ショパンとパリ

ショパン生誕200年についてのブログをつい最近書いたが、ショパンは19世紀のパリを理解する上においても格好のテキストになる。図書館で『ショパンとパリ』という書名の本(河合貞子著)を発見し、早速借りてくる。(以下、河合氏の著作より)

この書物には、ショパンがパリで暮らした住居の変遷を表す地図が掲載されている。ショパンがはじめにパリで暮らした場所は、(グラン)ブールヴァール・ポワソニエール27番地。この場所はセーヌ河右岸でルーブル美術館から北へ1.5キロほどいったところである。ショパンはこの住居をはじめとして、8回パリの中を移転するが、おおよそ現在のオペラ座東側の地区を点々としている。

このあたりは、ショパンの暮らした19世紀初期から半ばにかけて最も急速に発展したブルジョアたちの街で、パサージュもこの界隈を中心に多く建設されていることがわかる。重要なことはこのポワソニエールより東へ移行するにつれて労働者や職人といった居住区となり、多くの暴動がこの東部からはじまったということである。ショパンがはじめて落ち着いたパリの住居はいわば、パリの東と西との境界に近い街区であり、パリのダイナミックな動向をいち早く経験できた場所であった。
(ショパンの住居はその後、初めて住んだパリの住居より、東へ移動することはなかった。そのことは、ショパンの地位の向上と密接に関わっている。)

その他、ガス灯による都市の夜と光の経験、プレイエルのピアノとの出会い(スタインウェイのような大音量以前のピアノ)、アイルランド人ジョン・フィールドの演奏スタイルの研究、ロンドンという当時の先進都市の影響等々、コスモポリスとしてのパリから多くのものを吸収し、ショパンの個性が生まれたことが、河合氏の著作からよく理解できた。

それにしても、プレイエルのピアノで演奏されたショパンの音楽がどういう音色であるのか一度聴いてみたいものである。
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by kurarc | 2010-12-06 22:26 | Poland