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by S.K.

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NOUGAT NOIR

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フランス語の先生より、「NOUGAT NOIR」(ヌガー・ノワール)をいただく。日本語でいう(黒い)「ヌガー」である。袋には「TENDRE」とフランス語で記されている。「ソフトな、やわらかい」ヌガーということである。

ヌガーというお菓子は日本では最近、あまり食べられることはないかもしれない。wikipediaによれば、もともとはアラブのお菓子(ハルヴァ)であり、それが中国に伝わり、その後、またフランスに伝播、南フランスの名物菓子となったようである。このヌガーの蜂蜜は”Luberon”という土地のラベンダーの蜂蜜が使われている。

蜂蜜とナッツ(フランスではアーモンド)がその主原料であり、蜂蜜がどの程度の割合で入っているか、どのような質の蜂蜜かが質を見極める決め手になるようだ。早速、食後にいただいたが、今までに食べたことのないような素朴なヌガーで、甘さも控えめで美味であった。

お菓子は素朴なものほどよい。

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by kurarc | 2016-08-31 20:17 | France

DALEKO 遥か遠くへ

アナ・マリア・ヨペクのCD『ID』を電車の中で久しぶりに聴き直した。このCD内の曲はどれも魅力的だが、今回は、最後の「DALEKO」というアナの多重音声とノルウェーのジャズピアニスト、トルド・グスタフセンとのデュオの曲にひきつけられた。

電車の中で、一瞬、時が静止したかのような時間を感じ、アナ・マリア・ヨペクの世界に引き込まれた。繊細なメロディーとアレンジ、そして、グスタフセンのクリアなピアノ音がすばらしいのである。この曲は、CDレコーダーで聴くよりは、より精度の高いヘッドホンで聴く方が適している。

日本人ミュージシャンのつくるメロディーに繊細さを感じることはめったにない。いつからかは思い出せないが、いつの間にか日本人ミュージシャンの音楽を聴くこともなくなった。彼女のCDを聴いていると、それもやむを得ないと思えてならない。たった4分30秒ほどのこの「DALEKO」(ダレコ ポーランド語で遥か遠くへの意)という一曲を聴くだけで、「遥か遠く」の世界へ導いてくれるからである。

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by kurarc | 2016-08-30 23:35 | music

映画『最初の人間』をみる

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イタリア人映画監督、ジャンニ・アメリオの映画『最初の人間』を観た。2012年、岩波ホールで公開された映画だけあり、名画であった。

原作は、カミュの同名最期の小説である。自動車事故で亡くなったカミュの鞄の中から原稿が発見されたという小説であり、その不完全さから出版の是非が多くの知人、近親者によって議論されたあげく、出版にこぎつけた小説だという。わたしは、この小説を読んではいないが、カミュの自伝的小説であるだけに、興味をもった。

カミュの貧しい少年時代と現在(1957年当時)が折り重ねられて描写された映画であり、大きなクライマックスのようなものもなく、淡々と映画が進行していく。少年時代、カミュの同居人には、文字を読める家族がいなかった。母親は病院に勤務していたが、文字が読めなかったため、看護師になることもできなかった。しかし、カミュは友人たちには看護師である、と告げていたらしい。(映画の中での話)

撮影はアルジェで実際に行われた?ようで、アルジェのカズバ(メディナ、旧市街)が登場し、その入り組んだ街路の延長上に地中海がかすかに望まれていた。アルジェリア側から望む地中海は、日本で言えば日本海側と重なり、同じ地中海でも、ヨーロッパ側からの開放性は感じられない。むしろ、理性的な海を感じる。わたしがアルジェの街を歩いたのは、1985年のことだが、映画の中のアルジェの光景は、全く変化がないようであった。

カミュは、彼の才能を察知した小学校時代の恩師ルイ・ジェルマンによって、奨学金の制度を使い、学業を続けられることになった。生まれてすぐに父を失ったカミュは、この教師を第2の父として尊敬し、映画の中にも描かれている。ノーベル賞を受賞した翌日、ルイ宛に手紙を書いており、その手紙は、小説『最初の人間』の中に補遺として収録されている。

最後に、この映画音楽を担当したフランコ・ピエルサンティの音楽が、当時のアルジェリアの状況やアルジェリア側から望む地中海の様相(わたし個人の勝手な主観であるが)を巧みに表現していることに好感がもてた。

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by kurarc | 2016-08-28 10:56

Chanson de L'adieu

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"Chanson de L'adieu"は、ショパンの「別れの曲」と呼ばれる名曲の日本名である。この曲の導入部のメロディーをトランペットの練習曲として活用したいと思っている。

低音からはじまり、高音まで幅の広い音域の練習と、スラー、リップスラーの練習には最適の曲である。わたしがもっていたトランペットの楽曲集にたまたま楽譜が掲載されていたこともあるが、原曲の音域のままトランペットで吹くことができるようにアレンジされている。

フランス語で、「L'adieu」(「ラディュ」の音に近い)が使われているように、この別れは、永遠の別れを意味すると考えてよいだろう。ショパンに即して考えれば、それは祖国ポーランドとの別れということになろうか。「L'adieu」はポルトガル語では、「Adeus」であり、「神のご加護がありますように」といった意味を含んだ「さようなら」になる。ショパンは、この曲を「別れ」をテーマに作曲したということではない、ということは念のため押さえておかなければならない。

この曲を日本で「別れの曲」という言い方に定めたのは、1935年に日本で公開されたドイツ映画であったという。(但し、日本ではフランス語バージョンが公開されたという)ショパンの生涯をテーマとした映画が「別れの曲」というタイトルであったことから、日本でこの曲をこのように命名するようになったらしい。(wikipediaより)このドイツ映画、観ることが可能であるのなら、是非観てみたいものである。(映画は、ショパン生誕200年の年、DVDが発売されたとのこと。)

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by kurarc | 2016-08-26 23:39 | trumpet

子供用の椅子

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子供用の椅子のデザインを考えている。子供用といっても、小学校へあがる前の3〜5歳の子供用椅子である。

小学生の頃使用していた椅子(上写真のような椅子)は今でも強く印象に残っているが、重くてごつい椅子であった。一点だけよかったのは、それが無垢の材料でつくられていたことくらいで、多くの生徒はクッションを持参して、お尻の痛さをしのいでいた。

現在は、合板とスチールパイプでつくられた椅子を大半の学校が採用していると思うが、この椅子も長時間座ることに耐えられるようなデザインではない。以前もこうした椅子についてこのブログで書いたと思うが、こうした椅子で机に向かって勉強しろ、というのは拷問に近い。

一方、デザイナーたちは、今まで子供用の椅子を真剣に考えたものはごく少数のように思われる。椅子の作品集をみても、大人の椅子ばかりであり、子供用の椅子で名作といわれるようなものは思い浮かばない。商品化すれば、保育園ほか多くの需要があると思うが、こうした備品に多くの経費をかけられるような保育園も皆無に近いのだろう。

子供用の椅子を考えるにあたり、まず驚くのは、そのスケール感である。座高はおよそ200mm。大人用椅子のおよそ1/2であり、このスケール感をつかむのには苦労する。日常的に、大人たちのスケールでものを見ている証拠であり、反省すべき点が多い。世の中のすべてのものは、通常、大人たちのスケール、ものの考え方でつくられている。そうした視点を転換する上においても、子供用の椅子を考えることは役に立つ。

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by kurarc | 2016-08-24 14:32 | design

久我山から人見街道、連雀通り、さくら通りへ

今日は仕事帰り、渋谷から井の頭線で久我山で下車。久我山から三鷹駅南口行きバスに乗り、帰宅した。もちろん、通常は吉祥寺まで井の頭線、その後中央線に乗り換えて三鷹駅まで行く。たまに、井の頭線で帰宅するときには、久我山で降りたくなることがある。久我山から三鷹駅南口行きのバス便があるためである。

久我山から三鷹までは、人見街道、連雀通り、さくら通りを経て、自宅近くのバス停で下車する。この街道、通り沿いは、わたしが中学時代によくでかけたエリアであり、途中、母校の中学校の前を通過、自宅近くも通過し、現在の住まいへとつながって行く

人見街道は、杉並の大宮八幡宮と府中をつなぐ街道であり、バスに乗っていても古い街道であることはわかるが、整った街道ではない。しかし、中学時代によくこの付近を自転車で通り、友人の家へ遊びにいったりしているので、懐かしい記憶がある。また、環状八号線を使い車で帰宅するときには、この人見街道を下って帰っていたこともあり、見慣れた街道でもある。

この街道を初めて車で通過しても、なにも感じないような地味な道だとは思うが、記憶というのは興味深いものである。この街道をバスの中から眺めていると、40年以上前の記憶が甦って、当時の光景が浮かんでくる。つまり、人は、誰一人として同じ場所を見ても、同じ光景を見てはいない、ということなのである。

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by kurarc | 2016-08-23 23:26 | 三鷹-Mitaka

映画『イマジン』再見

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ポーランド人の映画監督、アンジェイ・ヤキモフスキの『イマジン』を再見。およそ、2年前に観た映画だが、TSUTAYAでDVDがレンタル開始されたこともあり、手に取った。

この映画は、リスボンを舞台とし、視覚障害者の世界を描いた映画である。再度2年前と同じように感じたのは、リスボンという都市のランドスケープやテクスチャーを背景に、巧みな演出がなされているということである。

アズレージョと呼ばれるタイル、カルサーダ(シュ)と呼ばれる敷石の街路、動物たちの奏でる音、そして、この映画の主題となる都市のサウンドスケープが映画の中でさりげなく表現に取り込まれている。そして、今回新たに気づかされたのは、わざわざ英語とポルトガル語という2重の言語を台詞に含ませることで、言語の音感、ニュアンスの違いまで表現に取り入れているということである。この映画でわかることだが、ポルトガル語は英語に比較して、発音がしなやかであるということ。そうした言語のニュアンスの違いを、「視覚のない思考」、「音」を主題とした映画の中で利用しているのである。

ヤキモフスキは、1990年代後半にリスボンを訪れ、この映画の構想(港が近くにありながら、そのことを感じさせない都市景観があること)を思いついたということだが、そのときには、都市景観の特徴だけでなく、重合した都市のテクストのようなものを同時に感じとったに違いない。さらに、ヴェンダースの映画『リスボン・ストーリー』も音を副題にしていたので、ヤキモフスキにヒントを与えたのかもしれない。

この映画は、リスボンを舞台にした名画として、『過去をもつ愛情』、『白い町で』、『リスボン・ストーリー』などの映画と共に確実に映画史に刻まれると言ってよいだろう。

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by kurarc | 2016-08-21 21:32 | cinema

100分de名著 サルトル 実存主義とはなにか

このところ、フランス文化を学んでいる。20世紀のフランスといえば、やはり、サルトルは外せないだろう。サルトルの著作をまじめに読んだことはないが、まずは、実存主義についての理解のため、NHKのテレビテキスト、『100分de名著 サルトル 実存主義とはなにか』(海老坂武著)を読んだ。

この小著は、タイトルの通り、実存主義についての概要を把握するのに役に立ったが、それ以上に興味をひいたのは、サルトルの生涯である。わたしがイメージしていた哲学者の生き方とは異なり、やはり普通ではなかった。

斜視という身体的な欠陥があったにもかかわらず、サルトルの生涯はそうした負の側面が全く感じられない。むしろ、負の側面を、どのように反転させるかを考え続けている。ボーヴォワールとの契約結婚では、お互いの自由を貫いている。お互い愛人をつくりながらも、サルトルは激しい嫉妬はしていない、という。ボーヴォワールに関しても、わたしのイメージは覆された。彼女はバイセクシャルであったのだという。

こうした生々しい人間関係の中においても、サルトルは哲学すること、小説という創作を怠ることはなかった。なにかを所有することを嫌い、稼いだお金は使い果たし、晩年にはお金に苦労し、出版社に前借りまでしていたらしい。

哲学者とは、机の上で頭を抱え込んで思索するような人間ではなく、人間という実存についての可能性を突き詰め、行動していく人間のことを哲学者というのだろう。フランス語の感覚が少し身に付いてきたこともあるが、サルトルのキーワード、アンガジュマンといった用語もすんなりと理解できるようになった。

今、サルトルから何を学ぶのか。まずは、サルトルの言う、「人間は自由の刑に処せられている」という考えを考え抜いた先達の思索を一つ一つ噛みしめてみることであろう。

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by kurarc | 2016-08-21 00:27

イタリア人トランペット奏者 パオロ・フレスが聴ける

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イタリア文化会館からメールマガジンを受け取っている。様々なイベントの紹介を月1〜2回程度知らせてくれる。このところ、時間があればこうしたイベントに参加している。

先日、このブログで紹介したレオナルド・ダ・ヴィンチに関する講演会もそのイベントの一つであった。今回は、イタリアのトランペット奏者パオロ・フレスほかのコンサートの紹介がメールされた。現在、最も興味のあるトランペット奏者であり、さらに、こうしたコンサートが無料で参加できることもありがたい。

今年は、イタリアとの国交150周年ということもあるのかもしれないが、来日するメンバーの選定がよい。このイベントで聴いたイタリアのトランペット奏者ファブリッツィオ・ボッソに続き、パオロ・フレスの演奏を是非楽しみたいと思っている。

*以下に、イタリア文化会館のHPに紹介された奏者のプロフィールを紹介しておく。

プロフィール

パオロ・フレス Paolo Fresu トランペット

世界的に髙い評価を受けているイタリア人ミュージシャン。年200回以上のコンサートを開き、数多くのCDをリリースしている。手がけるジャンルは民族音楽や軽音楽からバロックまでで、著名なミュージシャンと共演し、ジャズやクラシック(RAI国立交響楽団など)のオーケストラからソリストとして招かれるなど、活動の幅は非常に広い。

フレスは11歳のとき生地のサルデーニャ島ベルキッダの楽団でトランペットを始める。サッサリ音楽院で学んだあと、カリアリ音楽院を修了する。その間にプロ活動を開始したことがきっかけで、1980年代初めにジャズの世界に入る。その時期ブルーノ・トンマーゾの指導のもとRAI でスタジオ録音をし、シエナのジャズセミナーに参加するなど評価されるようになる。1988年にはベルキッダにフェスティバル‟タイム・イン・ジャズ“を創設した。同フェスティバルは2015年に28回を迎え、ヨーロッパの主要なジャズイベントの一つとなっている。その他ヌオロのジャズセミナーの芸術監督と講師でもあり、ベルガモ国際フェスティバルでは監督を務めた。さらにダンサー、画家、彫刻家、詩人、ドキュメンタリーやビデオの監督等と組んでマルチメディアの企画とコーディネートをしている。2010年には、自らのレーベルTuk Musicを作った。


ダニエレ・ディ・ボナヴェントゥーラ Daniele di Bonaventura バンドネオン

マルケ州フェルモ生れ。ピアノ、チェロ、指揮を学び、作曲で学位を取得。ピアニスト、バンドネオン奏者、作曲家、アレンジャーとして、クラシックから現代音楽、ジャズからタンゴ、民族音楽までと幅広いジャンルをこなし、演劇、映画、ダンスの分野でも活躍している。イタリア内外のフェスティバルで、各国のメジャーのミュージシャンと共演する。2003年にマルケ州フィルハーモニー交響楽団から委嘱をうけ、バンドネオンとオーケストラのための組曲を作曲、演奏、録音した。

2014年にはエルマンノ・オルミ監督の映画「緑はよみがえる」のサウンドトラックで演奏を担当。50以上のCDをリリースし、その多くは世界的にも高く評価されている。パオロ・フレスとの結びつきは強く、ふたりで、コルシカ島のヴォーカル・グループ‟A Filetta”も加わったアルバム‟Mistico Mediterraneo”や、ディ・ボナヴェントゥーラがバンドネオンとピアノの演奏をする二枚組CD‟Nadir”を生み出している。さらにパオロ・フレスとは2015年にCD“In Maggiore”(ECM)をリリースした。


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by kurarc | 2016-08-19 21:54 | trumpet

二つの生命 外部と内部の他者

最近、よく耳にするのが「腸内細菌」や「腸内フローラ」という用語である。我々の腸の中には100兆個もの腸内細菌が住みついていて、そのバランスが健康を維持するのに不可欠であることがわかってきたという。

単純に考えると、人間の体内にはもう一つの生命体=細菌が住んでいて、その細菌とうまく付合うことが求められているということになる。その細菌を活性化させるような食物をバランスよく摂取することが必要となる訳である。

つまり、そのことは自分の意志で、これが食べたいとかあれが食べたい、ということとは全く無関係に腸内細菌の欲しい食べ物を摂取しなければならないということを意味する。食べるということは、自分と腸内細菌という二つの生命の欲求を同時に満たすものでなければならない、ということである。

そのように考えるとき、常々、わたしは果たして和食がよいのか疑問に思っている。和食といってわたしが思い描くのは、いわゆる、家庭料理、お袋の味である。ご飯、みそ汁にメインとなるおかずという組み合わせによる和食である。

この3、4年あまり、わたしは自宅で食べる食事について、このパターンの食生活を一切やめることにした。初めにみそ汁を一口飲み、その後、おかずをつつきながらご飯を食べる、という典型的な食べ方を一切やめたのである。

わたしの食べ方はむしろ西洋、特に南欧型の食べ方に近い。初めに野菜スープを飲み、その後、メインのおかずを食べる。食後には、チーズやナッツ類を口にしたり、果物やヨーグルトなどを食べる食べ方である。特に、夜はご飯やパン類、甘いデザートの類いは一切食べない。(これは南欧型とは少し異なる)ポルトガル滞在中は、カルド・ベルデというジャガイモベースのキャベツのスープをまず飲み、その後にメインディッシュを口にするという食べ方をよく行っていたが、その食べ方にならうようになって、随分と体調がよくなった。

そうするようになったのは、わたしの家系は血糖値が高いものが多かったこともあるが、上のような食生活にしてから、腸内環境が改善されたからである。つまり、お通じがよくなったからである。こうした食べ方を一日でも怠ると、腸内環境はすぐにバランスを崩す、ということもわかってきた。

腸内細菌は規則正しい食生活を好むということ、そして、多くの野菜の入ったスープの前菜がお好みのようだということがわかってきたのである。だから、家庭料理は、わたしの意志とは別に、腸内細菌が喜ぶ食物を食べることを最優先に食事のメニューを組み立てることにしたのである。外食においてもできる限り、同様な食事を摂取することに心がけるようになった。

生きるということは、外部の他者=他人、内部の他者=細菌、とうまく付合わなければならないということか。
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by kurarc | 2016-08-15 23:15 | gastronomy


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