外国語を学ぶことはその外国の言語を含む文化を知る上で欠かせない。さらに、興味深いことは、自国の文化の相対化につながることだと思う。韓国のような隣国の言葉を知ることは古代から関係の深い地域だけに、直接に日本の文化を逆照射する。茨木のり子さんの『ハングルへの旅』を読み始めて、特にそのことを強く感じた。
この著書(まだすべて読んでいないが)で特に興味深かったのは、日本の方言との関連、対比についてであった。茨木さんによれば、山形県庄内地方の方言と韓国語が非常によく似ているという指摘をしている。たとえば、
「ハイ」という返事は韓国語で「ネー」と発音するが、庄内地方の方言とまったく同じで、心に深くうなずく時は「ネー、ネー」などの二つ返事をすることも同じだという。それだけではなく、茨木さんは本書でいくつかの対応表で示してくれている。また、庄内地方ではカ行とタ行が語中に来る時、濁音になることが多いが、これも韓国語の特徴と似ているという。茨木さんは、庄内地方の方言だけでなく、日本各地の方言と韓国語との対応を別の表にまとめてくれているので、興味のある方は本書を参照されたい。
外国語を学ぶときに苦労するのは、その国独自の言語の音(音韻)の使い方だが、この音は時代とともに変化していく。日本語の場合、その音は時代が下るにつれて多様な音が消失し、母音の数も5つという簡素な音に落ち着いてしまった。しかし、時代を遡れば、その当時の日本語の音は現在では想像できない多様な音を発していた。茨木さんは、源氏物語がつくられた時代、当時、どのように発音されていたのか、関弘子さんの当時の発音にできる限り忠実に再現したという朗読を聴いた体験に触れているが、その発音は副母音が豊かで興味深かったと述べている。(例えば、「春」を「ファル」であるとか、「初め」を「ファジメ」など)
キム・サヨプ著の『古代朝鮮語と日本語』によれば、7世紀末まで、朝鮮と日本において言語上の違いを問題視した記録が史書に見当たらないと書かれていることを茨木さんは指摘している。もしかしたら7世紀まで、日本人は韓国語を容易に理解できた、あるいは理解できるような文化を保持していたのかもしれない。あるいは、韓国からの渡来人が数多く、日本語に精通した韓国人(渡来人、帰化人)が多数存在していたため、言語の障壁は大きな問題にはならなかったのかもしれない。
そうした経緯から、古代に関係の深かった韓国語の音が現代の日本方言の中に残っているということは十分に考えられる。世界に共通して言えるのは、その国、地域の中心、現代の日本であれば東京のような首都ほど言語の変化が激しく、地方に行くほど古い言語や発音が残っているという現象が指摘されている。例えば、スペインにおいてはマドリッドのような中心都市では言語(発音)の変化が激しく、周辺のガリシア地方やアンダルシア地方などに古い発音が残るような現象、また、ポルトガルであれば、ブラジルに古い発音が残っているといった現象(実際にそう指摘する学者がいる)である。
ハングルから韓国語を学び始めて、そのことがこれほど日本語を深く考えるきっかけになろうとは想像してはいなかったが、実は当たり前のことに気づいただけなのである。それほど、韓国(韓国語)と日本(日本語)との結びつきは深いということであるし、逆にその違いにおいてもクリアになることから、両国の言語感覚がよりはっきり認識でき、お互いの言語、さらには文化をより深く知る手掛かりとなりそうである。
*以前から気になっていたのは、樋口一葉と韓国との関連についてである。彼女が小説を書くうえで師とし、慕ってもいたとして知られている半井桃水は、対馬の出身であることから韓国語もでき、日本で初めて『春香伝』を翻訳したことで知られている。半井から韓国の情報など一葉は聞いていたことは間違いない。14年ほど前にも一葉記念館で「樋口一葉と韓国」というテーマで展示が組まれたようである。この点について、時間があれば調べてみたいと思っている。