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グランドツアー/01 コースの概略について

1984年6月20日に出発したグランドツアーのコースについて、具体的に都市を案内する前に、コースの概略をお知らせしておきたい。

日本(那覇)1984年6月20日出発>台湾>タイ>イギリス>フランス>イタリア>オーストリア>西ドイツ>デンマーク>スウェーデン>フィンランド>西ドイツ(東ドイツ)>フランス>ベルギー>オランダ>西ドイツ>スイス>フランス>スイス>フランス>スイス>イタリア>オーストリア>チェコ>オーストリア>ハンガリー>フランス>スペイン>ポルトガル>スペイン>モロッコ>アルジェリア>チュニジア>イタリア>ギリシャ>エジプト>ギリシャ>トルコ>イラン>パキスタン>インド>タイ>台湾>日本(東京羽田)1985年5月13日着

以上の順に各国をまわっていった。フランス(パリ)にたびたび寄っているのは、パリがヨーロッパの中心に位置し、ヨーロッパでは旅の分岐点になるためである。よって、パリはたびたび訪れることになり、思い出深い都市となった。

私が旅していた頃、このパリではカンツォーネのミルバとタンゴのピアソラが組んでコンサートを行っていた時期*である。私はパリでは聴けなかったが、日本に帰ってからこのパリでのコンサートを再現したものを中野サンプラザで聴くことができた。パリでの音源はCDとして発売されている。(東京での音源も発売されたようだ。1年の締め括りにふさわしいCDの紹介ができて喜ばしい。)

*Taetre Bouffes du Nord,Paris, Sep.29th,1984

気がつけば大晦日であった。皆様、良いお年を!
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by kurarc | 2009-12-31 12:14 | archives1984-1985

復興小学校 シンポジウムのお知らせ

新年1月16日に東京工業大学教授の藤岡洋保先生をお招きし、復興小学校に関するシンポジウムが開催されます。(主催:JIA関東甲信越支部・保存問題委員会)
興味のある方は是非ご参加ください。人数に限りがありますので、お申し込みはお早めにお願い致します。
詳しくはこちらから。
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by kurarc | 2009-12-30 09:49 | archi-works

George Kubler著『Portuguese Plain Architecture 』の読解開始

正月休みを利用して、ジュージ・クブラー著の『Portuguese Plain Architecture』を再度読み始めた。この書物の意義については、『ポルトガルを知るための50章』(明石書店、2001)の中でもすでに言及しておいた。

日本においてヨーロッパ建築史の本はすでに数多く存在し、優れた研究書(太田邦夫先生の東ヨーロッパの木造建築研究など)も増えてきたが、広い領域をカバーしているとは言えない。たとえば、ポーランドの建築史について知りたいと思ったならば、未だに日本語で読めるようなものはない。著名な建築家、たとえばイタリアのブルネッレスキについての研究書なども、ブルネッレスキ単独の日本人による研究書は皆無である。ヨーロッパ建築史はまだ日本において蓄積がある分野とは言えない状況なのである。

ポルトガルについても、アルヴァロ・シザといった現代の建築家に対する評価は日本において確立されてきたが、ポルトガル建築史となると、未だに手を付けるものは一握りでしかない。しかし、それも無理のないことで、私がポルトガルに滞在していた1997年から1999年まで、リスボンの主な書店、古本屋をすべて回ったのだが、ポルトガル建築史(ブラジルやアフリカ、インド、マカオを含む)という体系だった書物には一度もお目にかかれなかった。(現在はどうかわからない。)したがって、今、日本人にできることは、ルネッサンスやバロックといった断片的な時代を一つ一つを丹念に調べていくしかないし、本国ポルトガルでも同じような状況なのである。
*これは、日本建築史についても同様である。日本のみならず、日本が植民地とした国々すべてについての研究をして初めて日本建築史と言えるのだから。

本書は、ポルトガルがマヌエル様式という装飾過剰な時代が終わり、バロックへ移行する16世紀初めから18世紀初めまでの建築様式について研究した書物である。クブラーはこの時代の建築様式を『Plain Style』と命名した。この命名は、ジュリオ・デ(ドゥ)・キャスティリョの著書『Lisboa Antiga. O bairro alto(リジュボア アンティーガ. ウ バイホ アルト・古きリスボン、バイロアルト)』の中の言葉、「estilo chao」(エスティロ・シャオン。直訳すると床様式、つまり床のように平坦な、簡素な様式の意)から借用したものであった。
*バイロアルトはリスボン中心から西の小高い地区を言う。現在は、レストラン、バーなどでにぎわう。ポルトガル語では「バイホ」という発音に近いが、日本語では「バイロ」と記述することが慣例となっている。
*この時代は特にポルトガルが日本と交流していた時代であったことも興味深い。

ポルトガルに滞在中、ざっと目を通した書物であったが、精確に一語一語読んだわけではなかった。今後、ポルトガル建築史を理解していくとき、また、ポルトガルの現代建築を理解する上においても、この書物の読解が不可欠である。また、この書物を理解するためには、ポルトガルのバナキュラーな建築、軍事的建築やスペインの建築様式「estilo desornamentado」、さらに、遙かフランドル地方など北ヨーロッパとの文化交流など横断する領域の文化理解が必要となる。
いつ読了できるかわからないが、2010年中を目標に進めていきたい。
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by kurarc | 2009-12-29 22:14 | archi-works

カテゴリー archives1984-1985を追加

このカテゴリーarchives1984-1985では、1984年6月20日に沖縄の那覇を出発し、1985年5月13日に東京の羽田に着くまでのグランドツアーについて公開する。

グランドツアー計画の経緯

大学を卒業後、1984年の4月から沖縄の末吉栄三計画研究室に在籍することになった。しかし、ちょうど仕事がとぎれてしまい、私が研究室で暇をもてあましているのを心配した末吉さんが、6月からのグランドツアーを計画していた石垣島出身の建築家山田正永さんと一緒に旅に出ることを勧めてくれた。私も学生時代に海外旅行を経験していなかったこともあり、すぐに同意。出発までわずか3ヶ月足らずであったが、どのような国を回るのか、どのような建築家の仕事を見て回るのか等々大急ぎで計画することになった。
準備は手こずると予想していたが、末吉さん、山田さんからのアドバイスをはじめ、末吉研究室の方々、研究室のOBの方々、沖縄の建築家の方々はグランドツアー経験者が多く、そうした方々の資料をコピーするなどして、比較的短時間で計画の全貌をまとめることができた。その後、このグランドツアーに末吉研究室の渡部ゆかりさんも加わることとなり、計3名での出発となった。

*出発当初は3名であったが、1ヶ月程度旅をすすめた段階で、それぞれの予算も異なり、行きたい場所も異なることから、ひとりでの旅となる。その後、偶然山田さんとはモロッコで再会することとなる。
*出発まで遊んでいたわけでなかった。ちょうど小さな住宅の仕事があり、解体工事から建設までのすべてをやるという仕事を手伝った。私が大学を出て初めてやった仕事は小さなブロック造平屋の解体工事となった。ハッカーを使い基礎の鉄筋を組んだところで旅へ出ることになる。


グランドツアーのグランドデザイン

当初は6ヶ月でアジアを出発し、ヨーロッパ、北アフリカ、中近東、インドを経て帰国するという無謀な計画をたてた。この計画は旅をするなかですぐに無理であるとわかり、11ヶ月という約2倍の時間をかけることで計画を遂行することができた。
このグランドツアーの大まかな主旨は、時間配分として、キリスト教圏とその他イスラム、ヒンドゥー、ジャイナ教圏等々の建築を等価に扱うこと。結果として、キリスト教圏を6ヶ月、その他の地域に5ヶ月という時間をかけて、ほぼ同程度の比重をおいて建築を観ていくというものとなった。特に、イスラム教のポイントとなる都市として、アルジェリアのガルダイア、イランのイスファハン、インドのマンドゥという3つの都市を訪れることを目標とし、無事にこの3つの都市を訪れることになる。

*6ヶ月で計画を遂行することもできないことはなかった。その場合、ヨーロッパをイタリア、フランス、ドイツなどの3カ国程度に絞ることや、著名な都市のみ訪れるようにすることなど、かなりの合理化をしなければならなくなる。また、お金に余裕があれば飛行機で回るという方法も考えられるが、それははなから旅の主旨と異なり、そのような金銭的余裕もなかった。
*最終的に135都市を訪れたが、これらすべてをあらかじめ決めていた訳ではない。旅先で興味深いと思われる都市が見つかれば、日帰りで訪ねることなどを繰り返した結果、この数になった。また、その選定にはミシュランガイドの星の数がかなり参考になったことは言うまでもない。

グランドツアーのコース選定

この当時の旅の出発点はバンコクと決まっていた。バンコクではヨーロッパ行きの格安チケットが入手できたからである。我々はまず那覇-台北-バンコクの1年オープンの往復チケットを購入。那覇から台北経由でバンコクに行き、バンコクでロンドンまでのワンウェイチケットを購入し、イギリスから順次東へ向かって旅を進めるというコースを選択した。また、イギリスへ最初に行くことはいくつかの意味があった。まずは英語圏であること(いきなりフランス語圏などに入国することは語学の面で厳しいこと)、またここではバーソロミュー社発行の精緻な地図が手に入ること、英語のガイドを購入すること、恩師がケンブリッジに留学していたこと等々、旅の情報を入手しやすいという理由が第一であった。

*帰りは那覇に帰る予定になっていたが、台北-那覇のチケットが台湾から沖縄への旅行客であふれており、いつ那覇に戻れるかわからないこともあり、東京羽田へのチケットを購入するはめとなった。つまり、台北-那覇のチケットが無駄になってしまった。


グランドツアーの情報入手方法

1984年当時、『地球の歩き方』はすでに出版されており、ヨーロッパ編を持参した。その他、参考にしたのは、『オデッセイ』というバックパッカー向けの旅情報誌くらいであった。また、旅先の本屋でミシュランの英語のガイドブックを購入し役立てた。心配だったのは北アフリカや中近東などのガイドがほとんどなかったことである。そうした心配を引きずっての出発となったが、当時日本人バックパッカーが海外にかなり多くいたため、偶然に出会ったバックパッカーから情報を得たり、情報が集まりそうな宿を見つけては泊まり、そこで情報を収集していった。当時特に情報が集まる都市はスペインのマドリードとトルコのイスタンブールであった。
この二つの都市になぜ情報が集まるのか?それは、物価が安かったこと、食べ物が合うこと、つまり、日本人にとって過ごしやすい都市であるという理由により、多くのバックパッカーがこれらの都市に長期滞在し、旅の疲れを癒していたのである。また、地理的にマドリードはアフリカへ向かうもの、アフリカから帰ってきたものが集まり、イスタンブールは中近東へ向かうもの、中近東から帰ってきたものが集まる立地にあることが大きな要因であった。

*海外旅行が日常茶飯事になってしまった今日では、海外で日本人に会うと無視されるか、そっぽを向かれてしまうことが多い。特に日本人観光客の多い国ではいちいち対応できるものではない。1984年当時ではそのようなことは希で、日本人に会うと一緒に食事をしたり、情報を交換したり、一緒に観光したりということは当たり前であった。一人旅にはよい時期であったと言える。

以後は、来年からグランドツアーの内容を順次このブログ上で進めていくこととしたい。更新は相当スローペースになると思われるが、このカテゴリーをたどると世界旅行気分が味わえるようになればよいのだが・・・
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by kurarc | 2009-12-27 12:37 | archives1984-1985

ブログをデータベースへ

ブログがかなり効率の良い私的(公開されているので公的とも言える)なデーターベースとなることが最近ますます明白になってきた。
まずは更新が大変楽なこと、カテゴリがつくれること、画像が掲載できること、無料であること、検索機能がついていることなど、様々な面で利用価値が高い。さらに、このエキサイトブログはコマーシャルがないのがよい。

来年から、個人のデーターベースとしての機能をより充実させるために、HP上で公開しているアーカイブスをこのブログでもう少し丁寧に公開しようと思う。

まずは、およそ25年前になる1984年から1985年にかけて11ヶ月にわたるグランドツアーの内容を公開することにしたい。このグランドツアーの全貌については親しい友人などにも断片的にしか話していない。HP上でも記しているように、このツアーが自分自身の出発点となった。ブルーノ・タウトの論文を書くことになるのも、後にポルトガルへ行くことになるのも、このグランドツアーがきっかけであり、自分自身の座標のようなものをつくった旅でもあった。

カテゴリーにarchives1984-1985を設け、旅程を日付順に追っていくものとし、適宜そのときに撮影した写真を挿入する。それによって、今後グランドツアーを計画している人、旅好きの人などにもきっと参考になってくれると思うので、私的なものを越えることも可能なのではないか。25年も前のことなので、記憶も定かでないところもあるが、メモを残してあるので、それを手掛かりに進めてみたい。
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by kurarc | 2009-12-27 00:00 | archi-works

人とものとの幸福な関係を築いて行くには?

かつて修士論文を書くときに一太郎のVer.3を使用した。5インチのフロッピーディスク1枚に入っていたソフトで、今から思うと稚拙なソフトであったかもしれないが、修士論文を書くには充分であった。引用文献のドイツ語もタイプすることができた優れものであったし、二つの画面を瞬時に入れ替えることができて、論文本文とそれとは異なる引用文献の作業はもう一つの画面で進めることができた。このソフトのおかげで、手書きで書くのとはくらべものにならないくらいの速度で論文を仕上げることができた。

しかし、ソフトウェアは急速に進化し、お手頃だった使いやすさはすでになくなってしまった。もはや、現在の複雑になりすぎた一太郎のソフトには愛着は持つことができない。音楽家が楽器に愛着をもつような「人」と「もの」との関係をこの21世紀になって築いていくことはできるのだろうか?そのことが今最も気になりはじめた。

そういう私も持ち物ひとつひとつに愛着があるかというと、そんなことはない。無駄なものだらけである。来年からは、そうした無駄なものをひとつひとつそぎ落としていって、本当に必要と思えるもの、愛着がもてるものだけを所有するようにしていきたいと思う。なぜなら、人とものとは魂でつながることを最近つくづく感じるようになったからである。庭の植木が枯れていれば、それは自分の心が枯れていると思うようになったからである。身の回りのものは、まさに自分との関わりの中で生じてきたものなのだから、目に見える身の回りの世界は自分そのものと認めざるを得ない。

建築や都市といった大きな枠組みでものごとを考えるのではなく、最近はもっと小さなものから考え直していきたいと思うようになった。昨年、家具を設計するようになったのもそのような心境の変化からであった。そう言うことは女性が得意としてきたことだから、来年は、女性からいろいろなものを学ぶ年となりそうだ。
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by kurarc | 2009-12-23 21:16 | archi-works

来年は映画監督 髙嶺剛氏から目が離せない

80年代に観た映画が記憶に焼き付いていることは以前からふれてきた。その中でも、髙嶺剛監督の映画『ウンタマギルー』(1990年ベルリン国際映画祭カリガリ賞受賞)には衝撃を受けた。
その髙嶺監督が最近積極的に活動しているようだ。来年の恵比寿映像祭の参加など、新しい劇映画も準備しているとのこと。来年は髙嶺監督から目が離せなくなりそう。新しい映画を楽しみにしたい。

髙嶺剛監督のブログはこちらから。
映画『ウンタマギルー』の解説はこちらを参照ください。
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by kurarc | 2009-12-22 19:13 | cinema

新しいタイプのイタリアワインショップの計画

現在、鎌倉長谷に来春オープンする新しいタイプのイタリアワインショップ実施設計の最中である。

クライアントの考えは、「ワインの他にも、美味しく楽しむために必要な全てが揃い、今知っているワインのその先の、本当の楽しさを提案すること」であり、その思いをかたちにすることになる。
店舗は3つの空間に分節されていて、手前から、ワインセラー、食材コーナー、真ん中がワインのプレゼンテーション用スペース、最も奥が厨房となっている。

下に、模型写真を紹介しておきたい。
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by kurarc | 2009-12-20 10:49 | archi-works

クリストファー・オライリー 水の音楽

クリストファー・オライリーのCDを改めて紹介したい。彼はRadioheadというポストロックバンドの曲を見事にピアノ曲に変換したアーティスト(ピアニスト)である。このCD、『hold me to this』を聴いていると、不透明なロックの曲を透明な水の音楽のように見事に編曲している。曲を聴いていると、白く雪の積もった山々や今にも凍りそうな澄んだ水の流れなどが浮かんでくる。以前紹介したときにも10月のブログで取り上げたのだが、やはり、このCDは北国に雪が積もりはじめた頃の季節に聴くのにふさわしい。
このCDでは、Radioheadの曲で私が最も優れた曲と思っているparanoid androidもピアノ曲に変換している。リズムを感じさせることを消去し、音や和音のつながりをより強調することによって、彼のアレンジの透明さが維持されている。また、そうした効果によって、彼のアレンジは水墨画のような音楽に仕上がっていると言えるかもしれない。このCDの最後、street spirit(fade out)の終わりの和音の音が意表をつく。(ピアノはHamburg Steinway Model D)

*昨年、さいたまスーパーアリーナでRadioheadのライブを初めて経験した。ほとんど話すこともなく、自分達の音楽をぶっ通しで聴かせてくれたのが印象的であった。
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by kurarc | 2009-12-19 17:25 | music

温暖化と昆虫

鎌倉の喫茶店で、鎌倉地区で流通する『かまくら春秋』という小雑誌を手にすると、その中に養老孟司さんの文章が掲載されていた。タイトルの通り、温暖化と昆虫に関するエッセイであった。養老さんは箱根の住宅で、今年も昆虫採集を楽しんだらしいが、箱根では九州でしか見られないゾウムシなどが今年はよく採集できたようだ。しかし、これを温暖化の影響と決めつけることは早急らしい。箱根では造園業者が九州の樹木を持ってきて植林するために、そのときに昆虫まで一緒に運んできてしまうらしい。よって、南でしか見ることのできないゾウムシがよく採集されたからといって、すぐに温暖化の影響と決めつけるわけにはいかないのだそうだ。また、養老さんはコンビニで昆虫を採集するとのこと。コンビニの光に集まる昆虫を採集するのだそうだ。
このようなことを考えると、自然環境の変化によって昆虫の生態系が変化しているというよりは、我々の社会の変化による影響が多大であり、それによって生態系が変化しているということである。少なくとも昆虫については、生態系の変化などを安易に温暖化の影響と結論づけないことが最も科学的な態度と言えそうである。
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by kurarc | 2009-12-13 20:29 | nature


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