Archiscape


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by S.K.

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国際家具デザインコンペティションに参加

某国際家具デザインコンペティションに参加した。今回で3度目となる。まだ、入選したことはない。応募される総数は多分、何千案であろうから、入選するだけでも意義がある。それに、入選すれば、デザイン案が実現できるコンペティションであるので、張り合いがある。

3年に一度のコンペティションだが、3年前もある文章にこだわってデザインした。それは、わたしの母校の教員であり、家具デザイナーであった大橋晃朗先生の文章である。わたしが大学在学中に書かれた文章だから、すでに30年以上前のものである。大橋先生は、若くして逝去されたが、家具における業績は独創性をもち、特に家具を思考することを中心にそえた製作態度は徹底していた。

わたしが家具をデザインするときに、常に大切にするのは、大学時代に大橋先生に厳しく教えられた家具に対する心構えである。天童木工のデザインコンペティションで銀賞を獲得できたのも、大橋先生の授業を受け、家具というものに興味を持ち続けていたからである。

今回は椅子(Side Chair)をデザインしたが、この椅子は先の大橋先生の文章がヒントになっている。この文章は創造を促すために書かれた内容ではないが、わたしが勝手に読み替えて、かたちをデザインしたのである。3年前もこの文章からヒントを得てデザインした。良い結果は得られなかったが、今回も、この文章に立ち返って、再び、デザインを試みた。

あることにこだわるということのマイナス面はさけられないが、今回は、3年前のものより少し突き抜けられた感覚はある。当初のスケッチとは全く異なるかたちが生まれ、この2ヶ月ほどの緊張した作業は実に楽しかった。わたしはそれだけでよいのである。

*今回は設計主旨に英文(summary)をそえた。審査員が日本人ばかりではないからである。前回、前々回では、こうした配慮に欠けていた。

*審査は、正確には、まず、入選候補が選定される。その後、実作の審査により、入選、入賞が決定される。よって、入選候補作品にまず選ばれることが目標となろう。

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by kurarc | 2016-10-31 21:04 | design

天才たちの映画

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最近気がつくと、天才と言われる人たちを描いた映画を見続けていた。少し前に紹介したホーキングの自伝的映画『博士と彼女のセオリー』や、アラン・チューリングのエニグマ解読を扱った映画『イミテーション・ゲーム』である。現在、それに加えて、東急ル・シネマでは、ハーディとラマヌジャンという天才数学者の交流を描いた映画が上映されている。こちらの方はまだ未見である。

これらはどれも事実にもとづいた映画であるところが興味深い。そして、どれも想像を絶する苦難と信じられないような生涯が描かれている点で共通している。天才と言われる人々は、多くの難問を背負わなければならない運命の人たちなのであり、その難問を見事に解決していく人たちなのである。だから、天才と言われる訳であるが、アラン・チューリングの場合、それは、国家機密(ナチの暗号(エニグマ)解読)にかかわることであっただけに、暗号解読後も秘密保持には困難を極めた。暗号が解読されたことをナチに知られないように戦争を進行しなければならなかったため、多くの人を救うことができた反面、犠牲者となる人々がわかっていてもその情報を秘密にしなければならなかったのである。

チューリングはホモセクシャルであったために、戦後のイギリスにおいても有罪となり、その治療法に女性ホルモンを投与されたのだという。不思議なことに、ホーキングもチューリングも、普通人ではなかったが、彼らを理解しようという異性(女性)に恵まれたことは幸運であったとしか言いようがない。

我々の使うコンピューターの基礎をつくりだしたのはチューリングがその一人であり、わたしも多くの恩恵を受けている。一人の変わり者により社会は劇的に変わっていくことの証左、それがチューリングの生であったのだが、残念ながら、最期はカタストロフィーを迎え、わずか41年の生涯を閉じることになる。

人と変わっている、と言われることを恐れないこと、天才から学ぶことはわたしにはそのくらいしかできそうもない。

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by kurarc | 2016-10-30 21:57 | cinema

発話楽器としてのトランペット

昨晩、仕事帰りにトランペット奏者、萩原明さんの主催される講習会を受講してきた。今回のテーマは「タンギング」である。

トランペットは、音を出すときに「タンギング」という言葉を発するときに行うような「舌」の動きを伴わせる。人はクリアな音(言葉)を発するときには舌を機敏に動かして音をつくる。トランペットも同様で、舌を使わないと、ぼやけた音しか発することができない。

通常は、「Ti」(高音)、「Tu」(中間音)、「To」(低音)といった音をイメージして音をつくる。萩原さんによれば、これに、「Di、Du、Do」、「Ni、Nu、No」(その他、Zi・・・ 、Si・・・などもあるという)といった発音まであり、音の表情をつけていくのだという。

興味深かったのは、発話するときには舌だけでなく、上顎(あご)が重要であるということである。上顎と舌の位置との関係によって、人はいろいろな言葉の音色を生み出しているのである。その証拠に、舌を上顎につけないで言葉を発しようとすると、クリアな音を発することができない。

さらに、言葉を発するときには舌、上顎と同時にこれらが柔軟な動きをしていることを意識することが重要であると萩原さんは言う。トランペットの音を出すには、こうした発話のメカニズムに素直に対応した奏法を身につけないと、ぎこちない音になってしまうということになる。

音楽はよくコミュニケーションに例えられるが、トランペットは、口を使う楽器だけに、比喩にとどまるものではない、という訳である。むしろ、発話楽器と言えるようなものなのではないか。わたしは、こうしたことは頭にあってもはっきりと意識したことはなかった。プロの奏者について学ぶことは、一つ次元の異なった意識を自覚できるので、やはり楽器の技術の向上には欠かせない。

*日本語は音の貧しい言語である。よって、トランペットの発音については貧しくならないように注意が必要となるのだろう。フランス語やポーランド語のように母音についても繊細な音をもつ言語に熟知したトランペット奏者はきっと、日本人以上の繊細な音を表現できることにつながるはずである。つまり、トランペット奏者は、いろいろな発音に注意深くなければならないのだろうし、世界中の発話としての言語に興味を持つことが必要かもしれない。)

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by kurarc | 2016-10-29 14:27 | trumpet

新しい椅子のデザイン

また新たに椅子をデザインしている。3年ほど前から、ある形態に固執していて、その形態をどのようにまとめるのか苦心している。締め切りは今月一杯である。

3年前に一つ、椅子をデザインしたが、その椅子は、かなり固いデザインになってしまった。今度はもう少し新鮮な形態にしたいことと、やはり、今までになかったような構造(デザインとして構造)をもつものにしたいと思っている。

いつものことながら試行錯誤をするが、これもいつもの通り教科書にしているのは『デンマークの椅子』(織田憲嗣著)である。この本をながめながら、頭の中に残るエッセンスのようなものをデザインしている感じである。

今回のデザインは、CADの3Dの中だけでデザインしている。模型もつくったが、あくまで構造を確認するためだけのものであり、デザインはすべてPCの中で行っている。3DによるデザインはPCの中で模型をつくることであるが、優れているのは、繰り返し形態のプロポーションを変更できること、どのように影が落ちるのかといった些細なことまでデザインできること等々である。

注意すべきことは、CADの操作に熟練しなければならないことである。デザインしたいことを数値に変換しなければならないし、CADにできることにも精通していなければならない。そうでないと、稚拙なCADの力量の中だけでのデザインとなってしまう。また、表現を考えすぎると、データが重くなり、プリントアウトに30分くらいかかってしまうこともあるので、気をつけなければならない。

椅子をデザインすることは難しい。単に箱を置けば椅子にもなるのだが、それはわたしの考える椅子ではない。デンマークのデザイナーと対等に勝負できる美しい椅子、それがわたしの求める椅子である。さらに加えるならば、古代エジプト時代以降の歴史を踏まえた上で考えられた椅子であること。つまり、3000年くらいの歴史(形態としての歴史)を包含した椅子をデザインしたいと思っている。

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by kurarc | 2016-10-26 22:18 | design

日常の中のデザイン13 マッチ箱

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今月の初め、神戸に行ったときに「MON」というトンカツ屋(洋食屋)に入った。トンカツ好きは父親譲りで、わたしの大好物の一つである。

「MON」のトンカツは、ヒレカツであり、カキフライほどの大きさのカツが6、7ヶに、茹でキャベツ、味付けされたモヤシが付け合わせであり、みそ汁はワカメの具であった。関東であれば、千切りキャベツやシジミのみそ汁が定番だが、それではなかったので新鮮であった。

カウンターに座り、右手の棚に可愛らしいマッチ箱(上)が目に入ったので、頂戴する。わたしが子供の頃は、料理屋や喫茶店などには必ずマッチ箱がレジに置いてあったが、最近は禁煙が進んだこともあり、常備している店は珍しくなった。

久しぶりにマッチ箱を見たが、その端正なデザイン画が気に入った。(特に、トランペットらしき楽器を吹く男性が描かれているのがよい)

マッチというと思い出すのが、ポルトガルで下宿した女主人のマッチの使い方である。彼女は、マッチをガスを点火するときに使うが、その燃えかすのマッチ棒は捨てない。その燃えかすとしてのマッチ棒を今度は、燃えたコンロに近づけ、火をつけてガス給湯器の口火を点火するために使用した後、やっと処分するのである。日本人も昔はこのくらいの習慣はあたり前だったかもしれないが、今では考えも及ばない習慣だろう。

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by kurarc | 2016-10-22 20:49 | design

環境負荷と使い捨て文化

食べた後のお皿の洗い物をしているとき、ふと思うことがある。たいして汚れてもいない皿やコップにたっぷり洗剤をつけて、きれいに洗う必要があるのだろうかと。

洗剤を付けて洗うことは、陶器の皿を使うことによって無意識に行われる習慣のようなものである。洗剤は昔のものより改良され、アワ切れも早いが、洗剤と大量の水が下水を伝わり、最終的には浄化されるにしても、海にまでつながっていく。

これを、たとえば使い捨ての紙の皿にするとどうなるか。汚れた皿をある程度水ですすぎ、ゴミ箱に捨てる。皿は燃えるゴミとして燃やされ、処理される。こうすれば、水の消費はかなり減少し、下水への洗剤の垂れ流しもなくなる。しかし、こうした習慣は、アメリカ人の大量消費文化と重ねられ、否定されるべき習慣として教育された。

現在、健全な消費はむしろ自然のサイクルに欠かせない認識がひろまっている。少し前、割り箸を使うことを悪のように決めつけ、「マイ箸」をもつことを得意げにしている人たちがいた。(現在でもまだ存在する)その後、割り箸は間伐材の消費を促し、自然の循環に貢献するという主張も現れ、割り箸問題は、話題にのぼらなくなった。

皿を洗剤で洗うことと、使い捨ての皿を使うことのどちらが環境にやさしいのか、単純な日常の習慣を徹底的に議論し、比較してみるとおもしろいだろう。日本人は、どのような結論になるとしても、陶器の皿を使いたがるに違いない。皿という「もの」が文化として根付いているし、食器は単に料理をのせるものだけでなく、料理と一体となり、存在しているものであるから、陶器の皿をもたないような生活をはじめることは、いくら環境に負荷がかかるからといって止めるわけにはいかないだろう。

少なくとも今すぐにできることは、洗剤のいらないスポンジで洗えるものは、これをなるべく使用して、下水に少しでも負荷のかからない習慣を身につけることくらいだろうか・・・





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by kurarc | 2016-10-19 21:22

映画『ダゲレオタイプの女』をみる

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黒沢清監督の映画はあまりみていないが、この映画は、なかなかよかった。なにがよかったのかというと、男の感情がよく表現されていたことである。映画は概して「女優」のものでありがちだが、この映画は、女優(ここでは、コンスタンス・ルソー)もさることながら、男優である男のたちの演技が光っていた。

付け加えるならば、この映画は男の悲しみがよく描かれていた。恋をした女性や最愛の女性、一緒に暮らした女性と死別したり、死別しないまでも別れてしまったとき、男はどのような感情になるのか、男が最も弱音を吐くときは、そのような時であろうが、そこを黒沢監督は巧みに描いているのである。

ダゲールがニエプスと共同研究し、ニエプスの死後、1837年に銅版写真術を完成させ、これをダゲレオタイプ(仏語では、ダゲレオティプと発音されるのだろう)と名付けられた。(ダゲールは、以前からカメラ・オブスクーラの像を定着させたいと思っていたーヴァルター・ベンヤミン著『図説 写真小史』より)ダゲールが望んだこの像の永続化、永遠化が、この映画では幻(幽霊)やカタストロフィーと連続していることが興味深い。

目の前にみえているものは、現実なのか、あるいは幻なのか?そのような疑問は、ありふれた日常を過ごしているときには頭の中に思い描くことはない。しかし、一端なにがしかのカタストロフィーをむかえた途端に、目の前にみえていたものが、幻のように思える瞬間がある。日本人は、この5年の間、そうした経験を何度も味わってしまった。

この映画は、前半よりも後半に、より緊張感が感じられた。映画でしか表現できないことを黒沢監督はよく描ききっていた。そして、ラストは悲しかった。

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by kurarc | 2016-10-16 20:29 | cinema

島菜(シマナー)と万願寺(とうがらし)

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沖縄で働いているとき、事務所の所長に「スーパーでシマナー買ってきてくれる」と頼まれたことがある。沖縄に暮らし始めたとき、その意味がわからなかった。「シマナー」(写真 上)とは、沖縄野菜であり、こちら(ヤマト)で言うと芥子菜(からしな)である。炒めて食べることがポピュラーだったと思う。

5月に神戸に行ったとき、神戸で入った居酒屋(焼き鳥屋)で、「万願寺」(写真 下)というメニューがあったので、店の人に尋ねると、京野菜でとうがらしの一種だが、辛くないのだという。串焼きにされた万願寺は美味で、甘みとかすかな苦みが口の中にひろがった。

地方に旅すると、その地方特有の野菜に出会う。こうした野菜を食べることは楽しみであり、忘れられない舌の記憶につながる。きっと、身体にもよいはずである。先日、地元のスーパーで「万願寺」が売っていたので、早速買い、炒め物につかった。ピーマンのようだが、微妙に味が異なる。ピーマンの嫌いな子供にも、この万願寺であれば食べられるかもしれない。地方の野菜はかなりスーパーで売られるようになった。本当は地方のものはその地方で食べるべきなのだろうが・・・
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by kurarc | 2016-10-15 18:59 | gastronomy

吹奏楽のための第2組曲「ラティーノ・メキシカーナ」

現在属している吹奏楽団で、アルフレッド・リード作曲のタイトルの曲を練習している。"Son Montuno"、"Tango"、”Guaracha"、”Paso Doble"を主題にした4楽章よりなる組曲である。

不思議なのは、この曲のタイトルの副題が、”Latino- Mexicana"であること。わたしにはなぜ、”Mexicana”を付加しなければならないのかわからない。

メキシコ人もラテン人の仲間であるのだから、わざわざ”Mexicana”を加える必要はないのでは?と思ってしまうのだが、予想されることは、リードの暮らしていたアメリカ合衆国では、お隣の国となるメキシコは、ラテン人というよりは、メキシコ人と直截的に呼ばれるにふさわしいく、それだけ、身近な国であり、人々であるのだろうから、あえて、”Latino”から想像される人々と分離し、区別するために、”Latino- Mexicana"という表記を行ったのでは?と想像されるが・・・?あるいは、以外とアメリカでは流通する言い回しなのか・・・?

曲の方は、それぞれ、キューバ(クーバと言った方がよいだろう)のモントゥーノ、ブラジル風タンゴ、アルゼンチンのグアラチャ(酒盛り歌)、最後はスペイン-メキシコの闘牛の行進曲といった展開であり、ラテンといってもほとんどスペイン系の楽曲で構成されているといってよい。演奏時間の関係から、第1楽章と第4楽章を演奏する。わたしが最も気に入っているのは、第2楽章。ゆったりとしたテンポのタンゴが心地よいが、この曲の中には残念ながらトランペットの出番はほとんどない。

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by kurarc | 2016-10-14 00:04 | music

ホーキング

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『ホーキング、宇宙を語る』を古本で購入。少し前、このブログに書いたホーキングを主人公とする映画でも、この本を書くときの姿が描かれているが、原題は、『A BRIEF HISTORY OF TIME』であり、”BRIEF"という言葉が挿入されていることに注意が必要である。これは、映画の中でも取り上げられている。ホーキングがあえてそえた言葉のように。この言葉は、ホーキングの謙遜であり、あえて訳せば、『時間の歴史小史』といったニュアンスになるのだろう。

この本を開いたときにまず目に入るのは、「ジェーンに捧げる」というひと言である。妻ジェーンに捧げられたこの本ではあるが、ホーキングは後に、この本の成功によって逆に家庭内がギクシャクしてしまい、そのジェーンと離婚することになったとも言われている。一般向けに書かれた本ではあるが、こうした物理学の本から長い間遠ざかっていたこともあり、かなり難解そうである。しかし、この本は読まなければならない本である。

ホーキングは様々な困難の中で、なぜこのような研究ができたのか、と思う人は数多いはずである。しかし、それは的がはずれていて、困難の中でだからこそできたのだ、と理解されるべきだろう。人は危機的な状況にならない限り、真の創造的な行為は生み出されない。幸せに暮らすことは最も大切なことであるが、皮肉にも、幸せの中からは概して何かを生み出そうという意志は沸き上がらないものである。

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by kurarc | 2016-10-12 11:20 | books


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