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アルヴァ・アールト No.65 ヴィープリ・チェアーについて

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建築家アルヴァ・アールトのNo.65ヴィープリ・チェア(上写真)は、椅子というものを何もしらない方からすると、一見なんの変哲もない椅子に見えるかも知れない。しかし、この小さな椅子は、アールトのフィンランド人としてのプライドと新らしい技術との結晶と言える椅子であることを読み取らなければならない。

そうした椅子であることの経緯は、島崎信著の『一脚の椅子・その背景』(建築資料研究社、2010年4月2日のブログ参照)に詳しいので、ここではふれない。まずは、造形的な特徴を記述しながら、この椅子の特殊性を理解したい。

この椅子を特徴づける要素は、大きく二つに分かれる。一つは脚であり、もう一つは3次曲面としての背である。座は円形で控えめにデザインされていることは、この脚と背のデザインを引き立たせるためであると思われる。

脚は、アールト・レッグと言われており、無垢材(ここではカバ材、フィンランドの国産材)に平行に切れ目を入れながら曲げていく技術により成形されている。こうした技術は、この椅子があまりにも素直にデザインされたかのように見えるために、表面に現れてこない。さらに、興味深いのはこの脚が座に取り付けられた角度である。前脚は正面を軸線にして、約56度、後脚は、約19.5度となっている。これは、何を意図しているのか。私が考えるのは、前脚は座ったときの人間の前脚との関係から、後脚は背のデザインとプロポーション、さらに、座った人間の重心との関係から決定された、と勝手に解釈している。

椅子の後脚が、前脚のように開いていては、人間が座った時、後ろよりの重心を受け止めるのには不都合である。また、後脚が開いていては、背を取り付けるときに、背の幅が巨大にならざるを得ず、プロポーションが崩れてしまう。(脚の取り付け方は、スタッキングするというコンセプトからも調整がなされたのだろう。)

こうした様々な関係を考慮しながら、この座と脚、背がデザインされていることが読み取れる。こうして、座を中心として、脚、背を単純にビス留めして、この椅子が形づくられる。加えて、これも私の解釈なのだが、こうした素朴な接合方法は、ウィンザー・チェアーの製作様式、構法(さらにトーネットの構法)の流れを踏まえている、と考えている。

近代において、分業を徹底的に進めて製作されたウィンザー・チェアーは、座を中心として、座に脚、背を接合していくという構法によって成立している。アールトの椅子も、素材は面材に変化しながらも、座、背、脚という三つの要素を分業してつくり、最後にそれらを組み立てる(組み上げる椅子ではないということ)というウィンザー・チェアーの構法を踏襲しているとみなすことができるのではないか。(ウィンザー・チェアーは背及び脚は組み上げられているが、それらをひとつの要素とみれば、座、背、脚という3つの要素の組み立てとみることができる。)座、背、脚という接合方法は無限に考えられる。それをあえて明確に分節した形で接合したNo.65のデザインは、20世紀のウィンザー・チェアーと言えるのかもしれない。(ビスによる接合は、安価に家具をつくる、というアールトのコンセプトから導き出されたものだろう。)

椅子は、たとえば、ミカン箱をひっくり返して座布団でもひいて使えば、それはそれで立派な椅子と言えるが、我々デザイナーは、技術的な裏付けと、過去の歴史、記憶を引き継ぎながらデザインしていく。こうしたことはデザイナーでなければできないことであり、デザイナーの存在意義もそこに求められよう。よって、そうしたことができなければ、デザイナーの存在意義はない、といっていい。

*「組み上げる」という意味をここでは、建築の柱、梁、桁のように組んでいくような意味で使用した。つまり、ホゾをつくり組んでいくような家具がその代表である。
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by kurarc | 2010-10-30 11:44 | design

カボス

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鎌倉で活躍されている女性の建築家の方から、昨日「カボス」をいただく。

カボスは大分県特産の柑橘類であるという。「スダチ」はポピュラーになっているが、カボスはもしかしたらはじめて経験する柑橘類のような気がする。大きさは小振りのミカンとほぼ同じ。大分をはじめ、九州ではポピュラーなのかもしれない。

早速、白菜のつけものに、カボスの絞り汁をかけて食べてみる。白菜の甘みとカボスの酸味がうまく調和して美味であった。ポン酢のかわりにもなり、焼き魚にレモンの変わりにかけて食べると風味が増すことは間違いないだろう。こうした季節のくだものが食卓にいつも並んでいることは、私にとってもっとも喜ばしいことである。なぜなら、食べ物の中で最も好きな物は「くだもの」といってもよいくらい大好物だからである。

大分県ではこのカボスにかなり力を入れているようで、大分県カボス振興協議会のような組織もある。このHPの中に調理法なども記載されているので、参考になる。カボスの皮は、お風呂の中に入れて楽しめそうである。
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by kurarc | 2010-10-29 19:41 | gastronomy

ウナギ文について

私は話すことは得意ではないが、ポルトガルに2年過ごし、日本語以外の言語を学ばざるを得ない状況になったために、それを契機として、日常何気なく使う言葉(日本語)について考えることが多くなった。

ポルトガル語の場合、最初に習う動詞は、ser とestarというcopula(コピュラ、コプラ)という機能をもつ動詞である。私は・・・である、・・・の状態である、といった存在、状態を表し、A=Bという関係をつくる。

日本語では興味深いことに、「私はウナギだ」というような表現が成り立つことがある。これが、「ウナギ文」といわれるものだ。

たとえば、飲み物付きのランチを友人と食べに行った時を想像してみよう。ウエイトレスに、「食後にコーヒーにしますか、紅茶にしますか、またはオレンジジュースにしますか・・・」などと聞かれた場合、一人が、「私はコーヒーをお願いします」と言い、その次に、「私は紅茶だ」という言い方が成り立つ。これが「ウナギ文」と呼ばれるもので、私=紅茶ではないが、・・・だ、が動詞の代用のように扱われ、表現として成立する。(・・・だ、の「だ」は日本語では助動詞として扱われる。)この場合、私は紅茶を飲みます(お願いします)、と言うところを、・・・だ、というコピュラによって代用されることになる。

何気なく使う言葉を一度立ち止まって考えてみると、以外とおもしろいことがたくさん発見できる。

*ロマンス諸語に分類されるポルトガル語を学んで、まず最初の驚きは、モード(英語ではムードで、日本語で法と訳される)の概念であった。我々の話す言葉は、大きく「事実について」と「主観について」という二つのモードに分類できるという認識であり、(その他、命令というモード)このモードは、ロマンス諸語においては、動詞の活用(屈折)の変化に表現されるために、常に話者は、事実を述べているのか、主観を述べているのかが明確になるということであった。
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by kurarc | 2010-10-28 23:47

『バウハウス・テイスト バウハウス・キッチン』の展示会を観る

汐留ミュージアムで開催されている『バウハウス・テイスト バウハウス・キッチン』と題された展示会を昨日、東京へ出たついでに見学してきた。

この展示会の目玉は、バウハウス内の「マイスターハウス」としてつくられたオスカー・シュレンマー邸のキッチンを実物大で再現していることである。この展示会へ行った目的は、その空間を体験することであった。

当時のイデオロギーであった機能主義に則して設計されたバウハウスのキッチンは、現在からみると「素朴な機能主義」といったところであり、現在のシステムキッチンと比較することは全く文脈の異なることだが、昭和のキッチンのテイストといった感じも見受けられた。(実際のつくりは全く異なるが)女性の家事労働の軽減を真剣に議論しながら考えたキッチンであり、それを取り巻く建築空間としてデザインされたキッチンは、配膳室、キッチン、食堂を分離したプランであり、当時は革新的であったが、時代の痕跡は消しきれるものではないようだ。

私としては多木浩二先生が20年以上も前に『それぞれのユートピア 危機の時代と芸術』という著作で著された「フランクフルター・キュッヘ」(フランクフルトの台所)に関する文章を読んでいたこともあり、むしろ、再現してほしかったのはフランクフルター・キュッヘの方であった。

フランクフルター・キュッヘは、建築家エルンスト・マイの助力によりマルガレーテ・リホツキーというオーストリア初の女性建築家によりデザインされた機能的(効率的)なキッチンのことで、1920年代後半に建設されたフランクフルトのジードルンク(集合住宅)の中に導入されたこともあり、その名が付けられた。

展示会のカタログの中に田中純氏がこのキッチンについて小論を寄せているが、多木先生の文章は、リホツキー氏へのインタビューも重ね合わせているために、内容が深い。さらに、多木先生はこうした機能主義と機能主義に見え隠れする身体論との関連にも言及しているなど、モダニズムを相対化する視線からアプローチしている。

この展示会では、こうしたフランクフルトの試みとの比較があれば、さらに興味深い展示会になったに違いない。この展示会へ行くこともあり、多木先生の文章を久しぶりに読み直したのだが、前回読んだのは1989年12月12日であった。ちょうどブルーノ・タウトの論文の準備をしている頃に読んだもので、20年以上も経過していた。しかし、内容は少しも色あせていない。多木先生の文章を思い出させてくれた意味においても、今回の展示会は有意義であった。

*「フランクフルター・キュッヘ」について詳しくは、多木浩二著の『それぞれのユートピア 危機の時代と芸術』(青土社)の「フランクフルトの台所 二十世紀のイデオロギーとしての機能主義」を参照ください。

*多木先生の文章にもあるが、リホツキーはタウトが日本に来日しているときに、日本に来て、タウトと会っている。こうした女性の建築家について研究している日本人はいるのだろうか?アドルフ・ロースとも親交のあっただけに、女性の立場からどのようにモダニズム建築を眺めていたのかがわかれば意義深いことだろう。

*フランクフルター・キュッヘは独立したキッチンであった。その理由が、多木先生の本の中に書かれている。リホツキーはジードルンク建設時には、燃料がガスや電気に変化し、石炭や薪が燃料であったころのように部屋を暖める役割がなくなったこと、また匂いの問題からキッチンを独立させたと述べている。キッチンは調理のための実験室という考え方をとった、とも述べている。
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by kurarc | 2010-10-23 22:23 | design

IFDA 国際家具デザインコンペティション旭川2011参加

IFDAは3年に一度の国際家具コンペティションである。日本で開催される家具のワールドカップといったコンペである。昨日、ある作品を提出した。いつも上位に食い込んでくる北欧勢にどれだけ対抗できるのか楽しみである。

案をつくる上で最も大切にしたのは、ここ400年くらいの家具の歴史を踏まてデザインすること、構造が明解(明快)なこと、奇抜なデザインを避けること、安価につくれること、日本人がデザインしたように感じられないデザイン等々である。

1次審査結果は年末にあり、本戦では実物を製作して審査になる。まずは、本選まで進みたいものだ。
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by kurarc | 2010-10-21 10:57 | design

来年はアジアを知る年に

つい最近のブログで、ポルトガルで知り合いになった韓国の女子学生との10年ぶりのメールでの再会について書いた。彼女とはその後、ポルトガル語でメールをやりとりしている。先日出したメールでは、来年は韓国に行きたいと伝えた。

実は私が沖縄で働いていたとき、仕事があまりなかったこともあり、所長の末吉栄三さんから、韓国の建築家、金壽根(キム スグン)氏のところに行ったらどうか勧められたことがある。もう、25年以上前の話である。しかし、その話をしていた1年後に金氏は若くして死去してしまった。それ以来ずっと金氏の仕事を見学に韓国に行きたいと思っていたのだが、行きそびれてしまった。実はアジアへの旅を避けていたということもある。

その理由は、アジアでいち早く近代化した日本人は先進国の人間として、常に優勢に見られてしまうことが、旅をしていていやになったということがある。つまり、対等に付き合うということができにくいのだ。こちらは優越感に浸ろうなどこれっぽっちも思っていないのだが、相手からそのように見られてしまう。現在は中国の台頭もあり、もはや過去の話となってしまったが。

来年は、そうした過去を払拭するためにも、韓国をはじめとしたアジアの旅を重ねていきたい。まずは、金氏の建築見学を手始めに韓国からか・・・

*金氏の代表作の一つである国立清州博物館のHPはこちら
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by kurarc | 2010-10-20 19:06 | archi-works

三つ脚の椅子とPL法

デンマークの椅子には3つ脚の椅子の傑作が数多い。以前ブログで紹介したポール・ケアホルムの椅子も3つ脚であった。織田憲嗣氏によれば、ミルクスツール(牛の乳を搾るときに使う腰掛け)が三つ脚の簡素なものだったらしく、デンマークのデザイナーはそうしたスツールがデザインのインスピレーションになっているという。

しかし、三つ脚の椅子は、お上品に座っている分にはよいのだが、安定が悪いため、PL法(製造物責任法)により奨励されていないことを最近知った。アルネ・ヤコブセンの名作である「The Ant Chair」なども三つ脚のものは、日本に輸入されなくなったらしい。

安全は確かに大切だが、こと椅子に関しては少し過剰な気がしてならない。勿論、PL法適用外と謳っておけば問題はないのだろうが、デザイナーは、三つ脚の椅子をデザインをしようとするときには注意を要することは確かなようだ。
(下:三つ脚のThe Ant Chair-日本ではあまり見かけなくなるだろう。)
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by kurarc | 2010-10-16 00:07 | design

アントニオ・カルロス・ジョビン 『inédito』イネーヂトを聴く

最近はジョビンの曲を集中して聴いている。相当ジョビンが好きな人でないとこのCDは持っていないのではないだろうか?

『inédito』イネーヂトとはポルトガル語で「未発表の」を意味する。ジョビンの還暦をお祝いするためにつくったプライベート・アルバムだったもの、すなわち、当初は配布が限定されたアルバム(LP盤)だったらしい。しかし、出来の良さに評判が広がり1995年に2枚組のCDとしてリリースされたという。そう言う経緯からCDのタイトルは名付けられたと想像される。

ジョビンの友人と家族により私的につくられたアルバムであるが、そのクオリティーには驚かざるを得ない。アルバムの中の写真はジョビンの妻であるアナ(アナはフォトグラファー)が、CD表紙のデザインは娘のエリザベスが手掛け、ライナーノーツの途中にはジョビンのスケッチが挿入されている。アルバムの全てにおいてジョビンが信頼できる仲間だけでつくった音楽と言えるが、それはもちろん趣味の域を遙かに超えている。(友人、家族は一流のミュージシャンだから当たり前のことなのだが)

CDの中では特に、「ジェット機のサンバ」、「あなたのせいで」が気に入っている。ドロレス・ドゥラン(1930-1959)というブラジルの女性歌手兼作曲家との共作である「あなたのせいで」は、50年以上前の曲とは想像できない。ジョビンのピアノのアレンジがこの曲は特に冴えわたっている。

ジョビンには不思議なことがある。それは、若い頃より歳をとるにつれて唄がうまくなっていることだ。このCDでいくつか彼の唄も楽しむことができる。

*CDのタイトルの名前の表記が、「アントニオ・カルロス・ジョビン」ではなく、愛称の「トム」を使い、トム・ジョビンとしているのは、このCDの私的な制作経緯からであると思われる。

エリス・レ(ヘ)ジーナが生存していたら、このアルバムに参加していたかもしれない。参加していたらもっとよいアルバムになったことだろう。
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by kurarc | 2010-10-15 00:25 | music

グランドツアー/10 パリ 「ガラスの家」 1984/07/10-07/18

初めてのパリでは様々な建築を見学できた。前回はパサージュを紹介したが、今回は、ピエール・シャローの「ガラスの家」を紹介したい。

パリに行ったら必ず観ておきたい建築が「ガラスの家」であった。しかし、住所を調べ、現地に赴くと、中庭へ入る門が閉ざされており、残念ながらあきらめるしかない状況であった。門の前をうろうろしていると、ちょうど住人の方が門から出てきて、我々を見るやいなやすぐに察してくれたのか、中に入ってよいという許可をくれた。(中庭までで、ガラスの家の内部に入った訳ではない。)そのおかげで撮影できたのが下の写真である。

この住宅については、A.D.A.EDITA Tokyoから『ガラスの家:ダルザス邸』というすばらしい書籍が出版されている。この書籍は一日中眺めていてもあきることのない内容となっていて、この住宅の建設経緯から、写真、図面、ディテールに至るまで一冊に収まっている。

この書籍の内容を参考にこの住宅を分析していくと、この住宅に埋め込まれた論理や思考、あるいは既存の住宅を破壊することなくこの住宅を設計しなければならなかったという苦闘の痕跡などが浮かび上がってくる。

まず、この住宅を特徴づけるガラスブロック(ネヴァダ型ガラス・レンズ)は、当時発売されたばかりの商品であり、彼の大胆な使用方法の提案にガラス会社は保証を断ったという。シャローは、ガラスブロックを6×4の24個単位に分節し、その廻りにスチールのグリッド枠を設け、ガラスブロックに荷重を負担させることを避け、この素材の難題を切り抜けることになった。こうしてできたガラスブロックのパネルは、この建築内外を様々なパネルによって構成していくというコンセプトに結実していくことになる。

また、ガラスブロックの使用は、興味本位によるものでなく、奥深い中庭に面した住宅に採光をもたらすために選択された実用的な理由による。レンズの効果により、光は住宅の奥まで拡散し、日本の障子紙のような効果をもたらした。

さらに興味深いのは、このパネルの横巾寸法がちょうど91センチ(正確には912㎜)であり、日本で使われる半間の寸法にあたることである。彼の建築がなにか日本人にとって親しみやすいのは、偶然に選択された日本のモデュールとの近似によるのかもしれない。

鋼製の柱はよくみると、リベット接合とボルト接合が併用(上部の住宅を支持するために構法上選択されたものと思われる。部材はリベット接合で製作され、継手はボルト接合となっている。)され、スチールの接合部の防水に防水皮革の使用が見受けられる。また、アルミ、真鍮、スチール、ジュラルミンなど金属を適材適所に使用し、家具デザイナーであったシャローの力量を存分に発揮している。協働設計者として、オランダ人の建築家B・ベイフォートと、金属細工職人のL・ダルベの協力も大きかったに違いない。

20世紀の初頭に行われた「建築による建築の破壊」は、この「ガラスの家」が一役買ったことは間違いないだろう。
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by kurarc | 2010-10-10 01:11 | archives1984-1985

映画『冒険者』と『パリのめぐり逢い』の映画音楽

現在、観たい映画がある。『冒険者』と『パリのめぐり逢い』である。両方共にDVD化されていないこともあり、観ることができない。

この二つの映画がなぜ気になるのか。それは映画音楽がすばらしく、映画音楽と映画との連関がどのようになっているのかを確かめたいからである。『冒険者』は映画音楽をアントニオ・カルロス・ジョビンが担当し、『パリのめぐり逢い』は、フランシス・レイの担当による。特に最近、ジョビン関連の音楽をすべて制覇したいという目標があり、『冒険者』は特に気になる。

ジョビンのCD『TIDE』に「SUE ANN」という魅力的な小曲が入っている。映画『冒険者』に出演するキャンディス・バーゲンのライトモティーフになっている曲だと聞く。この曲が映画の中でどのようなシチュエーションで使われているのか気になって仕方がない。

キャンディス・バーゲンは、一昔前ミノルタカメラのコマーシャルに出演していた記憶があるが、彼女は一流の写真家でもあるようだ。偶然にもこの週末から、彼女の夫であったルイ・マルの映画がまとめて渋谷のイメージフォーラムで上映される。『パリのめぐり逢い』もキャンディス・バーゲンがイヴ・モンタンと共演している映画であり、どうも私にとって偶然の巡り合わせとは思えない。バーゲンの映画を観ることができないので、ルイ・マルで我慢せよ、ということなのか?

*『冒険者』の方はVHS版が発売されているようだ。しかし、なかなか手に入りそうにない。

*CD『TIDE』のジャケット写真は、Pete Turnerピート・ターナーによるもの。CTIレコードのジャケット写真を手掛けたカメラマンである。ブルーに染まったコルコバードの丘のキリスト像がよい。『WAVE』のキリンの写真(下)の方が知られているかもしれない。ジョビンのCD『Stone Flower』の煙草をふかした横顔もPete Turnerの写真。

Pete TurnerのHPはこちらから
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by kurarc | 2010-10-08 01:00 | cinema


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