Archiscape


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by S.K.
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カテゴリ:gastronomy( 122 )

西国分寺 クルミドコーヒー

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先日、雑用のため西国分寺に行ったついでに、以前から気になっていた西国分寺南口のクルミドコーヒーに立ち寄った。西国分寺の駅を降りるのは30年ぶりくらいになるが、南口駅前は高層の集合住宅の立ち並ぶ住宅街に変化しており、中央線沿線では珍しい景観となっていた。クルミドコーヒーはその中のこじんまりとした集合住宅のB1階、1階、2階を利用したカフェであった。

まずは、クルミドコーヒーの中の深炒りを注文した(深深炒りもあった)。こちらのコーヒーは水出しコーヒーである。わたしが入った地下の空間の壁際にいくつも水出しコーヒー用の機器が並び、水出しコーヒーをつくっていた。

評判のカフェであるので、かなり期待して訪れたが、結論から言えば、わたしには合わなかった。まず、東京の郊外で普通のブレンドが650円という値段設定が信じられない。少なくとも500円以下にすべきだろう。(先日麻布十番で入ったオスロコーヒーですら一杯500円であった。味もこちらの方が美味しかった)味も650円を出すほど美味しくはない。それに、わたしは地下に案内されたが、カフェに入り、座席を案内されるという方針も合わない。レストランであれば致し方ないが、カフェでは座る席は自分で選択したい。また、案内された地下空間は空調機の音が気になり、落ち着かなかった。こちらのカフェであれば、2階の方が心地よさそうだ。

また、伝票の代わりに、動物の小さな木製の置物が置かれる。会計はそれを持って会計するのだが、こうした「かわいい」をコンセプトにしたやり方は、わたしには「気持ちが悪い」。日本はいつからこうした「かわいい」に媚びた均質化が始まったのだろう。いい加減にやめてほしいと思う。

この近辺に住む住人もきっとこのカフェを利用する人と利用しない人の二つにはっきり分かれると思う。コーヒーはそもそも650円を出して飲む飲み物とはわたしは思っていないので、こうしたカフェが流行るのは、わたしは好ましいこととは思っていない。わたしはドトールで十分である。欲を言えば、ドトールがスタバ並みにもう少しインテリアデザインを考えて店舗をつくってくれることを願っている。

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by kurarc | 2017-10-09 17:39 | gastronomy

佐賀のお菓子 肥前ケシアド

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カステラがポルトガル伝来のお菓子(スペイン伝来の可能性も否定できない)であることは広く知られている。すでに世界各国の華やかなスィーツが手に入る日本では、素朴なカステラを食べる人は相当減少していると思われる。しかし、わたしは躊躇なくカステラをスィーツ、あるいは和菓子の代表と考えたい。この究極の厳選された素材でつくられる菓子、洋と和を融合した結晶のような菓子は他に思い浮かばないからである。

ポルトガルではもう一つ代表的なお菓子がある。「ケイジャーダ」と言われるチーズタルト(ポルトガル語でチーズを「ケイジョ」という)で、シントラというリスボンからほど近い街のものが有名だが、地方ごとにそれぞれ独自の「ケイジャーダ」がある。

そして、驚いたことに、このお菓子も日本に伝わっていたことを最近知った。佐賀の鶴屋という和菓子店で、その製法が伝わっていたが、当時、チーズの入手、製造が困難だったこともあり、その代わりにかぼちゃを代用したのだという。そして、最近になってチーズ、かぼちゃ、シナモンなどを使った独自の「ケイジャーダ」を当時の言い方に習い「肥前ケシアド」(上写真、鶴屋HPより借用)と名付け、販売している。

わたしもまだ食べたことはないが、使う素材から、どう考えても美味しいとしか思えない。血糖値が上がりやすい体質のため、最近スィーツは控えているが、このお菓子は一度体験してみたいと思っている。残念なことに、東京では手に入らない。購入したい場合は、直接店に注文しなければならない。

*下に鶴屋のHPよりその由来を示した文章を引用しておく。(由来の中には「ケイジャータ」と記されているが、正しくは「ケイジャーダ」である。)

由来~
 創業370年(1639年創業)の当家には、代々伝わる「鶴屋文書」という4冊の菓子の
製造書があります。江戸時代中期の宝暦5年(1755年)頃書かれたと思われるこの中の
1冊に「菓子仕方控覚」というものがあり、ここに南蛮菓子のひとつ「ケイジャータ」の記載が
あります。これは「長崎夜話草」(1720年)にも当時の長崎土産として紹介されています。
 元来「ケイジャータ」はチーズを使ったタルト風の菓子で「ケイジョ」とは、ポルトガル語で
「チーズ」を意味します。「ケイジャータ」は現在でもシントラ地方の伝統菓子として有名です。
鶴屋文書では、当時入手困難であったチーズの代用として、当時佐賀で比較的簡単に
入手できた「ぼうぶな」(かぼちゃ)の餡を使用したと書かれています。そしてこの「ぼうぶ
な」を使った「ケイジャータ」は「けし跡」「けし香」などの名前で佐賀藩主鍋島家にも献上
されたことが同じく「鶴屋文書」に残されています。しかし、残念ながらこの菓子は、製法が
むずかしいため時代とともに姿を消し、今では「鶴屋文書」に製法を残すのみとなっていま
した。
 鶴屋では、この伝説の菓子の再現を試みました。「鶴屋文書」に残る製法に従い、そこに
当時の職人たちが手に入れられなかった(手が届かなかった)チーズやシナモンを加える
ことで、職人たちの「あこがれ」を表現しました。
そしてこの度「肥前ケシアド」として復刻し、皆様に御賞味いただけるようになりました。
江戸時代の昔、「肥前の国、佐賀」にあったこの菓子を偲んで、末永く御愛顧いただけま
すようにお願い申し上げます。 


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by kurarc | 2017-09-30 11:04 | gastronomy

弁当は美味しいか?

ここで取り上げたいのは、手作りの弁当ではなく、コンビニやスーパーで売られている弁当のことである。健康志向が進み、カロリー制限から糖質制限といった流れも定着してきたが、相変わらず弁当の貧しさに変化が見られないのはどうしたことだろう?

コンビニやスーパーへ行っても、食べたい、買いたい、と思われるような弁当は並んでいず、もしそういうものがあれば、女性たちによってすぐに買われてしまい、残るのは唐揚げ弁当、ハンバーグ弁当など揚げ物を中心とした貧しい弁当の売れ残り。男たちはそうした貧しい弁当を500円程度払い、10分程度で食べて、昼食は終わる。

日本食が大々的に取り上げられ、その「健康的」な食がメディアに度々登場するのにもかかわらず、この現実との落差はどういうことなのだろう。不満があるなら自分でつくるしかないではないか、と言われればそうかもしれないが、わたしが海外で経験した食生活を思い出してみても、イギリスのサンドイッチと日本のコンビニ弁当は良い勝負ではないか。

問題は、価格なのか、買う側の問題、あるいは弁当をつくる側(コンビニやスーパー)の意識の問題なのか?ポルトガルのようなラテン世界で過ごした経験のあるものには、この貧しさにはなかなか慣れることができないし、憤りすら日々感じてしまうのである。そもそもラテン世界ではコンビニのような空間はなく、あっても、日本の弁当のような売り方はしないだろう。イタリアであれば充実したお惣菜屋が街には必ずある。バルは昼にはレストランに変わり、おばさんたちがつくる昼食が安く提供されているから、常にできたての昼食が味わえることになる。現在でも価格は日本円にして500円〜600円程度だと思う。

日本人の食生活は貧しいのか、豊かなのか?弁当を見ているといつも考えてしまうのである。

*上のことは、「弁当」だけでなく、「定食」という食文化にも言える。

*コンビニは、すでに21世紀の食文化を考えるとき、モデルとして破綻していると思わざるを得ない。コンビニは、例えば、各県単位(あるいは都市単位で)で独自のモデル(独自の品、独自のサービスほか)をつくったら面白いのかもしれない。ローソン、ミニストップ、セブンイレブンなどしかコンビニがない、というのはどこかおかしい。

*コンビニを利用するときにいつも感じる空虚さ、白々しさはなくならない。ものを買うためにだけ行き、便利だからつい利用するわけだが、ただそれだけなのだ。何かを買う、ということには文化が感じられるべきだと思うのだが。

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by kurarc | 2017-09-26 12:52 | gastronomy

明治屋 丸ビルストアー

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東京駅周辺に出ると、いつも立ち寄るのが、丸ビル地下の明治屋である。最近、東京では成城石井など、明治屋の品揃えと肩を並べる食材店ができてきたが、わたしは、なぜか明治屋の方を選ぶ。

以前は、フランス、プロヴァンスのタプナードが常備されていたので、それを必ず買っていたが、いつのまにか置かなくなった。少し高めだったこと、日本ではまだポピュラーではないからかもしれない。

最近必ず買うのは、スペイン、パプリカのムース(上写真)である。これを、朝食時、バゲットに乗せて食べる。また、コクテール堂のコーヒーが常備していることも明治屋を選択する理由かもしれない。さらに、紅茶、お茶、その他コーヒー、ジャム類、チーズなどが充実している。お菓子類も豊富で、こちらは身体のために食べないが、どれも一工夫されたものが並んでいて、見ているだけでも楽しめる。

品揃えは大きく変わらない(厳密に見ると、かなり差があるかもしれない)のに、なぜ、明治屋に行きたくなるのか?それは、やはり、店に品が感じられるせいだと思う。品物の並べ方ひとつひとつに愛情が感じられるのである。いつも、商品が乱れていることもない。だから、少し高くても、つい立ち寄ってしまうのだと思う。

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by kurarc | 2017-09-06 17:36 | gastronomy

アロシュ・デゥ・ポルボ(タコの雑炊、タコのリゾット)

久しぶりにタコの唐揚げを食べる。タコやイカは大好物だが、タコというと忘れられないのが、ポルトガル滞在時によく食べたアロシュ・デゥ・ポルボ(タコの雑炊、タコのリゾット)である。日本でいうタコの雑炊であるが、赤ワインとトマトで煮込むタコのリゾットといったほうがわかりやすいかもしれない。

ポルトガル滞在時、わたしはこの料理に魅せられて、各地方へ行った時に、この料理がメニューの中にあれば必ず注文した。その中でも、ポルトガル北部、スペイン、ガリシア地方に近いヴィアナ・ドゥ・キャステロという街で食べたものが最も美味しかった。今でもその裏路にあった小さなレストランの場所はおよそ記憶している。

関西ではタコは明石と決まっているが、明石のタコは、瀬戸内海の潮流とカニを食べているため、身が引き締まり、美味しいものとなるらしい。旬は夏場とのことだが、その季節になったら、わたしもこのアロシュ・デゥ・ポルボ(タコの雑炊)を明石のタコを使い挑戦したい。

気をつけなければならないのは、日本で出版されているポルトガル料理本である。いい加減なものが多く、わたしが持っている本でも、この料理にワインもトマトも使っていないという有様である。(これでは、いわゆる日本のタコご飯と変わらない)現地ではこうした調理方法もあるのかもしれないが、タコが最も活きる調理方法を掲載すべきである。日本での情報には気をつけなければならない。

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by kurarc | 2017-04-10 18:41 | gastronomy

『コンビニコーヒーは、なぜ高級ホテルより美味いのか』通読

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少し前、コーヒーに少し飽きがきたことをこのブログで書いたが、タイトルの川島良彰氏の本を通読し、やはり、それはわたしがまずいコーヒーを飲んでいたからであったことに気がついた。

サードウェーブコーヒーといった言い方がなされ、カフェ文化が新たな段階に入ったようなことがテレビやラジオで流れてくるが、川島氏によれば、それは、アメリカ西海岸の尖った一派が日本の多様なコーヒー文化に触発された結果なのだという。だから、「ブルーボトルコーヒー」が日本に進出して、大騒ぎになるようなことは、アメリカ人自身、想像していなかったことなのだという。日本では、それ以前に優れた抽出方法で美味しいコーヒーを入れていたのだから。

この本は、美味しいコーヒーの淹れ方のようなマニュアル本ではない。多くは、コーヒーの世界について著されている。その点について、ここで詳しく述べても意味がないので、川島氏がコーヒーを美味しく淹れる方法をいくつか抜粋しておこうと思う。

1)コーヒー豆は買ってきたら、トレーなどに移して、欠陥豆を取り除く。これで、随分と美味しくなるとのこと。

2)真空パックされた豆は買わないこと。焙煎後、豆は炭酸ガスを放出するが、その炭酸ガスとともに香りを逃さないようにすることが重要で、その炭酸ガスを真空パックは取り除いてしまっているということ。

3)コーヒー抽出に適正なお湯の温度は85〜90度。

4)コーヒー豆は「果実」である、ということを忘れずに。焙煎よりも、まずは豆そのものの品質が第一。

まずは、川島氏がプロデュースするコーヒー店に足を運んで、美味しいコーヒーとはどのようなものか把握することか・・・

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by kurarc | 2017-04-06 22:09 | gastronomy

タラのアクラ フランスのクレオール料理

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在日フランス大使館のHPの中にフランスの食文化を紹介しているコーナーがある。その中に紹介されている料理のレシピをながめていると、グラドループのクレオール料理”タラのアクラ”(上写真、在日フランス大使館HPより引用)が紹介されていた。

この料理に興味を持ったのは、ポルトガルのバルでよく供される”パスティシュ・ドゥ・バカリャオ”(タラのコロッケ)とそっくりな料理であったからである。

塩タラを使う料理はユダヤ文化と関わりがあるとどこかで読んだことがあるが、どうもそれだけではないのかもしれない。フランスから遠く離れたカリブ海に浮かぶフランスの海外県グラドループ(アンティル諸島内)にこのような料理がなぜあるのか、興味深い。

ポルトガルと異なるのは、唐辛子や生姜などスパイスの効いたソースと共に供すること、ジャガイモを使わない(コロッケではない)ということである。見かけはほとんど同じと言ってもよいもので、前菜のように供されることも似ている。

ポルトガルのタラのコロッケは、もしかしたらアフリカの影響があるのかもしれない。

この在日フランス大使館のHPは編集がすぐれていて、フランスに興味をもつものに親切でわかりやすい。フランスは多くの国に囲まれていることもあり、ドイツ、スペイン、イタリアから影響を受けたと思われる料理、植民地としたアジア、アフリカなど多くのクレオール料理が存在することも興味深い。

*ブログのバグだと思うが、なぜか少し編集をすると、一部文字が拡大されてしまう。わたしが意図的に拡大しているように思われてしまい、心苦しい。


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by kurarc | 2017-03-05 12:24 | gastronomy

野菜スープを主食に

事務所の引越しで忙しく、なかなかスープを仕込む時間がなかった。今晩、やっといつものスープを仕込む。およそバケツ一杯の野菜を一気に煮込む。これで一週間分である。

すでに、野菜スープ(大豆など豆を含んだもの)を食前に飲むことが習慣になってしまったので、飲めない間は食事が落ち着かない。何か不足した感覚がつきまとうのである。特に、外食では野菜スープを食前に飲むことは無理だから、せめて、前菜として野菜サラダを口にする。

3年ほど前にこのブログで取り上げた糖質制限食はかなり市民権を得てきたように思う。牛丼屋のような場所でも、ご飯の替わりに湯豆腐を提供する店も出てきた。それとは正反対のカフェがスターバックスである。甘い菓子、甘いコーヒーが大人気である。ここは、マクドナルドがカフェ化したのと変わらない。

労働がデスクワーク化してきたこともあり、定食は日本人の健康を蝕むメニューとなった。定食は肉体労働食なのである。労働時間中にほぼデスクから離れないようなホワイトカラーの主食には、野菜スープが適していると思っている。もちろん、肉体労働をするブルーカラーにも、野菜スープは適している。血糖値の変動を抑えてくれるからである。

日本人から白米をぬぐい去ることはできないだろうが、もうすぐ誰もが気づくことになるだろう。日本人の食生活を根本的に変革しなければならないことが。

*日本人のアイデンティティを支えているような日本食が、実は現代の日本人にとって大したメリットがないこと。これは大きな社会問題である。糖質制限食と命名したのは、むしろ、そうした問題を直接的に指摘することを避けた巧妙な戦略だったのである。



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by kurarc | 2017-02-11 20:01 | gastronomy

カフェの現在

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一日にコーヒーを何杯も飲むようになったのはいつごろからだろう。最近、出先で飲むものはそのほとんどがコーヒーである。わたしはコーヒーを飲みたくて飲んでいるのか、それとも飲まされているのか?

コーヒーは好きだから、「飲まされて」いたとしてもそんなには気にならないが、都市においてカフェ文化が浸透するにつれて、少しばかりコーヒーにあきてきたことも事実である。

わたしはある記憶を鮮明に持っている。20歳の頃、代官山のヒルサイドテラスにあったアルバイト先の建築事務所で働いていた時のことである。その事務所にはすでに小さいコーヒーメーカーが打ち合わせスペースに置いてあり、そこにある著名な建築家が訪ねてきた。わたしはその建築家にコーヒーを出そうとすると、「お茶がいいな」と言ったのである。

その建築家の心情は、多分以下のようだったはずである。

「建築事務所に来ると、いつもコーヒーばかりだされるな。たまには日本茶くらいいれたらどうだ。」

つまり、35年以上も前からコーヒーは「お茶」として浸透し、蔓延していた。すでに、飲むのではなく飲まされる状況にあったとその建築家の言葉を聞いて思ったのである。

カフェはヨーロッパでは文化の発祥のスペースであった。わたしがリスボンに滞在中、よく通ったカフェ・ブラジレイラ(上写真、pinterestより引用)は、ペソアというモダニズム期の詩人が仕事場としたカフェであり、ポルトガルのアヴァンギャルドたちのたまり場でもあった。カフェとは文化そのものだった。

そんな理想論を言ってもはじまらないかもしれない。現在のカフェの大半は、自習の場であったり、スマホをみる場、雑談をかわす場といったところが関の山であろう。様々なタイプのカフェが増えていることは興味深いが、そこから何か新しい文化が生まれてくるような空間になっているのかは疑問である。たとえば、東京のカフェというものを徹底的に調べて、論文が書けるだろうか?

カフェは今後どこへ向かうのだろう?

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by kurarc | 2017-01-29 18:18 | gastronomy

豆菓子

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豆(あるいは種)が大好きである。毎日なんらかの豆や種を食べている。スープには必ず大豆を入れるし、家のガラス瓶にはいつもアーモンドやカシューナッツ、ピーナッツほかをミックスしたものを常備している。

先日、有楽町駅前の交通会館の中にある地方の物産を販売している店で、「塩豆」という菓子が目に入り、購入した。長崎五島のとっぺん塩(「とっぺん」はてっぺん、一番の意味とのこと)によって味付けされた豆菓子は美味であり、食べ始めると止まらない。

この「とっぺん塩」も気になる。ゲランドの塩がほとんどなくなりかけているので、今度はこの塩でスープをつくってみるか。

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by kurarc | 2017-01-12 21:43 | gastronomy


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