エリック・ロメール監督 映画『緑の光線』について

横浜の映画館、ジャック&ベティで、エリック・ロメール監督追悼特集として『緑の光線』と『海辺のポーリーヌ』が上映されている。(7月2日まで)先日、横浜へ行ったついでに久しぶりに二つの映画を見直した。

特に『緑の光線』は、ほとんど忘れかけていた映画だっただけに新鮮であった。マリー・リヴィエールが演じるデルフィーヌ役は、恋人のいない女性の悲しさを見事に演じていて、改めて感心してしまった。会話を主体に進行するエリック・ロメールの映画はどちらかと言えば苦手なのだが、その会話で頭の中をかき回される感覚は、今の歳となって、なぜか心地よく感じられた。

以前、映画『男と女』について書いたときにもふれたが、この映画も、デルフィーヌがフランスの大西洋岸を移動していくが、彼女が移動する土地感覚をもつことはこの映画の理解に欠かせない。彼女はまず、シェルブールへ行くが、満足したバカンスを過ごすことができない。パリへ戻り、さらに山岳地帯(アルプスか?)へ行くが、それも満足できない。次に行くのがビアリッツで、ここは、スペインとの国境に近い、フランスの最も南西の街。シェルブールからは、南に600キロ以上南下していることになる。

彼女はここで、運命の男(ひと)に会い、「緑の光線」を見、バイヨンヌへ彼と向かう(向かうと想像させる)というストーリーである。移動することとデルフィーヌの感情の動きは対になっていて、移動する情景を加えればロードムビーであることもわかる。そして、彼女は南下していくことで、幸せをつかむという構図も見えてくる。

ラテン世界の人間は、特に会話することを楽しみの一つとするが、彼の映画を観ると、フランス人のおしゃべり好きがよく理解できると思う。注意しなければいけないのは、彼らの会話はいつも、「私はこう思います」と言っているということ。つまり、ほとんどが不確かな推量であるということ。そう見ていくと、この映画は、「緑の光線」という水平線上に現象する決定的な事実と不確かな会話、不確かな女性の心の対比のおもしろさであると言える。

*「緑の光線」=グリーンフラッシュという現象については、こちらを御覧下さい。

by kurarc | 2010-07-02 00:38 | cinema