Archiscape


Archiscape
by S.K.
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

カテゴリ:books( 194 )

梶井基次郎との再会

前回のブログで取り上げたドッペルゲンガーという現象を調べていると、神話の中にこの現象が数多く語られていることや、その体験を小説へ表現した作家までいることがわかる。

日本では、芥川龍之介や梶井基次郎が例にあげられている。特に、梶井の『Kの昇天 或はKの溺死』に興味を持ち、読んでみた。と同時に、梶井というと忘れられないのは『檸檬』である。わたしが中学生の頃、教科書に載っていたと思う。その時以来、梶井の小説を読んでいなかった。

梶井の小説を40年ぶりくらいに読んだことになるが、文章に含まれる色彩感覚、音楽的感性、シュルレアリスム、幻視からの発想など、改めて彼がいわゆる日本におけるモダニズム期の文化を吸収し、その鋭利な感性から生み出された小説であることに気がついた。『檸檬』のラストシーンというべき描写を久しぶりに読み、懐かしかった。丸善書店の中に積まれた色彩溢れる書籍の頂上に置かれた「時限爆弾」としての黄色い”檸檬”。それは、シュルレアリスムの感性そのものではないか。

梶井を読みながら、彼は長生きしたのなら、わたしが昨年読んだジュリアン・グラッグのような小説を書くようになったのではないかと思った。幻視と幻想の漂う文体は現在、わたしが最も興味をもつ文体である。梶井は20足らずの短編を残し、逝去したが、一日あればすべて読めるような量である。今年中にすべて読まなければ・・・

*ドッペルゲンガーを調べていて頭に浮かんだのは、わたしの好きな映画『ふたりのヴェロニカ』である。この映画もドッペルゲンガーという現象から読み解くことが可能かもしれない。キェシロフスキはもしかしたら神話や文学(ヨーロッパでは、ドストエフスキー、ハイネ、ポー、オスカー・ワイルド、E.T.A.ホフマンなどの作品)からこの映画を発想したのかもしれない。


[PR]
by kurarc | 2018-01-16 20:46 | books

世界文学とドッペルゲンガー

放送大学の『世界文学への招待』の講義(2016年の再放送)は興味深い。昨日は、日本文学翻訳者のマイケル・エメリック氏による「グローバル化する日本文学ー日本語で読めない日本文学」をテーマとした講義であった。

例えば、村上春樹を例に出して、彼の文学の受け止め方が日本以外で異なることを指摘していた。アメリカでは、村上文学は、クノップ社から出版された「象の消滅」により、村上文学が世界文学として認識されることになったため、それ以前の彼のポップな言説による文学は認識されていないということ。また、村上文学の翻訳における問題として、英訳されたものがドイツ語訳される(重訳)ことにより、村上文学がまったく異なるものに変質していくことを指摘。日本語は、世界では周辺の言語として位置付けられるため、日本語からすべて他言語に翻訳される訳ではないこと、それによって重訳が必然的になり、作者は、作品のドッペルゲンガー(分身、複体)を意識せざるを得ない状況になるという。

さらに、多和田葉子のように、日本語とドイツ語という二つの言語で文学を創作する作家の出現や、翻訳された自らの作品を、自ら日本語に翻訳し直すというような複雑な状況が生じており、現在の世界文学が錯綜した状況に遭遇していることをマイケル氏は述べていた。

文学を市場から、あるいは欧米の文学から俯瞰した場合、日本の芥川賞が中編小説を扱っているのに対し、欧米の文学は長編小説に重点をおき、「売れる」小説とみなしているため、日本と欧米との小説の認識のズレが生じており、中編小説というだけで、日本の作品は欧米の出版社に毛嫌いされてしまう。その点、村上春樹は、長編小説を意識的に発表していることから、世界文学として欧米でも評価されやすいという。

作家たちは、世界(日本の中でも同様であろうが)を舞台とする場合、自らの作品が自分の意図する方向で理解されるとは限らない、という認識が必要であること。自分とはまったく無関係な場所で複製される作品群から逆照射される「わたし」と「もう一人のわたし」を常に相対化させながら、新たな創作を続けていくことこそ世界文学という舞台で小説をつくる作家の仕事と言えそうである。

わたしの好きなフェルナンド・ペソアの言葉、「生きるとは、他者になること」、が世界を舞台にした小説家の宿命ということか? 

[PR]
by kurarc | 2018-01-14 10:19 | books

タブッキ 『レクイエム』から『イザベルに ある曼荼羅』へ

b0074416_19130800.jpg
タブッキ最後のミステリー小説『イザベルに ある曼荼羅』を読み始めた。『レクイエム』の続編といえる作品。『レクイエム』の中で登場した「イザベル」は何も会話を交わさず、小説から消えていったが、果たしてその「イザベル」の行き先は?

いつもながら、自然とタブッキの世界に引き込まれていく。わたしはタブッキの小説を読むためにリスボンに住むことになったような気がしてくるから不思議だ。

『レクイエム』も映画となったから、『イザベルに ある曼荼羅』も映画化されることを望みたい。これから読了するのが楽しみである。読み終えてから、またこの小説についてふれてみたい。

*本の表紙の写真は、ヤコブ・トゥッゲナー(1904-1988、スイス人)という写真家の写真。20世紀のテクノロジーの場面を撮影した写真家として有名なようだ。日本ではこの写真家についてほとんど紹介されていない。この小説の表紙になぜこの写真家が選ばれたのかは今のところ不明である。

[PR]
by kurarc | 2018-01-07 19:12 | books

アントニオ・タブッキ作 『レクイエム』

今年の初読書は、タブッキの『レクイエム』であった。リスボン(およびその周辺)を舞台にした小説である。「わたし」がたどるリスボンの道行きの小説であり、その中で23人の生者、死者とも判明しない人々と会話をする。その最後に会うのは、あのフェルナンド・ペソアという20世紀、ポルトガルの詩人である(と思われる。ペソアということを断定しているわけではない。)。

「わたし」は様々な職種の人々と巡り合っていくが、その中で、ある人とは日常的な、またある人とは哲学的な会話をする。特に興味深いのは、リスボン国立美術館で交わされるボスの絵画「聖アントニウスの誘惑」(下写真)についてである。この絵画を模写する画家との会話であるが、この画家は、この絵をすでに10年間拡大し、模写し続けている。この絵の中に登場する胴体のない生き物は「グリロス」と呼ばれること、この絵画は昔、霊的治療の用途を持っていたことなどが交わされる。

この小説は、最終的にはタブッキ(ペソアの研究者)のペソアに対するレクイエムであり、ペソアと別れを告げるために書かれた小説のように感じられた。あるいは、20世紀が終わろうとする時代に書かれた20世紀に対するレクイエムとも読める。

リスボンの街路、およびその周辺の都市を知るものにとって、この小説の道行きは興味深い。わたしはある程度、この小説の中に登場する街路がどのような街路であり、地景であるか想像できるため、なおさらこの小説から訴えかけてくるものの魅力を強く感じる。

最後にこの「わたし」の道行きは、現実であるのか、あるいは夢であるのか?それはこの小説を読んで確認してもらうしかない。死者たちとの会話は、わたしにピランデルロの小説、上田秋成の『雨月物語』や溝口健二の映画、最近の黒沢清の映画を想起させた。それは瀕死状態の国家(ポルトガルほか南欧諸国)のメタファーでもあるのだろう。

昨年、久しぶりに小説を読むことの楽しみを覚えたが、今年は、タブッキのような相性のよい小説家の作品を多読したいと思っている。

*この小説の中で、名前が出ているが、会話を交わさない「イザベル」がいる。このイザベルはどうしたのか?タブッキはそのイザベルについて、別の小説(『イザベルに ある曼荼羅』)に表現しているようだ。
b0074416_14155763.jpg



[PR]
by kurarc | 2018-01-03 14:28 | books

明石書店より出版図書目録が届く

b0074416_20353769.jpg
明石書店より出版図書目録が届いた。エリア・スタディーズというシリーズの中で『ポルトガルを知るための55章』という書物に参加させていただいたこともあり、毎年のように送付いただいている。

目録を見ると、このエリア・スタディーズというシリーズもすでに159冊が出版されている。『ポルトガルを知るための50章』(当初は50章であった)はその12番目。シリーズの中ではかなり早く出版された。ほとんどが国単位で一冊というスタイルであるから、100カ国以上取り上がられたことになると思う。中には、都市や国の中の地域、また、『中国のムスリムを知るための60章』のようにテーマ別のものもある。

このシリーズだけでも大変な労力が必要だと思われるが、それ以外に、硬派な出版社として知られる明石書店の書物は重厚な内容のものが多いから、編集者は出版までさぞかし苦労されているに違いない。

本を出版するということは、必ず編集者と著者との付き合いから始まる。本とは人と人との出会いから始まるのである。建築もまったく同じ。何かを生み出すということは、人と人との様々な出会い、関係から生まれる。何かを表現したいという強い気持ちをもったものがこうした出版社のお世話になり、何かを訴えるために骨身を削って文章を書くことになる。

わたしも高々原稿用紙10枚程度の原稿を3テーマ書くのに、2ヶ月間、仕事をそっちのけでやっと書き終えた。文章とは不思議なもので、現在、このような原稿を書け、と言われても書く自信はない。その当時の初心の気持ちに戻ることはできないものなのだ。つまり、文章とは生ものであり、その生ものを閉じ込めたものが本という訳である。

[PR]
by kurarc | 2017-12-18 20:32 | books

芥川龍之介と南蛮、日本語の難しさ、日本語の未来

b0074416_22165191.jpg
新潮文庫の中に、芥川の『奉教人の死』というタイトルの文庫がある。芥川がキリシタン文学を研究し、当時の文体を借用しながら実験的な作品をつくったものなどをまとめたものである。その内容にも興味があるが、ポルトガル人やスペイン人が渡来した16世紀に日本人が彼らの話す言葉をどのように日本語に書き写したか(発音したか)が、芥川の作品の中に散りばめられていて、興味深い。

例えば、以下のような言葉(ポルトガル語)である。(左:当時の読み方、右:現在の発音(わたし自身がカタカナで記す場合)

*はらいそ(意味:天国)/パライーゾゥ
*いるまん(意味:兄弟)/イルマォン
*えけれしゃ(意味:教会)/イグレージャ etc.

当時の日本語にあった音に関しては、かなり近い音を書き取ることができたようだが、鼻母音などの難しい音は聞き取れなかったものと思われる。しかし、そのように断定することは早計で、もしかしたら当時、そのようにポルトガル人たちが発音していた可能性も否定できない。ラテン語だが、「mundi」を当時は「ムンジ」と書き取っていて、これはもしかしたら、ポルトガル語の「munde」(ムンドゥ)も「ムンジ」と発音していたとすれば、ブラジルポルトガル語と同じ音になり、古い発音が残っていると言われるブラジルポルトガル語に近い発音を当時の「バテレン」たちは話していた?とも推測できるのである。

こうした南蛮人渡来期の日本語の研究者の一人にあの広辞苑を編纂した新村出がいる。彼のもう一つの顔は、南蛮文学、キリシタン文学の研究者である。言語に興味を持つものにとって、このキリシタン時代の日本語に興味を持つということは必然的で、宣教師たちが研究した日本語は、当時の日本語がどのような発音と語彙があり、文法であったのかの貴重な資料なのである。

最近読んだ『漢字と日本人』(高島俊男著、文春新書)という書物の中にも、新村出が登場した。この書物で初めて気がついたが、明治から戦前にかけて制定された当用漢字は漢字廃止への流れの中で決まった、ということである。戦前の研究者は日本語の音標化、つまり、西洋の言葉のように日本語を表音文字化しようと真剣に考えていた。そのことに一人強く抵抗した学者が新村であった。新村の考えは、過去と現在を切断しないという日本語のあり方を述べたものであり、日本語を道具に過ぎないように考え、変革しようとした学者たちを痛烈に批判した、という。

わたしは、日本語の使い方がよく分からないことがある。その一つは、漢字で書くべきところとひらがな表記すべきところである。高島の書物を読み、その使い分けがある程度理解できるようになった。高島が言うには、和語としての言葉は、ひらがな書きでよいとのことである。(高島の書物により、本居宣長の意義についても、理解できるようになったことは収穫であった。)

高島によれば、日本語は畸形的な言語である、という。和語(やまとことば)、字音語(漢語+和製漢語)、外来語、混種語(プロ野球、食パンなど)といった様々な言い方、書き方が並存する。高島の考えは、これらを伝統として認めることでしか日本語の未来はない、という見解である。芥川の南蛮文学は、そうした多様な日本語のあり方の表現実験の一つであったと捉えるとよいのかもしれない。




[PR]
by kurarc | 2017-10-25 22:14 | books

『三陸海岸大津波』(吉村昭著)を読む

b0074416_17202539.jpg
地元三鷹市に太宰治の資料と吉村昭の書斎を移築して文学館をつくるという構想が進められているという。三鷹市井の頭在住であった吉村昭の名前は知っていたが、恥ずかしながら著作は読んだことがなかったため、まず興味を引いたタイトルの著作を読んだ。(わたしの好きな映画『魚影の群れ』の原作者が吉村昭であった)

海をテーマとした著作が多いことで知られる吉村は、漁村などに取材に行くことが多かったのであろう。その中で、三陸海岸の津波の証言を記録することを思い立ったという。この著作の初版は昭和45年。明治29年、昭和8年の津波、および、昭和35年のチリ地震津波の3つの被害の状況を簡潔に記録したものである。

読み進めると、3.11でわたしたちが目の当たりにした出来事が全く同じように過去に起こっていたことを記録している。異なっていたのは、まだ、原発がなかったということだけである。この証言集が優れているのは、その前兆、被害、挿話、余波、津波の歴史から、子供たちの証言、救済方法まで記録されているということである。

例えば、津波災害の後、夥しいし死骸を探す方法として、「死体から脂肪分がにじみ出ているので、それに着目した作業員たちは地上一面に水を流す。そして、ぎらぎらと油の湧く箇所があるとその部分を掘り起こし、埋没した死体を発見できるようになった」といったことであるとか、子供の証言として、親しい友人の死体にその名前を呼びかけると口から泡を吹いた、といった記録を紹介している。この地方では、昔から死人に親しい者が声をかけると口から泡を出すという言い伝えがあるというが、そのことが本当に起こり、涙を流したということである。

吉村はこうした証言を津波を経験した老人たちから聞き取る一方、子供たちが残した作文まで発掘したのである。こうした記録を3.11で被害を被った地域の人たちは共有できていたのだろうか?きっと大半の人々は平和な日常の中で、忘れ、風化させてしまったに違いない。

津波の後、大木の枝に1歳にも満たない乳幼児が引っかかり泣いていた、という話や、津波のとき、ちょうど入浴中で、その風呂桶ごと津波に流され助かった、という笑うに笑えないような話まで、生死の境界はまさに偶然の出来事の重なりであったことがわかる。

この著作は、3.11以後再評価され、多くの人々が手に取ったというが、それでは遅かったのである。こうした書物が平和な時代に読み継がれるような時間、場所がどうしたら可能となるのか大人たちは考えていかなければならない。次は、きっと東海沖地震(こちらの対策は着々と進んでいるが)、そして巨大噴火(破局噴火)に備える番であろう。



[PR]
by kurarc | 2017-10-06 17:19 | books

『ペソアと歩くリスボン』(F・ペソア著、近藤紀子訳)を読む

b0074416_17524356.jpg
タイトルは、20世紀を代表するポルトガルの前衛詩人、フェルナンド・ペソアが、1925年に英文で書いたリスボンのガイドブックである。原題は、「LISBOA what the tourist should see-旅人はリスボンの何を見るべきか」。このペソアの思い入れのを込めたリスボンのガイドブックは、1999年にすでに近藤氏により訳されていたが、拾い読みしていた程度で、精読してはいなかった。今回、初めから終わりまで丁寧に読み進めた。

ポルトガル滞在時に、すでにこの原書(英文とポルトガル語併記)は買ってあって、積読状態であったが、改めて読んでみるとペソアのこだわりがよくわかるガイドブックとなっている。

実はこのガイドブックは、ペソア生誕100周年に当たる1988年に発見されたもので、その経緯については、この書物の中にテレーザ・リタ・ロペス教授によって記されている。実は、このロペス教授の文章は重要で、このガイドの指向性について示してくれている。ペソアは、かなりナショナリズムの動機があり、このガイドを書き記しているという指向性である。ペソアと同期のモデルニスタたちが海外の文化を吸収していくのに対し、ペソアは、自国の文化を輸出すること、知らせるために書かれた、とロペス教授は記している。

わたしにとってこのガイドブックが貴重なのは、かなり建築や建築家の記述にページを費やしている(その他、文学者、芸術家たちも)ということである。できればその一つ一つに詳細な訳注が欲しかったところだが、日本の西洋建築史家でも、きっと初めて聞くような建築家たちの名前が列挙されていることもあり、現時点では無理と言えるだろう。

このガイドブックを読んだ限り、彼は遊歩の詩人であったことがよくわかる。リスボン、及びその周辺の都市をくまなく歩き込んでいたことが伝わってくる。1925年に書かれたこともあり、リスボンに船でやってくる旅人を想定しているが、現在であれば、リスボン国際空港、または、サンタ・アポローニャ駅から書き始めなければならないだろう。

かなりマニアックなガイドブックであるが、そもそもポルトガルを旅する人自体、マニアックな方々が多いのだろうから、こうしたガイドブックを頼りに、ペソアの軌跡を辿ってみるのも興味深いことに違いない。



[PR]
by kurarc | 2017-09-25 17:51 | books

『集合住宅ー20世紀のユートピア』(松葉一清著、ちくま新書)通読

硬派な建築評論を出版し続けている松葉氏の集合住宅に関する著書を拝読した。

結論から言うと、松葉氏が、いわゆる非装飾の「モダニズム」、「即物的」なデザインの集合住宅を評価するのではなく、ウィーンの「カール・マルクス・ホーフ」やアムステルダム派による表情豊かな集合住宅を評価していることに興味を持った。

さらに、そうした集合住宅を成立させている背景を重要視する姿勢についてもである。それは特に、20世紀に日本の建築家たちがヨーロッパ最新の集合住宅のスタイルを真似て、その理念を学習することを怠ったことを痛烈に批判している。

職住近接を目指したイギリスの田園都市運動が、日本では「田園調布」のような不動産経営によるなれの果ての街と化したことについて、建築家の中條精一郎(中條の長女は宮本百合子)の言葉を借りて苦言を呈している。中條はちょうど、イギリスの田園都市運動がまさに勃興した頃、ケンブリッジ大学に留学し、その理念に深く共感していたこともあり、日本の惨状をいち早く感じていたのである。

この書物は、一般向けとは言えない。近代建築史をある程度読みこなしているものでないと、読み説くことはできないだろう。ドイツにおけるワイマール共和国時代の集合住宅を想像しろ、と言われた時、一体どの程度の人がそのものを思い浮かべることができるだろうか?また、アムステルダム派の建築についても。しかし、かつて、わたしはここに出てくる主な集合住宅は見学したが、こうした集合住宅の歴史がが日本人の常識となってくれることを願わずにはいられない。

そうした意味では、この本を一般の方々にも是非読んでもらいたいものである。以前から言うように、日本のマンションなどは「集合住宅」と言えるようなものではないのである。

[PR]
by kurarc | 2017-09-24 20:28 | books

EUは崩壊に向かっていくのか?

b0074416_21514858.jpg
最近のヨーロッパの出来事の中で、最も論議を呼んだことといえば、テロの話題とイギリス人が国民投票の末、EU離脱の道(Brexit ブレグジット)を選択したことだった。特に、Brexitについては、日本の知識人たちの大半は、EU残留を予想していたのではないか。そのため、ニュースなどでは予想できなかったという意見が大半を占めたと思う。

一方、こうしたイギリスの選択を予想していたヨーロッパの知識人たちもいた。その一人、日本で翻訳が数多く出回るようになったエマニュエル・トッド氏である。彼の著書を積極的に日本に紹介しようとしている堀茂樹氏などの知識人もいることから、気軽にトッド氏の考えを知ることができるようになった。

『問題は英国ではない。EUなのだ 21世紀の新・国家論』(文春新書)の1章、2章でBrexit、およびグローバリゼーション・ファティーグ(グローバリゼーション疲労、トッド氏の造語)についてトッド氏は述べている。結論から言うと、トッド氏はイギリスが新たな国民国家の道を歩む選択をしたことを評価していること、EUは崩壊に向かい、21世紀型の新たな国民国家像を他のヨーロッパ諸国も模索していくとになること、そもそもイギリスが脱退したのは、ドイツによって支配されるEUからの脱退であったこと・・・etc.について述べている。EU脱退が即、保守反動の道と考えることは非常に皮相なイギリス(あるいはヨーロッパ)に対する見方である、ということである。

トッド氏はイギリスのケンブリッジで研究した経緯のあるフランス人であることから、かなりイギリス贔屓であることは承知しておかなければならないが、例えば、ドイツの移民政策の寛容さは、日本のように少子化に歯止めのきかないドイツが、様々な民族や近隣諸国から若者や熟練労働者を取り込んで経済を維持し、EU内でのヘゲモニーを維持しようとするしたたかな戦略なのである。今後、注視しなければならないのは、こうしたドイツのEUにおける立ち位置と他のEU加盟国がどのような方向に舵を切るのかということ、イギリスのEU離脱までの動向、それを冷静に見つめるロシアの動向だろう。さらに、ドイツから見放されつつあるアメリカの動向か。

トッド氏は、「工業化以前の伝統的な家族構造によって、近代以降の各社会のイデオロギーの選択が説明できる」ことを彼の若い頃の著作で立証したという。こうした彼の家族システム論のような著作にも興味があるが、わたしが最も関心を持つのは、21世紀は、国家が一つの世界国家のような形態に移行していくのではなく、新たな国民国家の再定義へと向かいそうだ、ということである。まずは、2040年くらいまでに国家像が世界の中でどのように推移していくのか、今後目が離せそうもない。

*トッド氏は、あのポール・二ザンのお孫さんであるという。

*グローバリゼーション・ファティーグ(グローバリゼーション疲労)については、また別の著作を読んでから書きたい。


[PR]
by kurarc | 2017-09-13 16:50 | books


検索
最新の記事
カテゴリ
Notes
HP here

e-mail here

■興味のあるカテゴリを見た後に、また最初のページに戻るには、カテゴリの「全体」をクリックしてください。

■カテゴリarchives1984-1985では、1984年から1985年にかけて行った11ヶ月の旅(グランドツアー)について紹介しています。
画像は30年前のスライドをデジタル化しているため、かなり劣化しています。

■カテゴリfragmentでは、思考のヒント、覚書き、論理になる前のイメージ等、言葉を羅列する方法で書いています。

ライフログ
画像一覧
以前の記事