Archiscape


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by S.K.
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カテゴリ:books( 173 )

多木浩二先生の著作群

多木浩二先生の著作群を収集し、できるだけ数多く読解することにした。多木先生は、大学時代にお世話になったが、その高度な講義内容は、当時、十分理解できたかというと非常に怪しい。1980年頃にはすでに、アンドレ・ルロワ=グーランの『身ぶりと言葉』や、チャン・デュク・タオの『言語と意識の起源』、チェコ構造主義他を講義の中で取り上げられていたが、今から思うと、学部生に対する講義としてはレベルが高すぎるものであったと言わざるを得ない。(我々のレベルが低すぎた、ということ)

実は、大学に入る前から、多木先生の著作『生きられた家』は、わたしの周辺で話題となっており、神田の南洋堂という建築専門書籍店で入手し、読んでいた。それが、わたしと多木先生の著作との最初の出会いである。

多木先生は、単行本や新書、翻訳だけでなく、様々な雑誌、思想雑誌、建築雑誌など多岐にわたり文章を書いている。当面、単行本や新書、共著書、翻訳に関わられた書籍を収集する。すでに10冊程度は手元にある。

多木先生の本は難解であるが、この歳になりやっとその内容を楽しみながら読解できるようになった。多木先生の対象とするテーマは大きくは、近代に登場する事物(建築、芸術、デザイン、写真etc.)の批判的解読である。膨大な資料から、多くの事物と連関する政治、哲学、文化人類学などの知見を駆使し、解読していくスタイルである。

学生の頃は、ただ難解であったと思われた多木先生の本も、今感じるのは、先生はそれらのテーマを実は楽しみながら料理していたということである。収集する目的は、身近に接していた方々の業績を大切にしたいという思いからであり、私にとって、きっと明日につながる大きな問題群が隠されていると思うからである。


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by kurarc | 2017-04-21 23:49 | books

平和から日常へ

少し前に紹介した『ボローニャ紀行』(井上ひさし著、文春文庫)を読了。この本は、紀行文でありながら、井上氏の自伝にもなっているいわば自伝的紀行文という体裁である。加えて、ボローニャという都市を題材にした都市論にもなっていて、多くの楽しみ方ができる内容になっている。

この本の中盤に「日常が大事ということ」という章がある。井上氏は、「平和」という言葉を使わず、それに代わる言葉として「日常」を使うようになった、ということが記されていた。作家という人種はやはり言葉に敏感なのだろう。3.11を経た我々は、その「日常」という言い方に敏感になり、共感するが、井上氏がこの文章を書いたのは2004年から2006年にかけてである。「平和」という言い方は、井上氏も言うように「意味が消えかかっている」し、何か間の抜けた、中身のない空虚な言葉にわたしも感じられる。

この本は井上氏にとって晩年の著書である。井上氏はボローニャという都市を通じて、自らの生い立ちを振り返り、自らの生と重ねながら都市論を現した。ボローニャは彼に理想の都市像を夢みさせてくれたようだ。井上氏にとって、この文章を書いている時は幸福であったはずである。一方で、彼はこの執筆当時のイタリアの過酷な現実に目を向けることもわすれていはいない。EUへの加盟は自国で勝手に通貨を切り下げるようなマネはできなくなり、そのしわ寄せは、雇用へと影響、今日の日本のような労働環境に変化し・・・etc.

しかし、わたしはこのボローニャの市民による協同組合制度を見る限り、日本の都市よりは断然よいと思われた。イタリアにはいまだに都市国家といってよいような都市の自律性が存在しているのがよくわかる。それに比べ、日本の都市は、都市国家とは言えず、「国家都市」なのだと思う。

*1984年から85年にかけて1年間の旅をした時、およそ5000枚撮影した写真の中で、自分の顔が入っている写真はわずか3枚しかない。そのうちの一枚は、このボローニャの塔(アッシネッリの塔)の頂上で撮影したものである。撮影してくれたのは、ボローニャのドミトリーで知り合いになったフランチェスコという青年である。1999年に再度ボローニャへ行った時、この塔の頂上へ登り、撮影した場所を15年ぶりに訪ねた。


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by kurarc | 2017-04-19 23:58 | books

井上ひさし、ボローニャ、ポルティコ(柱廊)

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先日、イタリア文化会館で催されているイタリアブックフェアに立ち寄った。日本語で紹介されたイタリアに関する書籍が所狭しと展示してあったのだが、その中に、井上ひさしさんの随筆『ボローニャ紀行』(文春文庫)が置いてあった。井上さんが都市論のような随筆を書いている、という驚きもあり、早速、アマゾンで古書として購入した。

まだ、読み始めたばかりだが、19の随筆の3番目に、「柱廊(ポルティコ)の秘密」と題する随筆があった。ボローニャはもちろん訪れたことがある。そして、私にとっては忘れられない思い出がある。街外れにあったおよそ一泊300円程度の公立のドミトリーに宿泊したからである。ここは、いわば無職のような境遇の労働者(悪く言えば浮浪者)が宿泊するようなドミトリーであった。わたしは、宿泊代をうかせるために、海外旅行ではこうした宿をよく利用する。しかし、その反面、怖い思いもする。このドミトリーではカメラを盗まれそうになった。その盗もうとしたイタリア人(フランチェスコという名)は、前日までわたしを色々な場所に観光案内してくれたのであるが、ドミトリーを離れる最後の日になって犯行に及んだのである。しかし、彼はそのカメラを自分が盗んだようには見せかけず、わたしに返してくれたのであった。

閑話休題、ボローニャのポルティコ(上写真、wikipediaより)は、都市というものを考えるときに、必ず頭の中に浮かんでくる装置である。ボローニャ人は、このポルティコのおかげで、雨の日も傘が必要ないと自慢する。そのポルティコの起源について、井上さんは、この随筆でふれていた。大学の街として知られるボローニャに学生が集まり、その学生数がバカにならなくなった頃、2階上部に増築をし、学生のための部屋をつくった。その部屋は木の柱で支えるようにつくられ、のちに、石造としてつくられるようになった。これが、ポルティコの起源ということらしい。

井上さんがこうした随筆を書かれているとは知らなかった。ボローニャについては、かなりの気の入れようで、その熱気が伝わってくる名随筆である。そして、井上さんらしいユーモアも忘れてはいない。



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by kurarc | 2017-04-04 21:32 | books

イタリア小説の方へ

住まいが静かな環境に変化したのに連れて、不思議なことだが、本を読むという行為が自然とできるようになった。以前の環境では何か強い意志のようなものが必要であった読書が自然と本を手に取れるように変化してきたのである。環境は重要であるとつくづく感じている。

先日、タブッキというイタリアの作家に関するメモを書いたが、わたしの手元には、パヴェーゼ、レーヴィ、ヴィットリーニといったイタリアの作家の本が集まり始めた。そのどれもが、スペイン戦争に関わるもの、ファシズムと戦った(反ファシズム)物語である。小説を読むことは苦手なのだが、環境が変わったこともあり、落ち着いて本と対話できるようになった。トクヴィルというフランスの思想家により「近代」を復習し、上の3人の作家によって、1930年代から始まった「同時代(コンテンポラリー)」の出発点を学ぶ、ということである。

イタリアからは、現在、建築よりも、こうした人文科学や映画から学ぶことが多い。上の作家に、カルヴィーノ、ピランデルロなどといった作家が加わってくるが、この流れからいうと、ファシズムに積極的に関わった建築家のテラーニが問題となってくる。ファシズムに関わった建築家として、コルビュジェも上がってくる。この辺りが建築の考察においては当面の課題となりそうである。


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by kurarc | 2017-03-23 19:35 | books

横光利一作 『春は馬車に乗って』

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春が近づいてくると読みたくなる小説が、横光利一の『春は馬車に乗って』である。この短編小説は、結核に冒された妻とその死までの会話を題材にしている。春の訪れを告げるスイートピーの花束を胸に抱きしめながら妻が息を引き取るという悲しい小説であるが、なぜか、春の風が吹き抜けていくような爽やかな印象を残す不思議な小説である。

横光は、20代に様々な死や破局を経験する。24歳で父を亡くし、その1年後には関東大震災を経験、そして、28歳のときには23歳の妻キミを亡くす。この小説は実体験に基づいた小説なのである。

人が生きるとは、実はこうした破局、カタストロフィーとそこから立ち直ろうとする夢との繰り返しなのである。大学時代お世話になったT先生の最期の著書の副題は、「夢とカタストロフィーの彼方へ」と題されていた。T先生は、トリノという都市の中に、そうした二つの様相を読み込もうとしたのだが、それは、トリノという都市だけではない。都市の中に生きる人間がもつ普遍的な二つの営みなのである。

3.11というカタストロフィーを経験した我々は、ずぐに、そこから復興しようと夢をもち、夢を追いかける。実は夢とカタストロフィーとは表裏の関係にあるのだ。苦悩の中にこそ大きな夢は育っていく。3.11をむかえていつも思うことは、人間の宿命のようなものだが、それは宿命だけに避けられない、ということである。

横光も、20代に経験したカタストロフィー以後、珠玉の作品を残していったが、その夢の実現は、20代の経験なしにはなしえなかったのではないだろうか。



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by kurarc | 2017-03-13 18:03 | books

名著『東京の自然史』(貝塚爽平著)を読む

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名著と言われる書物がある。その一つの条件は、難しいことをわかりやすい文章に置き換えて説明してくれる書物であるが、さらに、文章に落ち着きのようなものが必要である。あせってせかせかと進むのではない。かといって、だらだらとした文章であってはならない。『東京の自然史』は、そうした名著の条件をすべて兼ね備えた名著の中の名著といってよいかもしれない。

まず、この書物が喜ばしいのは、武蔵野台地について単独で1章設けていることである。わたしが現在暮らす武蔵野台地の成り立ちが太古から理解できる。吉祥寺辺りから武蔵野台地の開析谷(こく)がはじまることが記されているが、そのことを知ってはじめて武蔵野台地の西と東の分岐点あたりにわたしが住んでいることに気づかされたし、井の頭公園というものがなぜあの場所に成立しているのかが理解できた。

古多摩川の流れについても大くの論考がなされている。多摩川は当初、狭山丘陵を分岐点として、埼玉側と現在の東京側の両方に分かれて流れていたことを知る。つまり、武蔵野台地は日本の中でも巨大な扇状地なのだ。

また、富士山の火山灰の分布から、偏西風の平均的風向がわかるということも興味深い。東京湾の成立過程にも驚かされた。かつて、東京湾は陸地であり、その中心に古東京川が流れていたという。(約2万年前)

昨今は地形ブームであるが、その古典とも言える本書は、自然史というかたちをとった「武蔵野論」ともなっているのである。それは、独歩の主観として描かれた『武蔵野』を地理学の立場から保管してくれる書物ともなっている。

東京は決して江戸以降の時空間のみでとらえるものではない。少なくとも10万年から100万年くらいのスケールで考えるものであることを本書は教えてくれた。



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by kurarc | 2017-02-27 22:06 | books

毎日新聞 日曜版

3.11以降、新聞をはじめとしたメディアに頼ることは危険だと思い、ずっと新聞から遠ざかっていた。しかし、池澤夏樹さんの『知の仕事術』を読み、新聞も距離をおきながら付合うのもよいか、と感じ、たまにコンビニで買うことにした。特に、池澤さんをはじめとした書評が掲載される毎日新聞の日曜版からにしようと。

新聞を自宅で手にするのは久しぶりのことであり、かなり新鮮に感じられた。「日曜くらぶ」と題された別刷りの一面には、前田敦子さんが登場していて、以前から知ってはいたが映画好きのことについて書かれていた。映画好きというだけでも親近感がわく。顔写真をみると以前より随分と大人びたように思った。

注目の書評欄「今週の本棚」には、堀江敏幸氏による『タブッキをめぐる九つの断章』(和田忠彦著、共和国)が紹介されていた。イタリア人のタブッキは、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアの研究者として著名であり、自らポルトガル語で小説を書くこともある作家である。日本人にはファンも多い。長年、翻訳を担当してきた和田氏のタブッキ論集大成といったところだろうか?興味をそそられる。その他、須賀しのぶさんのポーランドを主題とした小説『また、桜の国で』に目が留まる。

週に一度くらい新聞を読むということはよいかもしれない。タイムリーなニュースなどはラジオで聞けばよいのだし、週一度、その週の出来事を分析、精査した文章を読むくらいがよい気がする。いわゆるウィークリーになる訳だが、そうしたペースで刊行される良質な新聞(できれば、タブロイド判)ができるとよいのに。

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by kurarc | 2017-02-19 17:42 | books

池澤夏樹著 『知の仕事術』を読む

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池澤夏樹さんが自らの仕事術の一端を新書で出版した。わたしが全幅の信頼を寄せる池澤さんの仕事術には並々ならぬ関心があり、一気に1時間で通読する。(新書は2時間以内に読むものである。)

仕事術もさることながら、刺激的なエピソードも豊富に含まれていて、大変参考になった。それに、非常に読みやすかったのには助かった。池澤さんが天童木工の椅子を使っていることや、手作りの本棚、テーブルをつくるなど思いがけない話題もあり、興味深かった。自分のやり方で仕事術を精査していったということのようだ。

本好きということが改めてよくわかったが、かといって、コレクターではない、ということが以外であった。とはいっても、一万、二万冊くらいの蔵書はあるのだろうが、読まなくなったものは古本屋に処分してしまうことをいとわないという。わたしがよく活用する古本屋の名前も出てきたりして驚いた。毎日新聞の日曜版今週の書評は必ず目を通そうと思ったこと、MacBook Air、Kindleはそろえてもよいと思ったこと・・・etc. 

池澤さんの仕事術のごく一部が公開されたという感じは否めない。核心の部分は公開していないのではないか。しかし、今後、興味の範囲を広げる必要性と、池澤さんのいう、情報、知識、思想というレベルを常に意識し、更新していくことが重要、ということか。

*一年前の今日、国会をにぎわした「保育園落ちた日本死ね!!!」の全文が引用されていた。この文章、池澤さんも言うように「名文」である。だれか、この文章に曲をつけて歌ったらどうだろうか?

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by kurarc | 2017-02-15 21:52 | books

偶然 人の生のシナリオ

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最近、このブログで浅井忠という画家についてふれた。その浅井について調べていると、太宰治の娘で作家の太田治子さんが浅井忠についての本『夢さめみれば 日本近代洋画の父・浅井忠』という本を出版されているので、いつものとおり古本で購入した。

この本を読み進めながら、驚いたことがある。わたしは名刺を銀座2丁目の中村活字という印刷所でつくっている。その店の近くに銀座としては珍しい出し桁造りの町家(上写真)があり、その写真をいつも名刺をつくりに行く帰りに何気なく撮影していた。先日、新しく移る事務所の名刺を受け取りに行ったときも、この町家の写真を撮影していた。

そして、その後、太田さんの本を手に取って読んだのだが、この町家のことが文章の中に現れたのである。中村活字やこの町家がある辺りは浅井が生まれた江戸・木挽町で、浅井忠が生まれた木挽町佐倉藩邸があったのもこの辺りだというのである。

わたしはこの文章を読んでいて、あまりの偶然の出会いの結びつきに寒気がするほど驚いたのである。このブログでは、よくこうしたことを書いていたが、これほど思いもかけないことがつながって行くことにもはや偶然とは思えないとすら感じるようになった。

人の一生はもしかしたらすでに一つのシナリオが書かれていて、そのように人は生きているのではないか、とすら思えてくるのである。人の出会いや別れもすでに決まっているのかもしれない。そう考えると、慌てることもないし、迷うこともない。ただ、ありのままに生きればよい、ということかもしれない。

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by kurarc | 2017-01-19 21:18 | books

マイルズ・ディヴィスと小林一茶

年末、わたしの手元にあるのは、マイルズ・ディヴィスの映画パンフレットと小林一茶の『父の終焉日記、おらが春 他一編』(岩波文庫)である。

マイルズの方は、今日時間ができて、映画をみることができた。(日本名タイトル 『マイルス・ディヴィス 空白の5年間』)マイルズが1970年代の後半、演奏活動から退いたおよそ6年間をフィクション仕立てにして描いた映画。彼の再生までの道のりが描かれている。

一方、小林一茶は、50代になってからもうけた娘さとを亡くし、その誕生と死、そして再生を含む日記体句文集が『おらが春』である。

露の世は露の世ながらさりながら

という句に出会って、急に一茶のことが知りたくなり、古本を購入した。「さりながら」とは「しかしながら」の意。これは、現在では、「去りながら」のようにも響き、年が明けようとしている今の時間をも表現しているかのようである。フランスの作家、フィリップ・フォレストはこの「さりながら」という言葉をそのまま小説のタイトルにしてしまった。こちらの小説も気になり、注文したところである。

昨今、日本全体に言えるテーマの一つは、「再生」ではないか。これはすべての人の中に何か引っかかる言葉であろう。病に倒れた人は、その病を克服すべく、再生を夢見るであろうし、3.11を経たフクシマは、気の遠くなるような時間の先に再生を誓っているだろう。

それぞれの再生に向けて、一年が始まろうとしている。一茶のように、多くの苦難に打ち克つこと、その先にあるものこそが人の幸せというものであろう。

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by kurarc | 2016-12-31 21:10 | books


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