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カテゴリ:Spain( 5 )

「マラーノ」としてのコロンブス

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サルヴァドール・デ・マダリアーガ著の『コロンブス正伝』(角川書店)を読んでいる。2段組でおよそ500ページであるから、なかなか読了までは行かないが、およそ350ページを読み進んだところである。

コロンブスについては、その出生の謎やポルトガル時代のことがずっと気になっていた。マダリアーガはわたしが今まで思っていた謎をかなり具体的に資料から追い、謎解きをしてくれている。

まず、通常はジェノヴァ生まれとして片付けられているコロンブスは、実は14世紀後半にスペイン、カタルーニャからイタリアに移住した「追放された」ユダヤ系スペイン人の一家であったということが記されている。特にスペイン語では「マラーノ(複数形でマラーノス)、蔑称で「ブタ野郎」くらいの意味」と言われ、「スペインを追われたユダヤ人」一家であったのである。このあたりは、小岸昭著の『スペインを追われたユダヤ人』(ちくま学芸文庫)が詳しい。(以上はマダリアーガの説。これ以外にも、ポルトガル人説、ポーランド人説など様々な学説が存在するが、ジェノヴァ人であることは確かめられたようだ。)

コロンブスは、10代には海賊とし航海技術を学び、その後、弟と共にポルトガル、リスボンに住み、そこで海図製作などをして生計を立てながら、当時の航海技術やラテン語などを学んでいったようだ。さらに、ポルトガルのザグレス学院の学院長マエストロ・ジャイメは、ユダヤ人迫害を恐れ、バルセロナに住んでいたユダヤ系の地理、天文学者であり、当時、マジョルカ島において高度な研究を進めていた。ジャイメはポルトガルのエンリケ航海王から招聘を受け、ポルトガルにいたのである。そこで、コロンブスは偶然にもポルトガルで同郷に等しい人物からカタルーニャ海事文化を学んでいった。

さらに、ポルトガルでは大きな発見(盗み)をした。イタリアのパオロ・トスカネッリの助言(研究)である。15世紀最大の数学者、天文学者と言われるトスカネッリは、あのフィレンツエのブルネレスキのドームを日時計として利用し、太陽の動きを正確に捉えたことで知られている。15世紀中頃には天体観測により海上での位置を把握する天測航法の時代へと移行、アストロラーベ(天体観測儀)が使用されるようになり、航海技術は一気に進むことになる。

1453年、トルコがコンスタンティノポリスを占領したこともあり、東方進出から西方進出へ目を向けたトスカネッリは、ポルトガルの友人で司教座聖堂参事会員フェルナン・マルティンスに手紙を書き、西方航路開拓をもちかけた。しかし、当時ポルトガルのアルフォンソ王はこの話に乗ることはなかったが、コロンブスは、その手紙の内容をこっそりと書き写し、その後の4度にわたる新世界への航海に携行したと言われている。

トスカネッリの手紙をポルトガルが認めていたならば、中南米世界は全く変わったものになっていたに違いない。コロンブスは、ポルトガルで自らの起源となるカタルーニャ(マジョルカ島)のユダヤ(イスラム)の知的世界、知的伝統に深く接し、遠くイタリアのブルネレスキという建築家ともつながっていたことになる。

*コロンブスは、あのレオナルド・ダ・ヴィンチと同じ世代に属する。コロンブスは1451年生まれ、ダ・ヴィンチは1452年生まれ。


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by kurarc | 2017-10-15 19:04 | Spain

スペイン戦争からポーランドへ

映画『灰とダイヤモンド』を久しぶりにみて、その中の台詞に一瞬「はっ」とさせられた。シュチュカという役のポーランド人民軍(県労働党書記)の男の台詞の中に、「スペイン戦争(スペイン内戦)」という言葉が含まれていたからである。

しかし、それはわたしが現代史に疎かった証拠でもあった。第2次大戦の前哨戦として戦われたスペイン戦争は、あたり前のことだが、その後のポーランドにおけるナチス・ドイツとソ連という共産主義国家による対立と密接に関わっている。ポーランドは、スペインがたどった国家の分裂を引き受けてしまったのであり、ポスト・スペイン戦争の舞台としてポーランドが標的にされてしまったといってよい。

スペイン戦争の全貌を頭の中にしまい込むには、10冊以上のスペイン戦争の関する書物を読破してもまだ足りない。それは、複雑を極める。スペインのどの都市を、どの地方を中心に俯瞰するのかによっても様相が異なってくるだろう。

映画『灰とダイヤモンド』は、ポーランド現代史だけでなく、わたしにスペイン戦争からまた現代史を学び直せ、というメッセージをくれた映画になった。そして、このあたり前の歴史を、つまり、スペインからポーランドへといたる現代史の流れをとらえている研究者はいるのだろうか?わたしは、スペインとポーランドを結びつけて語る研究者の声というものを今まで聞いたことがない。それは、わたしの不勉強なのか、あるいは、まだ知らないだけなのか?
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by kurarc | 2015-11-16 21:29 | Spain

ジプシーからの恩恵

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先日みた映画『パプーシャの黒い瞳』で、ジプシーのある女性詩人の生涯が描かれたのだが、この映画から、以前、このブログでガルシーア・ロルカについて書いたとき、彼の『ジプシー詩集』の中の詩についてふれていたことを思い出した。(2012/03/21のブログ)

スぺインのジプシー(ヒターノ)の音楽であるフラメンコは、随分と若い頃から親しんできた。1年間ほどフラメンコギターを学んだこともあるが、最近、フラメンコ音楽をずっと聴いていなかった。ロルカの詩集をあらためて開いてみると、たとえば、「月よ、月よのロマンセ」という詩の中で、ジプシーを「鍛冶を行う民」として語っている。つまり、ロルカのみたジプシーは「火の民」、「金属の民」であったのであり、農耕民とは異なる人びとであったことがわかる。

日本ではさすがに、ヨーロッパで出会うようなジプシーたちに巡り会えないが、わたしがポルトガル滞在中、ポルトガル南部への旅の途上でジプシーたちの姿を幾度か目撃した。日本にも昭和30年代くらいまでは、サンカと呼ばれる山の民が暮らしていたようだが、現在、その末裔たちの行方についてはわたしもよくわからない。

ジプシーのような辺境に暮らす民から、わたしは、フラメンコの音楽のように多くの恩恵を受けていることを改めて気づかされる。フラメンコだけでなく、音楽に突出した才のあるジプシーたちの様々な国の中で演奏される音楽に耳を傾けてみたい衝動にかられる。その中でも、現在、ジプシー・ブラスに最も興味がある。

*「ジプシー」という言葉は、差別的含意があるとされる見解があるが、特に日本においてこの言葉を差別の対象とすることはあたらない、ということ。また、様々な国により自称、他称共様々な言い方があり、現在、それらを総称する言葉として、「ジプシー」という言い方は妥当であるという見解もあるとのこと。よって、わたしはこの見解にたち、「ジプシー」という言葉を使うことにした。
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by kurarc | 2015-04-16 20:48 | Spain

浜口ミホとスペイン

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東京建築士会の図書コーナーに、1950年代、建築書籍においてエポックとなった浜口ミホ著、『日本住宅の封建制』の復刻版が販売されていたので購入する。

まだ、ぱらぱらと眺めている段階だが、彼女が晩年、南スペイン(コスタ・デル・ソル)においてリゾート開発を行なっていたことを知る。その内容は定かではないが、スペインに日本の遺産を残すような試みであったという。どうも日本間のような空間もつくったようだ。彼女は中国生まれ、青島育ちであり、中国の風景にスペインが似ていることが計画の大きな要因だという。

彼女のこの著作の影響で、玄関を持たない住宅が1950年代から1960年代初期に流行した。玄関が封建的な身分社会、格式のようなものを引きずっていることに対して、この著作で批判したからである。しかし、玄関の起源を問うてみても、現代は時代が異なるため、そうした批判は冷静に考えると的外れのように思える。むしろ、玄関は空間の問題、住宅における形式の問題としてとらえた方がアクチュアルであろう。つまり、玄関をマンションの玄関のように紋切り型の固定した空間としてとらえてしまうことの危険さを認識すべきなのである。こうした小さな空間を柔軟にとらえれば、建築は全く異なるものに変化する。そのことを踏まえた上で玄関をなくすことは理にかなっている。

それにしても、浜口のスペインのプロジェクトは残っているのだろうか。どのようなプロジェクトであったのか気になるところである。
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by kurarc | 2013-04-26 23:49 | Spain

ガルシア・ロルカの詩

映画『フラメンコ フラメンコ』の主題歌と見なされるルンバはガルシア・ロルカの詩。ジプシー歌集の中の「夢遊病者のロマンセ」の中の一節に曲をつけたものである。

この詩にすっかり魅了され、ロルカについて改めて調べてみる。ロルカについてはもちろんスペイン戦争の犠牲者となった詩人であることは知っていたが、彼の詩集を読んだことはなかった。

『ロルカ詩集』(小海永ニ訳)という良書があり、その解説にかなり詳しくロルカの生涯がまとめられている。この解説を読むと興味深いエピソードにあふれているが、一つはかれがマドリードの「学生館」という教育機関に居を定めて、そこで様々なアヴァンギャルドといってよい著名人の講演を聞いていることである。その中には、建築家ル・コルビュジェも含まれている。

また、ロルカは文学の道へ進む前、かなり高度な音楽家になるための教育を受けていたということ。彼の育った街グラナダ(私はこの街をスペインのリスボンと思っている)で、ファリャ(スペイン民謡の研究家、作曲家)にも出会っている。その他、ニューヨーク、キューバでの生活で知的刺激を受けながら、彼の活発な創作が続けられた。

映画のルンバ「緑よ 私はおまえを愛する 緑よ・・・」で始まる詩は、ここだけを取り出されると、愛する人への想いを綴った詩とだけ想起させるが、この詩には続きがあり、実は悲劇で終わる。しかし、この詩の結末はスペインらしい美しさを感じずにはいられない。ロルカの詩を読みながら、スペイン(特に私の最も好きなスペインの土地の一つ アンダルシア)について、もっと深く知りたくなって来た。もしかしたら映画『フラメンコ フラメンコ』は、監督は語っていないが、ロルカへのオマージュとして制作されたと言えるのかもしれない。

*サウラ監督の1995年の映画『フラメンコ』の最後の曲も、上と同じルンバだという。単純に考えると、映画『フラメンコ』との連関を想起させるようにロルカの詩を選んだとも想像できるが、きっとそれだけではなさそうだ。ロルカの詩に対してサウラ監督は特別な感情を抱いていると思った方がよいだろう。

*20世紀を知るための辞書の一つとなりえる『私の二十世紀書店』(長田弘著)の中にも、「ロルカの死」と題された章が設けられている。長田はロルカの死(ナショナリストのテロにより銃殺)を時代の死として語っている。

*この記事を機にカテゴリに「Spain」を追加しました。
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by kurarc | 2012-03-21 21:44 | Spain


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