Archiscape


Archiscape
by S.K.

<   2017年 05月 ( 16 )   > この月の画像一覧

昨年に続き エリック・ロメール監督特集が

b0074416_16044419.jpg
昨年に続き エリック・ロメール監督の映画の特集「ロメールと女たち 四季篇」が6月3日から角川シネマで開催されるという。

以前も書いたように、夏近くになるといつも見たくなるのが映画「海辺のポーリーヌ」や「緑の光線」である。しかし、考えてみると、わたしはこの二つの映画を映画のスクリーン上で見たことはないのかもしれない。リスボンに滞在中、「恋の秋」を映画館で見たのが最後、そもそも、彼の映画の上映自体がほとんどないから仕方がない。

やっと、日本でもロメールの映画を味わおうというシネフィルたち、ロメールファンが増え、時代が成熟してきたということなのだろうか。そういうわたしもロメールの映画をすべて見ているわけではない。DVDでレンタルしているものがごく限られているためである。

この機会に足を運びたいと思う。

[PR]
by kurarc | 2017-05-31 16:04 | cinema

小林秀雄 『近代繪畫』

b0074416_00334069.jpg
先日、藤沢の古本屋に行ったとき、そのご主人から小林秀雄作の小説『一つの脳髄』初版本を見せていただいた。小林の唯一の小説ということである。わたしは読んだことはないが、不思議なことに、小林秀雄全集の中には所収されていない。

小林秀雄の著作は中学生の頃、『考えるヒント』、『無常ということ』などが流行って読んだが、実は熱心に読んだことはなった。いい歳をしていて恥ずかしい限りである。小林の著書がその後気になり、『近代繪畫』という著書を手に取った。わたしにとって最も親しみやすい内容と思えたからである。以前、と言っても何十年も前に、ざっと目を通したように思うが、内容は思い出せない。

『近代繪畫』というタイトルであるが、最初に「ボードレール」から書き始められている律儀さは小林らしい。近代の絵画を描くにあたり、ボードレールは避けて通れないという訳である。ボードレールが試みた「詩の近代性」と「絵画の近代性」とをパラレルなものと見ているということだが、残念なのは、その後に取り上がられる画家たちの中に、クールべが含まれていないことである。ボードレールの章であっさりと彼の意義についてふれて、すぐにモネへと移行している。(このあたりが、研究者と批評家の違いであろうか)

それはさておき、ボードレールの章に目を通したが、小林の近代絵画に対する認識の明快さには驚かされた。わたしは小林が個々の画家をどのように解釈し認識しているのかより、「近代」という言葉の中にどのような含意、パースペクティブを込めているのかを知りたいと思っている。まだ読み始めたばかりなので、後日、そのことについてメモすることにしよう。

[PR]
by kurarc | 2017-05-30 00:29 | books

トランペットマウスピース BACH 8C

久しぶりに吹きやすいマウスピースを見つけた。BACH 8C(バック 8C)である。通常、バック社のマウスピースはわたしのような初学者は7Cを使う。しかし、7Cはリム(唇が当たるところ)が丸く、わたしには適合しない。このリムが気持ちフラットになったものが8Cなのである。

8Cはわたしにとって唇が振動する部分がうまく収まる感じで、唇の設定にも苦労しない。この収まりが良い、ということは重要で、吹く前に唇の位置が定まらないマウスピースは、演奏者を不安にさせる。

常用していたシルキー12より多少小さいマウスピースである。わたしの場合は、クラシックへいくつもりはないので、徐々にマウスピースを小さくしていく方へ向かっているが、この8Cが今のところ限界であろう。

このマウスピースを使って、小学生(年の離れた後輩たち)たちと、「恋」(星野源)、「前前前世」(映画「君の名は」主題歌)、祭ーYAGIBUSHI BRASS ROCKを来週演奏することになりそうである。「恋」(星野源)、「前前前世」(映画「君の名は」主題歌)を吹奏楽でやるのは意外といい感じである。祭ーYAGIBUSHI BRASS ROCKの方は難曲。半分は「エアートランペット」になりそうである。

*このマウスピースだと、ダブルハイF〜Gの音が出るようになった。ダブルハイCまであと一歩である。

[PR]
by kurarc | 2017-05-28 11:16 | trumpet

Office365 Solo

Office365 Soloを購入した。手持ちのOfficeのバージョンがあまりにも低く、役に立たなくなってきたためである。

Office365 Soloは名前の通り、1年間有効のソフトである。5年間延長できるという。マイクロソフト社のこうしたサービスは非常に優れている。ソフトを安く提供しようというコンセプトに忠実だからである。それに比較してCADソフトは融通がきかないソフトが多い。余計なおまけをたくさん付属させてソフトの単価を上げていくことに余念がないのである。ユーザーの方を向いてつくっているソフトとは思えないのだ。

Office365 Soloの価格はおよそ1万円程度になる。割引と定価にしたら1500円程度のマニュアルが付いてくるからである。1年間使えて1万円という価格設定は購入しやすいことはいうまでもない。すべてのソフトはこの程度の価格に収まるはずなのだ。あるいは、収まるように無駄を省いたバージョンをつくるべきである。贅肉だらけのソフトに無駄なお金を使いたくはない。

わたしは現在、アップル社のPCを使っているが、初めて使ったPCは、MSーDOSというマイクロソフト社のシステムを使用していた。1990年頃のことである。これで修士論文も書き、データベースもつくっていた。しかし、わたしが使い始めた頃のMS-DOSはあまりに使いづらかった。そのためにPC離れしてしまったのである。

今、パソコンを使い始める学生たちは羨ましい。しかし、携帯電話のおかげでPC離れしているというからもったいない話である。

*上のようなことを書いていたら、AUTO CADは同様なサービスを始めたことがわかった。AUTO CADに変更した方が良いのかもしれないが、Macユーザーは融通がきかないから困ったものである。

[PR]
by kurarc | 2017-05-24 22:31 | archi-works

Macのディスプレイ

MacBook Proは思いの外修理に時間がかっている。当日修理できると思っていたのが、とうとう1週間以上かかるとのことで、未だに戻ってこない。そのため、ダンボールにしまって凍結保存していた初期のiMac(アクリル?のボディのもの)を引っ張り出し、使うことになった。

机に新旧のiMacが2台並ぶことになったが、そのディスプレイの性能の違いに驚かされた。新旧でこれほどディスプレイの性能に違いがあることに気づかなかったのである。新の方もラティーナディスプレイではないが、その見やすさは旧式のものとは天と地ほどの差がある。最近、かなり目が悪くなってきただけに、旧式の方は画像が雲にかかったようにぼんやりして見える。

こうした比較から、Macは2010年くらいになって初めてまともなグラフィックを扱うようになれたのだ、といったことがわかる。ディスプレイの解像度は目の悪いユーザーにとってはますます重要度を増すことになるだろう。わたしもそろそろラティーナディスプレイのMacへ移行しなければならない時期にきたのかもしれない。

[PR]
by kurarc | 2017-05-23 13:54 | design

20代

以前勤務していた建築事務所の所長O氏より、小さな改修の仕事を手伝ってくれないか、と日曜日に突然電話が入った。もちろん、快諾したが、我々のような独立して仕事をしているものは、忙しい時と暇な時との差が極端に激しい場合が多い。仕事が忙しい時に、さらにこれでもかと仕事が舞い込んでくる。そういう時には、プライベートでも忙しい場合が少なくない。

日曜日に所長O氏の案内で現場を車で尋ねながら、その帰りに調布飛行場のの脇を通過する。いつも通っている東京外国語大学裏の道である。自宅から近くにありながら、わたしは初めてここを通り過ぎた。調布飛行場にはカフェもできているのだとか。今度ゆっくりと尋ねてみたい。

久しぶりに元所長O氏と仕事の打ち合わせをしながら、働いていた20代の頃が思い出された。この事務所で働いている時、父が死去し、退所して1年後に今度はすぐ上の兄が死去した。20代は近親者の死が続く10年であった。(祖父も死去した)それは、わたしに何か特別な緊張感を与え、社会人入試での大学院へ進むことを決意させ、修士論文を書き終える。この論文をほぼ書き終えた時、何か表現できないような身体の興奮と脱力感のようなものが同時に訪れ、涙が止めどなく流れてきたのを覚えている。今思うと、20代が終わったと感じられた瞬間であったのかもしれない。

そうした経緯から、この論文にかなりの自信があったこともあり、日本建築学会の優秀修士論文賞の候補として提出してから、わたしは図々しくも受賞発表はいつになるのかと職場から2回ほど学会に電話をかけた。幸い、論文は受賞。この受賞は死んだ父と早死にした兄に助けられての受賞だったといっていい。

20代は大学卒業後、沖縄へ、そして海外旅行、その後、仕事、そして論文と慌ただしく過ぎていったが、わたしの20代、つまり1980年代はわたしにとって最も思い出深い10年となった。映画もなぜか1980年代の映画が好きである。それは、この頃を思い出すことができるからかもしれない。




[PR]
by kurarc | 2017-05-22 19:50 | archi-works

フェイスブックこの頃

フェイスブックでの「友達」の数は200近くに達した。「友達」はすべて積極的にフェイスブックを利用しているわけではないが、日々更新される内容をすべて把握することは困難になってきた。また、いつこのフェイスブックをPC上でみるのかによって、みた時に情報を提供してくれた「友達」でない限り、その他の「友達」が何を取り上げていたのか気づくことはない。遡れば情報を探索できるが、それほどの時間的余裕はない。通常、フェイスブックの情報は、車窓から眺める風景のように通り過ぎていってしまう。

このような経験をすることは馬鹿馬鹿しいと思う人も数多くいるだろう。わたしも半分はそのように思っている。しかし、「友達」以外の情報、例えば、アンスティチュ・フランセやイタリア文化会館など、そのほか数多くの組織からの情報が入るため、相手にしない手はない。お世話になった先生方や友人と始めた鳥に関する情報交換、様々なグループの交流もあるから、そもそも無視することはできない。膨大な出来事の集積がフェイスブックという場所だが、それをみて思うことは「自分の時間を大切にしよう」と痛切に感じることである。何か逆説的ではあるが、人は人、そのことをフェイスブックは日々気づかせてくれる。

個人的な情報が日々「流れていく」様をみていると、人が過ごす時間の多様さに驚かされる。わざわざ今日は何を食べただの、このラーメンが美味しいなど、わたしにとってはどうでもよい情報(わたしはラーメンを食べない)が写真付きで流れてくるのには呆れるが、先日、大学時代の同級生が帯状疱疹になった、といった個人的な情報を流してくれたおかげで、わたしの症状も同じ帯状疱疹であることに気づかせてくれたから、馬鹿にはできない。こういうわたしもくだらない情報を数多く提供している。

ようはフェイスブックとの付き合い方の問題ということに決着できそうである。少なくとも、くだらないテレビ番組より役に立つ情報を得られることだけは確かである。

[PR]
by kurarc | 2017-05-20 21:04

『アッシャー家の崩壊』ほかとPCの故障

b0074416_16342284.jpg
PC(Macbook pro 17inch)は周期的に故障する。仕事が終盤に入った連休にそれは起こり、修理にいったが、再びダウン。新横浜の修理店に足を運ぶ。即日修理をお願いし、修理の間、エドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の崩壊』他を読みながら待機する。

ポーを久しぶりに読もうと思ったのは、いろいろな書物の中に度々登場するからである。今日は、『アッシャー家の崩壊』、『ライジーア』、『大渦巻への下降』と進んだが、『大渦巻への下降』を読んでいる途中に、当日では修理は不可能との連絡が入り、やむなく、帰路につく。

今日読んだポーの短編(tales)で興味深いのは、彼の未来を予言しているかのような短編であるということ。わたしはてっきり、ポーが若い妻を亡くしたのちにこれらの短編を書いたと思っていたが、彼の年表を見ると、それより7、8年前に書かれているのである。これらの短編には、若い女性の死が度々登場する。

ポーは詩作から出発したことと、彼が短編(tales)に執着することとの関係について、訳者である小川高義氏は解説でふれている。ポーによれば短編(tales)は小説(novel)を上回るという持論を持っていたということである。「効果や印象の統一性」を重んじたポーは小説の散漫さを嫌ったということらしい。

久しぶりにポーを読んでいて、面白かったのは文の中に挿入された引用である。特に注意をひいたのは、ロジャー・ベーコンの随筆『美について』からの引用である。

「およそ極上の美となるには・・・均整がとれた中にもどこか異質なものがなければならぬ・・・」

この考えは、ポーを通じて特にフランンスの文学、美術に影響を与えたという。

また、改めてポーを読んで不思議に思ったのが『構成の哲学』で示された首尾一貫性(consistency)である。すべてを理詰めで書くこと、「終わりから始まりに向かって書く」ことが彼の方法だが、実際、彼の短編は、その首尾一貫性から離れて、結末が良く理解できないものが多い、ということである。それは、ヒッチコックの映画『裏窓』のように、何か、煙に巻かれて終わるものもある、ということである。

きっとポーは原文で読まなくてはならない作家なのかもしれない。そこには意外な英語を使った展開と巧みな表現が含まれているに違いない。『アッシャー家の崩壊』の「崩壊」は「fall」という単語が使われているという。図らずも、わたしのPCが「fall」した時に読むには適した短編であったのかもしれない。

*訳者の小川氏は、ポーが「死」ということを意味する英語に「dissolution」(生命体の「分解」のようなニュアンスとして)を多用することを述べている。

*ポーに関しては、わたしの愛読書、花田清輝の『復興期の精神』の中に2章にわたり言及されている。「終末観ーポー」、及び「球面三角ーポー」である。「球面三角・・・」では、あのクラヴェリナという動物の比喩が登場する。花田のこの著作の中で最も難解な2章と言えるものである。花田は、再生が死から始まることを強調しながら、終末(死)から必死に再生しようする知的野心をもったポーをルネッサンス人とみなしているところが新鮮である。


[PR]
by kurarc | 2017-05-19 16:30

本の買い方

b0074416_21034769.jpg
今日は大学でお世話になったT先生の蔵書(上写真、購入した蔵書の一部)を買い付けに藤沢まで足を運んだ。行きは、中央高速から圏央道を乗り継いで、海老名で降り、藤沢方面へ向かう。訪れた古書店はすでに店をたたんで、自宅で営まれていた。

店主に色々とお話を伺いながらT先生の蔵書であった本を見せていただく。こうした経験が実に新鮮であった。我々は通常書店にある程度目当ての本を探しにいって購入する。または偶然手に取った興味深い本を購入する場合もあるだろう。しかし、書店員とじっくりと話し込んで本を購入することはまずない。

本にはそれぞれ物語がある。今日見せてもらった本には、T先生の書き込みのあるものがある。そうした痕跡から、すでに読んでいた本であっても、全く別の本といって良い発見が生まれることになる。さらに、今日はT先生がどのような蔵書を売られたのかは知らず、その場で初めて本を吟味することになった。それは、真に一期一会の本である。

今日購入した写真家ブラッサイや森山大道の本など、こういうことがなければ、一生購入することのなかったものであろう。対話をかわしながら本を購入することはこうした古書店だけでなく、新刊書籍の書店でも導入すべきであろう。押し付けがましくなってはいけないが、本への愛着が深まることは間違いない。

帰りは原宿(あらじゅく、神奈川)へ出てから、国道1号線、横浜新道、第三京浜を抜け、二子玉川経由で帰宅する。有意義な日曜日の過ごし方であった。



[PR]
by kurarc | 2017-05-14 21:02 | books

ミュージカル映画『NEWYORK NEWYORK』

b0074416_22431750.jpg
ミュージカル映画『LA LA LAND』にインスピレーションを与えた映画の一つと言われる『NEWYORK NEWYORK』をみる。わたしは初めてみたのだが、圧巻であった。

アメリカ映画を好んでみる方ではないが、この映画は、アメリカ映画のよい面、アメリカ人しかつくれないような力強さを持つ映画である。ライザ・ミネリ、ロバート・デ・ニーロのどちらの演技にも甲乙つけがたい。どちらも熱演。何か言葉にできない。

この映画はみた方がよい、としか言いようがない。

*ライザ・ミネリが誰かに似ているな、誰だろうと考えてみたら、わたしのフランス語の先生にそっくりであった。

*この映画は、スコセッシ監督の映画『タクシードライバー』の次回作に当たる。この頃のデ・ニーロの演技は神がかっている。

[PR]
by kurarc | 2017-05-13 22:45


検索
最新の記事
カテゴリ
Notes
HP here

e-mail here

■興味のあるカテゴリを見た後に、また最初のページに戻るには、カテゴリの「全体」をクリックしてください。

■カテゴリarchives1984-1985では、1984年から1985年にかけて行った11ヶ月の旅(グランドツアー)について紹介しています。
画像は30年前のスライドをデジタル化しているため、かなり劣化しています。

■カテゴリfragmentでは、思考のヒント、覚書き、論理になる前のイメージ等、言葉を羅列する方法で書いています。

ライフログ
画像一覧
以前の記事