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by S.K.
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映画『博士と彼女のセオリー』をみる

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映画『博士と彼女のセオリー』(原題:THE THEORY of EVERYTHING)をみる。あのホーキング博士の半生を描いた映画である。特に、最初の妻ジェーンとの出会いと別れを中心にそえて、人間ホーキングに焦点をあてた映画である。

わたしはホーキングの本をひとつも読んだことはなかったが、この映画をみて、彼の生き方、そして、彼の研究成果に強烈に興味をもつようになった。この映画がある程度のフィクションを含んでいるとしても、彼の人生から学ぶことは大である。最近みた映画では最も悲しかったが、最も希望を与えられた映画であった。

ホーキングはまだ、74歳。今でも、研究を続けているのだという。こういう映画もたまにはよいものである。

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by kurarc | 2016-09-25 17:58 | cinema

グレース・ケリー

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1982年、世界的な女優が二人、それも同時期に他界している。一人は、イングリッド・バーグマン。乳がんを長い間患い、その闘いもむなしく他界。もう一人は、グレース・ケリーである。彼女は、40メートルほどの崖の上から車ごと転落し、死去するという痛ましい死に方であった。

ふたりの面影は、なにか共通するものがあり、どちらももちろん魅力的だが、わたしはグレース・ケリー派である。バーグマンの声がわたしには受け入れられないのである。そして、ヒッチコックの映画『裏窓』、『ダイヤルMを廻せ』、『泥棒成金』の中のケリーはどれもチャーミングで、グレース・ケリーはわたしにとって映画の中のアイドルといってよい存在である。

ちょうど、銀座松屋で開催されている「グレース・ケリー展」に脚を運んできた。さすがにわたしのような中年男性はほとんどいなかったが、ケリーのファンであれば、この展覧会は見ておいた方がよいだろう。彼女の衣装から趣味の押し花、身につけていた装飾品などが展示されているからだが、そのどれもが彼女らしいものであふれているのだ。

衣装は確かに普通の女性では着こなせないような一流品であるが、かといって、そのほとんどすべては、以外とシックであり、品のよいもので、真の大女優(後にプリンセス)はこういうものを選択するのかと納得できたのである。

興味深かったのはブローチで、そのどれもが動物をあしらったものであり、可愛らしいものばかりであった。これも、自然を愛したケリーらしいコレクションであった。

ケリーを主人公にした映画(『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』)が2014年上映され、フィクションとして紹介されているが、彼女はモナコ公国に嫁ぎ、そのモナコの国家存続のために、フランスと板挟みになり、腐心したことは確かであろう。

わたしは、しかし、彼女は映画女優としての道を全うしてほしかったと思う方である。ファンとしてそのように思うのはあたり前のことである。

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by kurarc | 2016-09-22 22:12 | cinema

「とってもジュテーム」の真意

日本人が最もなじんでいるフランス語は何だろうか?最近では、お菓子やフランス料理の影響でいろいろなフランス語が流通しているが、「ジュテーム Je t'aime.」すなわち、「愛しています。」という言葉は誰でも知っている言葉の一つであろう。

しかし、この言葉には注意が必要だそうだ。もし、「Je t'aime beaucoup.」(ジュテーム ボク)と言われたらフランス語を知らない日本人はどのように感じるだろうか?直訳すれば、「とても愛している」であるが、フランスでは、「ただの友だち」的好意を意味するのだと言う。恋人関係になる気はないとの警告なのだとか。(『「とってもジュテーム」にご用心』、飛幡祐規著、晶文社より)

フランス語では、過剰な修飾、強調には注意が必要らしい。また、簡素な言い回しでもその真意となると定かではないのだそうだ。「彼(彼女)はやさしい。」と言った場合、日本語では誉め言葉の内にはいると思うが、フランス語では、女性が「彼、ほんとうにやさしいわ」と評したら、やさしいだけで恋人には物足りないというニュアンスのことが多いのだそうだ。

フランスでは純真さはもてはやされない。どうもひねくれた文化らしい。こうしたことがわかってくると、言葉を学ぶことが一段と興味深くなる反面、同時に、注意深く学ばねばならないことがわかる。



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by kurarc | 2016-09-21 23:12 | France

子供用椅子のデザイン完了

K市の後援を主とするコンペに子供用椅子のデザインを提出した。

デザインを開始してからおよそ2ヶ月、小さな椅子ではあるが、2転、3転しながらようやくかたちをまとめることができた。今回は、販売価格が低価格ということもあり、かなり合理化されたデザインとした。いつもデザインを始める前に参照とするデザイナーの仕事というものはあるが、今回はオランダの近代建築家リートフェルトである。

まだ、締め切り前ということもあり、多くのことを語ることはできないが、当初のデザインからこれ以上簡素にできないのでは、と思われるくらい簡素な椅子をデザインすることになった。

「子供用椅子の原形のようなもの」を目指したといってもよい。素人の方からみれば、どこをデザインしたのだ、と言われかねない椅子と見えるかもしれない。普通の椅子だが、この椅子は見えないところまで考え抜かれているつもりであり、自分としては満足している。

コンペの結果はどうでもよいことで、こうしたデザインをまとめあげるトレーニングとして、自分に課題を課せることが重要なのである。自分の納得のいく「かたち」(もちろん、コンセプトにおいても)にまでデザインするというトレーニングを何度も繰り返し行うことで、さらに優れたデザインの考えが浮かぶようになるからである。

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by kurarc | 2016-09-18 21:23 | design

次はイタリア語か

ロマンス諸語の学習を逍遥している。現在はフランス語である。ルーマニア語は失礼なことではあるが、学習してメリットがありそうもないので、パスさせてもらうことにするとして、最後はイタリア語である。

本来であれば建築を学ぶものとして、イタリア語は必修の語学であるが、わたしは意識的にさけてきた。それは、正直イタリア語の音がわたしには心地よく響いてこなかったことによる。通常、イタリア語の響きは美しいというように感じる人は多いと思うが、わたしには今でもそのようには感じられない。母音をはっきり発音し、日本語の母音に近い音であることにも抵抗があるのかもしれない。

しかし、イタリア語の学習はさけられそうにない。わたしの最も敬愛する建築家ブルネレスキの国の言葉であり、建築を学ぶ上でイタリア語の知識は欠かせない(音楽を学ぶ上においても)からである。

最初の海外旅行のときにも、イタリアは1ヶ月半という時間をかけて、北はミラノから南はシチリアまで旅した。他の国にこれだけの時間をかけたところはない。もっとも感動し、刺激を受けた国であったと思う。それでは、なぜ初めにイタリア語を勉強し、遊学しなかったのか。それは、わたしの世代は、すでに多くの人がイタリア赴くことは一般化していたから、それをさけたことが大きい。

建築をやる人間は、多くの人がイタリアの建築事務所に勉強に行く。すぐれたデザイナーが多くいるからあたり前のことだが、わたしはその一人になりたくはなかった。滞在するのにお金がかかるということもあった。少しでも長く滞在するためには、スペインやポルトガルのような、当時物価の安い国を選択せざるを得なかったこともある。

ポルトガル語の学習からはじめたが、それは、スペイン語、フランス語を経て、イタリア語を学ぶ基礎をつくってくれた。ポルトガル語を学んだことが、最後にはイタリア語を学ぶ道を切り開いてくれたのである。少し(大分)遠回りをしただけのことである。

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by kurarc | 2016-09-16 23:26

ビクトル・ハラ

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このブログで少し前に紹介したCD『In maggiore』で、不覚にもわたしは初めてビクトル・ハラについて知った。今日、または明日は、ハラが1973年9月に起きたチリでのクーデターの際、軍部により虐殺された命日にあたる。

ちょうど、いつもの通り、アマゾンで購入した古本『平和に生きる権利』(ビクトル・ハラ著、濱田滋郎著・訳、横井久美子著)が届いた。先日のパオロ・フレスらのコンサートはその時期としても、タイムリーであったことになる訳である。

届いた本の中にはCDと彼の歌の歌詞(スペイン語)と濱田氏の訳、楽譜が含まれている。ハラのスペイン語は非常にわかりやすく、わたしでも読解できるほどである。ハラは、この歌とギターを武器として戦った詩人であり、歌手であった。

1972年12月5日、ハラが総指揮をとった国立競技場で、パブロ・ネルーダのノーベル賞授賞祝典が行われたのだと言う。そのおよそ9ヶ月後、ハラは同競技場で虐殺された。40歳であった。

*写真は、ビクトル・ハラの墓。(wikipediaより)

*フレスのCDの中に採録された曲は、ハラの『Te recuerdo Amanda』(アマンダの想い出)。フレスのCDは、もしかしたら、ハラに出会うためのものだったのかもしれない。



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by kurarc | 2016-09-15 21:29 | music

木にさわる

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『つばめが一羽でプランタン』(飛幡祐規著、白水社)を読んでいる。フランス語の格言を集めたような本であり、格言から現代のフランスの様相をとらえようとしたエッセイ集でもある。

本のタイトルは、下のようなフランス語の格言で、

Une hirondelle ne fait pas le printemps.

直訳すれば、「つばめが一羽いるからといって春が来たことにはならない」であり、そこから、「物事の一部、一例だけを見て、全体を推し量ってはならない」という意味を表現していると飛幡氏は書いている。

こうした興味深い格言が35文掲載されている。その中で、「木にさわる」というものがあった。わたしは、この格言、金言のような言葉を知ってまず思い出したのは、映画『ふたりのヴェロニカ』のラストシーンである。ヴェロニカは車の中から自宅にある木にさわり、父親の姿が映され幕が降りる。このシーンは、映画の冒頭での幼少期の植物の体験の映像に回帰することをも想像させるが、フランスで「木にさわる」とは、一種のおまじないであり、「悪運をはらいのける」ことであるという。

Touchons du bois.

が、そのフランス語である。その他、左足で犬の糞を踏んづけると縁起が良いとされ、ガラスを割ると福をもたらすなど、奇妙な言われもあるのだそうだ。逆に縁起の悪いといわれるものは、家の中で傘を開くこと、梯子の下をくぐること、パンを裏向きに置くこと、鏡を割ること・・・etc.

科学的精神をよしとし、ライシテ(非宗教)を旨とするフランスも、おまじない、お守りが大好きらしい。どこかの国の人とよく似ている。

*ちなみに、著者は女性である。

*この「木」とは、trique(棍棒、男性性器を隠喩)を象徴するものでもあるそうだ。

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by kurarc | 2016-09-13 21:30

パオロ・フレス(Tp)+ダニエレ・ディ・ボナベントゥーラ(Bn)

ECMレーベルのCD『In maggiore』はタイトルの二人、トランペットとバンドネオンの二重奏による。イタリア語によるタイトルの意味は多分、意訳すると「大人のための音楽」といったような意味を表現したかったのではないかと思う。

幸運にもイタリア文化会館でその生演奏を聴くことができたが、それはCDを遥かに超えるものであった。CDの録音は2014年5月、イタリア、ルガーノにおいてだから、この2年の内に、彼らの音楽が成熟する時間があったのかもしれない。

CDの中にライナーノーツのようなものが一切ないため、このCDの製作経緯は不明だが、そのようなことはどうでもよいことで、トランペットとバンドネオンがこれほど相性のよいものかということにまず驚いたことと、二人の演奏にも関わらず、リズムが正確に刻まれると同時に、間合いにおいても息が合ったすばらしい演奏であった。さらに、二人の音の切れ味の良さにも驚いた。イタリア人の、あるいはラテン人のもつシャープさというものを思い知らされた。

イフェクターを使用したパオロ・フレスのトランペット(フリューゲルホルン)は、トランペット音楽の表現の可能性を広げ、かといって、生のトランペット音と全く異質な音とは感じられなかった。わたしがこの場で最も言いたいことは、わたしは彼らのような音楽をやりたい、と思ったことだろう。クラシックでもなく、ジャズでもない、エスノ・コンテンポラリー音楽のような言い方になるのだろうか?今までに聴いたトランペット音楽の中で最も優れた音楽であったといってよいだろう。
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by kurarc | 2016-09-11 23:56 | music

子供用の椅子(その2)

子供用の椅子のコンセプトがほぼ固まってきた。価格がかなり低価格であることから、大袈裟なデザインはできないが、かといって、貧しいものにしてはいけない。そのバランスが問われることになる。

子供用の椅子を考えていて興味深いのは、通常の大人の椅子の強度は要求されないことからくる自由さであろうか。材と材の接合などもかなり自由に考えてかまわない。しかし、耐久性、安全性は最重要課題となるから、その面は表現としてデザインに結びつけなくていはならない。

そういえば、『星の王子さま』の挿絵(下 一部)のなかにも、かわいらしい椅子がいくつか登場する。子供用の椅子は大人の椅子の高さの二分の一程度。ほんとうにかわいい大きさである。わたしのデザインの中で初めて「かわいい」をデザインしていることになりそうである。
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by kurarc | 2016-09-08 23:06 | design

外国語を1日で学ぶ

フランス映画や映画のシナリオの理解、さらに、フランス文化に対する興味のため、フランス語を学び始めておよそ8ヶ月が過ぎた。当初予想していた進み具合まではいっていないが、フランス語の先生と月2回学習している。フランス語は、もしかしたら今まで学んだ外国語の中で最も学習しやすい外国語のように思えてきた。

それはなぜか。第1に、多くの学習書、辞書が豊富にそろっていること。そして、その学習書をつくっている著者がフランス文化に対して並々ならぬ愛着をもっていること。第2に、フランス映画、フランス音楽など、語学を学ぶためのサブテキストとなるような教材に事欠かないこと、そして、フランス語文法が非常に洗練されていて、明解であるからである。

8月には、「星の王子さま」をベースにしたフランス語入門書を一通り通読した。そして、この通読をいかに早くできるかが語学の習得には欠かせないように思う。わたしが通読した語学書は157ページであり、この分量であれば1日で読むことができる分量である。つまり、この学習書を1ヶ月かけてこつこつやるのではなく、1日で読み通すことを4〜5回やった方が語学の習得に効果があるように思える。(ポルトガル語、スペイン語、フランス語などロマンス諸語の言語の文法はほぼ共通しているので、一つだけでなく、複数を学ぶことで理解しやすくなる)

以前にもこのブログで書いたと思うが、語学の習得は、なるべく早く言語文法の全体像をおぼろげながらもつかむことが大切である。よって、日本にいて、1年かけて文法を学ぶようなことは避けた方がよい、というのがわたしの持論である。海外に1年いれば、1年間語学漬け状態を維持できるが、日本にいたのでは、それはほぼ望めない。ならば、1日ですべてを学ぶくらいの集中が必要である。全体をつかみ、その後、部分、ディテールを学習していくのである。

語学は1日で学ぶことができる分量の学習書からまずは始めるのがよいのではないか?

*白水社のニューエクスプレスシリーズ、または、言葉のしくみシリーズは、おおむね150ページ前後であるから、これを、1日で読んでしまう。わからなくてもかまわない。それを、少なくとも3回以上続ける。発音の学習は、1日では無理であろう。これは、根気よく続けるしかない。それでも、なるべく早く発音の体系をつかむことが大切である。



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by kurarc | 2016-09-03 23:37 | France


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