Archiscape


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by S.K.
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Dusan(デュージャン)のギター

デュージャン・ボグダノヴィチのギターリサイタルに行ったのは何年前だっただろう。久しぶりに彼のCDを聴き、その音楽の独創性と力に圧倒された。リサイタルは確かカザルスホールでの演奏会であった。多分26、27年前のことだったと思う。彼のCD『Worlds』というCDカバーに写っているサウンドホールが楕円形のギターを使用しての演奏会であった。

デュージャンは、ユーゴスラヴィアのギタリストである。彼は、フランス語でいう”LEVANT"、すなわちフランスから見たとき東方の国々、ギリシャ、ユーゴスラヴィア、ブルガリアといった自らのルーツとなる音楽を探求しながら、さらに遠くインドやアフリカの音楽(最近は中国、韓国、日本まで)までを視野に入れて、自らギター曲を作曲する作曲家であり、演奏家である。

彼の音楽は、民族音楽の探求を始め、クラッシック、ジャズに影響を受けながらも、それらどの領域にも属さないような境界の音のように聴こえる。日本には優れた演奏をするギタリストは数多くいるが、自ら演奏する曲を自らつくり発表していくようなギタリストはあまり思い浮かばない。彼の音楽は、大地にしっかりと足のついた音楽といったらよいのだろうか、ラジオからなんとなく流れてくる音楽とは一線を画す。音楽の研究者であり、実践者、その両者を兼ねた稀有なギタリストである。

ユーゴスラヴィアという土地のせいなのかどうかわからないが、落ち着いて静かに音楽の世界に浸れるのかもしれない。理知的なギター音楽、それがデュージャンの世界である。彼のCDは3枚持っているが、どれもm・aレコーディングズというレーベルの優れた録音による演奏を聴くことができる。ライナーノーツも付属していて、デュージャンによる曲の解説も充実している。最近、こうした優れた音楽を聴くことを怠っていた。”LEVANT"の世界にももう少し深入りしなければ・・・
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by kurarc | 2017-10-22 22:45 | music

(仮称)牟礼6丁目ディサービスセンター 建設過程-02

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週末の台風が来る前に、1階スラブの配筋検査を行うことに。この小雨の中、屋根では軽鉄による母屋の施工(写真)が行われた。

2階のデッキプレートも敷き終わり、2階コンクリート打設までの準備を整えている段階である。

床ができ始めると、やっと建物の大きさの感じがつかめてくる。建方時に感じていた大きさと印象がだいぶ異なる。かなり、広々とした印象に変化した。

月末までに屋根の野地板を施工し、来月からは、屋根が葺き始められる予定である。

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by kurarc | 2017-10-20 14:04 | 三鷹ディサービスセンター

ジョビン 『inédito』(イネーヂト)を聴く

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このCDをこのブログで取り上げたのは、ちょうど7年前になる。この季節に聴きたくなるCDなのかもしれない。

ジョビンの数多くのCDの中で1枚を選べ、と言われたらわたしは迷わずこのCDを推薦したい。もともとジョビンの還暦を祝ってプライベートで制作されたCDであったというが、そのクオリティーの高さに驚かされる。家族や知り合いのミュージシャンが何気なく集まってこうしたCDをつくってしまうというのは、驚かざるを得ない。

”inédito"とは、ポルトガル語で「未発表の」といった意味で、このタイトルには、ジョビンの優しい知性が感じられる。”inédito"にはもう一つ、「前代未聞の」と言う意味もある。つまり、未刊の作品の中には、その秘めた可能性が含まれているということなのだと思う。こうした意味の対照はポルトガル語らしい。一見、消極的に感じられる意味の中に、実は人には伝わりにくいが、ポジティブな意味が隠されているということである。

このCDの3曲目、わたしの大好きな曲”sabiá"(サビア)という曲の歌詞は、「戻ること」、「還ること」を歌う。人は「行くこと」、「進む」ことに積極的な意味を感じとると思うが、ここでは「戻ること」の意義を歌う。どこに戻るのか?それは歌詞の中にあるように、「自分のいるべき場所」へ戻ることだと。自分のいるべき場所にいないのなら、戻り、還ることをが必要だというのである。それは”voltar"というポルトガル、ブラジル人の好きな単語で表現されている。そしてこの曲では、”sabiá"(サビア)という小鳥のさえずる場所へ還ることが本来の自分の場所だと歌うのである。

”sabiá"(サビア)というポルトガル語は、ポルトガル語を知っているものには、もう一つの動詞を思い浮かべる。”saber"という動詞であり、”sabia" (アクセント記号がとれる)とは、この動詞の不完全過去形で、「(ずっと)知っていた」を意味する。ずっと以前から知っていた場所、すなわち、自分の場所に戻ること、をこの言葉の中に含ませているのかもしれない。

このCDにはすべて国安真奈さんの訳詞が付け加えられているのもよい。ジョビンの歌った世界の理解に役に立つ。それにしても、なんと優しい音楽なのだろう。


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by kurarc | 2017-10-18 19:49 | music

銀座ソニービル 記念ルーバー

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銀座ソニービルの外装に使用された記念ルーバーが先日届いた。数ヶ月前に申し込んでいたものなので、すっかり忘れていた。

銀座の交差点にその端正な外観を持ったソニービル(芦原義信設計)はおよそ50年という歴史に幕を閉じることになった。その記念として、外装ルーバを切断し、チャリティーを兼ねて発売されることになった。このチャリティーがなければわたしも申し込むことはなかったと思うが、よいアィディアだと思う。

何に使えるのかわからない。ペンスタンドくらいしか思い浮かばないが、東京タワー、あるいはエッフェル塔の形のような断面はやはり美しい。
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by kurarc | 2017-10-17 12:10 | architects

エンヤ 『Watermark』を聴く

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急に秋から冬のような季節に移った。鬱陶しい天気のとき、何か気を取り戻すような音楽はないかと、CDケースの中のCDを探す。

久しぶりにエンヤの『Watermark』を聴いてみる。ライナーノーツをみると、なんと30年前の音楽になることを知る。当初はクラナドというケルティック・ミュージックバンドで活躍、その後、トラディショナル・ミュージックとハイテクを結びつけたエンヤの音楽が生まれることになる。CDの半分がアイルランド語の歌詞であり、その翻訳がないので、歌詞の意味がわからない。名曲「オリノコ・フロウ」を含むこのCDはやはりいつ聴いても心地よい。

エンヤの音楽は、ケルティック・アンビエント・ミュージックという分類になるというが、その後、彼女の後継者のような存在は現れているのだろうか?あるいは、彼女は今どのような音楽をつくっているのだろう?

アイルランド語は全くわからない。音はラテン語を柔らかくしたような感じに聴こえるが、どうなのだろう?ケルト文化はすっかり日本文化の様々なシーンに浸透するようになったが、わたしもちゃんと学習したことはない。ポルトガルやスペインのガリシアなどケルト文化の影響を強く受けた地域には何か以前から惹きつけられてきた。久しぶりに、ケルトの現在を知りたくなってきた。

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by kurarc | 2017-10-16 20:11 | music

「マラーノ」としてのコロンブス

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サルヴァドール・デ・マダリアーガ著の『コロンブス正伝』(角川書店)を読んでいる。2段組でおよそ500ページであるから、なかなか読了までは行かないが、およそ350ページを読み進んだところである。

コロンブスについては、その出生の謎やポルトガル時代のことがずっと気になっていた。マダリアーガはわたしが今まで思っていた謎をかなり具体的に資料から追い、謎解きをしてくれている。

まず、通常はジェノヴァ生まれとして片付けられているコロンブスは、実は14世紀後半にスペイン、カタルーニャからイタリアに移住した「追放された」ユダヤ系スペイン人の一家であったということが記されている。特にスペイン語では「マラーノ(複数形でマラーノス)、蔑称で「ブタ野郎」くらいの意味」と言われ、「スペインを追われたユダヤ人」一家であったのである。このあたりは、小岸昭著の『スペインを追われたユダヤ人』(ちくま学芸文庫)が詳しい。(以上はマダリアーガの説。これ以外にも、ポルトガル人説、ポーランド人説など様々な学説が存在するが、ジェノヴァ人であることは確かめられたようだ。)

コロンブスは、10代には海賊とし航海技術を学び、その後、弟と共にポルトガル、リスボンに住み、そこで海図製作などをして生計を立てながら、当時の航海技術やラテン語などを学んでいったようだ。さらに、ポルトガルのザグレス学院の学院長マエストロ・ジャイメは、ユダヤ人迫害を恐れ、バルセロナに住んでいたユダヤ系の地理、天文学者であり、当時、マジョルカ島において高度な研究を進めていた。ジャイメはポルトガルのエンリケ航海王から招聘を受け、ポルトガルにいたのである。そこで、コロンブスは偶然にもポルトガルで同郷に等しい人物からカタルーニャ海事文化を学んでいった。

さらに、ポルトガルでは大きな発見(盗み)をした。イタリアのパオロ・トスカネッリの助言(研究)である。15世紀最大の数学者、天文学者と言われるトスカネッリは、あのフィレンツエのブルネレスキのドームを日時計として利用し、太陽の動きを正確に捉えたことで知られている。15世紀中頃には天体観測により海上での位置を把握する天測航法の時代へと移行、アストロラーベ(天体観測儀)が使用されるようになり、航海技術は一気に進むことになる。

1453年、トルコがコンスタンティノポリスを占領したこともあり、東方進出から西方進出へ目を向けたトスカネッリは、ポルトガルの友人で司教座聖堂参事会員フェルナン・マルティンスに手紙を書き、西方航路開拓をもちかけた。しかし、当時ポルトガルのアルフォンソ王はこの話に乗ることはなかったが、コロンブスは、その手紙の内容をこっそりと書き写し、その後の4度にわたる新世界への航海に携行したと言われている。

トスカネッリの手紙をポルトガルが認めていたならば、中南米世界は全く変わったものになっていたに違いない。コロンブスは、ポルトガルで自らの起源となるカタルーニャ(マジョルカ島)のユダヤ(イスラム)の知的世界、知的伝統に深く接し、遠くイタリアのブルネレスキという建築家ともつながっていたことになる。

*コロンブスは、あのレオナルド・ダ・ヴィンチと同じ世代に属する。コロンブスは1451年生まれ、ダ・ヴィンチは1452年生まれ。


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by kurarc | 2017-10-15 19:04 | Spain

西国分寺 クルミドコーヒー

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先日、雑用のため西国分寺に行ったついでに、以前から気になっていた西国分寺南口のクルミドコーヒーに立ち寄った。西国分寺の駅を降りるのは30年ぶりくらいになるが、南口駅前は高層の集合住宅の立ち並ぶ住宅街に変化しており、中央線沿線では珍しい景観となっていた。クルミドコーヒーはその中のこじんまりとした集合住宅のB1階、1階、2階を利用したカフェであった。

まずは、クルミドコーヒーの中の深炒りを注文した(深深炒りもあった)。こちらのコーヒーは水出しコーヒーである。わたしが入った地下の空間の壁際にいくつも水出しコーヒー用の機器が並び、水出しコーヒーをつくっていた。

評判のカフェであるので、かなり期待して訪れたが、結論から言えば、わたしには合わなかった。まず、東京の郊外で普通のブレンドが650円という値段設定が信じられない。少なくとも500円以下にすべきだろう。(先日麻布十番で入ったオスロコーヒーですら一杯500円であった。味もこちらの方が美味しかった)味も650円を出すほど美味しくはない。それに、わたしは地下に案内されたが、カフェに入り、座席を案内されるという方針も合わない。レストランであれば致し方ないが、カフェでは座る席は自分で選択したい。また、案内された地下空間は空調機の音が気になり、落ち着かなかった。こちらのカフェであれば、2階の方が心地よさそうだ。

また、伝票の代わりに、動物の小さな木製の置物が置かれる。会計はそれを持って会計するのだが、こうした「かわいい」をコンセプトにしたやり方は、わたしには「気持ちが悪い」。日本はいつからこうした「かわいい」に媚びた均質化が始まったのだろう。いい加減にやめてほしいと思う。

この近辺に住む住人もきっとこのカフェを利用する人と利用しない人の二つにはっきり分かれると思う。コーヒーはそもそも650円を出して飲む飲み物とはわたしは思っていないので、こうしたカフェが流行るのは、わたしは好ましいこととは思っていない。わたしはドトールで十分である。欲を言えば、ドトールがスタバ並みにもう少しインテリアデザインを考えて店舗をつくってくれることを願っている。

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by kurarc | 2017-10-09 17:39 | gastronomy

元麻布の安藤記念教会見学

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以前もこのブログで紹介したが、元麻布にある安藤記念教会を見学してきた。設計者は吉武長一。この教会は今年で築100年を迎えるという。大谷石で組まれた重厚な外観が印象的である。麻布十番から都立中央図書館へ向かう道で偶然見つけた。内部を見学したいとずっと思っていて、あらかじめ見学したい旨を伝えると、快諾していただく。

今日は日曜日であったことから、まず礼拝に参加。わたしはキリスト者ではないが、子供の頃、一時、日曜学校といって自宅近くの教会に通っていたことがある。日本で主日礼拝に行くのは、考えると45年ぶりのことかもしれない。

この教会は小川三知のステンドグラス(写真下)があることでも知られている。小川のステンドグラスのファンは数多く、わたしもその一人である。今日は間近で見学することができたが、小川のステンドクラスには生命力と若々しさ、躍動感のようなものがあり、気に入っている。この教会の方に話を聞くと、建築だけでなく、室内の長椅子も100年使い続けていると聞き、驚いた。耐震補強はすでになされたということなので、きっとこの教会は少なくともあと100年は確実に生き続けると思う。

大谷石の積み方は、いわゆるフランドルレンガ積みと等しく、大谷石の長手と短手を交互に積んでいる。表面はのみで45度に引っ掻いた切り込みが入っていて、スクラッチストーンと言うべき仕上げで、大谷石に表情を与えている。丁寧につくられた教会であることを改めて感じた。こうした名建築は忘れ去られた、無名といってよい吉武のような建築家によってつくられたのである。建築は名前で語られべきものではないことが、この建築を見て実感することである。

*この教会は、いわゆる"Box Church"という一室空間の教会である。ポルトガルによく見られる教会のプラン。内部に柱がないので、信者の一体感が生まれやすい空間と言えるだろう。切妻の屋根の形がそのまま内部にも現れているが、通常は屋根が開いてしまうので、登梁をつなぐ材料が必要なはずだが、それが見受けられない。これは明らかに設計者の意図だろう。登梁を金物で緊結していると思われる?が、本当のところどのような屋根の構造になっているのか気になる。

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by kurarc | 2017-10-08 20:15 | architects

21世紀のものづくり Fabスペースの広がり

慶應義塾大学環境情報学部教授、田中浩也氏のお話を聞く機会があった。田中氏は、ここ10年において世界的に広がりつつあるFabスペースの可能性を研究している研究者である。

この10年のものづくりの大きな変化の一つに3Dプリンターやレーザーカッターが個人で購入できる価格帯に変化してきたこと、また、こうした機器を常備した工房、Fabスペースが日本各地(世界各地にも)に出現していることがあげられる。2016年年末時点で全国に120ほどのFabスペースが存在する、と田中氏は言っていた。

それだけでは、工房が各地にできただけのことだが、こうした工房がインターネットを通じて世界各国につながり、世界のつくり手と情報交換が行われ、ものづくりが個人から共創性を持つ様態に変化していることである。それは、ソフトのプログラムが公開され、その改良のため多くの人間が参加、日々進化していくようなソフトのあり方が、そのままものづくりに応用されている感覚に近い。

もはや個人で閉じたものづくりではなく、参加型のものづくりの体制がつくられつつあるということである。さらに、こうしたFabスペースでは、誰が教え、誰が学ぶかと言った立場の境界は消え、誰もが生徒であり教師であるような立場に変化し、その中で様々なコミュニケーションが生まれる場がかたちづくられているという。

藤沢の慶応大キャンパス内の図書館にはすでに16台の3Dプリンター類が配備されているという。図書館は本を読む、調べると言ったスペースから、工房を併せ持つ創造するスペースとして、再定義されているのである。

こうした変化は興味深いことは確かだが、優れた宮大工が木の性質を読みこみ、ものをつくっていくようなあり方とは根本的に異なる。共創はよいが、著作権はどうなるのか、とか、Fabで代替することができないものづくりはどうなるのか、とか多くの疑問が湧いてくることも確かである。

self-helpでものをつくることの可能性とその限界、落とし穴などが今後、個人によるものづくりが進むにつれて、明らかになってくることだろう。機械を利用した一つのものづくりのあり方が加速度的に進みつつあることは確かである。

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by kurarc | 2017-10-07 21:24

『三陸海岸大津波』(吉村昭著)を読む

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地元三鷹市に太宰治の資料と吉村昭の書斎を移築して文学館をつくるという構想が進められているという。三鷹市井の頭在住であった吉村昭の名前は知っていたが、恥ずかしながら著作は読んだことがなかったため、まず興味を引いたタイトルの著作を読んだ。(わたしの好きな映画『魚影の群れ』の原作者が吉村昭であった)

海をテーマとした著作が多いことで知られる吉村は、漁村などに取材に行くことが多かったのであろう。その中で、三陸海岸の津波の証言を記録することを思い立ったという。この著作の初版は昭和45年。明治29年、昭和8年の津波、および、昭和35年のチリ地震津波の3つの被害の状況を簡潔に記録したものである。

読み進めると、3.11でわたしたちが目の当たりにした出来事が全く同じように過去に起こっていたことを記録している。異なっていたのは、まだ、原発がなかったということだけである。この証言集が優れているのは、その前兆、被害、挿話、余波、津波の歴史から、子供たちの証言、救済方法まで記録されているということである。

例えば、津波災害の後、夥しいし死骸を探す方法として、「死体から脂肪分がにじみ出ているので、それに着目した作業員たちは地上一面に水を流す。そして、ぎらぎらと油の湧く箇所があるとその部分を掘り起こし、埋没した死体を発見できるようになった」といったことであるとか、子供の証言として、親しい友人の死体にその名前を呼びかけると口から泡を吹いた、といった記録を紹介している。この地方では、昔から死人に親しい者が声をかけると口から泡を出すという言い伝えがあるというが、そのことが本当に起こり、涙を流したということである。

吉村はこうした証言を津波を経験した老人たちから聞き取る一方、子供たちが残した作文まで発掘したのである。こうした記録を3.11で被害を被った地域の人たちは共有できていたのだろうか?きっと大半の人々は平和な日常の中で、忘れ、風化させてしまったに違いない。

津波の後、大木の枝に1歳にも満たない乳幼児が引っかかり泣いていた、という話や、津波のとき、ちょうど入浴中で、その風呂桶ごと津波に流され助かった、という笑うに笑えないような話まで、生死の境界はまさに偶然の出来事の重なりであったことがわかる。

この著作は、3.11以後再評価され、多くの人々が手に取ったというが、それでは遅かったのである。こうした書物が平和な時代に読み継がれるような時間、場所がどうしたら可能となるのか大人たちは考えていかなければならない。次は、きっと東海沖地震(こちらの対策は着々と進んでいるが)、そして巨大噴火(破局噴火)に備える番であろう。



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by kurarc | 2017-10-06 17:19 | books


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