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by S.K.

カテゴリ:Brazil( 5 )

第10回 ブラジル映画祭 2015へ

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ユーロスペースでの最終日、ブラジル映画祭に立ち寄る。今日のプログラムの中に、アレイジャジーニョ(ブラジルバロックの彫刻家、建築家、本名アントニオ・フランシスコ・リジュボア)の短編映画が含まれていたからである。

その他、「粋な男」とトニーニョ・オルタ(ギタリスト)の短編映画の3本だてであった。会場に入ると「粋な男」の主人公のサンビスト、セルジーニョ・ベーアガーの生演奏が行われているではないか。映画祭に来たつもりであったが、サンバの楽しめる映画祭という粋な計らいであった。

アレイジャジーニョについて、日本で興味をもっている研究者は皆無であろう。もしかしたら、ブラジル文化の研究者の中に、この天才について研究している方がいるかもしれない。この短編映画で教えられたことは、彼の仕事がバロックだけでなく、ロココの文脈で読み解かれなければならないということ。やはり、観に行ってよかったと思う。

いつもは静かなユーロスペースのエントランスホールがブラジル人たちの来場が多かったこともあり、全く別の空間に変わっていた。彼らの明るさはどこから来るのであろうか。どこかの首相もアメリカで演説などしないで、ブラジルともっと友好を深めるべきである。
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by kurarc | 2015-04-30 23:58 | Brazil

映画『汚れた心』 ブラジル日系社会の暗部

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渋谷のユーロスペースで上映されている映画『汚れた心』は、ブラジルに興味のあるものは観ておいた方がよい映画だろう。映画の質自体は首を傾げてしまうが、第2次大戦後におこったブラジル日系社会の血なまぐさい事件については、日本において、あまり知られていないからである。

簡単に言ってしまうと、第2次大戦後、ブラジル日系社会に日本の敗戦という情報が伝わりにくかったこともあり、(本当は伝わっていた)日系人同士で敗戦を認めるものと認められず大日本帝国の神話をひきずったもの同士で殺し合いがおこったのである。それは、負け組、勝ち組という言い方がされ、お互いの主張が交錯してしまった。

負け組の方は事実を認め、冷静であったが、勝ち組の方は神話に翻弄されてしまった。真実を口にするものが、犠牲になってしまうという悲劇がおこった。(それは、時代が変わった今も大して変わっていないが)映画ではその悲劇によって夫婦も分断されてしまう様が描かれている。

映画『汚れた心』はこの事実を殺し合いの映画としてかなり矮小化してしまったことは残念だったが、日本の俳優たちの熱演は光っていた。(しかし、常磐貴子がなぜ台詞のない役であったのかは不明)日本人がブラジルに正式に移民をはじめて2018年は確か110周年を迎えるはずである。オリンピック、ワールドカップとこの日系社会の歴史など、 2010年代はブラジルが注目される10年になることは間違いない。

歴史の恐ろしさを教えてくれる映画である。それは、今の日本人が最もよく理解できるテーマではないか。
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by kurarc | 2012-08-06 23:24 | Brazil

カフェとコーヒー その微妙な差異

最近、様々なカフェがいろいろな町に誕生している。しかし、未だにエスプレッソを飲む習慣は日本人には定着していないようだ。イタリアをはじめラテン世界ではコーヒーと言えばエスプレッソである。通常はデミタスカップに少量のコーヒー(およそ30ml)が抽出される。ポルトガルでも、カフェといえばこれである。また、この小さなカップにこれでもかと砂糖を入れて飲むのがラテン世界での飲み方の基本になる。(ラテン世界では粉を何グラム使い何mlのカフェを抽出する、といった具体的な決まりがある。ラテン世界は具体的なのである。ラテン世界がアバウトであるという認識は大きな間違いである。)

ドトールコーヒーでも、まずエスプレッソを頼んでいる人は見かけない。習慣とは恐ろしいものである。カフェ・ド・セントロ(日本ではまだ少数)というドトールに似たカフェではブラジル式のコーヒーを出してくれる。それは、エスプレッソと共に炭酸水がついてくる。はじめに炭酸水で口を洗い流してから、エスプレッソを飲むという飲み方になる。ブラジルでは水が出てくる場合が多いと聞く。(ブラジルでコーヒーを飲んだが、水がついてきたかどうか記憶にない。ブラジルではインドの紅茶と状況が同じで、質の悪いコーヒーを飲んでいるという。良質のコーヒーは輸出してしまう。)

スターバックスコーヒーとドトールコーヒーの違いは、コーヒーの種類、味もそうだが、ドトールでは、ホットドックのようにその場で調理して出すというメニューがあるが、スタバではそれがない、というところに着目する必要がある。ポルトガルでもカフェ、バル、パン屋など必ずその場でつくってくれるメニューがある。それは、もちろん出来立てを食べることができるため、非常においしいし、添加物も必然的に少ないものを食べることができる。(日本のように、お湯で暖めたものを出すようなこともない。私が子供の頃、日本のパン屋でもバターをぬってくれたり、ジャムをぬってくれていた。)

リスボン在住時、語学レッスンへ行く途中、朝に立ち寄る行きつけのバルがあった。毎日のように同じものを(「クロアッサン コン ケイジョ」=クロアッサンにチーズを挟んだもの+「ガラオン」硝子カップで出されるカフェラテのようなもの)頼んでいたら(もちろん、これもつくられたものではなく、クロアッサンに切れ目をいれ、チーズを挟んでつくってくれる。これにバターをぬりたければ、ケイジョのあとに 「イ マンテイガ ファシュ ファボール」と言えばよい)、私が店に入るや否や、この二つが出てくるようになった。海外では顔をちゃんと覚えていてくれる。またこの店にいったら、すぐに同じメニューを出してくれそうな気がする。

*以前ブログに書いたと思うが、カフェを注文するときには、必ずいくつ注文するのかを言わなくてはならない。日本では、一人でカフェにはいった場合、「ブレンドコーヒー」と頼むだろうが、例えばポルトガルでは、「カフェ、一つ」(ウン カフェ ファシュ ファボール)と「ウン=一つの」を付け加えて注文しなければならない。そうしないと、「いくついるの?」(クワント?)と問い返されてしまう。ここらへんも具体的でなければならない。
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by kurarc | 2012-07-14 22:29 | Brazil

ジョイスの名曲 『Essa Mulher』(或る女)

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以前(20070330)、エリス・レ( ヘ)ジーナのCD『Elis, essa mulher』(或る女)をこのブログで紹介した。その3曲目がこのCDのタイトルになっている『Essa Mulher』である。

曲はジョイスが担当し、歌詞はアナ・テーハが担当している。ジョイス、ワンダ・サーをはじめ多くの歌手が歌っているが、アレンジを含め、エリスの歌が最もよいと思う。この曲の歌詞もまた非常に魅力的なポルトガル語である。以下に少し紹介しておきたい。

歌詞は3つのパートに分かれている。タイトルの通り、「或る女」を描いているのだが、それは3つの様態の「女」、ポルトガル語で「senhora(スニョーラ 既婚婦人)」、「menina(メニーナ 少女)」、「mulher(ムリエール 女または、年頃の娘、既婚婦人)」の順に描写されている。

3つのパートは一人の女の過去と現在を描写しているようにも、また、3人の世代や育ちの異なる女を描写しているようにも思われる。短い歌詞の中で、女の生涯を感じさせる実に魅力的なストーリーであり、映画音楽のように感じられる。

興味深いポルトガル語は、

第1パート"secar os olhos"(直訳は「眼を乾かす」から「涙をかわかす」の意)
第3パート"secar o bar"(直訳は「パルを乾かす」から「酒をあける」「酒を飲む」の意)

この表現が対になっていることで、「涙」と「酒」も対として扱われている。つまり、「酒」を飲むことは「涙」を飲むこと、つまり「涙」を乾かすことと対応している。第1パートの涙は幸せに対する、第2パートの涙は喜びに対する、第3パートの涙は不幸に対する涙の表現。

また、それぞれ3つのパートは時間描写があり、

第1パート"manhã cede(早朝)"・・・senhora
第2パート"tardezinha(夕暮れ)"・・・menina
第3パート"madrugada(夜明け)"・・・mulher

のように、それぞれ一日の時間を女の様態と象徴的に結びつけて表現している。早朝から夕暮れ、夜明けと一日の時間の流れの中に、ある女の一生を凝縮させた表現とみることもできるかもしれない。

ライナーノーツの訳は、近藤紀子さんによるもの。『ペソアと歩くリスボン』(彩流社)の訳者でもある。上のような表現は、現代ポルトガル語辞典(白水社)を調べても出てこない。「バルを乾かす」など実に興味深い表現と言えるのではないだろうか。

*この歌を歌っている頃、エリスは34歳。こうした大人の歌詞をよく歌い上げている。エリスは本当に歌が「うまい」。

*「mulher」という言葉は「senhora」より生々しい「女」としての意味。近藤さんは、「女」と「奥さん」という訳をつけ、使い分けている。

*前回このCDについて書いたのはちょうど3月30日。同じ季節に書いていることになる。聴くCDには季節感があるようだ。
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by kurarc | 2012-03-28 20:34 | Brazil

ビーア・クリーガー ボサノヴァの歌詞の響き

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ビーア・クリーガーのCD『Bia CARMAN』(iはドイツ語でいうウムラオトがつく)の中の「Herena」(エレーナ)というタイトルのボサノヴァの歌詞は、非常に美しい響きをしている。ポルトガル語の典型的な韻を踏んだ歌詞なので、その美しさを知ってもらうために、下に原語(前半部のみ)と発音(ブラジル)を書いてみる。

HERENA

Oh... ウ・・・
De lava tão serena ヂ ラヴァ タォン セレーナ 
De névoa fruta-cor ヂ ネヴォア フルータ コル
Açucena アスセナ
Divina ヂヴィーナ
De coragem felina ヂ コラージェン フェリーナ
De solidão cigana ヂ ソリダォン シガーナ 
De gravidade dançarina ヂ グラヴィダーヂ ダンサリーナ
De chama, de chão ヂ シャーマ ヂ シャオン
Desconsolo e felicidade ヂスコンソロ イ フェリシダーヂ
Se fez o teu sim スィ フェシュ ウ テウ スィン
O teu não ウ テウ ナォン 
Gratia plena グラティア(グラスィア) プレナ
.....

ポルトガル語をわからない方でも、上の歌詞の発音をよく読んでみると、「ヂ・・・ナ」の韻を踏んでいることがよくわかると思う。そして、ちょうどその歌詞の中心に表れる   「Divina」という単語(筆者が太字に強調)がこの歌詞のキーワードになっていることもわかるのではないか。つまり、「Divina」(神のの意)の単語一語の中にこの「ヂ・・・ナ」という音を含んでいるためである。あるいは、この歌詞はこの「Divina」という音から発想された、と言う見方もできるかもしれない。

そして、さらにこのボサノヴァのタイトルがなぜ「HERENA」なのか、「MARIA」や「TERESA」ではないのか勘の良い方はすぐわかるはずである。

ちなみにこのボサノヴァの曲も大変美しい。(バスフルート、チェロ、ギターと歌のハーモニー)歌詞の意味を知りたい方はCD内のライナーノーツに国安真奈さんの訳がある。

*CARMANは「深紅な」の意。

*この歌詞は後半部では、前半の音を踏まえ、さらに高度な韻を踏んでいる。こうしたことを普通にできるのは幼い頃から詩をつくるということを空気を吸うように自然に学んだからだろう。こうした曲に巡り会えただけでもCDを買った価値はある。
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by kurarc | 2012-03-22 20:25 | Brazil


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