芭蕉布 人間国宝・平良敏子と喜如嘉の手仕事


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大倉集古館(写真上)で開催されている「芭蕉布 人間国宝・平良敏子と喜如嘉の手仕事」を見学してきた。
(喜如嘉(きじょか)は沖縄の大宜味村の地名)

大倉集古館は初めて訪れた。土曜日、あるいは日曜日、都心を訪問するには最適かもしれない。土日はむしろわたしの地元である吉祥寺のような東京郊外の街は人があふれていて、行く気にはならないが、都心は逆に静かで落ち着いて歩けるからである。

沖縄には首里織、紅型、琉球絣、読谷山花織など様々な染織があるが、その中の一つ芭蕉布を極めた人間国宝、平良敏子さんらの手仕事を展示した展覧会であった。以前、このブログ(2021年10月7日のブログ)で『清ら布(ちゅらぬの)』という本について紹介したが、この本で紹介されてもいた芭蕉布の実物を見学でき、大変勉強になった。染織に関する展覧会ということで、見学者の大半は女性であったが、芭蕉布という沖縄の染織の中では地味な織りではあるが、その色彩の落ち着きと気品、幾何学的模様の緻密さ、繊細さなどどれ一つとっても興味深いものばかりであった。

また、大倉集古館の重厚な空間は、芭蕉布のような気品のある染織を展示するには最適な空間であり、時間を気にすることなく展示物を見学することができた。今回の展示がよかったのは、多種多彩な芭蕉布が数多く展示されていたこと、芭蕉布の模様の意味、色彩をつくる植物の紹介から、その技術までが丁寧に紹介されていたことである。

『清ら布(ちゅらぬの)』の紹介でもふれたが、わたしが沖縄在住時に工房を訪問した藤村玲子さん(故人、紅型の第一人者)の芭蕉布の仕事も一点展示されており、その実物を拝見できたことは幸運であった。藤村さんの仕事を見学できるとは思っていなかったからである。彼女も生きていれば、今頃は人間国宝になっていたかもしれない。

久しぶりに赤坂界隈を歩いたが、東京に住んでいるのだから、休日を利用してこうした展覧会に足を運ぶべきであると痛感した。こうした展覧会がわたしの地元で開催されることはまずあり得ないからである。大倉集古館の向かいは新たにオープンしたオークラ・プレステージタワー(写真下)で、この中間には谷口吉生氏による水鏡がデザインされている。こちらの仕事も見事であった。



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# by kurarc | 2022-06-18 21:26 | 沖縄-Okinawa

宮澤賢治と「建築」

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宮澤賢治の晩年、サラリーマン時代について書かれた新書を読んでいるとき、テレビで偶然にも宮澤の故郷花巻に開店したカフェが紹介されている番組をみた。そのカフェの庭には宮澤のデザインした花壇があり、この花壇は、宮澤のデザインを知ることができる唯一のものであると紹介されていた。(カフェの名は、「茶寮 かだん」である。)

『宮澤賢治 あるサラリーマンの生と死』(佐藤竜一著、集英社新書)は、その宮澤の晩年のサラリーマン時代に焦点をあて、宮澤の生き様を淡々と記述した著書である。この著書によって、宮澤家は代々、建築と縁の深い家柄であったことを知った。そうした縁もあったし、元来、鉱物に並並ならぬ興味を持ち続けていたこともあり、さらに最晩年、賢治は鈴木東蔵との出会いから、東北砥石工場という企業の技師兼セールスマン(今でいう営業職)となる。賢治が命を落とす2年ほど前のことである。

それ以前、いやいや家業をみることになったときにも(家業を継いだのは弟清六であった)、現在のアスファルトルーフィングに相当する建築材料の販売を行なっていたこともあった。農民の知識の向上を目指し設立した羅須地人会の「羅須」(ラス)もこの著書によれば、建築素材ラス網の「ラス」、あるいは英語の「lath」(木摺)、また、ラスキンの「ラス」など様々な説があるとのことだが、わたしが思うには、多分、建築用語としての「ラス」が先に頭にあり、それからラスキンの「ラス」ともつながることから命名したのではないかと想像される。つまり、この「羅須」も建築に関連した命名であったことは間違いないのではないか。

文学者(児童文学者)、詩人、化学者(技術者)etc.として今や誰もが尊敬する宮澤賢治が、最晩年にどう考えても彼には向いた仕事とは想像できない営業マンをし、地方から東京まで駆け回っていたということをわたしはまったく知らなかったが、賢治はこうした仕事をかなり熱意を持って進めてようとしていたらしい。それは、今まで親の財力に頼りきっていた自分への決別の意味もあったのだろう。しかし、感性だけでなく身体も繊細であったと思われる賢治はこの仕事で病に倒れ、命を落とすことになる。

これもこの著書で知ったことだが、賢治の「雨ニモマケズ・・・」は、この営業マンの仕事をこなしているとき、手帳にメモされた詩であったということである。賢治は、この詩をメモしながら自らを鼓舞し、苦しい仕事に耐えようとしていたに違いない。こうした詩を彼の実生活と安易に結びつけることは避けなければならないが、一方、こうした詩がなぜ著されたのか、その背景を知ることは賢治の理解のために必要であると思う。賢治に対する極端な神話化を避ける意味においても、賢治の晩年の実生活を知ることができるこの著書の意義は大きい。

*本書「おわりに」によれば、この著書は、建築材料の専門誌『月刊建築仕上技術』(工文社)に2年半に渡り連載した「宮澤賢治と建築」がもとになっているという。


# by kurarc | 2022-06-13 21:45 | books(本(文庫・新書)・メディア)

日仏会館・フランス国立日本研究所発行 『Ebisu』という雑誌


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日仏会館・フランス国立日本研究所で、『Ebisu-日本研究(論文)』という雑誌が発行されている。最新号は『鏡の映画たち:日本映画の40年(1980年〜2020年)』というタイトルで、日本映画の40年を振り返った特集を組んでいる。この特集に関連して、アテネ・フランセ文化センターで週末から8本の日本映画が選定され、映画祭(トークを含む)が開催される。

『Ebisu』という雑誌を最近知ったのだが、この雑誌はいろいろと利用価値が高い。まず、雑誌内の論文はフランス語で書かれているが、主要な論文には要旨(アブストラクト)があり、日本語、英語に変換できるようになっている。よって、フランス語、日本語、英語を比較でき、語学の学習ができる。また、最近の翻訳ソフトを利用すれば、難解なフランス人研究者の論文も読解できるから、フランス人の日本文化研究者が現在、どのような日本の事象に興味があるのかがわかる。

雑誌の構成はフランス人の編集らしく明快である。タイトル、論文の要旨、キーワードがあり、論文へと続く。論文は段落ごとに番号が振られ、わかりやすく編集されている。

下に、メールマガジンにより送付された内容のコピーを貼り付けておく。フランス人研究者がどのような日本映画を選定し、それによって何を読み解こうとしているのか、およそ見当がつくと思う。

*『Ebisu』は、日仏会館・フランス国立日本研究所のHP内で閲覧できる。

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日仏会館・フランス国立日本研究所発行の雑誌『Ebisu』2022年59号は「鏡の映画たち:日本映画の40年(1980年〜2020年)」をテーマにフランスをはじめ、気鋭の外国人研究者たちが寄稿しています。本号発刊を記念し、世界、フランスの視点から1980年代から現在までの日本映画を考察すべく、日仏の映画研究者、そして塩田明彦、富田克也、相澤虎之助ら日本映画を担う優れた監督、脚本家を迎えた講演会、ディスカッション、そして関連作品の上映を開催します。

「1980年頃、映画界は20年前に始まった変化の過程を終えました。つまり映画界を構成していたスタジオシステムは崩壊し、新しい俳優たちや、新しい体制へと移行してきました。しかしながら、この時代の映画作家は奇妙なパラドックスの犠牲者と言えるでしょう。たしかにビデオやデジタルツール、データベースやインターネットが普及した現在、彼らの作品は先験的に前例のない可視性を享受しています。しかし海外での理解はまだ断片的であり、その論理や問題意識を理解するのは容易くありません。『Ebisu』2022年4月号では、日本映画の過去40年間を2部構成で再考することを提案しています。第1部では、この「ポストスタジオ」時代における製作、配給、創造の様式とその進化を考察し、第2部では、映画批評において重要な存在である蓮實重彥氏に焦点を当てています。」
マチュー・カペル

上映作品(製作年代順)
『江戸川乱歩の陰獣』加藤泰(1977/35㎜/117min.)
『皇帝のいない八月』山本薩夫(1978/35㎜/140min.)
『ラブホテル』相米慎二(1985/35㎜/88min.)
『愛について、東京』柳町光男(1993/35㎜(英語字幕版)/113min.)
『鏡の女たち』吉田喜重(2002/35㎜/129min.)
『カナリア』塩田明彦(2004/35㎜/132min.)
『パンク侍、斬られて候』石井岳龍(2019/DCP/131min.)
『典座―TENZO』富田克也(2019/60min.)ほか

登壇者 (アルファベット順)
相澤虎之助(脚本家・映画監督)
マチュー・カペル(映画研究者/東京大学准教授)
ファビアン・カルパントラ(映画研究者/横浜国立大学准教授)
ディミトリ・イアンニ(映画研究者/「キノタヨ映画祭」選考委員長)
木下千花(映画研究者/京都大学教授)
塩田明彦(映画監督)
富田克也(映画監督)
横田ラファエル(映画研究者/国立東洋文化学院博士課程)
司会:坂本安美(アンスティチュ・フランセ日本映画プログラム主任)



# by kurarc | 2022-06-09 23:52 | cinema(映画)

『俳人漱石』(坪内稔典著)を読む


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夏目漱石を様々なテクストとして読解するような著作は数多く出版されている。わたしの手元にもいくつかあり、建築的なアプローチとして、若山滋氏による『漱石まちをゆく 建築家になろうとした作家』や漱石と母との関係からアプローチした『漱石 母に愛されなかった子』(三浦雅士著)などあり、数えれば切りがないくらい漱石本は出版されているのだろう。

その中でも『俳人漱石』は、小説家になる前、漱石は俳人であった、という視点から漱石を掘り下げた著作である。2600句余りあるという漱石の俳句から100句を選び、著者と漱石、さらに正岡子規の鼎談という虚構の対談形式をとりながら、年代順に漱石の俳句の変遷をたどり、学ぶことができるという趣向の著作である。この著作を読むことにより、漱石をはじめ、漱石と交流のある文学者を知ることもできるし、俳句そのものについても学ぶことができるように仕上がっていて、一句を見開き2ページに収めるなど、新書としての構成も優れている。

まずわたしはこの著作によって、多くの漱石に対する基本的な知識を学ぶことができた。そもそも「漱石」とはどのような言われから名付けられたのか。漱石とは『蒙求』(もうきゅう)の「漱石枕流」の故事にちなむ言葉なのだという。孫楚という人が「枕石漱流」(石に枕し流れに漱ぐ(くちすすぐ))と言おうとしたのを、「漱石枕流」(石に漱ぎ流れに枕す)と言い間違えた。しかし、彼はその間違いを認めなかったことから、「漱石枕流」は、負け惜しみの強いことを意味するようになった。つまり、「漱石」という名(号)は、謙遜もあるし、ユーモアもある粋な名といってよいのではないだろうか。名の付け方まで漱石は漱石らしかったのである。(さらに、そもそも「漱石」とは子規の号でもあったという)

また、この著作から、漱石と子規はかなり特別な師弟関係にあったことがわかる。漱石は頻繁に子規に膨大な俳句を送っては添削してもらっていた。漱石の俳句には季語の感覚が欠如しているなど子規の批評も手厳しかった。しかし、そのようなやり取りからだと思うが、子規の句で最もよく知られている「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」という句、実は漱石の「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」という句が先で、漱石の句が平凡であることから子規が添削をかねて、お手本になるような句をつくりあげたということらしい。

漱石が小説家になる前につくった俳句には、その後、小説の中に登場するシーンの原型となるような内容が凝縮されているものもあり、漱石にとって俳句をつくることは、結果として以後の小説のためのスケッチのようなものにもなり、イメージを広げるための訓練にもなっていたということがわかる。そして象徴的なのは、漱石が小説をつくり始めるときと子規の死が重なっていることである。漱石は子規の死の2年半後、『我輩は猫である』を発表するのである。本書では、こうした漱石の創作上の時系列も追えるように工夫されている。

本書によって漱石と俳句という今までまったく考えたことのなかった漱石の小説家以前(もちろん小説家になった後にも俳句はつくられた)の努力について知ることができたのは大きな収穫であった。漱石のテクストは尽きることがないものだということを本書によっても改めて気づかされることになった。本書は漱石の新たな一面を知ることができる名著であるといってよいだろう。

# by kurarc | 2022-06-08 22:14 | books(本(文庫・新書)・メディア)

リベタージュ 神田駅(中山道ガード下)

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一昨日、品川でのエクスカーションの帰り、神田のギャラリーで開催されていた友人の写真家の写真展に立ち寄った。上の写真はその時に撮影したものである。

リベット建造物を勝手にフランス語である”リベタージュ”と命名して、こうした建造物に遭遇した時に撮影しているにすぎない。駅舎にもリベットでつくられたものが数多く残っている(例えば水道橋駅など)が、原則として駅舎以外の建造物を撮影することにしている。(すでに鉄道レールを構造に使用した駅舎などをまとめた書籍が発売されているためである)

神田駅のガード下空間はかなり広大で、撮影するにはなかなか魅力的な場所であった。こうした建造物は装飾的な鉄骨造が多い。それはなぜなのかまだ調べていない。また、こうした建造物の設計者も未だ調べていない。それらは今後の課題であるが、今はなるべく興味深いものを撮影することの方に力を注ぎたいと思っている。

*下は、神田に行く前に撮影した八ツ山橋。(品川駅付近)


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# by kurarc | 2022-05-30 23:29 | rivetage(リベット建造物)