子規の家、子規の庭

今日は東京へ出たついでに、以前から訪ねておきたいと思っていた正岡子規の晩年の家「子規庵」を見学してきた。鶯谷のラブホテル街の中に埋もれるように子規庵は維持されていた。

子規庵の建物は旧前田侯の御家人の二軒長屋の一つであったものだという。現在はそのうち、子規の住まいであった建物が寒川鼠骨の尽力により昭和26年に再建され、都文化史跡に指定されている。

子規の家に興味をもったのは、子規の妹、律が病床に伏している子規のために庭をつくりかえていったということを知り、家と庭との関係を考える格好の題材になると思ったからである。子規の病気が進行するに従い、視線は寝ている状態に近づき下降していくことになるが、そうした状態でも、子規が庭を楽しめるように律によって工夫が施された。また、子規の弟子達は、当時希少な硝子戸を子規のためにしつらえたという。障子によって分断されていた視線は、その硝子戸によって家と庭が連続し、目の前に広がる庭は子規の視線と一体化され、あたたかい季節にしか楽しめなかった庭の観賞は、硝子戸により冬場にも可能となった。硝子という素材によって、子規の感性は庭の自然へと開かれることになる。

子規のスケッチの中に病床から眺めたヘチマ棚を描いたものがある。その遠近法を用いたスケッチは、彼の病床からの視線を最もリアルに表現している。現在のヘチマ棚はかなり小規模だが、子規が暮らしていた頃は6畳間ほどの大きさがあったようだ。ヘチマはヘチマ水として痰を切るために役立てたとも言われているが定かではないらしい。

あいにく庭にはまだ水仙しか咲いていなかったが、もう少し暖かくなり、数多くの花々が咲き始めた頃また訪れることにしたい。縁側上の下屋には黒猫が気持ちよさそうに昼寝をしていたが、子規庵を見て、猫の昼寝を眺めることができるような小さな家の暖かみにも改めて気付かされた。

*下は子規が暮らしていた当時の子規庵の配置図。病床からの視線をおさめようとカメラを持参したのだが、写真は禁止であった。よって、彼がふとんを敷いていた6畳間(病間・子規は頭を8畳間に向けて寝ていた)に寝転がって庭を眺めてみた。ヘチマ棚は子規の衰弱した身体に直接日光をあてないように配慮されたものであることが実感できた。
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by kurarc | 2010-03-11 23:24 | conservation design