Archiscape


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by S.K.
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カテゴリ:saudade-memoria( 72 )

心の中の破片を拾い集めること

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わたしのような歳になると、確実に死ぬまで時間より、生きてきた時間の方が圧倒的に長いため、過去の出来事、経験、記憶が頭の中に蘇ることが多くなった。

最初の海外旅行を終えた25歳くらいの時、フランス語を勉強しようと思った。ル・コルビュジェに興味を持ったからである。しかし、帰国後仕事やら、途中から入り直した大学院でドイツ語をやるようになり、すっかり忘れてしまった。大学院を出る頃には、ポーランド語を始める始末であった。それが今、30年の月日が経ち、フランス語を学ぶようになった。若い時の中途半端な経験は、破片のような断片として心の中に散らかっていて、それらをもう一度拾い集めて、もう少し綺麗なかたちにしておきたいと思うようになった。

多くの海外旅行を経験しながら、その膨大な経験を未だに大きく実らせていないことは腹立たしいが、あまりにも大きな経験をし過ぎてしまったのだから仕方がない。それらを少しずつでも目に見えるかたちにしたいのである。

昨日もプラハの建築に関する新書を古本屋で購入してきた。プラハに行ったのは、まだチェコスロバキアと言われていた頃のことであり、その暗い街の雰囲気が忘れられない。カレル橋を渡り、カフカの住んでいた旧市街を彷徨った。旅した時の魂のようなものは未だに生きていて、ふとわたしを目覚めさせる。『プラハを歩く』(岩波新書、田中充子著)といったタイトルが目に入ってくるや、30年以上前の記憶が蘇ってきたのである。きっとわたしは20代に旅した国や経験のことを死ぬまでこだわり続けていくのだと思う。


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by kurarc | 2017-06-23 22:19 | saudade-memoria

音 父の死から29年

人間は「音」を発する動物である、と父が死んだときに思った。人間に限らない。動物は音を必ず発している。呼吸、鳴き声、歌、言葉による会話、動くときに発する音など様々である。

特に、人間は楽器を使い、意識的に音を発する。これも、生きていなくてはできない。人が死ぬ瞬間というものを間近でみたのは、父だけであるが、少し荒々しい呼吸の父が、息を引き取り、病室が一瞬、静寂な空間に変容したのをいまだに忘れられない。その時思ったことが、先に書いた「人間は音を発している」ということであった。29年前の今日の出来事である。

音とはなにか生命にとって根源的な物理現象であると言えるし、どのような音が都市の中や生活の中に存在しているのかということを分析すれば、その時点での音文化を知る大きな手がかりになるはずである。

わたしの子供の頃、東京といえども、実家の近くにはおでんや豆腐を屋台で売りにくる人がいた。そのときに、豆腐屋さんであれば、ラッパの音をならしているのが常であった。しかし、そうした音は現在、都市からほとんど姿を消してしまった。リスボンに住んでいるときに、そうした音に近いものを聞いたことがある。何屋さんであったか思い出すことができないが(確か、金物の研屋さんだった?。しかし、リスボンでももはや、その音を聞くことはできないかもしれない。)、妙に懐かしい気持ちになったことがある。

音楽も音文化の根源に遡って「音」を探求できればおもしろいし、今後、やるべきことのように思えてならない。現在の音楽は、文化の複製の繰り返しであったり、制度が生み出しているものが多いから、わたしのような素人には、付合い方が難しい。



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by kurarc | 2016-10-09 20:09 | saudade-memoria

神戸へ

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15年ぶりに神戸へ。浄土寺浄土堂と箱木千年家という最古の民家を見学することが目的であった。それに、竹中大工道具館で開催されている和船の企画展の見学も、である。

詳しく語ることはやめるが、この旅はいろいろな収穫があった。民家の架構(構造)を改めて考え直すことから、現代の木造建築を発想できるヒントを得られたこと、浄土寺浄土堂のすばらしさ、神戸の旧居留地を歩きながら、建築のスケールについてある考えが浮かんだこと、神戸の街の魅力、関西の色彩観、食について等々・・・

久しぶりの遠出の旅であったが、2ヶ月に1度くらいはこうした旅ができればと思う。
(上写真:神戸祭り パレード風景、下写真:竹中大工道具館内部)
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by kurarc | 2016-05-16 22:59 | saudade-memoria

新聞紙に包まれた薬

インフルエンザにかかってしまった。大した高熱は出ていないが、のどが痛がゆい感じである。インフルエンザになったのは、15年ぶりくらいだろうか。日頃、手洗い、うがい等注意していたのだが、だめなものはだめなようだ。

高熱になるといつも思い出すのが、インドを旅していたときのことである。当時、ボンベイからアーメダバードについてすぐに高熱が出て、寝込んでしまった。安ホテルの受付で体温計を借りて計ってみると、105度。インドでは体温計が華氏なのであった。摂氏ではおよそ41度である。ふらふらした身体でリキシャーを呼び、医者へ行く。

バナナやマンゴー、ダヒー(ヨーグルト)など消化のよいものを食べるように指示され、渡された薬は新聞紙に包まれていた。日本のようにすべてきれいになった世界からは考えられないことだが、わたしがインドを旅した32年前は、カルカッタのような大都市でも、裸足で歩く人々が大半であった。

薬を渡されるときに、いつもインドのことを思い出すのである。
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by kurarc | 2016-03-09 13:32 | saudade-memoria

「遠く」へ行き、帰ることのできる人

ポーランド語を教えてくれたAさんは、今月の20日にポーランドに帰国するという。はるか遠くからやってきて、また帰って行くという経験は、最も人間を成長させる経験の一つといってよいのではないか。「遠く」の世界には、まったく想像もつかないような体験があるし、思いがけない苦労や摩擦もあるからである。そうした世界を経験することは、人を脱皮させるような経験と等しい。

大学を卒業後、沖縄に就職したことは、わたしにとって「遠く」へ行った初めての経験であった。「遠く」とは、何百キロではなく、少なくとも何千キロ離れていることが必要である。何百キロでは、国家内、都市間の移動というスケールであるから。沖縄は日本だが、2千キロ離れているから、やはり、同じ国であっても、「遠く」といってよい距離である。

ポルトガルに住んだことも、「遠い」経験であった。わたしが帰国することになったとき、大家さんの娘さんは涙を流してくれた。行きつけのレストランのオーナーに帰国のことを話すと、「いつ帰ってくるんだ」と映画の中の台詞のような言葉を贈ってくれた。ポルトガル建築史を教えてくれたオラシオ先生は、「Bom trabalho !!(よい仕事をの意)」と最後に声をかけてくれた。

難民のように遠くへ行ったきり、帰ることのできない人々もいる。そういう人たちは、荒廃した自らの故郷をどのように懐かしむのだろうか?「遠くへ行き、また帰ることができる」国に住む人は幸せなのだと思う。
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by kurarc | 2015-09-07 21:22 | saudade-memoria

同窓会とお盆休み

東京生まれのせいで、お盆の時期はピンとこない。両親や祖父母はすでに死去していることもあり、実家に帰ってもお盆らしいことはできない。

偶然ではあるが、週末に小学校時代の同級生と高校時代の同級生に会うことになった。小学校時代の同級生は近所に住んでいるものが多く、年に最低2回は顔を合わせる。通常は10名程度集まり、幼い頃の想い出に花を咲かせる。今年の秋には、秋川渓谷へ行こうという約束もしている。

高校時代の同級生は、久しぶりである。一緒に山岳部で汗を流した。昨日、遭難事故のニュースが流れた北岳バットレス(第4尾根、250mの岩壁)を高校3年の夏休みに一緒に登った仲間である。今は熊本住まいだが、東京へ出てくるというので、会おうということになった。

わたしにとっては、こうした時間にお盆が使えればよいのである。かけがえのないお盆休みとなりそうである。
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by kurarc | 2015-08-11 23:33 | saudade-memoria

ノート 過去の中にある未来

5年ほど前にお施主様の一人からいただいたモレスキンのA4版ハードカバーのノートがある。これを日々のアイディア(毎日のように書き留めている訳ではない)を書き留める手帳のようなものとして使用している。

おもしろそうなグラスができそうなので、最近、そのノートにスケッチをしていたが、ちょうど5年前のメモ書きを見ていて驚いた。わたしはすっかり忘れていたが、この頃、先日観劇したペソーアの特集号『現代詩手帖 特集フェルナンド・ペソア』を読んだメモが書かれていて、そこに、「シェイクスピア ソネット」と記されているではないか。

ペソーアはシェイクスピアを高く評価していたこともあり、この『現代詩手帖』にもそのことが書かれていて、それをわたしは何げなくメモしていただけなのだが、それから5年後に、映画という別の経路でこのソネットに出会ったのである。

こうしたことを知ると、いつもこのブログでも書いているように、過去の中に未来がある、ということを自覚するのである。と同時に、やはりメモや手帖のようなものを書き留めておくことは、自分の未来を知ることに役立つ、ということになる。

過去の中に自分自身の予言が含まれているというのは、なにか不思議な感じがするが、些細な経験もすべて自分自身の身体の中に刻まれていくということなのかもしれない。最近はじめたポーランド語の学習も25年前にやっていたことである。すべてはつながっていく、ということか。
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by kurarc | 2015-07-18 17:48 | saudade-memoria

競馬へのあこがれ シエナのパーリオ

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以前、イタリアのシエナへの初めての旅についてこのブログに書いたとき、シエナのカンポ広場で毎年2回行われるパーリオ祭についてふれた。

簡単に言えば、シエナの街の競馬競技である。シエナの各地区の代表が、街の中心カンポ広場を3周回って決着をつける。馬は手綱だけの裸馬であり、この競技を観るためだけに世界各国から人々がシエナに集まるほど人気の高い祭りである。

ポルトガル滞在中、夏にイタリアを旅したとき、フィレンツエから日帰りでこの祭りを見学することができた。わたしにとって最初の競馬の観戦でもあった。わずか1分半という時間の祭りであるが、その決着がついたあとのカンポ広場の騒然とした様相は今でも記憶に残っている。どうも、それぞれの地区ごとに場外で喧嘩がはじまったかのようだった。「あいつが優勝したのは納得ができない」といったことからであろうか?その喧嘩を横目に、フィレンツエへの帰路についた。

この祭りは本来は様々な前夜祭が続き、最後に競技が行われるようなので、日帰りで行くような祭りではない。以前のブログにも書いたが、初めてシエナを訪れたときにお会いした日本人の方は、1ヶ月前からこのシエナに滞在しているといっていた。そうした楽しみ方が、本来の楽しみ方と言えるものであるが、そのようなことをできる人はまずいないだろう。

その経験もあり、競馬競技については今でも興味があるが、まだ日本で経験したことはない。馬の走る姿は見ているだけでも勇壮で心地よいので、近々、府中にある東京競馬場に足を運びたいと思っている。
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by kurarc | 2015-05-20 18:31 | saudade-memoria

「写す」ということ

「写す」という行為が最近気になっている。わたしの言う「写す」とは写真を撮ることではなく、自らの手をつかってなんらかのテキストを写すような行為のことである。

考えると、子供の頃はいろいろなものを写していた。小学生の頃、日本地図をトレーシングペーパーに写し、その写した地図の中に川を写し、平野、山脈等を写した。手を動かすことによって、日本の地形を暗記し、把握できた。また、大学に入り、建築を学び始めた頃は、建築家の作品を写したり(トレースしたり)、名作の家具図面やドローイングなどの模写を行った。そうすることによって、その建築家の思考まで自らに写し、肉体化することができた。

民俗学者の南方熊楠は、『和漢三才図会』105巻を借覧、記憶して筆写したという。また、12歳迄に『本草綱目』、『諸国名所図会』、『大和本草』等をも筆写したと言われている。彼は、写す行為によって、自分を消し、学問の世界に入り込んだのだと思う。

写経のような行為も、写すという行為により、無心になることによって自分の中の自我を解放し、お経の内容を自分の中に取り込む行為だと言えるのではないか。大人になると、無心になることがなかなかできなくなる。いろいろなものが頭の中に詰め込まれているから、新しく何かを学ぶことが億劫(おっくう)になる。

また、「写す」という行為が機械(カメラ、コピー機、スキャナー等)によって簡単に行われるようになったことは、「写す」という行為のもつ意義が薄っぺらなものになりつつあると言えるのかもしれない。

50歳を過ぎてから、謙虚さを失わないためにも、何かを無心になって「写す」ことによって、自我をリセットすることが最近特に重要な気がしてきた。

*文字を読む(本を読む)という行為も、頭(脳)の中に文字を写す行為と言えるような気がする。書かれたテキストを正確に頭の中に写すことは、難解である。これも煩悩が邪魔をする。
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by kurarc | 2015-04-25 21:22 | saudade-memoria

忘却という記憶

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先日、ポーランド映画『パプーシャの黒い瞳』をみたが、そのパンフレットの中に、フランス文学者、海老坂武氏の随想が掲載されていた。タイトルは「忘却と記憶の間で」である。映画自体のテーマといえるタイトルであったが、このタイトルをみながら、わたしは「記憶」について考えたことはあったが、「忘却」について考えたことがなかったことに気がついた。「記憶」という、ある意味でポジティブな概念と、「忘却」というネガティブな概念は、実はそう簡単に分離できるものではないということを。

「忘却」というと、ピアソラの曲「Oblivion、オブリヴィオン」を思い出すが、われわれは、何を記憶するのかということと、何を忘却するのかという2つの事象に常に注意をしなければならないのではないか。建築の世界では、保存活用といった活動の中で、常に建築、都市の記憶について主張することが紋切り型となっているが、それとは対照的に、われわれは何を忘却しようとしているのかについても問われなければならない。

忘却とは強い表現をすることを許されるのなら「排除」に近い行為だが、忘却することを積極的に行う場合には、それも一つの記憶の内に内包されるということも言える。「忘れ去ろう」とすることは、「忘れる」ことを積極的に行う「記憶」のようなものであるだろう。

建築や都市を考えるときに、「忘却という記憶」は重要な視点であるような気がしてきた。
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by kurarc | 2015-04-14 20:40 | saudade-memoria


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