広瀬鎌二 ヒロカマ展へ


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日本建築学会会館で開催されている『広瀬鎌二 ヒロカマ展』へ出かけた。(今日は最終日)

鎌倉生まれの建築家である広瀬鎌二(1922-2012、愛称としてヒロカマで親しまれた)には、鎌倉在住時に是非お会いしたい建築家の一人であったが、その望みは叶うことはなかった。1950年代から活躍した広瀬のSHシリーズは憧れの住宅であった。特に、自邸であるSH-1は建築を志すものは誰も一度は書籍、雑誌などで勉強することになる住宅であろう。この住宅が、鎌倉の材木座にあったことも今日初めて知った。

この展示会で特に有意義であったのは、会場外部中庭に展示されたSH-1とSH-30の鉄骨原寸モデルであった。このモデルで初めて広瀬の住宅の原寸スケールやその構造、特にSH-30の33型三コウ接ラーメン(コウは金偏に交わると書く)と呼ばれる構造(写真下の1枚目)を経験できたことは大きかった。現在ではこうした鉄骨構造は常識になっているが、かなり部材のメンバーを絞り込んで成立させた構造であり、この構造によってブレース(筋交)が不要になったことは広瀬の住宅デザインに大きな影響をもたらしたことは言うまでもない。

広瀬の最後の自邸は木造でありセルフビルドで建設されたものだという。鎌倉に建つこの自邸をいつか見学できればと思う。


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# by kurarc | 2023-12-03 18:03 | architects(建築家たち)

ヘミングウェイ 『移動祝祭日』


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パリに関する本を読んでいると必ず紹介されるのが、ヘミングウェイの『移動祝祭日』である。ヘミングウェイは死の直前、およそ40年前に暮らしたパリでの生活を回想し、その日々の記録(小説とも捉えられているが)をまとめる。そして、死後に『移動祝祭日』(A Moveable Feast)というタイトルで出版される。

この著作には、ヘミングウェイがパリで過ごした住居から街路名、カフェ名、レストラン名から出会った人々が詳細に記録されている。わたしは読み始めた当初、彼の若かりし日の日記をまとめたものと思っていたが、40年もの月日が経過してからまとめたものと知り、驚いた。もちろん、ヘミングウェイは当時、日記、あるいはメモのようなものを書き記していたのだろうが、それにしても細部の詳細な描写など40年前の経験とは思えない表現に溢れている。

死の直前にこうした著作になるようなものをまとめていたということは、ヘミングウェイにとってパリでの生活がどれほど思い出深い、大切な経験であったのかが理解できる。このパリでエズラ・パウンドやジェームズ・ジョイス、あるいはフィッツジェラルドといった作家らと交流を深め、新たな創作表現のヒントを掴んでいったのである。

ヘミングウェイの最初のアパートはリュクサンブール庭園の東、コントルスカルプ広場に面した場所であった。いわゆる、カルチェ・ラタンであり、わたしも初めてのパリ(1984年)ではこの近くに宿をとったが、正確にどの場所であったか記録していない。広場のすぐ西にはパンテオンがあるが、そのそばの中華料理屋には随分とお世話になった。その11年後、その中華料理屋のある場所に行ってみたが、すでに存在しなかった。

『移動祝祭日』には、ヘミングウェイが食べた食事のメニューや飲んだ酒名なども詳細に記されていて興味深い。ブランデーの水割り(Fine à i'eau)などが紹介されているが、カクテルに詳しいものには馴染みの飲み方かもしれないが、わたしはブランデーを水で割るという飲み方は想像できなかった。第二次大戦前はこうした飲み方が一般的であったようである。

この『移動祝祭日』の内容をもとにした詳しいガイドが、今村楯夫氏により、『ヘミングウェイのパリ・ガイド』(小学館)という著書にまとめられている。この著書では現在のパリの姿とヘミングウェイが「移動」したパリの軌跡が地図や写真入りで楽しむことができる。「ヘミングウェイと歩くパリ」といった内容になっている。

この『移動祝祭日』で当分パリの旅も一区切りつけようと思っている。ただ、そうは言っても、パリにはたびたび引き戻されることになるだろう。ロス・キングによるモネに関する著作『クロード・モネ 狂気の眼と「睡蓮」の秘密』(下)も読まなくてはならないからである。



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# by kurarc | 2023-11-24 20:06

旧伊勢屋質店



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今日11月23日は樋口一葉の命日であり、昨年参加した一葉忌に今年も参加しよう(午後の部)と出かけた。会場の法眞寺に行ったものの、やはり参加することは取りやめた。昨年の一葉忌と何か様子が違うのである。それはあくまでわたしの感なのだが、一葉忌というより、一葉祭りのようなものに変化しつつある、そのような感じなのである。よって、今回は一葉の面影を最も感じられる旧伊勢屋質店(上写真)のみ訪れることにした。

一葉が通った頃の質店は平家であったが、その後、2階建てに改築された。しかし、当時の面影を最も留めているのがこの建物なのである。この質店の門をくぐった一葉の姿を想像できるくらい、保存状態もよい。昨年は冷たい雨の中、この建物を訪れたが、今日は日差しも暖かで、ゆっくりと内部を見学できた。

一葉忌は多分、もう参加することはないだろう。肝心なのは一葉の作品を読むことなのである。それだけでよいのだ。

# by kurarc | 2023-11-23 22:30 | 江戸・東京-Edo・Tokyo

井の頭公園内のハンノキ(榛の木)


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井の頭公園の池畔の一角にハンノキを再生しようとしている場所(上写真、下写真:葉の拡大)がある。前回のブログで取り上げたハンノキは、武蔵野の湿地帯でよく見られた樹木であったが、都市化による湿地帯の宅地化に伴いほとんど姿を消してしまった樹木である。そうした背景もあり、井の頭公園では2018年の台風で傷んだハンノキの再生を試みている。(東京都の絶滅危惧種に指定されているという)

ハンノキが重要なのは、根に根瘤菌を持っており、空気中の窒素を固定することができることで、マメ科植物と同様、貧栄養地でも成長することが可能であることだという。生育のスピードも早く、薪炭木として効率のよい木とされ、薪として燃やした場合に煤があまり出ないことから、昔は呉服商などで重宝されたという。(金子孝吉による)

徳富蘆花が好んだというハンノキは、金子によれば、ヤマハンノキという乾燥した関東ローム層の台地上の雑木林のなかにナラやクヌギ、クリなどと入り混じって生えていたものだろうと指摘している。つまり、徳富蘆花が好んだハンノキは正確にはヤマハンノキであったようである。

井の頭公園でハンノキは見ることができるので、今度はヤマハンノキを探すことにしようと思う。葉の形状はかなり異なるようである。


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# by kurarc | 2023-11-19 17:37 | nature(自然)

「雑木林の美学」についてのメモ

雑木林の美学

*雑木林はわたしにとっての原風景。

*雑木林を眺めていると、日本庭園のような人工的な美とは異なる美があることがわかる。
 しかし、雑木林も人工林なのだが。

*雑木林の美学をデザインの美学に変換するためにはどのような思考、方法が可能か?

*国木田独歩や徳富蘆花が発見した雑木林の美を深く掘り下げてみる。特に徳富蘆花の美学について。
参考文献:足田輝一著『雑木林の博物誌』、『雑木林の四季』、高田宏著『自然誌』etc.

*徳富蘆花が取り上げた樹種については、金子孝吉の論文『徳冨蘆花の小品「雑木林」に登場する樹木について』が参考になる。

*徳富蘆花の美学は薔薇の花を美しいとするような美学とは正反対。
 徳富蘆花はハンノキやヤマハンノキを好んだ。

*徳富蘆花がトルストイの屋敷を訪ねた時(1906年6月30日〜7月4日)に発見した「疎林」(日本における「雑木林」に対応)も重要。


# by kurarc | 2023-11-17 21:16 | fragment(断章・断片)