眼鏡 新たな衣服として

眼鏡 新たな衣服として_b0074416_2120453.jpg

40代の後半あたりから、いわゆる老眼になりはじめた。視力検査では未だに1.2から1.5にはなるのだが、近くのものがかすみ始めた。乱視はなく、遠視ということらしい。

眼鏡は現在2つ所有する。なかなか自分に似合ったものは見つけづらいが、今日買いに行った眼鏡店では、ipadですぐに顔写真を撮影してくれて、眼鏡をかけた感じを客観的に判断できるようなサービスをしてもらう。考えてみればこのくらいのサービスは簡単にできるので、やってくれない方がおかしいくらいだ。

今日購入したものは、ウェリントンタイプのつや消しの黒のフレーム(上写真)である。似合うかどうかは私にとってはどちらでもよいことで、かけ心地がよかったため購入する。しかし、お客様の前でもつけるものであるから、ある程度おかしくない容姿になる必要はあるが、通常はフォーマルなデザインのものを選択している。趣味が悪いと思わせることは避けなければならない。

眼鏡は現在、本を読むとき、パソコンを見ながら仕事をするとき、食事をするとき、本屋で本を選ぶときなどなくてはならないものになった。眼鏡がないとあらゆる買い物すらろくにできなくなってしまった。眼鏡は衣服のように私にとって身近な道具となった。こうした持ち運ぶ道具たちは現在、携帯電話(スマートフォン)、パソコン、筆記用具、デジタルカメラ、鞄である。これらは、衣服や靴、家具などと同等の道具として、これから一生付合うことになるものである。

*眼鏡を選択するとき、最も注意してみる部分は
1:いわゆる「智」と言われる部分ー蝶番の部分を含む
2:素材が単一であること。張り合わせたフレームは避ける
3:軽さ、かけ心地
4:金銭的に余裕があればレンズ仕様

by kurarc | 2012-08-15 21:16 | design