Archiscape


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横浜寿町から横浜ストロングビル解体現場へ

28日は横浜の寿町で活動されている建築家岡部友彦氏をくじらの会(くじらの会については、8月8日ブログチラシを参照ください)スタッフのY氏と共に取材に行った。寿町はいわゆる「ドヤ街」あるいは「寄せ場」といわれる地区であり、日本の底辺をささえる労働者の街である。しかし、労働者は高齢化し、簡易宿泊所に空きが目立つようになってきた。現在およそ1600室が常時空き部屋となっている状態であるという。
岡部氏はこの空き室をホステルに転用し、海外からの旅行者にも利用しやすい場へと変換し、この地区のマイナスイメージの払拭を計っている建築家である。お話を伺う前は、特殊な場所で特殊な手法を展開されているのかと思っていたのだが、全くの逆で、岡部氏の方法はいわゆる街づくりの手法と何ら大きく変わることのない普遍的な方法であった。寿町という特殊な地区で岡部氏によりしなやかに展開されている街づくりには学ぶこと大であった。12月7日にくじらの会の講師を務めていただく。(詳しくは岡部氏のpdf参照ください。)

その帰りに横浜ストロングビルに立ち寄る。すでに半分以上が解体されていた。下の写真は裏側から撮った解体現場である。なんとも痛々しい・・・            
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by kurarc | 2007-09-29 23:22 | conservation design

山形 旧済生館本館ほか

26日の午前中は駆け足で、山形の擬洋風建築や近代建築を見てまわった。
山形市内を見学するのは初めてのこと。インフォメーションで「城下町やまがた探検地図」を入手し、「蔵とレトロ建築をめぐるコース」を参考に、市内に点在する蔵のリノベーションやシネマ旭などの表現主義建築などを散策。その後、文翔館(旧県庁舎・旧県議会議事堂)から旧済生館を最後に見学し、帰路についた。
山形市内は落ち着いた都市で、今後の計画次第では、歴史的建造物が点在するすばらしい地方都市に発展できる潜在力をもった街であると感じた。毎年行われている山形国際ドキュメンタリー映画祭も前から気になっていた。今年は10月4日から11日まで開催される。上映される映画のプログラムをみると興味深いものばかりである。時間ができれば日帰りでも映画祭に参加したい。
(写真上から文翔館、旧済生館本館、本館内木製らせん階段)
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by kurarc | 2007-09-29 22:48 | archi-works

中谷礼仁氏パネルディスカッション > 新潟県新発田 から山形へ

この連休を挟んだ週末から週明けにかけて、先週同様あわただしい日々を過ごした。

まず21日(金)は、中谷礼仁氏によるパネルデイスカッションを池袋にて行う。私は進行役として参加させていただいた。中谷氏による『セヴェラルネス 事物連鎖と人間』の第1章を中心に布野修司先生を交えながら議論をかわした。
第1章は中谷氏による桂離宮の新たな読解の試み(それだけではないが)であり、「夜の桂離宮」を踏まえた桂の道行き論、さらに桂の寝殿造り内包論について展開してくれた。桂には月見台があるため、おぼろげながら夜の桂については想像していたのだが、中谷氏は往事の桂の道行きを読解し、そこにブルーノ・タウトや丹下健三をはじめとする「昭和の道行き」による桂の認識にメスを入れ、桂の意匠と道行き(時間)と空間が一体となっていることを証明してくれた。いわば平成の桂離宮論である。
(タウトによる桂離宮神話は、中谷氏による論考を踏まえると二重の意味で神話化されていたことになる。)

24日からは、新潟県新発田(しばた)に行き、JIAの保存問題委員会の今年度の新潟大会打ち合わせに参加した。新発田はアントニン・レーモンドの設計した教会があることで有名な街である。JIA新潟地域会の方々と午後から新発田を散策。清水園の庭園は茶人田中泰阿弥によるすばらしい庭園であった。田中は銀閣寺の清泉の石組み発掘復元を手掛けた庭師として著名とのこと。また、石泉荘という旧料亭は、庭に新発田川を取り込んだ数寄屋建築で、日本の環境建築といえる優雅な風情の感じられる建築空間であった。レーモンドの新発田カトリック教会は、まさに圧巻という建築。丸太の自由な構造フレームは力強く、どっしりと新発田の街に腰をすえた建築であった。これらの建築群が今後新発田の街の中でどのように保存、維持され、市民に有効に活用されていくのか保存問題大会での課題の一つとなりそう。

24日は新発田泊。翌日25日はせっかくの新潟行きの機会に山形まで足を伸ばし、朝日相扶製作所という家具工場の見学をしてきた。この工場の特徴はネームレス・ブランドであるということ。つまり、オリジナルブランドを持たず、つくることに徹した工場で、たとえばデザイナーの川上元美氏のチェアーの多くはこの工場でつくられていることを知った。手加工よりも機械加工に突出した工場で、NCルーターによる自由な曲線加工などコンピューターを利用したハイテクな加工を得意とした工場である。朝日相扶製作所の社長である阿部様ともお会いし、将来世界の家具づくりに参加したいという意気込みをお聞きした。夕方5時過ぎまで案内していただいた営業の林様も非常に丁寧に応対していただき、工場の作業内容をよく理解できた。

工場見学後東京へ帰る予定だったのだが、山形の旧済生館などの擬洋風建築を見学したくなり、もう一泊することに。山形の話はまた次回のブログに譲ることにしたい。
(写真は上から中谷礼仁氏、および布野修司氏(右)、写真次は新発田カトリック教会全景。前庭にあった樹木は道路が通るために伐採された。写真その次は新発田カトリック教会内部丸太架構。写真最後は朝日相扶製作所内NCルーター加工現場。)
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by kurarc | 2007-09-26 19:45 | archi-works

二つの講演会 建築家今井兼次とアントニン&ノエミ・レーモンド

昨日今日と二つの講演会に参加し、あわただしい週末を過ごした。

ひとつは多摩美術大学美術館で行われている『建築家 今井兼次の世界Ⅱ』内で開催された建築家の佐々木宏氏による「近代建築受容における今井兼次の功績」と題された講演会。まず、展示されている今井兼次氏の図面、模型もすばらしく、また今井氏が1920年代にロシアからヨーロッパへ地下鉄駅の視察に行ったとき、当時の著名な建築家に会い、撮影した建築家の肖像の数々に目が奪われた。佐々木氏が講演会の中でふれていたのは、今井氏の視察旅行はいわゆるVIP待遇であったそうで、あのコルビュジェも今井氏と会う前に、彼の作品をあらかじめまとめて丁寧に今井に説明してくれたそうだ。この説明を聞いて、はじめて今井氏の建築家の肖像写真がなぜ可能であったのか理解できた。佐々木氏からはその他建築家の様々なエピソードを伺い、建築家たちの生身の姿を浮き彫りにする講演会であった。

また二つ目は、神奈川県立近代美術館で行われているアントニン&ノエニ・レーモンド展に関連した講演会で、鎌倉商工会議所地下ホールで行われたもの。興味深いエピソードのひとつは、レーモンドがリーダーズダイジェストビルで学会賞をとったとき、建築家岸田日出刀がレーモンドに向かって、戦前はどのような建築をつくっていたのかと訪ねたというもの。レーモンドは日本においては、戦前アカデミズムの世界ではそれほど注目をされていなかったという。また、軽井沢の夏のアトリエに行って仕事ができたのは、ごく限られた所員だけであったということ。毎年6月の終わりに軽井沢に行ける所員が発表され、7月、8月の二ヶ月間を軽井沢で過ごしたそうだ。レーモンドが力を入れた仕事の基本設計は軽井沢で行い、帰ってから実施設計を行ったということ・・・etc.

建築家にはエピソードがつきものだが、二つの講演会ではいくら話しても話しきれないといった感じであった。エピソードに富んだ建築家ほど優秀な建築家であり得るということなのだろうか?
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by kurarc | 2007-09-16 22:05 | architects

越後屋ビル、日本楽器ビル解体

今日は午後から、銀座界隈を歩いてきた。毎年10月、JIA建築家大会で行われる関東甲信越支部保存問題委員会の建築見学会の下見のためである。
見学するはずだった越後屋ビル(設計:小川千之助、1931)はすでに仮囲いがされ、解体が始まっていた。また、日本楽器ビル/ヤマハホール(設計:A.レ−モンド、1951)はきれいさっぱり解体され、無に帰していた。
銀座の再開発はかなりの速度で進んでいるが、その中で、1920年代から30年代の建造物が意外と多く残っていることも見逃せない。これらの建造物は、銀座の都市に奥行きを与えているのだが、多くはあまり丁寧に扱われていないし、メンテナンスもおろそかにされているものが多い。
今の内にこれら20年代から30年代の建造物の価値を再評価し、新たな息吹を与えてほしい。
(下は、越後屋ビル。銀座伊東屋の斜め前にある。)
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by kurarc | 2007-09-04 21:29 | conservation design

日本人によるもうひとつのブルネレスキ本 

少し前にこのブログでロス・キングによるブルネレスキに関する著書を取り上げた。うかつにも、日本人の手によるブルネレスキ論がこのロス・キングの著書より一年ほど前に出版されていたことを見過ごしていた。
岡崎乾二郎著による『ルネサンス 経験の条件』は、ブルネレスキを中心に論じたルネサンス論である(マティスについても言及されている)。まだ読みやすそうな第3章しか読んではいないのだが、この章を読んだだけでもロス・キングのブルネレスキ論に全くひけをとらない内容であることを確信した。
第3章『転倒する人文主義』では、ブルネレスキがサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドームに用いた煉瓦の矢筈積み(やはずつみ)の図解が岡崎氏によって作成されていたり、大聖堂の作図過程の復元が試みられていて、ロス・キング同様、ブルネレスキのドームについて具体的な探求がなされている。さらに、アルベルティの分析を通じて、ブルネレスキ以後のルネサンス建築(ヒューマニズムの建築)が完結性を重視するあまりに、外への展開力が封じ込まれてしまったことを指摘していたり、ブルネレスキの古代に対する態度、すなわち古代の再現ではなく、古代の教えを通じて現代を造る(G.C.アルガン)態度を評価している・・・etc.

今年は自分にとってブルネレスキイヤーとなりそうだ。ブルネレスキの思考の豊穣さに改めて驚くばかり。
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by kurarc | 2007-09-03 01:11 | books

横浜ストロングビル見学会参加

横浜ストロングビルが解体され、一部復元されてホテルに生まれ変わることになった。その工事が着工する前に、オーナーのご厚意により、見学会が催された。
横浜ストロングビルについては、私が所属するJIAの保存問題委員会で保存要望書を提出し、保存活用を訴えた。横浜市の都市デザイン室のバックアップもあったこともあるが、すべては無にならず復元(レプリカ)というかたちでの保存に落ち着いた。
保存要望書を提出しに行ったときに、1、2階の一部分のみを見ただけで、ほとんど全貌を見るのは今回が初めてとなる。
設計者の矢部又吉(1888-1941)は横浜生まれ。横浜では非常に重要な建築家で、旧川崎銀行関係の様式建築を数多く手掛けてきた。しかし、最晩年にはこのストイックなデザインの横浜ストロングビルを設計した。
中に入ってみると、デザインは簡素。品の良さが感じられるオフィスビルで、正面入り口に使われている正円アーチのデザインが、所々内部にも介入していて、デザインを引き締めていた。また、サッシ廻りは様々な開き勝手のスチールサッシがよく保存されていて、現在でも使用可能であった。レプリカの際、このスチールサッシの一部を取り外し、使用する方針らしい。
(写真上:最上階踊り場上部。写真下:正面アーチ近景。正面の写真は2006年7月20日のブログを参照ください。)
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by kurarc | 2007-09-01 23:00 | conservation design


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