Archiscape


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by S.K.

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ギター音楽へ

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ラルフ・タウナーやアサド兄弟のギター音楽を久しぶりに聴いた。ラルフ・タウナーの方は『Time Line』、アサド兄弟の方は映画音楽『夏の庭』である。両方とも、楽譜を持っていることもあり、楽譜を見ながら鑑賞する。

この二人(正確には三人)のギタリストは特に好きで、タウナーのこのCDについては、11年前のブログで取り上げた。アサド兄弟についても、何回か書いている。タウナーの方はすべての曲が採譜されている譜面ではないので、採譜されているものを中心に聴く。また、自分でも演奏できそうなものを特に重点的に聴いてみる。

彼らの音楽は繊細で、ラジオから日々流れてくるような音楽とは一線を画しているが、今回、タウナーの演奏を聴いてみると、そのリズムの揺れの大きさに驚かされた。彼の演奏は、まったく楽譜通りのリズムで演奏しているものは皆無である。タウナーのギターは、人を大きく揺さぶる。つまり、鑑賞者は、タウナーという大きな船の上にいて、その揺れに身をまかせている感じなのである。

アサド兄弟の方は意外にも、楽譜にかなり忠実に演奏している。それでも二重奏が大半であるから、二人の息の微妙なズレがタウナーの揺れのように音楽を揺さぶることになる。

最近は、ほとんどギターを手にしていなかったが、爪も少しずつ伸ばし始めた。ギターは爪の手入れが厄介である。ただ、彼らの曲をギターで弾いたら、何か音楽の深さが少しでもつかめそうな気がするから、また一から練習してみようと思っている。
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by kurarc | 2017-03-29 23:13 | music

ジュウシマツと芸術

鳥に関する本を渉猟している。今、注目しているのは岡ノ谷一夫さんや、小西正一さんの著作である。主に、鳥の歌、さえずりに関する研究だが、これがなかなか興味深い。

岡ノ谷さんの本の中に、興味深いエピソードが書かれていた。それは、ジュウシマツの歌についてである。小鳥のさえずりは、求愛行動がその主目的とされているが、ジュウシマツを観察していると、そうしたジュウシマツの中に、メスの前では歌わないものが出てくるというのである。そうしたジュウシマツは一人(一羽)にすると歌い出すのだという。そして、そのジュウシマツは他のジュウシマツと異なり、高度な歌を歌うのだそうだ。

岡ノ谷さんの研究室にいるそのジュウシマツは「パンダ」と名付けられて有名なのだという。岡ノ谷さんは、このジュウシマツは求愛という本来の目的から離れて、歌うことそのものを、歌うことの美しさを求め始めたジュウシマツではないか、と考えている。それは、(鳥の)芸術(音楽家)の始まりではないか?と。

鳥の歌(さえずり)を考えることから、人間の言語や歌について、芸術について思いを巡らして見ることは、鳥と人が意外と近い存在であることを気づかせてくれる。音を絵にするソナグラフというものからフーリエ解析(フーリエ変換)の具体的なイメージをつかむことができたのも役に立った。

人間はなぜ歌を歌うのか、という問いもかなり奥が深そうである。歌から言語が始まったという研究や、言語や意識の問題群が鳥と言う動物から考察できるかもしれないし、興味は尽きない。

再び言う。今、鳥がおもしろい。
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by kurarc | 2017-03-28 18:36 | art

事務所 打ち合わせ用テーブル脚のデザイン

事務所の打ち合わせ用テーブルの脚をデザインした。デザインというほど大袈裟なものではないが、よく現場で職人さんが作業台として利用している二枚の板(現場では12ミリ厚のラワン合板など。ここではMDF 厚9ミリ)を中心で差し込み、脚としているやり方を踏襲したものである。天板のたわみを抑えるために貫(1×3材)でつなぎ(貫はのせているだけ)、この上に8ミリ厚のOSB(800×1820ミリ、ポーランド産)をのせて天板とする。

天板をのせない時の高さは660ミリで、今後、30ミリ厚程度の天板をのせること(この場合は、貫は必要ない)があっても、高さを700ミリ以下とするように寸法を決定した。今回は8ミリ厚の天板なので、およそ670ミリの高さのテーブルとなる。

二枚の板を中心で差し込んでいるだけなので、取り外せば板になる。全て組み立て式であり、釘金物など一切使用しない。これで最大7人座ることできるテーブルとなる。

*8ミリ厚のOSBを選択したのは、片面サンダー掛けしたものが見つかったこと、ポーランド産OSBは、カナダ産などに比べると使っている木材の破片が細かく、綺麗なことがその理由である。日本のヒノキ、スギを使ったOSBもあるが、わたしにとっては高価であったので使用しなかった。

*OSBとは、構造用下地材として開発された面材のこと。

*コの字型の脚は、見付け(見えがかり)がすべて100mmに見えるようにデザインされている。
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*上写真は、某現場で見られた作業台。非常に優れたデザインである。わたしは今回こうした浮き上がるようなデザインにしなかったのは、事務所床がビニール床シートであり、集中して荷重をかけないようにしたため。集中して荷重をかけてしまうと、床にその跡が着いてしまうからである。硬い床であれば、このようなやり方をさらに発展させてデザインすることが選択できた。


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by kurarc | 2017-03-26 12:13 | design

帯状疱疹

帯状疱疹という病にかかってしまった。10日ほど前から、左片側に軽い頭痛のようなものを感じていて、偏頭痛かなと思っていたが、気がつくと左耳上にかぶれたような症状が現れ、痛がゆい感じが続いた。その後、痛みはチクチクというかなりの激痛に変化し、昨晩鏡を見ると水泡が頭にできていた。フェイスブックでたまたま大学時代の同級生が同じ病のことをアップしてくれていたおかげで、この病気のことがわかり、皮膚科へ駆けつけた。実は、4日前にも皮膚科に行って診てもらっていたが、その時には水泡がでるまでに進行していなかったのだろう。医者も病を特定することができなかった。フェイスブックもバカにならない。

インターネットでこの病のことを調べて見ると、あなどれない病のようで、手遅れになると神経をやられてしまったり、様々な後遺症に悩まされることになるらしい。わたしも今後どのようになるかわからないが、こういう時には薬に頼るしかない。このところ、仕事をしながら引越しの準備、そして引越しとかなりの体力を使ったこともあり、疲れがたまっていたのかもしれない。ただでさえ年度末は身体の疲れが噴出する頃である。気をつけなければならない。


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by kurarc | 2017-03-25 12:42

こぼれ落ちたニースの地図

ちょうど一ヶ月前に、ジャック・ドゥミの映画『天使の入江』について書いてから2、3日した日だったと思う。未だ片付かない事務所の本の瓦礫を整理していた時のことである。瓦礫の中から33年前にニースに行ったときインフォメーションでもらった地図が事務所の床に落ちていた。33年前に行った旅行の時にもらった地図類は何冊かのファイルに閉じてあり、まだそのファイルが入っているダンボールは開封していなかったのだが、なぜかニースの地図だけが落ちていたのである。

わたしは、またかと思った。最近、こうした偶然とも必然とも言えないような体験をよくするのである。ニースを舞台にした映画を見ていたら、目の前にニースの地図が「偶然」に落ちていたということになる。その地図には、「15.10.84 S.K.」とメモしてあった。1984年の10月15日にインフォメーションでもらったものであった。

ポーランド映画をみていて、「タデウシュ」という人名が出てきた時も、ポルトガル語の発音に似ているな、と感じていたが、実は、アントニオ・タブッキの『レクイエム』というリスボンを舞台にした小説の中でにも「タデウシュ」が登場していて、これをタブッキは、「アデウシュ」という永続的な別れを意味するポルトガル語と関連付けていたことを最近知った。

ポルトガルからポーランドへの興味も必然的だったのでは、という気がしないでもない。わたしの好きなポーランド人の女性歌手アナ・マリア・ヨペクがリスボンをテーマとした音楽を作り、『イマジン』というポーランド映画がリスボンという都市を舞台としていて、こうした映画と出会うことも偶然とは思えない。

すべての出会いは必然的なのだが、その必然性を人は鈍感にも感じないか、無視してしまうことで、偶然と感じてしまうのだと思う。わたしがどこを歩き、どこに行き、誰に会うのか、好きなものから好きなものへの出会いの連続はすべてわたしの中の必然性の帰結なのだと思う。



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by kurarc | 2017-03-24 17:37

イタリア小説の方へ

住まいが静かな環境に変化したのに連れて、不思議なことだが、本を読むという行為が自然とできるようになった。以前の環境では何か強い意志のようなものが必要であった読書が自然と本を手に取れるように変化してきたのである。環境は重要であるとつくづく感じている。

先日、タブッキというイタリアの作家に関するメモを書いたが、わたしの手元には、パヴェーゼ、レーヴィ、ヴィットリーニといったイタリアの作家の本が集まり始めた。そのどれもが、スペイン戦争に関わるもの、ファシズムと戦った(反ファシズム)物語である。小説を読むことは苦手なのだが、環境が変わったこともあり、落ち着いて本と対話できるようになった。トクヴィルというフランスの思想家により「近代」を復習し、上の3人の作家によって、1930年代から始まった「同時代(コンテンポラリー)」の出発点を学ぶ、ということである。

イタリアからは、現在、建築よりも、こうした人文科学や映画から学ぶことが多い。上の作家に、カルヴィーノ、ピランデルロなどといった作家が加わってくるが、この流れからいうと、ファシズムに積極的に関わった建築家のテラーニが問題となってくる。ファシズムに関わった建築家として、コルビュジェも上がってくる。この辺りが建築の考察においては当面の課題となりそうである。


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by kurarc | 2017-03-23 19:35 | books

リスボン大地震からデモクラシーへ

図書館から『トクヴィル 現代へのまなざし』(富永茂樹著、岩波新書)を借りてきた。イギリスがEUから脱退することが正式に決まり、トランプが大統領に就任した。世界が大きく変化しようとしていることは明白である。大きくは、17世紀後半から芽生え出したデモクラシーが大きな変曲点を迎えていると思われる。

そもそもデモクラシーとは何なのか?そのことをもう一度考えるために、この本を借りてきたのである。この新書の最後に添付された略年譜を見ると、興味深いことに、1739年から1911年までのトクヴィルに関する動向と関連事件が対照的にまとめてあり、1755年にはリスボン大地震が記され、この同じ年にルソーの『人間不平等論』が出版されていることも記されている。

現在進行している世界の状況を冷静に考えるためには、このリスボン大地震の時代から19世紀、20世紀初頭までのデモクラシーの推移を押さえておくのが良いのではないか、そのためにはトクヴィルの経験を復習しておくのが良いのではないか、と思いこの本を借りてきたのである。

トクヴィル(1805−59)は、デモクラシーの未来を当時のアメリカやイギリスの状況を踏まえて考察し、さらに自国フランスの革命による社会と政治の変容を熟思した思想家である。わたしも彼の思想に詳しくはないが、この本の中には、18世紀後半に出現した群集やその舞台となる都市の意味などが考察されているし、フィリップ・アリエスの『子供の誕生』といった書物も登場して、大学時代に少しかじった「家族」や「子供」の問題にも触れている。

現在は、デモクラシー、さらに、広く「モダン」という時代を復習すべき時なのだと思う。

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by kurarc | 2017-03-21 21:29

fragment2017/03/19  タブッキ 可能性の郷愁(ペソア)

アントニオ・タブッキによるペソア論のメモ

・・・「ペソアの特徴は、直角の郷愁、仲介者による郷愁、仮定的なレベルでの郷愁です。それはかつて存在したものへのノスタルジーではなく、ありえたかもしれないものへの郷愁です。」タブッキはこれを「可能性の郷愁」と呼ぶ・・・

『ユリイカ アントニオ・タブッキ 2012−6』 澤田直著「ポルトガル、裏面へ」より引用

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by kurarc | 2017-03-19 23:02 | fragment

テニスをする鳥

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最近、小学校時代の幼なじみと、野鳥を楽しむ会のようなものをつくった。わたし以外の二人は、カメラ機材もプロ級で、巨大な望遠レンズを担いで、現場に現れる。

わたしは野鳥は好きであったが、観察するようなことはしていなかった。少し前のブログで野鳥がわたしに話しかけてきた、といったようなことを書いたが、それは、いわゆる「聞きなし」というもので、野鳥の鳴き声を人間の言葉のようにわたしが聞いてしまった、ということのようである。

野鳥の何に興味があるかといえば、そのすべてに、ということだが、野鳥の観察が具体の科学を学ぶ格好の材料となることが最大の魅力である。鳥の飛行、鳥の形態及び身体の構造、羽毛の機構、鳴き声、羽毛の色彩、その生態から活動、行動に到るまで、野鳥を学ぶことは、真に生きた科学を学ぶことに等しい。

現在特に注視しているのは、野鳥の鳴き声である。井の頭公園に響く野鳥の鳴き声に耳を澄ますことが日課となっている。野鳥たちがどのようなコミュニケーションを行なっているのかも気になる。野鳥は、「自然という都市」の中に暮らしている生き物と考えてみても良いかもしれない。自然が野鳥たちの障害物となって、そのため、鳴き声を発達させたという見方も存在するからである。

人間の言語の誕生と野鳥の鳴き声との関係を真剣に研究する学者も現れている。この辺りが、わたしの最も注目するところである。

カラスの中には、テニスコートでテニス遊びの真似事(もちろん、ラケットを持ってやるようなものではない)をすることが観察されているという。大脳が最も進化したカラスは、今後もわたしたちをアッと言わせるような習性を身につけていくかもしれない。

今、鳥がおもしろい。

*写真は、アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバムのタイトルにもなったブラジルの小鳥「Matita Pereマチータ・ペレ」。

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by kurarc | 2017-03-16 21:39 | nature

横光利一作 『春は馬車に乗って』

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春が近づいてくると読みたくなる小説が、横光利一の『春は馬車に乗って』である。この短編小説は、結核に冒された妻とその死までの会話を題材にしている。春の訪れを告げるスイートピーの花束を胸に抱きしめながら妻が息を引き取るという悲しい小説であるが、なぜか、春の風が吹き抜けていくような爽やかな印象を残す不思議な小説である。

横光は、20代に様々な死や破局を経験する。24歳で父を亡くし、その1年後には関東大震災を経験、そして、28歳のときには23歳の妻キミを亡くす。この小説は実体験に基づいた小説なのである。

人が生きるとは、実はこうした破局、カタストロフィーとそこから立ち直ろうとする夢との繰り返しなのである。大学時代お世話になったT先生の最期の著書の副題は、「夢とカタストロフィーの彼方へ」と題されていた。T先生は、トリノという都市の中に、そうした二つの様相を読み込もうとしたのだが、それは、トリノという都市だけではない。都市の中に生きる人間がもつ普遍的な二つの営みなのである。

3.11というカタストロフィーを経験した我々は、ずぐに、そこから復興しようと夢をもち、夢を追いかける。実は夢とカタストロフィーとは表裏の関係にあるのだ。苦悩の中にこそ大きな夢は育っていく。3.11をむかえていつも思うことは、人間の宿命のようなものだが、それは宿命だけに避けられない、ということである。

横光も、20代に経験したカタストロフィー以後、珠玉の作品を残していったが、その夢の実現は、20代の経験なしにはなしえなかったのではないだろうか。



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by kurarc | 2017-03-13 18:03 | books


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