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永田音響設計のメールマガジン

永田音響設計のメールマガジンを利用させていただくことにした。メールマガジンの類は様々だが、永田音響設計のメールマガジン(NEWS)は、音響設計の現在の状況を的確につかむことができる優れたメールマガジンである。

著名なホールの音響設計の全ては永田音響設計の仕事である場合が多い。それも、日本に限らず、世界を舞台としている。わたしも音楽に強い関心があるため、音響設計に関わる仕事をしてみたいと常々思っているが、実現したのは藤沢での住宅のみである。

音響設計は、現在、コンピュターにより解析されると思うが、その道の方に聞くと、それだけでは分析できない様々な困難があるとのこと。つまり、計算だけで優れた音響は実現できないということらしい。そうした科学では割り切れない部分に非常に興味がある。

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by kurarc | 2017-04-27 15:54 | architects

fragment 2017/04/25 ナントという都市

ナントという都市(復習)

*シュルレアリスムの故郷
*映画『LOLA』、映画『恋路』の中のパサージュ・ポムレ
*ジュリアン・グラッグ 『ひとつの町のかたち』 ナントを舞台としたグラッグの都市論
*アンドレ・ブルトン 『ナジャ』
 「・・・ナントー多分パリ以外でただひとつ、おこるにあたいする何かがおこりそうだという印象をもてるフランスの町、・・・」(巌谷國士訳)
*運搬橋の記憶
*コルビュジェのユニテ
*ジュール・ベルヌの町
*ジャック・ドゥミの町

ちょうど一年前に、ナントについて同じようなメモ書いていることに気がついた。奇遇であるというか、進歩がないということか。



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by kurarc | 2017-04-26 00:02 | fragment

多木浩二先生の著作群

多木浩二先生の著作群を収集し、できるだけ数多く読解することにした。多木先生は、大学時代にお世話になったが、その高度な講義内容は、当時、十分理解できたかというと非常に怪しい。1980年頃にはすでに、アンドレ・ルロワ=グーランの『身ぶりと言葉』や、チャン・デュク・タオの『言語と意識の起源』、チェコ構造主義他を講義の中で取り上げられていたが、今から思うと、学部生に対する講義としてはレベルが高すぎるものであったと言わざるを得ない。(我々のレベルが低すぎた、ということ)

実は、大学に入る前から、多木先生の著作『生きられた家』は、わたしの周辺で話題となっており、神田の南洋堂という建築専門書籍店で入手し、読んでいた。それが、わたしと多木先生の著作との最初の出会いである。

多木先生は、単行本や新書、翻訳だけでなく、様々な雑誌、思想雑誌、建築雑誌など多岐にわたり文章を書いている。当面、単行本や新書、共著書、翻訳に関わられた書籍を収集する。すでに10冊程度は手元にある。

多木先生の本は難解であるが、この歳になりやっとその内容を楽しみながら読解できるようになった。多木先生の対象とするテーマは大きくは、近代に登場する事物(建築、芸術、デザイン、写真etc.)の批判的解読である。膨大な資料から、多くの事物と連関する政治、哲学、文化人類学などの知見を駆使し、解読していくスタイルである。

学生の頃は、ただ難解であったと思われた多木先生の本も、今感じるのは、先生はそれらのテーマを実は楽しみながら料理していたということである。収集する目的は、身近に接していた方々の業績を大切にしたいという思いからであり、私にとって、きっと明日につながる大きな問題群が隠されていると思うからである。


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by kurarc | 2017-04-21 23:49 | books

平和から日常へ

少し前に紹介した『ボローニャ紀行』(井上ひさし著、文春文庫)を読了。この本は、紀行文でありながら、井上氏の自伝にもなっているいわば自伝的紀行文という体裁である。加えて、ボローニャという都市を題材にした都市論にもなっていて、多くの楽しみ方ができる内容になっている。

この本の中盤に「日常が大事ということ」という章がある。井上氏は、「平和」という言葉を使わず、それに代わる言葉として「日常」を使うようになった、ということが記されていた。作家という人種はやはり言葉に敏感なのだろう。3.11を経た我々は、その「日常」という言い方に敏感になり、共感するが、井上氏がこの文章を書いたのは2004年から2006年にかけてである。「平和」という言い方は、井上氏も言うように「意味が消えかかっている」し、何か間の抜けた、中身のない空虚な言葉にわたしも感じられる。

この本は井上氏にとって晩年の著書である。井上氏はボローニャという都市を通じて、自らの生い立ちを振り返り、自らの生と重ねながら都市論を現した。ボローニャは彼に理想の都市像を夢みさせてくれたようだ。井上氏にとって、この文章を書いている時は幸福であったはずである。一方で、彼はこの執筆当時のイタリアの過酷な現実に目を向けることもわすれていはいない。EUへの加盟は自国で勝手に通貨を切り下げるようなマネはできなくなり、そのしわ寄せは、雇用へと影響、今日の日本のような労働環境に変化し・・・etc.

しかし、わたしはこのボローニャの市民による協同組合制度を見る限り、日本の都市よりは断然よいと思われた。イタリアにはいまだに都市国家といってよいような都市の自律性が存在しているのがよくわかる。それに比べ、日本の都市は、都市国家とは言えず、「国家都市」なのだと思う。

*1984年から85年にかけて1年間の旅をした時、およそ5000枚撮影した写真の中で、自分の顔が入っている写真はわずか3枚しかない。そのうちの一枚は、このボローニャの塔(アッシネッリの塔)の頂上で撮影したものである。撮影してくれたのは、ボローニャのドミトリーで知り合いになったフランチェスコという青年である。1999年に再度ボローニャへ行った時、この塔の頂上へ登り、撮影した場所を15年ぶりに訪ねた。


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by kurarc | 2017-04-19 23:58 | books

東京外国語大学 読書冊子 pieria

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今日から東京外国語大学でポーランド映画の講座が始まった。午後7時過ぎに大学へ。校舎内の書籍紹介コーナーに外国語大学が定期的に発行する読書冊子pieriaが置いてあったので、頂戴する。以前、フェイスブックでも一度紹介した冊子である。

外国語大学の教師たちが、テーマに沿った書籍を紹介してくれている冊子で、今回のテーマは、「見えないものにふれる」である。様々なフィールドをもつ教師たちが推薦する書籍はどれも魅力的である。わたしは教師の学生に対する義務の一つは、良書を紹介することだと思っている。いや、教師はそれだけでよいのではないか。教師が教師づらをしてウンチクを語っても学生は聞きもしない。それより、一冊、あるいは数冊の良書を紹介する。それを手に取るか取らないかは学生の感性に任せるのである。紹介した本は、次への行動を促すようなものでなくてはならない。その本を手に取った学生は、いつのまにか次への一歩を勝手に歩み始める。それが理想の学び方であろう。

冊子の中に、今福龍太さんのインタビューが掲載されていた。彼の薦める書籍は、『沈黙の世界』(マックス・ピカート著)、『音、沈黙と測りあえるほどに』(武満徹著)、『サイレンス』(ジョン・ケージ著)の三冊。沈黙とは何か、について考える三冊。今福さんらしい三冊である。



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by kurarc | 2017-04-14 23:28

日常の中のデザイン17 BALMUDA バルミューダ 電気ケトル

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家電製品はなるべく持ちたくない。炊飯器、電子ジャーは持っていない。白米に執着がないので、必要ないのである。電子レンジも持っていない。何かを温めることもないから必要ない。家電製品の中では、電気ケトルは必需品である。一日に10回前後は使う。コーヒーを入れる時、日本茶、紅茶を飲むなど、お茶が好きだからである。

バルミューダの電気ケトル(ホワイト)を使い始めてかれこれ5ヶ月くらいたつ。男はブラックを買う人が多いらしいが、わたしはホワイトを選んだ。汚れやすいかと思ったが、5ヶ月たっても変な汚れ方はしないし、ほとんど新品そのものである。

コーヒーをペーパードリップで入れる時には、特に重宝する。大きさも手頃である。あとは、1年、2年と使い込んだ時の経年変化、経年劣化がどの程度になるのか見守りたい。2年使って、現在の状態と変わらないのであれば、100点をつけても良い製品であろう。



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by kurarc | 2017-04-13 20:01 | design

アロシュ・デゥ・ポルボ(タコの雑炊、タコのリゾット)

久しぶりにタコの唐揚げを食べる。タコやイカは大好物だが、タコというと忘れられないのが、ポルトガル滞在時によく食べたアロシュ・デゥ・ポルボ(タコの雑炊、タコのリゾット)である。日本でいうタコの雑炊であるが、赤ワインとトマトで煮込むタコのリゾットといったほうがわかりやすいかもしれない。

ポルトガル滞在時、わたしはこの料理に魅せられて、各地方へ行った時に、この料理がメニューの中にあれば必ず注文した。その中でも、ポルトガル北部、スペイン、ガリシア地方に近いヴィアナ・ドゥ・キャステロという街で食べたものが最も美味しかった。今でもその裏路にあった小さなレストランの場所はおよそ記憶している。

関西ではタコは明石と決まっているが、明石のタコは、瀬戸内海の潮流とカニを食べているため、身が引き締まり、美味しいものとなるらしい。旬は夏場とのことだが、その季節になったら、わたしもこのアロシュ・デゥ・ポルボ(タコの雑炊)を明石のタコを使い挑戦したい。

気をつけなければならないのは、日本で出版されているポルトガル料理本である。いい加減なものが多く、わたしが持っている本でも、この料理にワインもトマトも使っていないという有様である。(これでは、いわゆる日本のタコご飯と変わらない)現地ではこうした調理方法もあるのかもしれないが、タコが最も活きる調理方法を掲載すべきである。日本での情報には気をつけなければならない。

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by kurarc | 2017-04-10 18:41 | gastronomy

「 波 」へ

興味は断片から始まる。石ころや植物、好きな音楽、可愛らしい鳥、鳥の歌、砂、フランス文化、映画etc.などといった類のたわいもない事物が忘れられないものとなる。そして、その機が熟してくる頃、思いも掛けない主題が発見されたりするものである。わたしにとって現在、大きな主題となるものの一つは、「波」である。

それは、自然現象の中に存在するすべての「波」、芸術の中に現れる「波」、特に音や光のような不可視な「波」について、興味を持っていることに気がついたのである。

わたしの専門とする建築の中にもしばしば「波」は登場する。バロックの建築の中に、それはうねる曲面として現れたが、次第にそれは、平面(平坦な面)の中にリズムをつくるというエレガントな回答を発見することになる。その発見者はポルトガル人であった。ボロミーニがやったようなうねる曲面によってバロックを表現するのではない、面のリズム(装飾的手法)による、いわば、隠喩としての曲面が現れた。

その後、その手法は、あのル・コルビュジェのラ・トゥレット修道院やハーバード大学の視覚芸術センターのガラス窓の中に現れることになる。コルビュジェの作品集7巻目に登場するその「波動窓」は、「Pan du verre ondulatoire 」というフランス語で表現された。日本語版では、このフランス語を単に「波動式」と記述しただけで、「波動式ガラスによる壁面」という直訳すら掲載されなかったのは丁寧さに欠けた翻訳と言わざるを得ない。(波動を応用した壁面(窓)は、クセナキスの功績であることを付け加えておかなければならない)

そして、この「波」を記述する言語として数学が登場する。フーリエ級数、フーリエ変換、フーリエ展開などといった数学がこの「波」の理解を助けてくれることになる。18世紀から19世紀に生きたフランス人フーリエ(ジャン・バティスト・ジョゼフ・フーリエ)の業績を理解しようという意識がわたしの中でようやく熟してきた。

そして、これらをまた別の視点でくくってくれるのは「フランス」である。「フランス」という文化への深い理解がわたしにとって最もアクチュアルな主題に浮上してきたということである。



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by kurarc | 2017-04-08 19:30 | design

『コンビニコーヒーは、なぜ高級ホテルより美味いのか』通読

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少し前、コーヒーに少し飽きがきたことをこのブログで書いたが、タイトルの川島良彰氏の本を通読し、やはり、それはわたしがまずいコーヒーを飲んでいたからであったことに気がついた。

サードウェーブコーヒーといった言い方がなされ、カフェ文化が新たな段階に入ったようなことがテレビやラジオで流れてくるが、川島氏によれば、それは、アメリカ西海岸の尖った一派が日本の多様なコーヒー文化に触発された結果なのだという。だから、「ブルーボトルコーヒー」が日本に進出して、大騒ぎになるようなことは、アメリカ人自身、想像していなかったことなのだという。日本では、それ以前に優れた抽出方法で美味しいコーヒーを入れていたのだから。

この本は、美味しいコーヒーの淹れ方のようなマニュアル本ではない。多くは、コーヒーの世界について著されている。その点について、ここで詳しく述べても意味がないので、川島氏がコーヒーを美味しく淹れる方法をいくつか抜粋しておこうと思う。

1)コーヒー豆は買ってきたら、トレーなどに移して、欠陥豆を取り除く。これで、随分と美味しくなるとのこと。

2)真空パックされた豆は買わないこと。焙煎後、豆は炭酸ガスを放出するが、その炭酸ガスとともに香りを逃さないようにすることが重要で、その炭酸ガスを真空パックは取り除いてしまっているということ。

3)コーヒー抽出に適正なお湯の温度は85〜90度。

4)コーヒー豆は「果実」である、ということを忘れずに。焙煎よりも、まずは豆そのものの品質が第一。

まずは、川島氏がプロデュースするコーヒー店に足を運んで、美味しいコーヒーとはどのようなものか把握することか・・・

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by kurarc | 2017-04-06 22:09 | gastronomy

井上ひさし、ボローニャ、ポルティコ(柱廊)

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先日、イタリア文化会館で催されているイタリアブックフェアに立ち寄った。日本語で紹介されたイタリアに関する書籍が所狭しと展示してあったのだが、その中に、井上ひさしさんの随筆『ボローニャ紀行』(文春文庫)が置いてあった。井上さんが都市論のような随筆を書いている、という驚きもあり、早速、アマゾンで古書として購入した。

まだ、読み始めたばかりだが、19の随筆の3番目に、「柱廊(ポルティコ)の秘密」と題する随筆があった。ボローニャはもちろん訪れたことがある。そして、私にとっては忘れられない思い出がある。街外れにあったおよそ一泊300円程度の公立のドミトリーに宿泊したからである。ここは、いわば無職のような境遇の労働者(悪く言えば浮浪者)が宿泊するようなドミトリーであった。わたしは、宿泊代をうかせるために、海外旅行ではこうした宿をよく利用する。しかし、その反面、怖い思いもする。このドミトリーではカメラを盗まれそうになった。その盗もうとしたイタリア人(フランチェスコという名)は、前日までわたしを色々な場所に観光案内してくれたのであるが、ドミトリーを離れる最後の日になって犯行に及んだのである。しかし、彼はそのカメラを自分が盗んだようには見せかけず、わたしに返してくれたのであった。

閑話休題、ボローニャのポルティコ(上写真、wikipediaより)は、都市というものを考えるときに、必ず頭の中に浮かんでくる装置である。ボローニャ人は、このポルティコのおかげで、雨の日も傘が必要ないと自慢する。そのポルティコの起源について、井上さんは、この随筆でふれていた。大学の街として知られるボローニャに学生が集まり、その学生数がバカにならなくなった頃、2階上部に増築をし、学生のための部屋をつくった。その部屋は木の柱で支えるようにつくられ、のちに、石造としてつくられるようになった。これが、ポルティコの起源ということらしい。

井上さんがこうした随筆を書かれているとは知らなかった。ボローニャについては、かなりの気の入れようで、その熱気が伝わってくる名随筆である。そして、井上さんらしいユーモアも忘れてはいない。



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by kurarc | 2017-04-04 21:32 | books


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