建築家 曾原國蔵との出会い

先日、鎌倉材木座の木造住宅の調査についてブログでお伝えした。ちょうどその1ヶ月前、鎌倉でもう一つの住宅の調査を行っていた。こちらもプライバシーの関係で詳しくはお伝えできないのだが、その住宅を設計したのは曾原國蔵(そはらくにぞう・1925年生まれ)という建築家である。

曾原といって、この建築家を知っている、という方は60歳以上の方か、戦後の建築家の活動に詳しい方に違いない。私はおよそ3年前、鎌倉市の委託による簡易耐震診断の際、調査した住宅の離れであったこの住宅に偶然出会った。

この住宅は10坪に満たない平屋であり、さらに高床住居である。軒の出は妻側が1.7メートルと0.9メートル、平入り側が1.5メートルと今の住宅では考えられないほど深い。そのせいか、わずか10センチ角の柱は築55年以上を経過しているが、ほとんど傷みがない。内部は中心にトイレと浴室が大谷石で取り囲むようにつくってあり、1室住居のようなプランである。(オリジナルでは完全な1室住居のプランであったが、現在は居間と寝室という使い方ができるように改変された。)
この住宅は、私見では、建築家増沢洵の自邸と互角の価値を持つ住宅であると確信している。しかし、現在の建築ジャーナリズムの中では決して取り上げられることのない住宅である。その理由は、建築ジャーナリズムは往々にして、自ら埋もれた価値を発見することに時間を費やすより、情報の再生産に力を入れているからである。

曾原のように目立たない建築家でありながら、優れた仕事を残した建築家たちは全国に数多くいらしゃるに違いない。こうした建築家を、地域で活動する建築家たちが地道な活動の中から発掘し、その仕事の意義を評価し、その価値を引き継いでいくという連携が最も大切なことであると思われる。

*この住宅は1950年代の雑誌『新建築』を調べると発見できる。

*1階床は地上から約1.06メートル持ち上がっている。この高さによって、1階床下まで日光が入り、シロアリを寄せ付けなかったと推測できる。

*曾原のような建築家はグーグルで検索しても、ほとんど何の情報も入手することはできない。当たり前のことだが、デジタル化されていない情報は検索しようもない。検索できないものの中に重要な情報が山ほどあるということである。

by kurarc | 2010-01-28 21:45 | architects