Archiscape


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by S.K.
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カテゴリ:design( 148 )

トーネットの合板家具

ミヒャエル・トーネットは曲木の技術を確立させ、家具の工業化に成功したデザイナーであり、実業家である。わたしが天童木工から販売させていただいたガラステーブル(カテナリア)も、カテナリー曲線を使用するという構造的なコンセプトともう一つ、トーネットの曲木家具を曲板、つまり合板でつくる(合板に変換する)、という材料上のコンセプトから考えられたものであった。

しかし、武蔵野美術大学で受講している島崎信先生の家具のレクチャーの合間、島崎先生にガラステーブル(カタログで)を見ていただき、コンセプトなどについて説明させていただくと、

「トーネットは、最初、合板家具から出発しているのを知っていますか。」

と、言われ、我に返った。わたしのコンセプトの説明の仕方は間違っていたのである。つまり、以下のように正さなければならないということである。

「当初、トーネットは合板で家具をつくりはじめた。その時代のトーネットの思いを継承し、テーブルを考えてみました」

と、少なくともこの程度に正さないと的外れになってしまう、ということである。カテナリアは、しかし、トーネットの曲木家具から多くのインスピレーションを得たことは確かであるから、すべて間違いということにならないが、トーネットが合板家具から出発していたということを意識しなければいけなかったということである。

SD選書(鹿島出版会)の中にカール・マング著の『トーネット曲木家具』があり、わたしも読んだが、この本の最初に実はこの合板家具に関する記述がある。わたしはこの記述をすっかり忘れていただけだった、ということだが、無意識に残っていて、「合板によるトーネット」というコンセプトが生まれたのかもしれない。

*日本では多分大半の人は、曲木から合板へという流れによって、家具が進化してきたと思われていると思うが、それは逆で、合板から曲木という流れであったということである。変化は、接着剤や合板を有効に接着するための高周波機器が意外と新しい技術ということもあり、合板が新しい技術だと勘違いしているということだと思う。



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by kurarc | 2017-07-15 21:59 | design

3Dプリンター事始め

今日はファブスペース三鷹という施設で、3Dプリンターを初めて使用させてもらった。プリンターはUPBOXという3Dプリンターで、定価30万円程度のもののようだ。

プリントアウトしたのは、以前天童木工で販売させていただいた「カテナリア」というガラステーブルである。3Dデータを持参し、PCに取り込んでから、3Dプリンターにプリントアウトさせる。フィラメントが白なので、すべて白で出来上がったが、プリントアウトしてから、天板がガラス素材なので、天板まで3D化する必要はなかったことに気づく。プリントアウトにかかった時間は約90分。

スケールを1/10程度にしてプリントアウトしたが、この3Dプリンターはデータ通りにつくってくれるのではなく、3Dデータの中に小さな部品のようなものがあると、それを支えるような構造のものを勝手につくってしまうという特徴がある。よって、出来上がった時、そうした不要な部材が付加されていることになる。不要な部材は、簡単に取れる場合もあるが、くっついて取りづらいものもあり、結果として綺麗なモデルはできなかった。

今日は初めてということもあり、料金は取られなかったが、ある程度の大きさのものをつくらないと、不要な部材を取り外しにくくなることがわかった。家具のような場合、理想は1/5のスケールだろうが、その大きさにすると多分プリントアウトに4〜5時間くらいかかりそうである。(料金としては5000円以上かかることになる。)

やはり、問題は、プリントアウトの時間と、余計な部材の処理方法である。結論として、3Dプリンターはもう少しの進化が必要という感じだろうか。

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by kurarc | 2017-07-07 17:21 | design

美術館という形式の破綻

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昨日、東京都美術館で開催されているブリューゲル「バベルの塔」展を見学してきた。この展覧会は16世紀のネーデルランドの至宝の数々を展示しているが、何と言っても、その中心は「バベルの塔」である。わたしはこのような展覧会の場合、中心となる一点のみ見学し、その他はパスするという見方をする。ブリューゲルの版画も展示されていたが、手元に版画全集があるから、特に見る必要もない。

すでに展覧会の開会からかなり月日が経過したことと、平日であったことから、美術館内は想像を超えるほどの混雑は見られなかったが、それでも、「バベルの塔」は立ち止まって見学できず、単に通過して見学するように警備員に注意される。この絵画は、想像以上に小さいため、本来であれば、その細部をじっくり立ち止まって見学したいのだが、それは許されない。

それどころか、「バベルの塔」が展示してある会場の反対側に、藝大によるプロジェクトとして、300%に拡大された模写が展示されており、こちらで細部を確かめるようにと配慮されたかのような馬鹿げた展示方法がなされていた。これは本末転倒で、我々が見学したいのは模写ではなく、オリジナルなのである。

かつて、「モナリザ」、最近では「真珠の耳飾りの少女」などといった名画を含む展覧会の場合、このような通りすぎるだけの鑑賞になってしまう。東京という巨大都市の中の美術館ではやむを得ないと見るのか、それとも、美術館という形式が破綻していると見るのか?

わたしの美術館嫌いは、このような展覧会に嫌気がさすことからきているが、それでもわたしのような俗物は、一目オリジナルを鑑賞したいと美術館に巡礼に行ってしまうのである。

明日一日限りの展覧会となるが、まだ観ていない方々には、美術館の受付で公式カタログを購入し、それをじっくり眺めた方が、精神衛生上はよいはずである。このカタログには実物大のバベルの塔のポスターが付属している。

*カタログは2,500円。この値段にしては、出来が良い。通常であれば、5,000〜6,000円するくらいの出来である。

*バベルの塔は、ローマのコロッセオからインスピレーションを得た(実際、ブリューゲルはローマでコロッセオを見学した)という。ブリューゲルは、当時すでに廃墟であったコロッセオを見て、自分なりにその姿を拡大(誇大妄想)し、再生させたい欲求が生まれ、それを「バベルの塔」というコンセプトでまとめ上げたのかもしれない。

*この絵画の不思議なところは、垂直方向へ無頓着なことである。西洋において元来「塔」は垂直性への象徴であるにもかかわらず、この絵画では構図が上部で中断され、垂直性はむしろ強調されるどころか、垂直性が切断されているのである。謎の多い絵画である。

*一点に集中して観客が訪れるような展覧会は、そのプレゼンテーション方法を考えるべきである。あくまで、オリジナル作品がどこか別の部屋で拡大されて、見学できるようにするとか・・・今までのような美術館の形式の中での展示では、人が混雑することを想定していないホームのような空間と等しい。



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by kurarc | 2017-07-01 22:59 | design

小川三知のステンドグラス

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昨日の日曜、いつもは広尾から向かう都立中央図書館を、気分を変えて、麻布十番から坂を登り向かった。その坂を登りきったあたり、日本基督教団安藤記念教会に偶然に出会った。小さな教会堂で、外壁は大谷石、ファサードには蔦が絡まり、綺麗に年を重ねた教会堂であった。

帰ってから調べてみると、ステンドグラスは小川三知(おがわ さんち)が手がけているとある。小川のステンドグラスを初めて見たのは、10年ほど前、横須賀鎮守府長官官舎ではなかったかと思う。その後、著名な建築を見学にいき、何度か小川のステンドグラスに出会った。今回のように偶然出会うとは、想像もしていなかった。(これも偶然ではなく、必然だと思わなければならない。偶然などないのである。)

手元に、『日本のステンドグラス 小川三知の世界』があったので、早速調べてみた。教会堂は1917年築、今年で100周年を迎える建造物(都選定歴史的建造物)であった。設計者は、吉武長一で、日本基督教団鎌倉教会(1926)の設計者と同一人物。安藤記念教会の方が、建築としては優れている。

問い合わせてみると、見学可能ということなので、改めてでかけることにしようと思う。

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by kurarc | 2017-06-27 00:03 | design

日常の中のデザイン18 関数電卓

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職業柄、関数電卓を良く使う。所有している関数電卓が老朽化したことと、使いづらかったので、ヨドバシカメラで新しいものを購入することに。

関数電卓の問題は、いろいろな機能が付属しているため(ボタンが多いため)、肝心の数字を打ち込む部分が小さく、数字を入力しづらいということである。かといって、大型のものもないので選択肢が限られる。

色々比較した上で、シャープのEL-509TWX(ホワイト)を購入した。2000円を切った値段で、建築で使用する機能が十分含まれている。画面が大きく、演算式(計算式)が表示されるのも良い。さらに、数字を入力するボタン表面が微妙に湾曲していて押しやすく、ボタンの大きさも他のものと比較して大きい。

関数電卓の種類は年々減少してきている。ごく限られた職種の人しか使わないからだと思うが、携帯にも付属しているためかもしれない。しかし、携帯でのパネル入力では使いづらい。ボタン式はずっと残ることになるだろう。



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by kurarc | 2017-06-16 10:50 | design

椅子の神話 座ることと立つこと

椅子に長時間座ることは健康に影響すると指摘されるようになった。PCの出現は、人間が長時間椅子に座ることを強いる結果となっている。しかし、そうした影響を回避する試みも進んでいる。机の高さが上下に変化し、立ってPCを使えるようにするオフィスや、欧米の大学では椅子、机のセットではなく、カウンターを設けて、立って議論する場を設けるなどの工夫をするようになった。そうした環境では、議論も活発になるという結果も出ているという。(PC離れし、スマホ中心の若者たちは、もしかしたら自然にそうした弊害を感じて、椅子+机の環境から遠ざかっていると見ることもできるかもしれない)

こうした状況をデザイナーたちはどのように受け止めればよいのだろうか。今までの通り、「美しい」椅子を作り続けて満足していてよいのだろうか?それは、まさに椅子が出現して以来の椅子のイメージ、あるいはモダンデザインの「椅子の神話」を守り続けることと同じではないか?

ロンドンで良く見かける光景はパブで立ってビールを飲み、議論しているビジネスマンたちの姿である。日本でもたまに見かけるようになったが、椅子の歴史の長いヨーロッパでは、立つことの意味を必然的に見出し、実践しているのかもしれない。日本でも立ち飲み屋や立ち食い蕎麦屋と言われるものがあるが、実はこうした身体の使い方は現代において理にかなっているとも言えるのである。

デザイナーたちは常に日常化した習慣に対して批判的な眼差しを向け、惰性化した身体様式に対して異議を唱えていかなくてはならない生き物である。そうはいっても、ある人は「平均寿命は伸びているではないか」というかもしれない。それは、医学による延命であって、健康寿命ではないと思われる。椅子に座っていて腰に負担がかかっていると感じていたり、姿勢が悪いと感じている人は多いはずである。そのような実感こそ大切にすべきなのである。

*上のように考えると、逆説的に、椅子は「座り心地の悪いものが良い椅子」だ、と言えるのかもしれない。皮肉なものである。

*椅子という道具、かたちはあまりにも自明であるため、新しいデザインはなかなか浸透していかないし、認められない。韓国のデザイナーがつくった椅子の背を腹側に配置した椅子も良いアイディアだったが、浸透していない。

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by kurarc | 2017-06-08 16:58 | design

椅子の座高について

建築家、デザイナーの中には、建築の中での視線を低くする(落とす)ことに執着するものがいる。テーブルの高さを通常の高さ700mm〜720mmより低くして650mm程度まで下げ、それに合わせて椅子のデザインも考える、というように。

こうしたデザインは一部の世界でもてはやされる。建築の空間自体の重心が下がり、安定感を与えるためである。天井高さを限界まで下げようとするデザインなどもこうした試みの一つと言っていい。

こうしたデザインの試みは、一方で独りよがりであり、健常者を対象としたデザインとも言えるのである。最近、福祉施設の設計をやったこともあり、特にそのように感じられる。例えば、高齢者用の便器は、通常の便器の高さよりも高い。座りやすく、立ち上がりやすいようにである。高齢者になれば、深く椅子に腰掛けることは、腰に負担がかかるし、立ち上がろうとするにも困難を伴うことになる。椅子の座高を低く設定することは高齢者には身体に対する負担が大きいことになる。

ヨーロッパの椅子の座高は、通常450mm以上と高い。それは、室内でも靴を履くことから説明されてきたが、もしかしたら、そうではなく、座ることと立ち上がることを考慮した結果ではないか、とも考えられる。イタリア人などは、日本人と体格の差はほとんどない。にも関わらずこうした寸法を与えることは必然性があるに違いない。(イタリアは、テーブルの高さも非常に高い。)

何が言いたいのかというと、デザイナーは自分の美学のようなものだけでデザインして良いのか?ということである。デザイナーの大半はそのような人ばかりだ。美しいもの、かっこいい方へ向かう。それは果たして良い結果を生むのだろうか?

最近、デザイナーによるプロダクト商品が随分と出回るようになった。良いものもあるが、粗製乱造品も多い。名の知られたデザイナーのものでも、つくりが雑なものが多いことも事実である。それより、デザインなどどうでも良いから機能が優れているもの、長持ちするものも良い、と思う。両立することがベストであるが、意外と両立するものは少ない。これが現在の日本のデザインの現状ではないか。

*下はモンベルのキャンプ用フォールディングチェア。最近購入したもの。正直、デザインはよくないが、機能性は抜群に良い。安価で、軽く、室内で使用するにも床を傷めない。5cm厚のクッションを使えば、通常の椅子として十分使用できる。座り心地も良い。

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by kurarc | 2017-06-06 12:02 | design

Macのディスプレイ

MacBook Proは思いの外修理に時間がかっている。当日修理できると思っていたのが、とうとう1週間以上かかるとのことで、未だに戻ってこない。そのため、ダンボールにしまって凍結保存していた初期のiMac(アクリル?のボディのもの)を引っ張り出し、使うことになった。

机に新旧のiMacが2台並ぶことになったが、そのディスプレイの性能の違いに驚かされた。新旧でこれほどディスプレイの性能に違いがあることに気づかなかったのである。新の方もラティーナディスプレイではないが、その見やすさは旧式のものとは天と地ほどの差がある。最近、かなり目が悪くなってきただけに、旧式の方は画像が雲にかかったようにぼんやりして見える。

こうした比較から、Macは2010年くらいになって初めてまともなグラフィックを扱うようになれたのだ、といったことがわかる。ディスプレイの解像度は目の悪いユーザーにとってはますます重要度を増すことになるだろう。わたしもそろそろラティーナディスプレイのMacへ移行しなければならない時期にきたのかもしれない。

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by kurarc | 2017-05-23 13:54 | design

日常の中のデザイン17 BALMUDA バルミューダ 電気ケトル

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家電製品はなるべく持ちたくない。炊飯器、電子ジャーは持っていない。白米に執着がないので、必要ないのである。電子レンジも持っていない。何かを温めることもないから必要ない。家電製品の中では、電気ケトルは必需品である。一日に10回前後は使う。コーヒーを入れる時、日本茶、紅茶を飲むなど、お茶が好きだからである。

バルミューダの電気ケトル(ホワイト)を使い始めてかれこれ5ヶ月くらいたつ。男はブラックを買う人が多いらしいが、わたしはホワイトを選んだ。汚れやすいかと思ったが、5ヶ月たっても変な汚れ方はしないし、ほとんど新品そのものである。

コーヒーをペーパードリップで入れる時には、特に重宝する。大きさも手頃である。あとは、1年、2年と使い込んだ時の経年変化、経年劣化がどの程度になるのか見守りたい。2年使って、現在の状態と変わらないのであれば、100点をつけても良い製品であろう。



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by kurarc | 2017-04-13 20:01 | design

「 波 」へ

興味は断片から始まる。石ころや植物、好きな音楽、可愛らしい鳥、鳥の歌、砂、フランス文化、映画etc.などといった類のたわいもない事物が忘れられないものとなる。そして、その機が熟してくる頃、思いも掛けない主題が発見されたりするものである。わたしにとって現在、大きな主題となるものの一つは、「波」である。

それは、自然現象の中に存在するすべての「波」、芸術の中に現れる「波」、特に音や光のような不可視な「波」について、興味を持っていることに気がついたのである。

わたしの専門とする建築の中にもしばしば「波」は登場する。バロックの建築の中に、それはうねる曲面として現れたが、次第にそれは、平面(平坦な面)の中にリズムをつくるというエレガントな回答を発見することになる。その発見者はポルトガル人であった。ボロミーニがやったようなうねる曲面によってバロックを表現するのではない、面のリズム(装飾的手法)による、いわば、隠喩としての曲面が現れた。

その後、その手法は、あのル・コルビュジェのラ・トゥレット修道院やハーバード大学の視覚芸術センターのガラス窓の中に現れることになる。コルビュジェの作品集7巻目に登場するその「波動窓」は、「Pan du verre ondulatoire 」というフランス語で表現された。日本語版では、このフランス語を単に「波動式」と記述しただけで、「波動式ガラスによる壁面」という直訳すら掲載されなかったのは丁寧さに欠けた翻訳と言わざるを得ない。(波動を応用した壁面(窓)は、クセナキスの功績であることを付け加えておかなければならない)

そして、この「波」を記述する言語として数学が登場する。フーリエ級数、フーリエ変換、フーリエ展開などといった数学がこの「波」の理解を助けてくれることになる。18世紀から19世紀に生きたフランス人フーリエ(ジャン・バティスト・ジョゼフ・フーリエ)の業績を理解しようという意識がわたしの中でようやく熟してきた。

そして、これらをまた別の視点でくくってくれるのは「フランス」である。「フランス」という文化への深い理解がわたしにとって最もアクチュアルな主題に浮上してきたということである。



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by kurarc | 2017-04-08 19:30 | design


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