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by S.K.

カテゴリ:三鷹-Mitaka( 29 )

祝 井の頭恩賜公園100周年

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井の頭恩賜公園(以下、井の頭公園)が今日で100周年を迎えた。

わたしは実家が公園から近かったこともあり、幼い頃から遊び場として馴染んでいた。吉祥寺方面へ歩いて行くときには、いつもこの公園を横切ることになるため、街路の機能も合わせ持っていたことになる。特に、中学時代の友人はこの公園近くに住居を構えていたため、庭先の延長のようなスペースであった。

玉川上水が井の頭公園を貫通していることも、この公園の魅力を引き立てている。玉川上水の土の小径は井の頭公園が外化し、延長した場所といっていい。

事務所を公園に隣接した場所に移したこともあり、このところ多いときには吉祥寺へ行くために井の頭公園内を2往復、3往復することもある。その都度、ほぼ同じ道を通るが、一向に飽きることはない。季節によって日々公園の様相は変化し、一日たりとも同じ景観ではないからである。

24歳の時、およそ1年の旅を終えて帰国し、井の頭公園を通り、実家に帰ろうとした時のことである。池は霧に埋もれ、幻想的な景観を帯びていた。霧に埋もれることは稀だと思うが、井の頭公園が、何か別の自然に変化したようで、感動したことを覚えている。それ以来、霧に霞む井の頭公園を見た記憶はない。

井の頭公園には、どれほど感謝してもしきれない。わたしのアイデンティティの一部といってもよい空間である。このまま、建築物を極力建設しないようにして、武蔵野を感じさせる環境を維持していってもらいたい。

*写真は、2017年4月30日の井の頭公園朝景。

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by kurarc | 2017-05-01 16:49 | 三鷹-Mitaka

牟礼残丘の現在

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4日の日曜日、牟礼残丘を自転車で散歩がたら訪ねてみた。長いこと三鷹に住んでいたが、この丘を訪ねるのは初めてのことだった。子供の頃から、この丘状の土地の起伏は感じていたが、幹線道路から一本奥に入ったこの土地をみることはなかった。

残丘の一部は公園(牟礼の里公園)になっていて、その公園の最上部から、遠くに吉祥寺の街がよく見渡せた。多分、三鷹市の中で最も標高が高い土地なのであろう。残丘の多くは大地主の土地の一部で、そのほとんどが農地となっていた。農地になる前、このあたりも鬱蒼とした林が広がっていたはずである。もしかしたら、府中の浅間山のように、ムサシノキスゲが咲いていたのかもしれないが、それは現在では確かめようのないことである。

昭和の初期の頃、三鷹の大半は、このような風景が広がっていたのだろう、と想像させるような景観であった。

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by kurarc | 2016-12-07 20:35 | 三鷹-Mitaka

牟礼残丘

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以前このブログで府中の浅間山(せんげんやま)を紹介した。古多摩川が削り残した丘状の地形である。こうした地形が、わたしの住んでいる三鷹にも存在しているということを最近知った。「牟礼残丘」である。

このあたりはには、中学時代の同級生の家があり、よく自転車で出かけた。急に坂道がはじまり、三鷹台駅の方へ向かって下り坂となっている地形であり、このあたりを通りながら不思議に思っていた。こうした微地形が、実は太古の地形の名残であるとは思いもよらなかった。

ネットで調べていると、どうもこの辺りまで太古の東京湾があったのではないか、といわれていて、ここはその縁にあたる部分であったのではないか?とか、ここだけ地質が異なっていて、たまたま削り取られることがなかったのでは?とか、色々な説明がなされている。このあたりは周辺より15メートルほど高い。

浅間山のように自然が残されていたなら、ここでしか観察できない植物もあったかもしれない。しかし、現在は宅地化が進んでいるから、それは望めないであろう。玉川上水はこの残丘の縁をはうように流れている。障害としてあった残丘をうまくかわして築かれたのである。

*図は、ブログ「東京の高低差を行く。」から借用しました。

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by kurarc | 2016-11-27 21:23 | 三鷹-Mitaka

久我山から人見街道、連雀通り、さくら通りへ

今日は仕事帰り、渋谷から井の頭線で久我山で下車。久我山から三鷹駅南口行きバスに乗り、帰宅した。もちろん、通常は吉祥寺まで井の頭線、その後中央線に乗り換えて三鷹駅まで行く。たまに、井の頭線で帰宅するときには、久我山で降りたくなることがある。久我山から三鷹駅南口行きのバス便があるためである。

久我山から三鷹までは、人見街道、連雀通り、さくら通りを経て、自宅近くのバス停で下車する。この街道、通り沿いは、わたしが中学時代によくでかけたエリアであり、途中、母校の中学校の前を通過、自宅近くも通過し、現在の住まいへとつながって行く

人見街道は、杉並の大宮八幡宮と府中をつなぐ街道であり、バスに乗っていても古い街道であることはわかるが、整った街道ではない。しかし、中学時代によくこの付近を自転車で通り、友人の家へ遊びにいったりしているので、懐かしい記憶がある。また、環状八号線を使い車で帰宅するときには、この人見街道を下って帰っていたこともあり、見慣れた街道でもある。

この街道を初めて車で通過しても、なにも感じないような地味な道だとは思うが、記憶というのは興味深いものである。この街道をバスの中から眺めていると、40年以上前の記憶が甦って、当時の光景が浮かんでくる。つまり、人は、誰一人として同じ場所を見ても、同じ光景を見てはいない、ということなのである。

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by kurarc | 2016-08-23 23:26 | 三鷹-Mitaka

玉川上水 野路への郷愁

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数ヶ月に一度、玉川上水の野路に対する郷愁がおそってくる。歩いて20分もかからず、その場所へ行くことができるが、仕事が忙しいと上水が心の中からいつの間にか消えてしまう。そして、数ヶ月がたつと無性に上水の野路を歩きたくなるのである。

今日は、午前中に自転車で玉川上水の野路を走ってきた。わたしの住む三鷹では、上水沿いの道は野路(土の径)が多く残っている。母校の中学校の裏手あたりまでいくと(写真)、昔の面影をよく残している。

三鷹へ戻った4年近く前に、この野路を自転車で走ったが、なにか表現できないような懐かしさにおそわれ、いたく感動した。木々の中から言葉のようなものがわたしに向かって発せられているようで、このような小さな自然でもかけがえのないものであり、感動を与えてくれるものなのだ、ということを感じたのである。

まだ、玉川上水の源流まで遡っていったことはない。時間ができたら自転車ででも、ゆっくりと源流まで散策してみたいものである。
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by kurarc | 2016-07-31 23:40 | 三鷹-Mitaka

「近く」と「遠く」を学ぶ

3年ほど前に故郷に戻ってきて、いつの間にか郷土史のようなことに興味を持つようになっていた。それは、身近にどのような建築物があるのかを調べる過程からはじまったが、その後、地景に興味を持ち始め、今では、多摩川の考古学、古代史に興味をもっている。

地域を学ぶという方法は、実は小学生の頃の学習方法である。身近にある遺跡やら工場を訪ねたり、移動教室と称して、出かけたりという学び方である。それが、中学、高校へと進むにつれて、身近なものよりも、もっと「遠く」のことを学びはじめることになる。いつの間にか、地域のことは置き去りにされ、気がつくと大学生になっているのだ。

現在、わたしが始めた学び方は、もう一度小学生の学び方に戻ったといってよい。そして、すでに大人になったがゆえに、身近なことと、より遠くのことを結びつけることもできるようになった。つまり極小の世界と極大の世界を自由に行き来して、同時に学んでいくという方法、ということになろうか。

たとえば、古代といっても、いきなり奈良時代の平城京に目を向けるのではなく。国分寺や多摩川といった身近にある古代から考えてみるということ。そして、その後、遠くの古代史に目を向け、そして、また身近な世界に立ち戻るという反復にこそ、有意義な学びが生まれるような気がしてならない。今までの学び方には、この反復運動が欠如していたのである。故郷に返ってきた意義がやっと芽生え始めた。

*故郷に戻ることが大切だ、ということではない。どのような場所に住んでいても、同じように「近く」と「遠く」を見つめ直すことが必要だと思われる。こういうわたしも、このまま、この場所にずっと住んでいるのかはわからない。
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by kurarc | 2016-05-04 20:45 | 三鷹-Mitaka

地元を知ることの楽しみと驚き

昨年から活動し始めた「たてもの・まちなみ・景観を考える市民の会」の第3回目の会議が今日行われた。地元に残る建築的遺産を発掘する試みを主に行っているが、その中で、以外にも様々な広がりのある話題が出て来ることに驚くのである。今日は、戦前の同潤会が1920年代後半から木造分譲住宅を東京女子大近くに建設したことを知る。そして、多くが、まだその原形を感じられる程度に残っているというのである。(わたしが某大学で助手をしているたとき、生徒に青山同潤会アパートの跡地を想定して、設計課題を与えたが、その時、生徒に配布したマルク・プルディエ著『同潤会アパート原景 日本建築史における役割』の第3章、pp.198から、この木造分譲住宅の記述がある。)

3月30日に行ったICUのキャンパスの見学会からは、建築だけでなく、旧中島飛行機三鷹工場の歴史が浮かび上がり、その時代との見え隠れが問題となるなど、今まで見えなかった地元の歴史が建築を考える中で浮かび上がり、逆照射されることになった。(こうしたことが、日常の中のシュルレアリスム的体験である。)

武蔵野、三鷹地区は多くの軍需工場があったこと、そして、そこに働く多くの労働者の住まいも必要になることから、軍需産業に従事する労働者の住宅もあった。そうしたことは、今まで考えたこともなかったが、それは吉祥寺のようなファションを中心にした都市が活性化するなかで、地元民の意識から遠ざかっていったということなのだと思う。

ICUの創立に関するアメリカ側とのやり取りも興味深い。それも、旧中島飛行機時代の建築を継続して使い続けながら、ICUという大学は発足されたのである。その痕跡がいまだに経験できることもある意味で奇跡的なことなのかもしれない。

地元の中に、自分の足下に、数多くの重要な問題群が発見できることを、今更ながら驚いている。
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by kurarc | 2016-04-24 22:15 | 三鷹-Mitaka

夜の井の頭公園

今晩は久しぶりに外食し、炭水化物をいつもより少し多めに食べたこともあり、吉祥寺駅で下車し、井の頭公園を通り、歩いて帰宅する。

いつの間にか、「かいぼり」がはじまっていて、弁財天周りの池の水がポンプアップされ、なくなっていた。これから池の底のヘドロを取り除く作業に入るはずである。

夜の井の頭公園は、昼間とは異なり、人気は全くない。女性が一人で歩くには物騒だが、静かでもの思いにふけながら歩くにはちょうどよい。わたしの場合は、ほとんど生まれた頃からこの公園が遊び場であるから、過去の様々な記憶が甦ってくる。歩きながら、そうした記憶と対話をすることを楽しむのである。

最近、聖域などが紹介されるが、間違いなくわたしの聖域はこの井の頭公園である。聖域といっても神を感じる、という訳ではない。気持ちをポジティブに変えてくれる最も身近な場所といった程度のことである。早朝か、あるいは、こうした夕方から夜にかけてこの公園を通過するだけで、心は洗浄される。この公園は縄文時代から人が住まった場所であるから、何か見えない力のようなものを感じるのである。

昔は木々が鬱蒼としていたため、自殺の名所として今和次郎も研究したほど有名であったが、現在ではそうした負のイメージは全くなくなってしまった。都心にある公園として、これほどわたしを癒してくれる場所も珍しい。付近の玉川上水の水の流れ、玉川上水沿いの小径と共に、わたしにとって最も大切な場所である。
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by kurarc | 2015-12-04 22:20 | 三鷹-Mitaka

井の頭公園 桜の季節

住まいの最寄り駅は三鷹駅だが、外出したときなど吉祥寺駅で降りて、井の頭公園を横切りながら家へ帰ることがある。今日も、桜の様子を伺いながら、家路についた。

井の頭公園は、地方の自然豊かな場所で育った人からみたら、貧しい公園と思われるかもしれないが、わたしにとってはかけがえのない場所である。この公園を歩くと50年以上の記憶が甦ってくるからである。幼なじみと遊んだこの場所はわたしにとってのホットスポットのようでもあり、心を浄化してくれるような場所でもある。このような場所はわたしにとって、ここしかない。

人からどんなに貧しい場所と思われようと、育った場所は誰になんといわれようと大切にしなければならないと思う。今年はまた「かいぼり」がはじまる。桜もよいが、まずは池の水が昭和初期の頃のように澄んだ池に戻ってくれることを願いたい。
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by kurarc | 2015-03-27 19:38 | 三鷹-Mitaka

井の頭弁財天の装飾

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このブログの表紙画に使わせてもらっているのは、井の頭弁財天(水屋)の装飾である。今年の正月元旦に水屋を何げなくみていると、妻部分に美しい鶴の装飾を発見した。今まで気にかけていなかったのだが、非常に優れた装飾(木彫)であると思う。

弁財天の受付の方にこの建築を建てた棟梁について訪ねてみると、名古屋方面から来た、ということだけで、名前などわからないという。昭和初期に建設され、当時の写真は残っているらしい。弁財天内部にも数多くの彫刻があるということで、今度見せてもらうことに。

身近なものの中に美しいものが埋もれているのである。(上:井の頭弁財天、水屋装飾)
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by kurarc | 2015-01-13 12:33 | 三鷹-Mitaka


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