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 倉澤智建築デザイン事務所 
by 倉澤智
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アントワーヌ&ジャン=バティスト・フォルクレ バロックの音

子供の頃からお世話になっている英語の先生であるI先生から、40枚を超えるクラシックのCDが送られてきた。もう聴かないから、ということだが、先日、沖縄から送った「きっぱん」という銘菓のお返しのためだと思われる。「きっぱん」は、このCD以前にいただいたCDの御礼にと送付したのだが、いわゆる倍返しのようなかたちになってしまった。


モーツァルト、ベートーベン、ヘンデル、ハイドン他といったCDの中に、アントワーヌ&ジャン=バティスト・フォルクレの『ヴィオールと通奏低音のための曲集』(パオロ・パンドルフォ演奏)のCDが含まれていた。ヴィオラ・ダ・ガンバという楽器による演奏だが、フォルクレという作曲家の曲を恥ずかしながら初めて聴いた。普段、俗な音楽を聴いている身にとって、フォルクレの静寂でありながらリズミカルな曲は心地よく、心身を落ち着かせてくれる。


いわゆるバロック音楽だが、当時、ヴィオラ・ダ・ガンバ(フランス語でヴィオール)という楽器はヴァイオリンより高尚な楽器として認識されていたようで、ルイ14世など、食事中にこうした楽器で演奏された曲を楽しんだようである。また、日本では天正遣欧使節団がこの楽器を日本に紹介したようだが、その後のキリシタン弾圧により、バロック音楽同様、日本に普及することはなかったようだ。


フランス・バロック期においてフォルクレと共に活躍したもう一人の著名な作曲家マラン・マレは、アラン・コルノー監督の映画『めぐり逢う朝』で描かれているようで、明日にでも早速借りてきて観てみたいと思っている。コルノー監督は、アントニオ・タブッキ原作の『インド夜想曲』を撮影した監督である。ここで、またわたしのお気に入りの作家とつながることになる。そう、すべてつながっているのである。


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# by kurarc | 2021-05-11 19:59 | music(音楽)

『まれびとたちの沖縄』(与那原恵著)を読む

『まれびとたちの沖縄』(与那原恵著)を読む_b0074416_21294779.jpg


『まれびとたちの沖縄』(与那原恵著)は、4人の沖縄への「まれびと」をテーマとした4つの物語である。わたしはまず田島利三郎と田辺尚雄の章を読んだ。


第1章に登場する田島利三郎のことを知る日本人は、沖縄について相当詳しくない限りいないのではないだろうか。沖縄学の父と呼ばれる伊波普猷の教師だった男である。東京から沖縄の尋常中学校に赴任した田島は単なる教師ではなかった。田島は皇典講究所在学中(のちの國學院大学)、沖縄に琉球語で書かれた50巻の文書があることを学友から聞いており、沖縄に渡る前から興味をもち、沖縄に移り、それが『おもろさうし』であることを知り、研究に着手した男である。


当時、尋常中学校の教師はすべて本土の人間であり、中には、沖縄の学生たちに普通語(東京の言葉)を励行させるために、英語科を廃止しようとするなどといったことを考える校長らと生徒たちは衝突をする。英語科廃止に反対した教頭や田島らは休職や辞職に追い込まれることになり、田島は沖縄を去り上京。伊波は、東京帝国大学言語学科入学し、本郷西方町に居住した。そこに、困窮した田島が現れ、いままでの『おもろさうし』研究成果を伊波に託し、放浪の旅へと去っていくが、その放浪生活は予想外の展開をし、伊波も苦闘が待ち受けていた・・・


本書は、この第1章を読むだけでも価値がある。その後、伊波は第2次大戦を東京で迎え、最後まで田島の『おもろさうし』研究(現在、琉球大学に所蔵されているという)をカバンに大切に仕舞い込み、焼夷弾からそれを守るため、壕に埋め、守り抜いたという。「沖縄学」はこうしてつながっていき、現在があるのである。伊波にとって、沖縄研究は命より大切な時代だったということである。


*本書を読んでいて、中学生の頃観たNHKの連続小説ドラマ『風の御主前(うしゅまい、あるいは、うしゅまえ)』を思い出した。このドラマはわたしの記憶の中に残る八重山(石垣島)風景の原点と言えるもので、主人公、岩崎卓爾(石垣島の測候所勤務の傍ら、八重山の民俗、歴史を研究した人物)を演じた俳優の高橋幸治さんが特に印象に残っている。もしかしたら、わたしが大学卒業後、沖縄に行ったのは、このドラマの影響かもしれない。


# by kurarc | 2021-05-10 21:27 | books(書物・本・メディア)

再会するひと

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近所の図書館から『須賀敦子が歩いた道』を借りてきた。須賀さんと初めて会った(以下すべて、直接お会いした、ということではもちろんない)のは1981年のイタリア文化会館で催されたアンドレ・パッラーディオの没後400年を記念するシンポジウムでの同時通訳者であったことからである。その後、アントニオ・タブッキというイタリアの小説家の翻訳者として1990年代に再会した。そして、今年、彼女のエッセイを初めて読みはじめての再会である。


人(他人)との出会いは様々であるが、一度も会うことのないひと、一度、二度(あるいは複数回)は会うが、それ以降会うことのないひと、そして、度々再会することになるひと、のおよそ3パターンがあると思う。すでに死んでしまっているひとを除けば(文学者や藝術家のように作品を残しているひとは含まれる)、やはり再会するひとが特に重要になることは言うまでもない。そして、不思議だが、再会しようと思わなくとも再会するひともいる。須賀敦子さんはそのようなひとの一人である。


この本の最後に須賀さんの略年譜が掲載されているが、その年譜を眺めながら驚いたことがある。須賀さんは、1984年3月から7月末までナポリ東洋大学の日本文学科講師としてナポリに滞在していたが、わたしも1984年7月26日から30日まで、ナポリに滞在していたからである。このとき、ナポリの街で彼女とすれ違っていたという確信はもちろんないが、かといって、すれ違っていないと確実に言えないことも事実である。


彼女のように思いもかけずに再会するひとはきっともっとも自分自身にとって重要なひとになるに違いないと最近特に思うようになった。もちろん、再会することなく忘れさられるひとは思い出のなかで生き続ける訳だが、再会するひとは、今後生きていく上で、わたしを方向付けてくれる何かをわたしに与えてくれるひとに違いないのである。


*この本の中で、松山巌さんの文章から、須賀さんが、建築批評家、建築史家であるマンフレード・タフーリの著作を読んでいたことが記されていた。多分、タフーリはパッラーディオのシンポジウムに参加していたから、そこでタフーリと知り合い、彼から著書の紹介などあったのではないか?


# by kurarc | 2021-05-09 14:38 | books(書物・本・メディア)

ブルーノ・タウト以後の国立工芸指導所

わたしは修士論文でブルーノ・タウトをテーマとし、日本におけるタウトの受容と評価を中心に論じた。タウトは日本に来日したのはよかったが、良質な仕事には恵まれず、苛立った日々を過ごすことになるが、その中で、わずか4ヶ月という間ではあったが、仙台にあった国立工芸指導所の嘱託として迎えられ、事業計画を作成し、日本のデザイナーたちに大きな影響を与えた。


しかし、わたしはタウトが日本を去って以後、その国立工芸指導所がどのような活動をしていったのかトレースしていなかった。4月末に沖縄に行き、改めて米軍の与えた影響が気になり、帰って色々調べている中で、終戦後、GHQのデザインブランチの活動、また、『デペンデント・ハウス』(ディペンデンツ・ハウスと表記されるべきだろう。アメリカの占領軍住宅を示す)という書物があることを知り、そのなかで、工芸指導所が占領軍住宅内の家具等の設計を担ったことを知った。


偶然にも沖縄に行ったことで、タウトを思い出すことができ、タウト以後の日本のモダン・デザインについて考え直すきっかけを与えてくれたのである。占領軍住宅内の家具、什器などのデザインは、戦後のモダン・デザインを牽引するデザイナーたち(たとえば、剣持勇他)が参加しており、デザイナーたちへの影響は大きかったと思われる。また、わたしはモダン・デザインをヨーロッパからのアプローチに偏って俯瞰していたが、アメリカ経由の影響についても考え直すべきことに気づかされた。ケーススタディ・ハウスといった建築やイームズの建築、家具、ミースの建築といったアメリカのモダン・デザインだけでなく、日本に固有な影響を与えた占領軍経由の建築、デザインについても考えるべきであったのである。


以前、2008年から2009年にかけて横須賀のミリタリー・アーキテクチュア(海軍技術工廠時代の倉庫、工場など)の遺産についてフィールドワークを行い、JIA神奈川に所属していたとき、実行委員長として横須賀において2日間にわたるエクスカーション、シンポジウムを行なったが、その活動と連続するようなテーマと言えるようなものを見つけることができたと思っている。


今頃の歳になって、今までやってきたことがすべて繫がっているように思われてきた。大学卒業後、沖縄に行ったことは、その後、ポルトガルという大航海時代(大交易時代)でつながる国へ行くことを誘発され、沖縄からグランドツアーで行った国々をトレースするなかで、タウトを研究し、アメリカの占領軍と繋がっていき、また沖縄にもどってきた・・・


人間のやることに偶然などない、ということなのかもしれない。


# by kurarc | 2021-05-07 23:07

沖縄コンクリートブロック考

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沖縄を案内してくれたO君から、建築家、香山壽夫設計の那覇市新市民会館(上写真)が建設中であることを聞き、那覇滞在中に見学に行く。この建築の外観についてはO君からメールをもらっていた。沖縄で建築に使用されるスクリーンブロック(沖縄では花ブロックと呼ばれる)との関連を考えるためにもこの建築を見学しなければと思っていたのである。


O君によればこの新市民会館のレース状のファサードは、マックスウェル・フライ(チャンディガールにおけるコルビュジェの協働者)のデザインの影響を思わせるとのことである。ファサードのレースは一つ一つ、プレキャストされていて、巨大なレース状のブロックの集合から成立していると見なされる。そして、そもそもこうした構造材ではないブロックの使用はどこから始まったのかという疑問が生まれる。


まず、沖縄でいつ頃からコンクリートブロックが使用されるようになったのかは、わたし自身詳しく調べたわけではないが、小倉暢之(のぶゆき)氏の『戦後沖縄におけるコンクリートブロック品質保全法の成立過程』によれば、1948年に米軍の工兵隊がコンクリートブロック製造機を導入し、軍の施設や基地内の住宅建設に充てたという。また、1949年には沖縄初のブロック製造業者が創業etc.といった流れがあり、沖縄では米軍の施設、住宅での使用が大きく影響したと推察される。


聖クララ教会(下写真)も1958年に竣工していることを考えると、こうした流れの中で妻面にコンクリートブロックを使用したと言えるのではないか。聖クララ教会は個人的にも思い出に残る建築である。それは、わたしが沖縄で働いていた頃、知念高校の同窓会館(後日、海鳴館と命名)の現場を担当しており、那覇から50ccのバイクで現場に通っていたが、知念高校まであと5分ほどの道を右へ曲がれば到着という道高台にこの建築を見ていたのである。当時は美しい教会だなと何気なく思っていたが、「日本における近代建築DOCOMOMO 150選」に選定されるとは思わなかった。この教会を設計した片岡献は当時SOMに勤務していたというが、詳しい経歴は検索しても現れない。気になる建築家である。


2月に書いたブログで、沖縄におけるコンクリートブロック普及に尽力した建築家、仲座久雄氏について書いたが、そのとき、オーギュスト・ペレのルー・ランシーのノートルダム教会で使用されたコンクリートブロック(ペレは「クロストラ」と名付けていた)は、ゴシック建築の窓にまで遡行する建築エレメントとして考案されたことにふれたが、沖縄ではむしろ、ミリタリー・コンストラクションの影響から発生したと言えそうである。コンクリートブロックのようなプレキャストによる機能主義的な建築エレメントは、わたしが思い浮かべるものは、スペインのエル・エスコリアル宮殿であるとか、リスボンのポンバリーナに見られる窓枠であるとか、フィレンツェのヴァザーリ回廊であるとか、すでにルネッサンス建築以降、顕著に見受けられるが、そもそも、ギリシア、ローマの古代建築のオーダーも、プレキャスト的手法により製作されれたとみなせない訳ではないだろうから、こうした機能主義的な考え方は、少なくとも古代から連綿と存在する建築的思考であると言えるのではないだろうか。(プレキャストされるべきエレメントが近代から現代になるに従い、より機能的に変化しただけと言えるかもしれない。)


そして、わたしが現在興味をもつのは、沖縄のようなミリタリー・コンストラクション、あるいは建築史の中に登場するミリタリー・エンジニアの問題である。日本では、アーキテクトの建築史は存在するが、ミリタリー・エンジニアについての書物は皆無である。原書を読むと、かならずミリタリー・エンジニアという職業が登場するが、そうしたエンジニアがアーキテクトとどのように関連し、影響を受けあっていたのか、現在気になっている。(当面、モダニズム建築とミリタリー・エンジニア、あるいは沖縄の建築における米軍海軍軍政府工務部の影響etc.調べてみたいと思っている。)


以上で、4月末に滞在した沖縄での報告を終わりたいと思う。書くべきことはまだ数多くあるが、きりがないのでこのあたりでやめておく。


*上記の内容は、『仲座久雄と「花ブロック」ー戦後沖繩にみる建築と工芸ー』(磯部直希著)を参照しています。

*片岡献については、当時在日陸軍技術部隊建設部に所属していた、という資料もある。SOMに勤務していたのか、あるいは陸軍の組織に属していたのか、どちらが正しいのか今のところわからない。


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# by kurarc | 2021-05-04 21:07 | 沖縄-Okinawa


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