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by S.K.
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カテゴリ:Portugal( 10 )

ポルトガル、そして柄本祐さん

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仕事から帰り、テレビをつけると、俳優の柄本祐さんがポルトガルを訪ねる番組があらわれた。テレビ番組を見てチャンネルを選択した訳ではない。こうした偶然にも驚かされるが、柄本さんのポルトガルへの情熱、特に心酔するというオリベイラ監督への思いにも驚かされた。

リスボン、ポルト、ギマランエス(ギマランイシュ)が映し出された。ポルトのドウロ河沿いはわたしが滞在していた頃とかなり変化したように思った。ポルトを古都と紹介していたが、わたしが古都と感じるのはギマランエスの方である。特に、この街の夜はよい。わたしはこの街で夜入ったレストランが未だに忘れられない。路地に面し、外の明かりがレストラン内にやさしく届く光景が。レストランで食事をすることの意味はこうした場所で食べることなのだ、と感じさせてくれた。ここだけではない。ポルトガルのレストランはこのギマランエスに限らず、食べることと場所との関係を大切にしている。

柄本さんは、映画「階段通りの人々」の舞台となった階段、バルのあたりを訪ねていた。わたしもこの映画の印象が強く、リスボン滞在中に訪ねたことがある。といっても、わたしもリスボンを歩いていて偶然に見つけた。リスボンの中心バイシャ地区の東寄りに位置するサン・ジョルジョ城へ向かう階段である。リスボンに数多くある階段(あるいは坂道)は、どれも舞台となるような芸術である。それも、誰もがいつでもそこを通ることができる。都市の中で開かれた芸術のようなものといっていい。

柄本さんのような若者がポルトガルが好きだと言うのにはやはり驚かされる。この国、都市の良さはあまり多くの人には伝わらないと思えるからである。手短に言えば、都市であることは、およそ人を無名にしてしまうものだが、ポルトガルの都市は都市でありながら、自分が誰であるのかを失わない、そこがポルトガルの都市の良さということである。

普通はパリやバルセロナ、ローマがよいという人が大半であろう。柄本さんのようなポルトガル好きはそんなに多くなくてよい。ポルトガル人も誰もパリのような街になることを望んでもいない。ポルトガル好きを大声で叫ぶ必要もない。ポルトガル好きは静かに好きであればよいのである。



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by kurarc | 2017-02-18 09:16 | Portugal

声 海の詩歌(オード)

昨晩、フェルナンド・ペソーア原作の公演、『海の詩歌(オード)』へ行く。

ペソーアの詩を暗唱しながら、その世界を演じたディオゴ・インファンテ氏の熱演と、その演技にギター一本で音楽を奏でたジョアン・ジル氏に再び拍手を送りたい。

まずひきつけられたのは、ディオゴ・インファンテ氏の声であった。男性の声を美しいと普段思うことはないが、シアターコクーン内に朗々と響き渡るインファンテ氏の声は美しく、様々な舞台をこなしているという彼の力を見事に証明していた。

ジョアン・ジル氏のギター音楽も、最小限の音、和声を選択し、ペソーアの詩の世界をサポートしていた。

詩とギターという組み合わせがこれほど新鮮な世界を構築できることに驚くと共に、あらゆるものを感覚しようとするペソーアの魂の世界を表現するには、こうした簡素な演出が最も効果的であることがよく理解できた。

昨日の公演は、ポルトガル世界の最良の表現といってよいだろうし、それを体験することができたことに感謝したい。

*ペソーアの詩の中で、「volante(ヴォランテゥ、ブラジル発音でヴォランチ)」という言葉が、場面の切り替わり箇所でたびたび登場する。サッカー用語と同じヴォランチである。この詩では「はずみ車」と訳されている。原義は、「飛ぶ、浮遊する、移動しやすい、彷徨う」といった意味の形容詞、「ハンドル、はずみ車」といった名詞。詩の中で使われると新鮮に響く。
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by kurarc | 2015-07-01 10:32 | Portugal

フェルナンド・ペソーアというアポリア

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わたしの所属する日本ポルトガル協会の企画で、ポルトガル大使館を会場とした『フェルナンド・ペソーア学入門』という講座(第1回)に参加した。全2回。6月に開催される『海の詩歌』(1915)というペソーア原作の公演をより深く理解できるようにするための勉強会のような講座である。

講師は渡辺一史氏。ペソーアで博士論文を書いたというペソーアの研究者である。ペソーアという一般にポルトガルの近代の詩人と紹介される人物は、ポルトガルの現代のミュージシャンの曲の歌詞のなかにもたびたび取り上げられていて、ポルトガルの詩人の中では突出した存在といえる。

渡辺氏の解説で、少しはペソーアの理解に近づきたいとは思ったが、それは大きな間違いであったようだ。そう簡単に理解できるような人物ではないということが渡辺氏の解説をお聞きし、よく理解できた。ペソーアは哲学者といえるような詩人であり、「異名」という異人格、脱人格を駆使した詩作をつくるが、その人格を理解するためには、ヨーロッパのモダニズム運動だけでなく、ヨーロッパの大きな意味での近代史を理解する必要があること。また、神学として体系づけられるペソーアの思想やパガニズム(汎神論)を理解しなければならないことなど、多くのアポリアを抱え込んだ巨人であった。

生前にはほとんど無名だったと言われる詩人=哲学者ペソーア。しかし、ポルトガル世界を理解するためには、不可避といえる人物である。彼は、ポルトガルという世界を引き受けた上で、文学や評論、詩作において様々な挑戦をしたアヴァンギャルドであるから。彼を少しでも理解できれば、ヨーロッパの周辺に位置するポルトガル世界の本質がつかめてくるような気がするのである。

*ポルトガルに行く前に買った『現代詩手帳』(1996年6月号)の特集「フェルナンド・ペソア」での鼎談 池上峯夫+四方田犬彦+澤田直が上記の問題群をよくとらえている。最近は、ポルトガル発音に準じて「ペソア」を「ペソーア」と表記することが多くなった。

*下にシアターコクーンのHPに掲載されている公演の解説をコピーしておきます。

20世紀のヨーロッパを代表する詩人に数えられ、アントニオ・タブッキ、ホルヘ・ボルヘス、オクタビオ・パスなど名だたる作家に影響を与え、現代もさまざまな領域の芸術家にインスピレーションを与え続けるフェルナンド・ペソーア(1888-1935)。ペソーアが創り出した数多くの「異名」のなかでもとりわけペソーアと密接な関係を持った詩人アルヴァロ・デ・カンポスが海を主題に綴った904の詩句からなる長編詩「海の詩歌(オード)」を、ポルトガル随一の俳優ディオゴ・インファンテ、音楽家ジョアン・ジルが舞台化。「私の祖国はポルトガル語」だと述べたペソーアの詩想を別様に表現したカンポスの詩を、原語ポルトガル語(日本語字幕付)で堪能する一期一会の場となります。
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by kurarc | 2015-05-26 20:36 | Portugal

海の詩歌(頌歌) Ode marítime

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ポルトガルの文化が少しずつ紹介されるようになってきた。今年は、詩人ペソアのプログラム。これは楽しみである。こうしたプログラムで、ポルトガルの特異な文化性といってよい感性にふれることができるはず。音楽も楽しみである。

「Ode」は詩歌というより、厳密には頌歌。ポルトガルでなぜ詩作が盛んなのか調べたことはないが、言語自体が詩をつくる言語と言われるゆえんであろうか。スペイン人も詩をつくるためにポルトガル語を学んだという歴史があるほどだから。
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by kurarc | 2015-04-21 21:09 | Portugal

Com licença(コン リセンサ)を言えない人々

Com licença(コン リセンサ)とはポルトガル語で「すみません」、「失礼します」の意。たとえば、電車や市電で降車しようとする時、出口付近に立っている人に「Com licença(コン リセンサ)」と言いながら電車を降りる。車内が混んでいるときにはよく使う言葉であり、ポルトガル語の中で、初めに覚えるべき生きた言葉の一つ。それは、現地で生活するとなおさら、この言葉の重要性がよくわかる。

東京はおおむね好きな都市ではあるが、やはり、満員電車だけはいただけない。特に、満員時、降車しようとする人々の大半は無言で人を押しのけて、ホームに出ようとする人が多い。ある人は、「どいてくれ」と言わんばかりににらみつけるような人もいる。「すみません」や「降ります」のひと言が言えないのである。それは、老若男女問わずである。

東京に住んでいて今一番嫌なのは、この「すみません」のひと言が言えない人たちと出会うことである。
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by kurarc | 2015-04-18 00:08 | Portugal

ポルトガルの御影石 のみ切り仕上げ

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東京ステーションギャラリーで催されている「東京駅100年の記憶」展の中に、東京駅周辺の建築物の原図が展示されていて、その中に前川國男設計の東京海上日動ビルの原図が含まれていた。

外部エントランス廻りの塔屋の仕上げの書き込みの中に、「ポルトガル産御影石、t=60、のみ切り仕上げ」と記されていた。早速、その場所に行き、写真を撮影する。

前川さんがどのような選定基準でポルトガル産御影石を選択したのだろう。色彩についても大きな特徴がある石とは思われなかった。遠くからみると、コンクリートと見間違えるテクスチァーである。ポルトガルといえば大理石だが、それは本体の建築の色彩とは調和しなかったのだろう。かといって、日本の御影石の色彩も気に入らなかったのだろう。考えられるのは、厚さ60ミリという石が必要で、耐久性があり、かつ安価に手に入る石がこのポルトガル産御影石であったのではないか?

真相はわからないが、日本の御影石ではなく、ポルトガルの石を使うとは、やはり巨匠のやることはひと味違う。

*のみ切り仕上げとは、ノミで『割肌』(割った状態の石)を平坦に加工したもの。

*谷口吉生設計の土門拳記念館の外壁の御影石もポルトガル産の「シェニート・モンチーク」という石であるという。前川さんの御影石もこれと同じであると推測される。
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by kurarc | 2015-01-31 20:12 | Portugal

2014 seja cheio de realizações.

facebookで友達である韓国のMoonさんからクリスマスと新年の挨拶のメールをいただいた。Moonさんはポルトガル在住時、リスボン大学で共にポルトガル語を学んだ同期生である。

私は、よきクリスマスとよい新年を、と単純にポルトガル語でメールしたのに対し、彼女はそうした常套句に加え、タイトルのポルトガル語

2014 seja cheio de realizações.(ドイシュ ミル  イ カトロ-ズ セイジャ シェイウ ドゥ リ(ヘ)ィアリザソンイシュ)

を付け加えてくれた。この日本語訳は「2014年が(あなたにとって)実り多き年となりますように」といった感じである。直訳すれば「2014年は多くの実現が果たされますように」といった感じだろうか。

彼女は韓国でポルトガル語を使い仕事をしているので、私のようにつたないポルトガル語ではなく、女性らしい一言を付け加えるだけの語学力をもっている。こうした短いながらも誠意の感じられる文章表現ができるのは、やはり女性の特権だろうか?

sejaは動詞serの接続法現在形(3人称)。serは英語ではbe動詞にあたる。接続法であるから、実り多い年になることを望むが・・・(そうならないかもしれない)、という意味を含むことになるが、上の訳の通り、 字義どうりに受け取ればよい。
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by kurarc | 2013-12-26 20:26 | Portugal

マドレデウス suave tristeza ポルトガル語と英語

ポルトガルのグループ、マドレデウスの『suave tristeza』という曲の歌詞のポルトガル語と英語がyoutubeに掲載されていた。
こうして並べると、ポルトガル語がわからない方でもなんとなくわかってくるのでは。ポルトガル語と英語は相性がよいような気がする。国と国との距離感がちょうどよいのだろう。

Suave Tristeza

Que suave é a tristeza

Que sai desse teu olhar

Desse rosto de princesa

Cansado de olhar o mar

Dão as ondas a certeza

De a maré nunca acabar

Fica-te uma esperança acesa

A de ver o amor voltar
A de ver o amor voltar

Lá ao longe que beleza

Põe-se o sol nasce o luar

Mas nem por isso a princesa

Deixa de olhar o mar

Amanhece um céu turquesa

As estrelas vão descansar

Só não repousa a princesa

Escrava deste seu amar

Na esperança de o amor voltar

Escrava deste seu amar

Na esperança de o amor voltar



So soft is the sadness

That comes out of your look,

Of that princesslike face

Tired from staring at the sea.

The waves give the certainty

The tide won't ever end,
It remains a lit hope,

The one of seeing love returning,

The one of seeing love returning.

Far above, what a beauty,

The sun sets, the moonlight rises,

But not even the princess

Stops staring at the sea.

A turquoise sky dawns,

The stars will be resting,

Only the princess doesn't,

Slave to this love of hers,

Hoping for the love to return.

Slave to this love of hers,

Hoping for the love to return.

*「suave」(スアヴ)はポルトガル人の趣向を表現する言葉であり、キーワードである。ポルトガル人はsuave(英語ではsoftまたはsweetと訳される)なものを好む。
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by kurarc | 2012-11-06 00:59 | Portugal

アントニオ・タブッキ 逝く

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昨日イタリアの小説家、アントニオ・タブッキがリスボンでなくなったことを知った。ご冥福をお祈りしたい。

タブッキはイタリア人でありながら、ポルトガル語で小説を書くということも行っていたことはよく知られている。ポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアの研究者として、また、ポルトガル文学の研究者としてイタリアで教鞭をとっていた。

映画になった小説として『インド夜想曲』、『レクイエム』などがあるが、特に『レクイエム』は再度見たい映画の一つである。この小説(映画)の中でのポルトガルへの愛着の表現は彼にしか描き得なかったのではないか。

彼の教え子の中から新たなポルトガル文学の研究者は輩出されるのだろうか?同じラテン諸国の中で他国の言語を深く学ぼうとする衝動はペソアの詩の発見によるのだと思うが、彼が発見してしまったもの以外にあらたな領域を探すことは困難なように思えるから、イタリアからタブッキに匹敵する新たな研究者は当面輩出されることはないだろう。
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by kurarc | 2012-03-26 18:28 | Portugal

リスボン ポンバル様式建築

日本建築学会の月刊誌『建築雑誌』1月号の表紙裏に新しい連載が始まった。その第1は、「1755年リスボン地震からの都市再建」と題され、リスボンにおける復興後の都市計画やそのときに建設されたポンバル様式建築( アルキテクトゥーラ・ポンバリーナ)について触れられている。

11年ほど前に『ポルトガルを知るための50章』の中でこの建築物について書いたとき、何も反応はなかったのだが、昨年の東日本大震災の影響もあり、にわかに注目される存在となっている。

しかし、一般的な興味として、また、復興のシンボルとしてこの建築物を眺めることは間違いではないが、アカデミックな立場の人間は、この建築物にポルトガル建築(建築史)のパースペクティブこそ見なくてはならない、と思う。

それはどういうことか?つまりこの建築物が出現する前史について、また、なぜ木造(ポルトガル語でガイオーラと呼ばれる鳥かご状フレーム)が選択されたのか、なぜこれほどまでにシンプルに(ある意味で貧しく)設計できたのか、設計者の意図やミリタリーエンジニアとの関係は、この建築物が後世に与えた影響は等々、考えれば切りがない。そういうことができるのは、ポルトガルのことを好きなもの、ポルトガルを本当に知りたいと思ったものだけができるが、建築の分野では、この国にはせいぜい片手で数えるくらいしかそういう人はいないだろう。
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by kurarc | 2012-01-13 22:17 | Portugal


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