Archiscape


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by S.K.
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カテゴリ:books( 180 )

「郊外」というプロブレマティック

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少し前、エリック・サティという作曲家とパリの郊外(ここではアルクイユ)についての関係性を論じた本を紹介した。この本を読もうと思ったのは、サティという興味深い作曲家の本であると同時に、「郊外」というトポスを含めて論じていたからである。建築学や都市社会学のフィールドの中で、この「郊外」をテーマとした書籍が出版され始めたのは、もう30年ほど前にさかのぼる。

その後、世紀転換期を前後して、新たに「郊外」をテーマとした書籍があふれ出した。それは、「郊外」(ニュータウンや団地、新興住宅地など)での問題点が顕在化し、はっきり目に見えるようになってきたためだと思われる。郊外で起こる殺人事件なども郊外が持つ闇を照らし始めた。しかし、ここではネガティブな捉え方でなく、東京を考える上での中心のテーマとして位置づけ、今後どのような郊外を構想していくのか、その手がかりを掴みたいと思う。

地元の建築家たちと国分寺崖線上に築かれてきた分譲地(学園都市、田園都市を含む)としての郊外を歩いて1年以上が経過した。通常漠然と通り過ぎてしまう都市「見えない都市」を「見える都市」として意識する試みだが、この中から改めて東京の「郊外」のプロブレマティックを学習してみようと思うようになった。

もはや参考文献は山ほどある。まずは、山口廣先生編による『郊外住宅地の系譜 東京の田園ユートピア』(1987年、鹿島出版会)が良さそうである。江戸から東京へと都市が変化する中で、必然的に「郊外」が生まれたわけだが、その発生と今後の展望を早いうちに一気に掴んでしまおうというわけである。それは、大きくは江戸から東京へという都市の動態を掴むことでもある。今年度の都市研究のテーマの一つとなりそうである。

*「郊外」という言葉が新鮮さを失っているようにも思えるので、「郊外」という言い方とは異なる表現の仕方、言い方はないものだろうか?

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by kurarc | 2017-06-21 21:20 | books

『エリック・サティの郊外』を読む

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エリック・サティという作曲家を「郊外」をキーワードにして読み解いた本、『エリック・サティの郊外』(オルネラ・ヴォルタ著、昼間賢訳、早美出版社)を通読した。

サティは、20世紀へと時代が移ろうとするその少し前、モンマルトルの「押入れ」と言われたピアノも置くことのできない部屋から、パリの南の郊外、アルクイユの「4本煙突の家」(上は現在の4本煙突の家、グーグルマップより)と呼ばれた家へ移り、そこで死ぬ寸前まで過ごすことになる。アルクイユは、映画『アメリ』の中で登場する水道橋のふもとの街である。かつて、パリの国際大学都市にル・コルビュジェのスイス学生会館を見学に行ったが、アルクイユはこのすぐ南に位置する。

この本から様々なサティの生き様が垣間見られ、興味深かったが、サティのルーツの一つに母方がスコットランドの出身ということがあり、こうした郊外に住む習慣のあるイギリス人たちとの連関があるのでは?といった訳者の見解も興味深かったし、さらにサティがポルトガルの酒精強化ワインであるポルト酒を好んだというのも、元はイギリス人がこのワインをつくったようなこともあり、そうした目に見えないつながりがあるのかもしれない、とわたしも勝手な想像を楽しんだ。

サティはダダイストと紹介されたり、アナーキストと紹介されたりと様々な側面を指摘されるが、この本を読むと、むしろ誠実な紳士というただそれだけの人であったのではないかと感じる。サティはパリ郊外に住むことによって、パリという都市を相対化し、批判した視点に立って彼の音楽を築き上げたのだということがよく理解できた。

フランス語で、banlieusard(バンリュザール)、郊外人としてのサティをテーマとした本書は、一方、この原義に「追放されたもの」として意味があることを隠し持っているため、意識的に使用したのだと思われる。孤独のうちに死んだサティではあったが、こうした孤独の中で大きな創造行為を成し得たサティは、satisfaction(サティスファクスィヨン、サティ+スファクスィヨン、満足、サティ的行為)できた生を営めたのだろうか?少なくとも、サティの曲を享受しているわたしたちにとって、サティの孤独とは無益なものでは決してなかったと言えるということである。

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by kurarc | 2017-06-17 23:20 | books

ルイージ・ピランデッロ シチリアのカラス

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先日、ルイージ・ピランデッロの戯曲を原作とした映画『ENRICO Ⅳ』を観直した。その他、わたしが知っているものでピランデッロを原作とした映画は『カオス・シチリア物語』がある。特に、『カオス・シチリア物語』は、度々観直したくなる映画である。

1985年1月24日から29日まで、短期間だがシチリアを旅したことがある。ピランデッロの故郷アグリジェントも一日過ごした。もちろん、このとき、アグリジェントがピランデッロの故郷(正確にはアグリジェントから4キロほど離れたカオスという街が故郷)であるなどまったく知る由もなかった。

一度訪ねた土地という実感があるせいか、ピランデッロという作家はいつもどこか頭の片隅にある。それはもちろん名画『カオス・シチリア物語』の原作者であることも大きいが、彼の短編などを少しずつ読んでいるうちに、なおさら気になる作家になってきたのである。さらに、ピランデッロがなぜファシスト党に入党したのかについても気になっていた。

竹山博英著『シチリア 神々とマフィアの島』の中に、ピランデッロについての小論(「硫黄鉱山と文学 ピランデッロ」)があるが、その中にピランデッロを理解する手がかりが書いてある。ピランデッロの父はガベッロットと言われる鉱山管理者であったが、鉱山労働者に過重労働を課し、利益を得るマフィア的な人物であった。こうした父への反抗が彼の文学への出発点となっているようだ。その一方、経済的には裕福であったこともあり、父からの仕送りによって学問を続けられたという矛盾にも悩まされたのだろう。そうした屈折した父親像を常に内面に持っていたピランデッロは、ずっと大人になりきれず、父性の象徴としてのムッソリーニに傾倒していくことになったのだと、竹山は書いている。

ピランデッロの短編に、「月を見つけたチャウラ」がある。この短編は、鉱山労働者チャウラ(シチリア方言でカラスを意味する)が過酷な労働の中で、大きな月との感動的な出会いを描いた短編である。映画『カオス・シチリア物語』の中にも登場するカラスは、ピランデッロの作品の中で度々登場する生き物である。それが何を意味するのか、わたしにはまだはっきりわからないが、なんとなく感じとっている。

*ピランデッロの短編選集、『月を見つけたチャウラ ピランデッロ短編集』(関口英子訳)は、第1回須賀敦子翻訳賞を受賞している。

*ピランデッロの原作を映画化したもののリストが『月を見つけたチャウラ ピランデッロ短編集』(関口英子訳)のあとがきに書いてあったので、メモしておく。

・『カオス・シチリア物語』(タヴィアー二兄弟)
・『笑う男』(タヴィアー二兄弟)
・『旅路』(デ・シーカ監督)
・『乳母』(マルコ・ベロッキオ監督)
・『ENRICO Ⅳ』(マルコ・ベロッキオ監督)・・・わたしが追加
・『花をくわえた男』

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by kurarc | 2017-06-05 19:16 | books

小林秀雄 『近代繪畫』

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先日、藤沢の古本屋に行ったとき、そのご主人から小林秀雄作の小説『一つの脳髄』初版本を見せていただいた。小林の唯一の小説ということである。わたしは読んだことはないが、不思議なことに、小林秀雄全集の中には所収されていない。

小林秀雄の著作は中学生の頃、『考えるヒント』、『無常ということ』などが流行って読んだが、実は熱心に読んだことはなった。いい歳をしていて恥ずかしい限りである。小林の著書がその後気になり、『近代繪畫』という著書を手に取った。わたしにとって最も親しみやすい内容と思えたからである。以前、と言っても何十年も前に、ざっと目を通したように思うが、内容は思い出せない。

『近代繪畫』というタイトルであるが、最初に「ボードレール」から書き始められている律儀さは小林らしい。近代の絵画を描くにあたり、ボードレールは避けて通れないという訳である。ボードレールが試みた「詩の近代性」と「絵画の近代性」とをパラレルなものと見ているということだが、残念なのは、その後に取り上がられる画家たちの中に、クールべが含まれていないことである。ボードレールの章であっさりと彼の意義についてふれて、すぐにモネへと移行している。(このあたりが、研究者と批評家の違いであろうか)

それはさておき、ボードレールの章に目を通したが、小林の近代絵画に対する認識の明快さには驚かされた。わたしは小林が個々の画家をどのように解釈し認識しているのかより、「近代」という言葉の中にどのような含意、パースペクティブを込めているのかを知りたいと思っている。まだ読み始めたばかりなので、後日、そのことについてメモすることにしよう。

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by kurarc | 2017-05-30 00:29 | books

本の買い方

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今日は大学でお世話になったT先生の蔵書(上写真、購入した蔵書の一部)を買い付けに藤沢まで足を運んだ。行きは、中央高速から圏央道を乗り継いで、海老名で降り、藤沢方面へ向かう。訪れた古書店はすでに店をたたんで、自宅で営まれていた。

店主に色々とお話を伺いながらT先生の蔵書であった本を見せていただく。こうした経験が実に新鮮であった。我々は通常書店にある程度目当ての本を探しにいって購入する。または偶然手に取った興味深い本を購入する場合もあるだろう。しかし、書店員とじっくりと話し込んで本を購入することはまずない。

本にはそれぞれ物語がある。今日見せてもらった本には、T先生の書き込みのあるものがある。そうした痕跡から、すでに読んでいた本であっても、全く別の本といって良い発見が生まれることになる。さらに、今日はT先生がどのような蔵書を売られたのかは知らず、その場で初めて本を吟味することになった。それは、真に一期一会の本である。

今日購入した写真家ブラッサイや森山大道の本など、こういうことがなければ、一生購入することのなかったものであろう。対話をかわしながら本を購入することはこうした古書店だけでなく、新刊書籍の書店でも導入すべきであろう。押し付けがましくなってはいけないが、本への愛着が深まることは間違いない。

帰りは原宿(あらじゅく、神奈川)へ出てから、国道1号線、横浜新道、第三京浜を抜け、二子玉川経由で帰宅する。有意義な日曜日の過ごし方であった。



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by kurarc | 2017-05-14 21:02 | books

白水社 ふらんす

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『ふらんす』(白水社)と言う歴史のある月刊誌がある。この雑誌は、以前から図書館などで手にとっていたが、フランス語にもう少し力を入れるためにも買って手元に置くことにした。

フランスは話題に事欠かないためか、雑誌の記事の内容は変化に富み、興味深い内容のものが多い。偶然といっても良いが、4月からの連載記事に「鳥たちのフランス文学」があり、わたしの鳥の興味と重なった。ニューカレドニアに関するコラムでは、「ニューカレドニア」と言う地名がジェームズ・クックによって名付けられたことを知る。ちょうど多木浩二先生の『船がゆく キャプテン・クック 支配の航跡』を読み始めたばかりなので、こちらもわたしの興味と重なる。

この雑誌が優れているのは、フランスというと優雅な文化の国というイメージが氾濫していて、実際のところどのような国なのかは我々には不明確なところがあるが、そうした疑問を補填してくれるような赤裸々なコラムも掲載されていることである。大統領選挙で揺れるフランスだが、あるパリ郊外の都市で、マリーヌ・ルペン率いる国民戦線(FN)になぜ投票するのかについて書かれたコラムはフランスの現状を知る上で役立つ。

映画のコラム記事が豊富であることも喜ばしい。先日観てきた映画『未来よ こんにちは』(原題は「未来」、日本ではなぜ「こんにちは」をつけるのだろう?)のシナリオの一部も掲載されている。この映画では、

・・・nous, les femmes, près 40 ans, on est bonnes à jeter à la poubelle・・・

「・・・私たち女なんて40歳をこえたらゴミ箱行きがいいところよ・・・」(「ふらんす」に掲載された訳)

こんなセリフが、イサベル・ユペール扮するナタリーからつぶやかれたが、これを映画では、「40歳を過ぎたら生ゴミよ」と字幕に表示されていた。かなりの意訳であったことが、「ふらんす」に掲載されたシナリオで理解できた。

このような雑誌を眺めていると、フランスについて学習しないのは「もったいない」気がしてならない。これほど学習しやすい国が他にあるだろうか?

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by kurarc | 2017-04-29 19:20 | books

多木浩二先生 追悼号

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多木浩二先生の追悼の文章が掲載されている『現代思想 2011年6月号』を遅ればせながら、手にとってみた。

追悼文を書いているのはお二人だけであり、残念である。この雑誌の半分を占めていても良いくらいだと思うが、わたしが予想するには、もう少し多くの方々に追悼文を依頼したのだが、このお二人だけしか快諾が取れなかったということだと思う。

それは、多木先生の業績を逐一把握している読者、すべての著作に渡り明快にその意味、意義を語ることができる読者がどれほどいるのか、という問題であり、語ることの不可能性に突き当たってしまうからではないかと思う。

追悼文を書いた建築家の文章は、著作については初期の2冊について触れただけである。これで追悼文と言えるのか?どう考えても失礼であろう。膨大な業績を残した先生の著作のすべてを語ることはもちろんできないまでも、初期から晩年に到るまでの業績について踏まえた上で、何を追悼するのかについて文章は書かれるべきなのだ。そうでなければ、あらかじめそのことをことわった上で文章は書かれなければならない、と思う。

本当は追悼文など必要ないのではないか?それより、先生の文章に誠実に立ち向かうことだけよいのだと思う。

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by kurarc | 2017-04-28 14:11 | books

多木浩二先生の著作群

多木浩二先生の著作群を収集し、できるだけ数多く読解することにした。多木先生は、大学時代にお世話になったが、その高度な講義内容は、当時、十分理解できたかというと非常に怪しい。1980年頃にはすでに、アンドレ・ルロワ=グーランの『身ぶりと言葉』や、チャン・デュク・タオの『言語と意識の起源』、チェコ構造主義他を講義の中で取り上げられていたが、今から思うと、学部生に対する講義としてはレベルが高すぎるものであったと言わざるを得ない。(我々のレベルが低すぎた、ということ)

実は、大学に入る前から、多木先生の著作『生きられた家』は、わたしの周辺で話題となっており、神田の南洋堂という建築専門書籍店で入手し、読んでいた。それが、わたしと多木先生の著作との最初の出会いである。

多木先生は、単行本や新書、翻訳だけでなく、様々な雑誌、思想雑誌、建築雑誌など多岐にわたり文章を書いている。当面、単行本や新書、共著書、翻訳に関わられた書籍を収集する。すでに10冊程度は手元にある。

多木先生の本は難解であるが、この歳になりやっとその内容を楽しみながら読解できるようになった。多木先生の対象とするテーマは大きくは、近代に登場する事物(建築、芸術、デザイン、写真etc.)の批判的解読である。膨大な資料から、多くの事物と連関する政治、哲学、文化人類学などの知見を駆使し、解読していくスタイルである。

学生の頃は、ただ難解であったと思われた多木先生の本も、今感じるのは、先生はそれらのテーマを実は楽しみながら料理していたということである。収集する目的は、身近に接していた方々の業績を大切にしたいという思いからであり、私にとって、きっと明日につながる大きな問題群が隠されていると思うからである。


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by kurarc | 2017-04-21 23:49 | books

平和から日常へ

少し前に紹介した『ボローニャ紀行』(井上ひさし著、文春文庫)を読了。この本は、紀行文でありながら、井上氏の自伝にもなっているいわば自伝的紀行文という体裁である。加えて、ボローニャという都市を題材にした都市論にもなっていて、多くの楽しみ方ができる内容になっている。

この本の中盤に「日常が大事ということ」という章がある。井上氏は、「平和」という言葉を使わず、それに代わる言葉として「日常」を使うようになった、ということが記されていた。作家という人種はやはり言葉に敏感なのだろう。3.11を経た我々は、その「日常」という言い方に敏感になり、共感するが、井上氏がこの文章を書いたのは2004年から2006年にかけてである。「平和」という言い方は、井上氏も言うように「意味が消えかかっている」し、何か間の抜けた、中身のない空虚な言葉にわたしも感じられる。

この本は井上氏にとって晩年の著書である。井上氏はボローニャという都市を通じて、自らの生い立ちを振り返り、自らの生と重ねながら都市論を現した。ボローニャは彼に理想の都市像を夢みさせてくれたようだ。井上氏にとって、この文章を書いている時は幸福であったはずである。一方で、彼はこの執筆当時のイタリアの過酷な現実に目を向けることもわすれていはいない。EUへの加盟は自国で勝手に通貨を切り下げるようなマネはできなくなり、そのしわ寄せは、雇用へと影響、今日の日本のような労働環境に変化し・・・etc.

しかし、わたしはこのボローニャの市民による協同組合制度を見る限り、日本の都市よりは断然よいと思われた。イタリアにはいまだに都市国家といってよいような都市の自律性が存在しているのがよくわかる。それに比べ、日本の都市は、都市国家とは言えず、「国家都市」なのだと思う。

*1984年から85年にかけて1年間の旅をした時、およそ5000枚撮影した写真の中で、自分の顔が入っている写真はわずか3枚しかない。そのうちの一枚は、このボローニャの塔(アッシネッリの塔)の頂上で撮影したものである。撮影してくれたのは、ボローニャのドミトリーで知り合いになったフランチェスコという青年である。1999年に再度ボローニャへ行った時、この塔の頂上へ登り、撮影した場所を15年ぶりに訪ねた。


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by kurarc | 2017-04-19 23:58 | books

井上ひさし、ボローニャ、ポルティコ(柱廊)

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先日、イタリア文化会館で催されているイタリアブックフェアに立ち寄った。日本語で紹介されたイタリアに関する書籍が所狭しと展示してあったのだが、その中に、井上ひさしさんの随筆『ボローニャ紀行』(文春文庫)が置いてあった。井上さんが都市論のような随筆を書いている、という驚きもあり、早速、アマゾンで古書として購入した。

まだ、読み始めたばかりだが、19の随筆の3番目に、「柱廊(ポルティコ)の秘密」と題する随筆があった。ボローニャはもちろん訪れたことがある。そして、私にとっては忘れられない思い出がある。街外れにあったおよそ一泊300円程度の公立のドミトリーに宿泊したからである。ここは、いわば無職のような境遇の労働者(悪く言えば浮浪者)が宿泊するようなドミトリーであった。わたしは、宿泊代をうかせるために、海外旅行ではこうした宿をよく利用する。しかし、その反面、怖い思いもする。このドミトリーではカメラを盗まれそうになった。その盗もうとしたイタリア人(フランチェスコという名)は、前日までわたしを色々な場所に観光案内してくれたのであるが、ドミトリーを離れる最後の日になって犯行に及んだのである。しかし、彼はそのカメラを自分が盗んだようには見せかけず、わたしに返してくれたのであった。

閑話休題、ボローニャのポルティコ(上写真、wikipediaより)は、都市というものを考えるときに、必ず頭の中に浮かんでくる装置である。ボローニャ人は、このポルティコのおかげで、雨の日も傘が必要ないと自慢する。そのポルティコの起源について、井上さんは、この随筆でふれていた。大学の街として知られるボローニャに学生が集まり、その学生数がバカにならなくなった頃、2階上部に増築をし、学生のための部屋をつくった。その部屋は木の柱で支えるようにつくられ、のちに、石造としてつくられるようになった。これが、ポルティコの起源ということらしい。

井上さんがこうした随筆を書かれているとは知らなかった。ボローニャについては、かなりの気の入れようで、その熱気が伝わってくる名随筆である。そして、井上さんらしいユーモアも忘れてはいない。



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by kurarc | 2017-04-04 21:32 | books


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