといってよいし、こうした店はずっと維持していってほしい。
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by kurarc | 2014-04-16 22:19 | 鎌倉-Kamakura

そなえる鎌倉 第3回シンポジウム開催

今年の8月より連続して行っている(社)ひと・まち・鎌倉ネットワーク主催による第3回目のシンポジウムを鎌倉の由比ケ浜公会堂で行った。

本日の講師は、東京大学大学院教授、中井祐先生。いろいろ興味深いお話を伺うことができたが、中井先生の被災地調査で明らかとなりつつあるという仮設の中に、「微高地」や「旧街道」沿いにつくられていた集落は災害を免れている、というもの。

昔ながらの集落は海に近い集落であっても小高い土地に集落が形成されていて、災害を免れているケースが数多く発見できたという。逆に地名として「新・・・」や「・・・浜」といった地名のところはおおよそ壊滅的な被害を被っているという。つまり、新・・・や・・・浜という地名のところは昔は砂浜であったり、低地であったりした地域を無理矢理近代以降都市化した地域。今回の津波災害によって、こうした地域は住宅も流され、結局もとの砂地、砂浜にもどってしまった。

人間を中心に考えると津波災害とはネガティブなものとなるが、そもそも津波とは自然を中心に考えると、自然に帰ろうとする現象の一つであると考えられる。土地には自然(今回は水)による記憶が刻まれている。そうした自然の痕跡を読み取り、自然の摂理を踏まえた街づくりが本来はもっとも望ましいのだ、というのが中井先生の考える長期的な街づくりの展望である。

また、近代以降、日本は「拡大」することこそ近代であった。今後は「縮小」するための論理なり哲学が必要になるということだが、これは全く未知の領域と言えるものであること。「縮小」し、街を「集約する」こと、そしてポジティブな意味でのコミュニティ(地縁のような)をどのように形成していくのかが、今後、防災、減災を考えたとき、都市に求められるということだろう。
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by kurarc | 2012-10-21 21:01 | 鎌倉-Kamakura

梅雨明け

梅雨明けの猛暑の中、打ち合わせのため東京へ出かけ、夜9時前に帰宅。

東京との温度差を肌で感じる。東京は風が流れていなかったため、暑さが街の中に淀んでいる感じであった。夜鎌倉へ帰ると、暑さはそれほど感じず、心地よい風が流れていた。

いつもの北鎌倉の谷の田んぼには、まだかなりの数の蛍を発見できた。稲の中を飛んではまた降りの繰り返し。空の星と蛍が重なる。

我が家ではまだエアコンは使用していない。特に夜10時を過ぎると、涼しい風で暑さは感じられない。今年は湿気もそれほどでないため、かなり快適である。ビールを飲むにはちょうど良い室温である。

*本日、天童木工より新しいカタログが届く。強化ガラスのローテーブルが新たに一つ増えていた。天童木工らしく、我々の強化ガラスのテーブルも、強化ガラスに飛散防止フィルムが貼ってある。安全性を第1に考えた天童木工らしい気遣い。
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by kurarc | 2012-07-17 21:14 | 鎌倉-Kamakura

鎌倉の境界線 腰越と片瀬

以前から鎌倉市の西の境界は腰越(鎌倉市)と片瀬(藤沢市)で分かれるが、グーグルなどで見るとわかりやすいが、むしろ境川までが鎌倉市の方が地形の特性上、素直であると思っていた。つまり、片瀬も鎌倉市に含まれていることの方が普通に感じられる。

腰越についてウィキペディアで調べてみると、18世紀、この腰越と片瀬を隔てる事件が起こっていたことに気がついた。この事件がきっと腰越ー片瀬を隔てる原因に違いない。

以下、ウィキペデイアより引用
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1768年(明和5年)5月 - 腰越村と片瀬村との間で境界紛争が起こる。

同年3月10日に、難破船の船板(長さ5間、幅3尺)が1枚、腰越村に流れ着いたが、これを片瀬村の者が引き揚げたことが発端となった。腰越村側の主張は、「1727年(享保12年)に腰越村と竜口寺との間であった争いの際に、片瀬村との境界は確定しており、杭も立てられていたが、片瀬村側がこれを抜き取り、杭の位置よりも2町腰越村寄りを境界としようとしている。」とするものであった。
これに対し、片瀬村は「船板が流れ着いた場所は、従来から片瀬村の者が地引網漁を営んできていた土地であり、1727年の判決に従ったとしても、問題の場所は片瀬村の土地であり、腰越村が片瀬村の土地を不当に奪おうとしているものである。」と主張した。
この紛争は1776年(安永5年)に決着した。判決では、双方の言い分とも採用されず、1727年の判決以前には竜口寺が「片瀬竜口寺」と呼び習わされていたことから、竜口寺を片瀬村側とするような境界が新たに定められた。また、腰越村は沖合い漁を、片瀬村は地引き網漁を、互いに入会(いりあい)として行ってきていたことを認定し、今後もこの慣例どおりとすることと言い渡された。

*市に分かれる以前の鎌倉郡の時代を含めると、私が考えたような単純なことではなかったようだ。片瀬が藤沢市になるのは戦後すぐ。それまでは、鎌倉郡に含まれている。
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by kurarc | 2012-07-07 23:04 | 鎌倉-Kamakura

鎌倉の生け垣 アノニマスなデザイン

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鎌倉で市の募集する景観アドヴァイザーに就任していたことがある。市民から10名委員が選出される。委員会が月に一度催され、およそ2年間委員を務める。委員の最後にイベントが催され、私が就任したときには、鎌倉の住宅と道路の境界(敷地際)のデザインについて魅力的なものを公募し、表彰した。

その中には魅力的な生け垣が数多く含まれていた。鎌倉で感心するものの一つはこうした街路と住宅の境界部分の手入れが行き届いている住まいが多いことである。鎌倉らしいアノニマスなデザインの一つ。

今日も歯医者に行く途中、小町1丁目を歩いていると魅力的な生け垣に出会った。ブロック塀を隠すように美しい緑が覆う。ヒメイタビやイタビカズラといった植物によって、ブロック塀を緑の壁に変えてしまうような緑化方法も鎌倉でよく見かける。この手法は緑化ということと同時にブロック塀の転倒防止にもなる。こうした美しい生け垣を一度写真で収集したいと思っている。
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by kurarc | 2012-06-01 00:14 | 鎌倉-Kamakura

北鎌倉のランドスケープ

北鎌倉は横須賀線を挟んで伸びやかな谷状のランドスケープをもつ。

昨日は昼過ぎに北鎌倉女子学園の裏にでる道を自宅の梶原から北鎌倉駅に下って行った。この道は、犬の散歩にはもってこいの山道で、山道にしては明るく、北鎌倉のランドスケープを堪能できる道。女子学園付近から円覚寺方向を望むスケール感は見事で、円覚寺までの距離はおよそ1km。眺望と呼ぶのにふさわしい距離感である。鎌倉の中で最も美しい谷風景と言えるのではないか。

しかし、この道の途中で大規模な開発が始まろうとしている。この付近には開発反対の旗が道沿いに並ぶ。最も美しい風景を狙い撃ちしたような開発事業である。この土地からの眺めはさぞかし美しいに違いないが、対岸の円覚寺方向からの眺望がどのようになるのか気がかりである。

女子学園の裏山の道は相当の鎌倉好きの方しか行かないと思われるが、名所旧跡巡りだけでなく、このようなガイドブックにも載っていないような山道を歩くのも鎌倉の楽しみの一つと言える。梅雨に入る前の新緑の季節、北鎌倉周辺や台峰と言われる地域は絶好のハイキングコースと言っていい。
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by kurarc | 2012-05-27 00:56 | 鎌倉-Kamakura

鎌倉 春の音

今日は 午後11時過ぎに北鎌倉駅から自宅まで歩いて帰った。この時間に歩いて帰るのは女性では多少物騒なのだが、夜の鎌倉を味わうには格好の道である。

瓜ガ谷という谷状の道には小川が流れていて、初夏には蛍を楽しむことができる。今特に気になるのは夜に鳴き始めるウシガエル?の鳴き声だろう。昼間はウグイス。最近は昼間に狸を見たばかりだ。新芽を食べる台湾リスも騒がしい。ウグイスは姿を見せない鳥と言われているが、鎌倉ではよくお目にかかる。

鎌倉も開発が進んでいるとはいえ、まだまだこうした里山の自然を楽しむことができるが、これもあとわずかの時間だろう。そうなってはいけないのだが、危機感は日に日に増している。それと共に著名な建築家たちの仕事もあっという間になくなろうとしている。
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by kurarc | 2012-04-16 23:37 | 鎌倉-Kamakura

鎌倉カレンダー

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鎌倉で洋館や民家などのイラストを多く手掛けるイラストレーター、伊東雅江さんから「鎌倉2012カレンダー」(上 表紙)を送っていただいた。

本当は我々のような専門家と言えるものが洋館等のイラストを描けばよいのだろうが、我々はつくることに頭が忙しく、外でスケッチするような時間がなかなかもてない。

小難しい話よりも、魅力的な一枚のイラストの方がよっぽど市民の方々に洋館の魅力を伝えるのに役に立つと思う。伊東さんのイラストは星の王子さまの作者サン=テグジュペリのイラストを思わせ魅力的である。(そういえば、星の王子さま、の「さま」はひらがなである。最近漢字にするかひらがなにするのか、かなり分かれてきた)私にはこのイラストのようなファンタジーあふれるものは到底描くことはできそうもない。

*私が子供の頃は、内藤濯訳の『星の王子さま』しかなかった。最近は、『小さな王子さま』、『小さな王子』と直訳に近いものや、『プチ・フランス』などケーキを思わせるような訳まで出版されている。訳者も10名以上にのぼる。やはり、フランス語で読みたい一冊である。
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by kurarc | 2012-01-29 21:29 | 鎌倉-Kamakura

エッセイ 江戸と鎌倉

5年ほど前に書いた江戸と鎌倉に関するエッセイを掲載した。このエッセイは、鈴木理生(すずきまさお)さんの著作『江戸はこうして造られた』(ちくま学芸文庫)の中で、江戸と鎌倉との関係を記述している部分を中心にまとめたものである。以前、一般社団法人ひと・まち・鎌倉ネットワークのHP上に発表されていたが、HPが更新され、文章が削除されたため、ブログに掲載することにした。
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江戸と鎌倉

2006年10月の終わりにJIA(社団法人日本建築家協会)のイベントで、日本橋の百貨店や近代建築を見学したのだが、そのイベントに参加する前に日本橋について調べていたとき、鈴木理生さんの著作『江戸はこうして造られた』(ちくま学芸文庫)に出会った。この著作は、家康が1590年に江戸入りをし、およそ100年の間にいかに大江戸を形成していったのか(江戸の都市計画)を主題としているが、その前史として、鎌倉と江戸湊(湊とは海、川、陸の接点の意)との関係に多くを割いている。江戸前史と鎌倉の接点に関する部分を、鈴木理生さんの著作からまずは紹介したい。

鈴木さんはこの本の初めに、家康の江戸経営の第一歩が、円覚寺領江戸前島の“横領”で始められたという興味深い事実を指摘している。江戸前島とは、現在の日本橋から新橋あたりまでの地域で、家康が江戸入りしたころは、現在の東京湾に突き出した半島状の地形をなしていた。西側は日比谷入江の海であり、周辺は様々な川(旧入間川、旧石神井川、平川(神田川、日本橋川の原型))が集積した土地であった。それでは、なぜこの土地が円覚寺領であったのか?そのなぞは鎌倉時代までさかのぼる。源頼朝は、様々な物資の集積地であった江戸湊河口の制河権を握っていた江戸重長からこの土地を取り上げ、江戸湊を含む利根川水系の流域を寺社領に切りかえていった。これは、重要な地域を寺社に寄進することで、宗教を利用しながら間接統治が行うためであった。さらに、頼朝は、幕府成立後すぐに現在の渡良瀬川と荒川にはさまれた地域の堤防工事を命じ、当時湿地であった埼玉平野を開発し、水田化することで鎌倉幕府の経済的基盤を築いていった。

こうした事実を知ると、当時の交通の中心が舟運であったことを想像すれば、六浦から朝夷奈切通(あさいなきりどおし)のルートの開発が自ずと理解できる。それは、東京湾経済圏と鎌倉を密接に関係づける舟運の確保のためであった。鈴木さんによると、朝夷奈切通は、六浦の入江に注ぐ侍従川(じじゅうがわ)の川上の分水嶺を掘り起こし、滑川水源部を結んだものだという。当時は切通入口(六浦側)の約300メートル手前まで侍従川の水路が通じていた。つまり、朝夷奈切通は、途中から陸路になるものの、いわば鎌倉と東京湾を結ぶ運河の機能を果たしていたということがわかる。一方、切通ができたことにより、東京湾側は将軍や幕府の重臣たちの保養地化がはじまった。金沢文庫は、もともと北条実時の別荘の一部として創建されたものだという。 

また、鈴木さんは、鎌倉幕府の工事に陰陽師が関わった興味深いエピソードを紹介している。埼玉の低湿地開発が一段落したころ、幕府は多摩川の水から灌漑用水をつくり、水田開発に利用しようとした。この工事は、いわば鎌倉時代の「玉川上水」で、飲料用として開発した江戸の玉川上水に対応する。この開発の際、将軍頼経は、開発地が鎌倉の真北に位置するために(大犯土(だいぼんど)=大凶と判断された)、「方たがえ」といって将軍の居所を吉方に移して工事が始められた。(現横浜市鶴見の秋田城介善景の別荘に移住した。)当時、工事の着工前には陰陽師の判断が不可欠であった。

本書を読んでいてひとつ気になったことがある。それは、鎌倉の和賀江島である。鎌倉史跡事典(奥富敬之著)によれば、六浦という鎌倉のいわば外港ができたのにもかかわらず、六浦に重点が移ることはなかったと記述されている。これははたして事実なのだろうか。和賀江島はもともとの岩盤を基礎として波よけのために築島を行ったものと言われているが、その形状からして良港であったとはどうしても想像できない。先日、小樽に行ったとき、現地の方に聞いた話では、小樽では防波堤ができるまでは、艀舟(はしけぶね)を利用し、大型船からの荷物の運搬をおこなっていたことを聞き、鎌倉時代にも、そのような小型の船を多用しながら荷物の運搬を行なっていたのではと勝手に想像してみた。小型の舟であれば和賀江島程度の港でも十分機能すると思われるためである。これについてはまた後日、ゆっくりと調べてみることにしたい。

鈴木さんの著作の中心はあくまで江戸の都市計画の話である。江戸がいかに合理的なまちづくりを行っていったのかがよくわかる内容となっており、こちらの内容も非常に興味深い。一方で本書は、その前史である鎌倉時代以後の状況を丹念に遡ることにより、鎌倉に興味をもつものにとっても十分に楽しめる内容となっている。歴史学、民俗学、地理学、考古学、建築学、都市学などを横断した記述は見事で、読んでいて飽きることがなかった。江戸に対する関心はいまだに衰える様子を見せないが、この本はその中で特に建築畑の人間にとって最も興味深い一冊だといえる。初版は、『江戸の都市計画』(三省堂)として1988年に単行本として出版されているので、もうすでに読んだという方も多いに違いないが、大航海時代前史として鎌倉をとらえる、という視点も与えてくれた本書は、今読み直しても新鮮に感じられるに違いない。
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by kurarc | 2012-01-16 22:11 | 鎌倉-Kamakura


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