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カテゴリ:sand( 6 )

ピラミッド 砂と巨石の運搬方法

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facebookで知ったことだが、アムステルダム大学研究班が最近、ピラミッドの巨石の運搬方法を解明したという。それは、なんのことはない、すでに壁画(上、ジェイホテプ墓に残された壁画)に描かれていたことなのだが、巨石を運ぶソリの道となる砂に水を蒔き、砂を水の力で結束させることにより、石の運搬がよりスムーズになる、という結論だという。この壁画では蒔いたのが水なのか、特殊な液体なのか定かではないが、かなり確信にせまった仮説と言えそうである。

たびたびこのブログで紹介している『砂 文明と自然』(マイケル・ウェランド著)の中で、この件については記述されてはいないが、「水を加えるだけで起きる奇跡」という章では、子供の頃、誰もが経験する海辺での砂遊びについてふれている。それは、誰もが無意識に感じていることだと思うが、海辺の砂は湿っているために、砂山などがいとも簡単につくれてしまう、ということである。

この現象は、水が引き合ってまとまるという性質による(粒子間にはたらく表面張力)のだという。水と砂が一緒になると、砂が引っ張り合い粒子どうしがしっかりと結びつく。砂にわずか1パーセントの水を加えるだけで、驚くべき固体に変容する、とマイケル・ウェランドはいう。

エジプト人は永い砂とのつきあいのなかで、こうした現象をよく理解していたのだろう。
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by kurarc | 2014-05-05 16:45 | sand

上賀茂神社の立砂 砂のコスモロジーの構想へ

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マイケル・ウェランド著の『砂 文明と自然』から始まった砂の世界への導きによって、砂は、私に様々な想像をかきたてる物質へと深化していきつつある。

昨日取り上げた産土しかり、また、上賀茂神社の立砂(上、上賀茂神社HPより引用)のように、砂は、日本の神事に深く関わっているということがあげられる。上賀茂神社の立砂は山の形象の模造であり、魔除けとしての意味をもつと言われているようだが、それではなぜ砂であり、砂の山であるのか?また、砂持ち行事とは?、砂かけ祭事のように砂をかけるのはなぜなのか?

砂には物理的化学的世界、工学的世界、民俗学的世界、神話的世界、文学的世界をはじめ、建築においても深く関わっている。建築では左官材料として、砂はさまざまな用途に使われる。建築は仕様によっては、砂の固まりでもある。先日、ワークショップに訪れた横浜山手町の洋館には、三波石の砂(薄緑色の砂)が外壁に大量に使用され修復されている。

このように砂をたどって行くと、ウェランドがすでに著したテーマでもあるが、砂のコスモロジー(宇宙史あるいは博物誌)が構想できるだろう。砂と人間の関わりを多方面から探求することは、日本の深層文化へも関連する広大な世界へ導いてくれそうである。
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by kurarc | 2014-04-09 20:28 | sand

産屋考 始源の砂

谷川健一の著作『常世論』(とこよろん)の中に、『若狭の産屋』という章がある。産土(うぶすな)とは何か、について柳田国男は答えをもっていなかったことを引き合いに出して、谷川は、敦賀湾の常宮(じょうぐう)という海村で聞いた話を紹介している。

それは、この村の産小屋で子供を産んだ経験を持つ老人の話である。この村では、子供を産むのに産小屋で産み、およそ50日はその中で生活するという。お産を不浄と見なす観念から出発したものと谷川は考えているが、その産小屋には畳は敷かないという。床には海のきれいなを敷き、その上に藁を置き、荒いムシロを重ね、一番上にい草のゴザを敷くのだという。

谷川によれば、立石半島(敦賀半島)の東海岸に沿う集落である常宮や沓(くつ)では、海岸の波打ちぎわの砂をザルに入れて、これを常宮神社とその奥の院の岩屋の拝殿の前に置き、お賽銭がわりにする習慣がある、という。また、常宮神社では「砂持ち行事」といって、5月に神社の境内に砂を敷く行事があるという。つまり、この地方では産小屋という人間の始源の空間に敷く「砂」を特別な聖性をもつ物質とみるのである。

この書物は、沖縄に暮らし始めた30年前に出会った本であるが、その本の内容に書かれていることを私は無意識に葉山の一色海岸でやっていたことになる。「砂」のコスモロジーに取り込まれてしまったのかもしれない。谷川流に考えると、「海」(うみ)と「産み」(うみ)とは何か関係があるのか?
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by kurarc | 2014-04-08 20:43 | sand

砂の採取02/葉山 一色海岸/GL±0m

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柳瀬正夢展に行ったついでに、葉山の一色海岸で砂の採取を行った。(上写真の中央あたりで採取)神奈川では最も好きな海岸の一つ。一色海岸は、葉山の御用邸が隣接するだけに、管理が行き届いていて、私が子供のときの記憶にある海岸のイメージがそのまま残された貴重な景観である。

近年、海岸の砂浜が浸食され、他の地域から砂を運び入れている砂浜も多い。そのために、一色海岸のオリジナルの砂であるのか確証はない。よって、採取の場所をなるべく波打ち際で行った。

人は海の前に立った時、何をみるのか。水平線上に視線をおくる人、波の動き、風の流れを感じる人、沖に浮かぶヨットに目をやる人、海の中の生物を想像する人など様々だろう。私は砂に興味をもってからは、波打ち際で波の作用によって回転する砂の運動に目をやるようになった。

砂浜に存在する砂は、何万年もの時間をかけて、海から運ばれてきたものである。あるいは、川から海へ運ばれた砂が海へたどり着いたものもあるだろう。落下した隕石の破片がその中に含まれている可能性も十分にある。砂の採取は、砂に眠る膨大な時間を観察するためのフィールドワークの一つである。
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by kurarc | 2014-03-24 21:07 | sand

『砂の本』とiPad

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久しぶりにボルヘスの小説『砂の本』を読みながら、まるでボルヘスの小説は映画をみているような小説であることを再認識した。

『砂の本』は13話の小説からなるが、はじめの一話「他者」は、ふたりの年の異なる同一の人物ボルヘス自身の物語。一人のボルヘスが、他者のボルヘスに家の中にある書物を当ててみせるが、そのことは同一であるという何の証拠にもならない、ともう一人が答える。

「ぼくがあなたのことを夢に見ているのだとすれば、ぼくの知っていることをあなたが知っていたって当たり前でしょう・・・」

と答えるのである。

映画『ふたりのベロニカ』のベロニカも、ベロニクの夢であったという解釈も成り立つことをこの小説から想像してみた。そういえば、ベロニクがみる夢はベロニカの父の描いた絵画であった。キェシロフスキは、文学が人間の内面を描ききっていることに敬意をもっていたようで、たとえばバルガス=ジョサ『ラ・カテドラルの対話』をそうした文学の一つとして取り上げている。(『キェシロフスキの世界』河出書房新社より)

また、13話「砂の本」は、無限の本の売人の話。ページをめくれば同じページにもどることは一度もない無限の本。その本を家宝と交換した「わたし」は、来る日も来る日もその本と過ごすが、重複するものは一つも現れない。この本は悪魔ではないかと思い始めた「わたし」は、一枚の葉をかくすに最上の場所は森である、という逸話から、その本を国立図書館に隠して、やっと気が楽になる、という話。

この話を読みながら、これはまさにiPadのような本ではないかと想像した。無限に文章が提供される本、砂のような本。スティーブ・ジョブズがボルヘスの愛読者だったことは十分考えられる。

「砂」には、夢や無限といった想像力を喚起する力が埋蔵されていることをボルヘスからも教えられた。
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by kurarc | 2014-03-02 20:28 | sand

砂の採取01/千代田区神田 / GL-12000mm

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砂の採取と採集をはじめた。まずは仕事の手伝いをしている現場の砂を採取してみることに。東京都千代田区神田・・・町のGL-12000mmから採取する。肉眼では褐色の中に白い小さな砂粒がかすかに混合したような様相である。地上より12m下の砂である。こうした砂は通常では採取できない。お手伝いしている建築が免震構造であり、地下15m程度まで掘削するため、こうした場所で採取できることになる。これは建築関係者の特権かもしれない。

採取した砂を植物観察用に購入した携帯顕微鏡(20〜40倍率)で眺めてみると、驚くほど変化に富んだ砂の集合体が現れた。我々は通常、砂を肉眼でしか認識していない。それはおよそ濃いグレーの退屈な色彩であろう。しかし、これを上の倍率程度のもので眺めるだけで、全く異なる世界が現れるのである。色彩や形状など何百種類?と思われる異なる砂の集合体であった。

このブログでその様相を伝えるだけの装備が整っていないので、ここでは拡大した写真としてお伝えできないが、いずれ撮影機器を用意し、その実体を伝えることができればと思う。それにしても、砂マニア(アレノフィル)になる人の気持ちが少しわかる気がした。

採取した場所は、上の写真(iPHONEにて撮影)の下半分にみえる褐色の中に白い模様が流れた部分の砂である。その上のかなり濃いグレーの砂も気になり始めた。

「アレノフィル」とは、ラテン語とギリシア語の合成語だという。その他、「プサモフィル」というギリシア語の砂愛好家を意味する言葉がある。英語では「サモフィル」となる。しかし、通常「サモフィル」という言葉は、砂粒子の隙間を生活の場としている動植物を指すという。

この採取を契機に、このブログのカテゴリに「sand」を追加した。
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by kurarc | 2014-02-16 20:11 | sand


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