パリに関する本を読んでいると必ず紹介されるのが、ヘミングウェイの『移動祝祭日』である。ヘミングウェイは死の直前、およそ40年前に暮らしたパリでの生活を回想し、その日々の記録(小説とも捉えられているが)をまとめる。そして、死後に『移動祝祭日』(A Moveable Feast)というタイトルで出版される。
この著作には、ヘミングウェイがパリで過ごした住居から街路名、カフェ名、レストラン名から出会った人々が詳細に記録されている。わたしは読み始めた当初、彼の若かりし日の日記をまとめたものと思っていたが、40年もの月日が経過してからまとめたものと知り、驚いた。もちろん、ヘミングウェイは当時、日記、あるいはメモのようなものを書き記していたのだろうが、それにしても細部の詳細な描写など40年前の経験とは思えない表現に溢れている。
死の直前にこうした著作になるようなものをまとめていたということは、ヘミングウェイにとってパリでの生活がどれほど思い出深い、大切な経験であったのかが理解できる。このパリでエズラ・パウンドやジェームズ・ジョイス、あるいはフィッツジェラルドといった作家らと交流を深め、新たな創作表現のヒントを掴んでいったのである。
ヘミングウェイの最初のアパートはリュクサンブール庭園の東、コントルスカルプ広場に面した場所であった。いわゆる、カルチェ・ラタンであり、わたしも初めてのパリ(1984年)ではこの近くに宿をとったが、正確にどの場所であったか記録していない。広場のすぐ西にはパンテオンがあるが、そのそばの中華料理屋には随分とお世話になった。その11年後、その中華料理屋のある場所に行ってみたが、すでに存在しなかった。
『移動祝祭日』には、ヘミングウェイが食べた食事のメニューや飲んだ酒名なども詳細に記されていて興味深い。ブランデーの水割り(Fine à i'eau)などが紹介されているが、カクテルに詳しいものには馴染みの飲み方かもしれないが、わたしはブランデーを水で割るという飲み方は想像できなかった。第二次大戦前はこうした飲み方が一般的であったようである。
この『移動祝祭日』の内容をもとにした詳しいガイドが、今村楯夫氏により、『ヘミングウェイのパリ・ガイド』(小学館)という著書にまとめられている。この著書では現在のパリの姿とヘミングウェイが「移動」したパリの軌跡が地図や写真入りで楽しむことができる。「ヘミングウェイと歩くパリ」といった内容になっている。
この『移動祝祭日』で当分パリの旅も一区切りつけようと思っている。ただ、そうは言っても、パリにはたびたび引き戻されることになるだろう。ロス・キングによるモネに関する著作『クロード・モネ 狂気の眼と「睡蓮」の秘密』(下)も読まなくてはならないからである。