ハングルの学習 そのキーポイント


ハングルはだいぶ理解できるようになった。電車に表示される駅名のハングルを読むこともよいトレーニングになる。

実際、韓国人の先生に直接習うことのメリットは大きいことがわかった。韓国語は発音が難しいため、口の形に注意しなければならないが、そうした点を直接指導してもらうことで、習得しやすくなる。

ハングルを学んでいくとわかるが、最終的なハードルとなるのが、発音を除くと、パッチム(二重パッチムを含む)に関連する読解をマスターすることである。ハングルは、左右、上下あるいは左右とその下にそれぞれ子音、母音、子音の順に文字(記号)が連続していく。(例外もある)パッチムとは、左右の文字の下に付加される子音である。場合によって、パッチムが二重に付加される場合もある。また、パッチムが次の文字の母音との関係から、有声音化されるなど、様々な法則がある。

これらをマスターすることが、ハングルの最大の壁と言えそうである。書店に行くと、『・・・1時間でハングルが読める・・・』的な教本が数多く並んでいる。確かに、頭の回転の早い方であれば、1時間は無理でも、1日あれば、すべての発音とその法則を頭に入れることは可能かもしれない。しかし、言語はそんな単純なものではないし、さらに、なるべく正確に発音できるようになるまでには、1年やそこらでは不可能ではないか?

ちなみに、韓国の首都ソウルの発音は、「ル」は舌が上の歯の裏につけるル、英語のLのような発音である。このようなよく知られた地名すら、日本人は日本語式に発音しているだけなのだ。コーヒーを意味する「コピ」も、激音と言われる唾を飛ばすような強い発音であり、日本人にはなかなか発音できない。

こうした難問を一つ一つこなして行かなくては、言語はマスターできない。韓国語は学びやすいとはいえ、やはり外国語なのだ。

# by kurarc | 2025-04-22 22:31

コーア・クリント ファーボチェア見学



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現在、銀座松屋7階デザインギャラリーで開催されている『コーア・クリントーデンマーク家具デザインのはじまりー』にて、ファーボチェア他を見学してきた。実はファーボチェアを実物でみるのは初めてのことである。この椅子については、2010年9月14日のブログでその建築性について書いた。15年も前のことになる。なかなか実物に巡り会えなかったが、やっと果たすことができた。

今日は、さまざまなアングルで写真を撮影してきた。その何枚かをこのブログにあげておく。この椅子は、モダンデザインへ移行するそのちょうど境界に位置するような時代のデザインと言えるのではないか。つくりはしっかりとしていて、多分、何百年もの使用に耐えるのではと思われる。この椅子については、先に述べた2010年のブログで述べたので、多くは語らないが、デンマークのデザイナーの中で特に興味のあるデザイナーである。ハンス・J・ウェグナーが日本では人気があるが、わたしはむしろ、クリントのデザインの方に興味がある。それは、彼のデザインが現在のわたしたちに新たな発想を促すように思えるからである。ウェグナーのデザインは、完成度が高く、わたしにとっては、発想の源泉への刺激にはなりにくい。

それに比べ、クリントのデザインは、懐の深さのようなものが感じられ、その後、デンマークの著名なデザイナーの発想の源泉になったように思う。それは現在でも変わらない。このファーボチェアから何か新たなデザインが生まれないか、わたしも考えてみたいと思っている。



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# by kurarc | 2025-04-20 15:48 | design(デザイン)

マノエル・ドゥ・オリヴェイラ 没後10年



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明日からBunkamura ル・シネマ渋谷宮下にて、マノエル・ドゥ・オリヴェイラ監督没後10年を迎え、5作品が上映される。オリヴェイラ監督の作品を鑑賞するのは久しぶりになるが、できる限り足を運びたい。できれば『階段通りの人々』を観たかったのだが、今回は上映されないようである。わたしがリスボンにいた頃には、この舞台となった居酒屋がそのまま残っていたが、現在はどうなっていることか・・・

# by kurarc | 2025-04-17 20:58 | cinema(映画)

日本語への逆照射 『ハングルへの旅』(茨木のり子著)



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外国語を学ぶことはその外国の言語を含む文化を知る上で欠かせない。さらに、興味深いことは、自国の文化の相対化につながることだと思う。韓国のような隣国の言葉を知ることは古代から関係の深い地域だけに、直接に日本の文化を逆照射する。茨木のり子さんの『ハングルへの旅』を読み始めて、特にそのことを強く感じた。

この著書(まだすべて読んでいないが)で特に興味深かったのは、日本の方言との関連、対比についてであった。茨木さんによれば、山形県庄内地方の方言と韓国語が非常によく似ているという指摘をしている。たとえば、

「ハイ」という返事は韓国語で「ネー」と発音するが、庄内地方の方言とまったく同じで、心に深くうなずく時は「ネー、ネー」などの二つ返事をすることも同じだという。それだけではなく、茨木さんは本書でいくつかの対応表で示してくれている。また、庄内地方ではカ行とタ行が語中に来る時、濁音になることが多いが、これも韓国語の特徴と似ているという。茨木さんは、庄内地方の方言だけでなく、日本各地の方言と韓国語との対応を別の表にまとめてくれているので、興味のある方は本書を参照されたい。

外国語を学ぶときに苦労するのは、その国独自の言語の音(音韻)の使い方だが、この音は時代とともに変化していく。日本語の場合、その音は時代が下るにつれて多様な音が消失し、母音の数も5つという簡素な音に落ち着いてしまった。しかし、時代を遡れば、その当時の日本語の音は現在では想像できない多様な音を発していた。茨木さんは、源氏物語がつくられた時代、当時、どのように発音されていたのか、関弘子さんの当時の発音にできる限り忠実に再現したという朗読を聴いた体験に触れているが、その発音は副母音が豊かで興味深かったと述べている。(例えば、「春」を「ファル」であるとか、「初め」を「ファジメ」など)

キム・サヨプ著の『古代朝鮮語と日本語』によれば、7世紀末まで、朝鮮と日本において言語上の違いを問題視した記録が史書に見当たらないと書かれていることを茨木さんは指摘している。もしかしたら7世紀まで、日本人は韓国語を容易に理解できた、あるいは理解できるような文化を保持していたのかもしれない。あるいは、韓国からの渡来人が数多く、日本語に精通した韓国人(渡来人、帰化人)が多数存在していたため、言語の障壁は大きな問題にはならなかったのかもしれない。

そうした経緯から、古代に関係の深かった韓国語の音が現代の日本方言の中に残っているということは十分に考えられる。世界に共通して言えるのは、その国、地域の中心、現代の日本であれば東京のような首都ほど言語の変化が激しく、地方に行くほど古い言語や発音が残っているという現象が指摘されている。例えば、スペインにおいてはマドリッドのような中心都市では言語(発音)の変化が激しく、周辺のガリシア地方やアンダルシア地方などに古い発音が残るような現象、また、ポルトガルであれば、ブラジルに古い発音が残っているといった現象(実際にそう指摘する学者がいる)である。

ハングルから韓国語を学び始めて、そのことがこれほど日本語を深く考えるきっかけになろうとは想像してはいなかったが、実は当たり前のことに気づいただけなのである。それほど、韓国(韓国語)と日本(日本語)との結びつきは深いということであるし、逆にその違いにおいてもクリアになることから、両国の言語感覚がよりはっきり認識でき、お互いの言語、さらには文化をより深く知る手掛かりとなりそうである。

以前から気になっていたのは、樋口一葉と韓国との関連についてである。彼女が小説を書くうえで師とし、慕ってもいたとして知られている半井桃水は、対馬の出身であることから韓国語もでき、日本で初めて『春香伝』を翻訳したことで知られている。半井から韓国の情報など一葉は聞いていたことは間違いない。14年ほど前にも一葉記念館で「樋口一葉と韓国」というテーマで展示が組まれたようである。この点について、時間があれば調べてみたいと思っている。


# by kurarc | 2025-04-16 21:50

ハングルの学習を本格的に開始



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4月からハングルの学習を本格的に開始した。4月は週1で大久保の韓国語学校で韓国人の先生にハングルを学ぶことにした。NHKのテレビ韓国語講座も聴講し始めた。

韓国語の文字であるハングルは非常に明快な文字であり、学びやすい。母音は30分もあれば理解できる。問題は子音である。韓国語は日本語に比べ、音が豊かであることから、かなりの子音(ほか激音、濃音)が必要になる。また、基本母音も10(その他、合成母音)あり、日本人には発音しにくい母音があるからあなどれない。

しかし、よく知られているように、語順がほぼ日本語と同じであること、助詞があること、漢字語という漢字を基礎につくられた単語があり、その発音は日本語に近いことから、日本人には学びやすく、親しみやすい。もっと早く韓国語を学ぶべきであったと今更ながら思う。初めて知ったのだが、韓国では漢字の発音の大半は1音に限定されているということである。日本語のように1つの漢字の音読みでも、幾つもの音を持つことがないという。

先日、古本屋でたまたま見かけ、購入したチョン・ミギョンの『夜よ、ひらけ』(きむ ふな訳)という短編小説を読んだが、同時代性を強く感じた。チョン・ミギョンさんはわたしと同世代であることも影響しているのかもしれないが、この小説を日本人が描いたと言われてもまったく不思議ではない、そう思わせる小説であった。残念なことにチョン・ミギョンさんはすでにお亡くなりになっている。

この小説のタイトルは、ネリー・ザックスの同名の詩にユン・イサンが曲をつけたものを聴き、そこから決められたという。この両名は知らなかったが、ザックスの詩集は先日図書館から借りてきた。こうした小説に付随する情報も新鮮である。この作家にとっても詩は重要な文学の源泉のようである。韓国を理解するためには詩の世界への深い理解が必須となるようである。

# by kurarc | 2025-04-07 22:39 | South Korea(韓国)